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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第九章:飛雪は六月に非ず、沈みし冤ついに天光に
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107 夜明けを待たず

「兄上、行ってきます。」

アミーリアは静かにスカートの裾を整え、まだ寝台に横たわるクラウスを見下ろした。

「兄上もさっさと起きてなさい。」

そう言い捨てると、彼女は立ち上がり、振り返ることなく扉を閉めた。


扉の向こう、廊下ではすでに蓮が待っていた。月光が差し込む静かな空間の中、彼は軽く頷くと、まっすぐ彼女を見つめた。

「準備はいいか?」


アミーリアは深く息を吸い、視線を上げる。

「ええ。私は、この国のために話をしに行く。」


「……そうか。」 蓮は短く答えると、ゆっくりと歩き出した。


今日は、彼女が未来を決める日だった。

操り人形の女王ではなく、自由な意志を持つ王女として――


二人が向かうのは、かつて王族に仕えた有力貴族の一人、韋衛承イエイショウの邸宅だった。

彼の母は蒼霖国の名門貴族、父はかつて白瀾国の尚書を務めた人物である。

父が病没した後、彼は母と共に蒼霖国へ渡り、官職に就いた。

白瀾国と蒼霖国の両方に縁を持つ彼は、蓮とアミーリアにとって最も説得しやすい相手だった。


さらに、表向きはデイモンに従う姿勢を見せながらも、彼が本心からデイモンに忠誠を誓っているのかは不明のままだった。


門の前には、すでに彼の家臣と思われる男が待っていた。

「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ。」


二人は互いに目を交わしながら、屋敷の奥へと足を踏み入れる。

そこにはすでに、蒼霖国の重臣たちが集まっていた。

この国の命運を決めるべき者たち。


「……お集まりいただき、感謝いたします。」

アミーリアはゆっくりと前へ進み、優雅に腰を落ち着けた。

「本日は、大切なお話をしに参りました。」


彼女の声は柔らかく、それでいて凛としていた。

「皆様もご存知の通り、今の蒼霖国は二つの未来の岐路に立たされています。

一つは、叔父上の支配する国。そしてもう一つは――本来あるべき王族が、正しく国を治める道です。」


蓮はその隣に立ち、ただ様子を見守る。

今は自分の出番ではない。耐えるのだ。


群臣の間にざわめきが広がる。


「しかし、デイモン殿はすでに兵権を掌握し、国内の反乱を鎮圧しつつあります。」

大臣の一人が進み出て、ゆっくりと言った。

「現時点で彼に逆らうことは、国にとって最も不安定な状況を招きます。アミーリア様、あなたが今すべきことは、国の安定を第一に考えることではありませんか?」


「ふふ……」

アミーリアは微笑んだ。


その微笑みは、冷ややかでありながらも、どこか挑発的だった。

「なるほど、なるほど。皆様は『国の安定』を第一に考え、つまり私に『彼の傀儡になれ』と仰るのですね?」


「決してそういうわけでは……!」


その時、一人の官僚が震える声で進み出た。

「しかし、臣は聞いております。アミーリア様は、ただの拾われた少女に過ぎず、本当の王族ではないと。それに比べ、デイモン殿こそが、正真正銘の蒼霖国王族なのではありませんか?」


「では、皆様は彼がここまで歩んできた道を見てきたはず。それでも、まだ彼がこれから何をしようとしているのか、想像できませんか?」

彼女は優雅に片手を挙げ、冷たく言い放つ。


その瞬間、先ほど発言した官僚は息を詰まらせ、口を閉ざした。そして、顔には明らかな怯えの色が浮かんでいた。


アミーリアはさらに畳みかけるように言葉を紡いだ。

「『妥協』――それは、まるで美しい言葉のように聞こえますね。ですが、妥協をすることで、本当にこの国を守ることができるのでしょうか?」


その場にいた誰もが沈黙した。


「それとも――皆様はすでに叔父上の側につくと決めているのですか?」


瞬間、空気が重く張り詰める。

「アミーリア様、それは……」


「あるいは、皆様は彼に媚びへつらっているのではなく、ただ己の身を守るためにそうしているだけなのかもしれませんね。」

彼女は涼やかな表情のまま、淡々と言い放つ。

「ですが、忘れないでください。今ここでの自己保身は、万千の民の血と涙の上に成り立っているのです。」


その時、蓮が一歩前に出た。

「アミーリア殿の言う通りだ。」

落ち着いた声音でありながら、一切の曖昧さを許さなかった。

「白瀾国はすでに部隊を国境に待機させている。もし蒼霖国が正しき王を擁立し、助力を求めるのであれば、我々は正式に軍事支援を行う用意がある。」


「……!」

重臣たちの間に、再びざわめきが走る。


「貴国はすでに内乱の最中にあり、王位は未だ定まらず、デイモン殿の暴走を止める者もいない。このままではいずれ、貴国は彼の独裁国家となるだろう。」

蓮は冷静に続ける。


「これまで我が白瀾国は、蒼霖国と盟友関係を築いてきた。それは、互いに対等な国家として成り立っていたからだ。」

彼は穏やかに微笑みながらも、その瞳には鋭い光が宿っていた。

「――ただし、傀儡が飾られるだけの王座では、盟友とは呼べない。」


「……っ」


一部の重臣が、僅かに顔を伏せる。


「……我々に、少し時間をいただけないでしょうか?」

最年長の重臣が、重々しく口を開いた。


「もちろん。」

アミーリアはすぐに答えた。

「ですが、あまり悠長に構えている時間はありません。叔父上は待ってはくれませんし、私も同じです。」


彼女は優雅に両手でスカートの裾を持ち上げ、右足を左足のかかとの後ろへと添え、膝をわずかに曲げて一礼した。そして、群臣たちを見渡しながら、はっきりと告げる。


「皆様の答えを、近いうちにお聞かせください。」


言い終えると、彼女は振り返ることなく、その場を後にした。


外へ出た瞬間、アミーリアは小さく息をついた。

「ふぅ……」


「随分、強気だったな。」

蓮がすぐ隣で言う。


アミーリアは彼を横目で見て、ふっと微笑む。

「こういう時は、余裕を見せておかないと。弱さを見せたら、つけ込まれるだけよ。」


「それでも、彼らの態度はまだ読めないな。韋衛承は何も言わなかったどころか、表情すら微動だにしなかった。」

「ええ。でも、これで十分。彼らは、一度は迷いを持った。あとは、どう動くかを見極めるだけ。」

アミーリアの瞳に、強い光が宿る。


「もしかすると、アミーリアは女王に向いているかもしれませんね。」

「それは、お前みたいに一日で王座を放り出した皇子より、よっぽど向いているでしょうね。」


蓮は深く息をついた。

「……お前たち、いつまでその話で私を責めるつもりなんだ。」


「さあな。でも、本当のところ、この国の王になるべきなのはクラウスだと私は分かっています。気ままに過ごしていた私とは違い、彼はずっと動き続けていた。」

アミーリアはふっと遠くを見つめた。

「表向きは放蕩皇子として、酒と女に溺れているように振る舞いながら……本当は、誰にも知られずに奔走し、困窮する人々を救っていた。」


彼女の指先がわずかに震える。

「そんな兄上だからこそ、私は……」


言葉を切ったアミーリアは、一度息を整え、視線をまっすぐ前に向けた。

蓮はそっと彼女の肩に手を置いた。


「大丈夫だ。彼を信じろ。」


静まり返った空の果てに、東の空の端がわずかに白み始めていた。


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