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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第九章:飛雪は六月に非ず、沈みし冤ついに天光に
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108  冠なき王

暖かな陽光が教養院の中庭に降り注ぎ、小さな窓から差し込んだ光が、優しく地面を照らしていた。数人の子供たちが輪になって座り、楽しげにおしゃべりをしている。


中庭の隅、静かにしゃがみ込む長身の影があった。袖をまくり、慎重に木片を削っている。指先に絡みついた木屑がふわりと落ち、いくつかは彼の髪に留まった。伏せた瞳には穏やかな光が宿り、細長い指が器用に小さな木馬の形を整えていく。


子供たちは彼の周りに集まり、期待に満ちた瞳でその手元を見つめていた。


「もう少しだよ。」

顔を上げた彼は、柔らかな微笑を浮かべながらそう告げた。

瞬間、歓声が弾けた。まるで銀鈴の音のように、澄んだ笑い声が教養院の隅々まで広がっていく。


その一方で、別の場所では騒然とした声が響いていた。


「クラウス様を見ませんでしたか!?さっきまでここにいたのに、突然姿が見えなくなった!」

焦燥に駆られた清樹が、周囲を必死に見回している。アミーリアもまた、その言葉に驚いたように瞳を見開いた。


「嘘でしょう? まだ意識が戻ってないはずなのに……清樹、あなたずっと付き添っていたんじゃないの?」

清樹の顔が、みるみる青ざめる。

「確かにずっと見てたよ……でも、ちょっとだけ席を外したんだ。ほんの一瞬のはずだったのに……」


アミーリアはその言葉を聞くや否や、焦燥に駆られたように駆け出した。

「外を探しましょう! まさか、また何か……」


その時だった。


「私を探してるのか? ずっとここにいたけど。」

穏やかな声が突然割って入り、二人は驚いて振り返った。


彼は、子供たちに囲まれながら、すでに完成した木馬を抱えて立っていた。優しく穏やかな笑顔を浮かべ、まるで何事もなかったかのように。


「兄上……!」

アミーリアの声が震えたかと思うと、次の瞬間、彼女の体は無意識のうちに動いていた。


駆け寄る。

そして、そのまま彼の腕の中に飛び込んだ。


クラウスは、驚いたように目を瞬かせたが、すぐにふっと微笑み、アミーリアの背中を優しく抱きしめた。


「さあ、国を取り戻しに行こう!」

その声は、驚くほど明るく、何の迷いもなかった。


アミーリアが息をのむ間もなく、クラウスはすっと立ち上がり、彼女の手を引いた。

動きにも一切の迷いがない。まるで、最初から何をすべきか知っていたかのように。


清樹は、その後ろ姿をじっと見つめた。


……本当に、さっきまで眠っていた人間か?


長く昏睡していたはずなのに、言葉にも、仕草にも、一切の躊躇いがない。

目覚めたばかりのはずなのに、まるで「次に何をすべきか」すでに決まっているようだった。


――何かがおかしい。


だが、その違和感を口にする前に、クラウスはもう一度振り返り、いつもと変わらぬ笑顔を浮かべた。

「行こう、アミーリア。」


アミーリアは、その手の温もりを確かめるように、ぎゅっと指を絡めた。


清樹は、わずかに唇を引き結ぶ。

彼の知るクラウスは、確かにここにいる。

けれど――

何かが違う。


彼はゆっくりと息を吐き、黙って二人の後を追った。


隠し部屋の薄暗い灯の下、久しぶりに全員が揃っていた。

蓮、凛音、凛律、アミーリア、そして清樹。


クラウスはゆっくりと視線を巡らせ、一同の顔を見渡した。

「蓮、凛音、今回の件では本当に助かった。ありがとう。」

一歩前に進み、二人に深く頭を下げる。


「凛律も、わざわざ白瀾国から駆けつけてくれて感謝する。」

彼の鋭い視線を受け止めながらも、クラウスははっきりと礼を述べた。


「そして清樹、お前も長い間、私の世話をしてくれていたな。」

――深々と、頭を下げた。


一瞬、部屋に静寂が落ちる。


「……は?」

不意に、清樹の声が響いた。

「やはり、おかしいな。ずっと『俺様』だった王子が突然私に頭を下げるとは。」

彼は吐き捨てるように言いながら、クラウスをまじまじと見つめる。

「お前は……誰だ?」


クラウスは微動だにせず、その言葉にも何の動揺も見せなかった。

ただ、まっすぐに立ち上がると、迷いなく言い放った。


「誰も私を支持しないなら、私が選択肢を作る。」

その声音には、ためらいの影すらない。

「もう、待つのはやめた。」


その瞬間、部屋の空気が変わった。


――これまで、彼はずっと影に潜み、見守るだけだった。

誰かを助けても、それが表に出ることはなかった。

それでよかった。そうしていれば、自分の存在など取るに足らないもののまま、この国のどこかで生きていけたかもしれない。


だが、もう違う。


「これまで、私は誰かの決めた未来を受け入れてきた。王族の名を持ちながら、王族ではない者として生き、自由を得たと思い込みながら、実は何も選んでいなかった。」


クラウスは拳を握りしめる。


「この国は、デイモンのものではない。誰かに支配されるべきものでもない。国とは、そこに生きる人々のものであり、彼らが未来を選ぶ権利を持つ。」


まっすぐ前を見据え、はっきりと宣言した。


「私は、立ち上がる。それが王族としての責務ではなく、蒼霖国に生きる者としての意志だ。」


その言葉は、部屋の隅々にまで響き渡った。


「クラウス、何があったの? 目覚めたきっかけは分かっているの?」

凛音がふと問いかける。


クラウスは一瞬考えるように視線を落とし、軽く息を吐いた。

「……分からない。ただ、十分に眠ったから目を覚ましたのかもしれない。」

冗談めかしく微笑んだものの、その表情の奥には微かな影が宿っていた。

「夢の中で、ある男に会った。」


「……?」

「いや、何でもない。」

それ以上、彼は語らなかった。


「兄上、私、もう一度大臣たちに会いに行ったけれど……」

アミーリアは唇を噛み、悔しそうに首を振った。


クラウスは黙って彼女の頭を軽く撫でる。

「彼らは動かない。いや、動けないんだ。彼らのほとんどは、自らが生き延びる道を優先する。だが……この国は、彼らのものではない。」


「ならば、どうする?」

凛律が鋭く問いかける。


クラウスは迷いなく答えた。

「私は、蒼霖国の全ての民に向かって真実を語る。」


部屋の空気が張り詰める。


「私は、この国の人々に知ってほしい。

生きるとは、誰かに与えられるものではない。

誰かに支配されるものでもない。

そして、決して奪われてはならない。」


清樹は息をのんだが、すぐに口を開く。「……お前、本当にクラウス殿下なのか?」


「デイモンは私を無視できない。」

クラウスはきっぱりと断言した。

「そして、民もまた、私を無視できなくなる。」


彼は立ち上がり、ゆっくりと部屋の出口へ向かった。


「この国の未来は、彼らの手に委ねられている。私は、それを思い出させる。」


クラウスが振り返った瞬間、なぜかその場にいる者たちは、皆「冠なき王」を目の当たりにした。


「行こう。」

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