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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第九章:飛雪は六月に非ず、沈みし冤ついに天光に
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106 仕組まれた解放

「クラウス、あなたはまだ眠り続けるつもり?」

凛音は寝台に横たわるクラウスを見下ろしながら、低く囁いた。

「私たちは、あなたの妹を助けに行くわよ。」

微かな蝋燭の明かりが揺れ、彼の長い睫毛がかすかに震えた気がした。

だが、それ以上の反応はない。


今夜の突入はルナによって手はずが整えられていた。

凛音は侍女として宮殿に潜入し、凛律は宦官に扮して影のように後をつく。

この女は一体、どこまで見極めたのだろうか――

それは、まだ分からない。


「止まらないで、堂々と歩くこと。仕草で余計な疑いを招くな。」


すぐ後ろを歩く凛律の声が耳元で響く。

彼の言葉通り、凛音は一定の歩幅を保ちつつ、回廊を進んだ。

夜の宮殿は静寂に包まれているが、その静けさこそが、不自然なまでに張り詰めた緊張感を孕んでいた。


中庭を巡回する兵の足音が遠ざかるのを確認すると、凛音は小さく囁いた。

「巡回は三刻ごと、今がちょうど隙がある時間。このまま奥へ進むわよ。」


石畳を踏みしめる音を最小限に抑えながら、月明かりに照らされた廊下を進む。

そして、目的の部屋が見えた。


「扉は?」

「開いている。」

凛律の短い返答に、凛音は僅かに眉をひそめた。

「……鍵が?」


王族が幽閉される部屋なら、厳重な施錠がされているはずだ。

だが、目の前の扉には鍵が掛かっていない。


「……罠?」

「その可能性が高いな。」


凛音は迷わず袖の中の短刀に手を伸ばした。

「それでも、行くしかないわ。」

そっと扉を押し開ける。


薄暗い灯の下、アミーリアはベッドに座り、冷えた夜の空気を静かに吸い込んでいた。開かれた本を手にしながらも、視線はそこにはなく、扉の向こうの気配を探る。


……何かが違う。


足音の間隔がいつもと違う。

止まる位置も微妙に異なる。

ほんの些細な違い――だが、監視下に置かれた身のアミーリアには、それだけで十分だった。


「……そこにいるのは?」


アミーリアは本から目を離さぬまま、低く問いかける。

すぐに反応を見せてはならない。

「助けに来た」と言われたところで、それが本当かどうか、まだ分からない。


しかし、わずかに息をのむ気配。

一瞬の沈黙。


この間――知っている。


「……凛音様?」


ゆっくりと視線を上げたその先、目の前の「侍女」と目が合う。

夜の闇の中でもはっきりとわかる、見間違えるはずのない顔。


「お兄様は無事でしょうか?」

「無事よ。でもまだ目を覚ましていない。」

「……そうですか。」

「アミーリア、何かされなかった?」


アミーリアの瞳が、僅かに揺れた。

だが、すぐにその波紋を隠すように、ゆっくりと本を閉じる。

「……何もされていません。今のところは。」


「今のところは?」

凛音の声に、鋭さが滲む。


アミーリアはふっと小さく笑った。

どこか疲れたような、それでいて何かを見透かしているような笑みだった。

「閉じ込められていますが、待遇は悪くありません。それどころか、まるで『客』のように扱われています。」


「それは――」


「そういうことです。」

アミーリアは淡々とした口調で言った。

「このまま従順にしていれば、彼らは私を利用しようとするでしょう。でも、ここで無理に逆らえば、命は保証されない。」


凛音は奥歯を噛みしめた。

「アミーリア、行こう!」


しかし、アミーリアは動かない。

「どうやって? 凛音様、今ここで私が何かすれば、お兄様の立場をさらに悪くするだけです。それに……変なものを注射されました。」


変なもの?

凛音は一瞬息をのんだが、すぐに表情を引き締めた。

「大丈夫よ。そんなもの……」


「凛音様、あなたに何が分かるんですか!」

アミーリアの声が震えた。

「どこが大丈夫なんですか? 私は今、このままでは国を失った亡国の姫になるか、操り人形の女王になるか、そのどちらかしかないんですよ!」


「亡国の姫……それは確かに苦しいかもしれない。でも、だからって、操り人形の女王でいいの?」


「……でも、それでも国が完全に滅ぶよりはマシでしょう?」


凛音はふっと息を吐いた。そして、少しだけ微笑む。

「そうね。……アミーリアは、強い子ね。」


「しかし、私の国が滅びた時、私はまだ五歳だった。記憶すらない。選ぶ権利なんて、最初からなかった。兄も、父も、母も――皆死んだ。林家は私を本当の娘のように育ててくれた。でも、せっかく得た母も、また失ってしまった。」

凛音の声は静かだった。しかし、その奥には計り知れない悲しみと、揺るぎない強さが滲んでいる。

「もし、私が過去に囚われ続けていたら、きっととうの昔に死んでいたわ。」


アミーリアは息をのむ。


「私は、亡国の痛みを乗り越えてきた。アミーリアだって、自分の生きる道を見つけられるはずよ。他人の操り人形になるためじゃない。本当に、生きるために。」


「もし、いつかあなたが女王になるのなら、それはあなた自身が望んだ時だけよ!」


静寂が落ちる。

凛音の言葉が、アミーリアの心に鋭く突き刺さった。


アミーリアは一瞬、指先を震わせながらも、強くベッドのシーツを握りしめた。そして、何かを振り切るように立ち上がり、凛音の方へと足を踏み出した。


その瞬間――


壁の一角がわずかにずれた。

小さな機械音。そして、空気が切り裂かれる鋭い音が響く。


「伏せろ!」


同時に、凛律の影が動いた。

彼は迷いなくアミーリアの肩を引き寄せ、力強く床へと押し倒す。

直後、無数の暗箭が空を裂き、先ほどまで彼女が立っていた場所を貫いた。


「……まさか、こんなものまで仕掛けているとはな。」


凛律は素早く剣を抜き、跳ね返らずに突き刺さった矢を一本弾き落とした。

アミーリアは、突然押し倒された衝撃に目を見開きながら、彼の腕の中で息を呑む。


「お兄様!」凛音が驚いた声を上げる。


しかし、凛律はすぐに立ち上がり、アミーリアを支え起こしながら低く言った。

「……いい加減、覚悟を決めろ。お前はすでに『逃がしてもらえる立場』にはいない。」


彼の腕の中で、アミーリアは僅かに震えていた。しかし、その目に迷いはもうなかった。


「素晴らしい!さすが林将軍のご子息だ。」

デイモンは悠然と拍手をしながら、ゆっくりと扉から歩み出た。

その背後には、重なるように整然と兵士たちが足音を響かせながら続いてくる。


凛音は即座に剣を抜き、警戒を強める。

だが、デイモンはまるで余裕を見せるように、優雅に片手を広げると、洗練された所作で深く一礼した。


「雪華国の王女殿下――初めてお目にかかります。お会いできるとは、光栄の極み。まさか、あなたが今もなおご存命とは……」


「……何が言いたいの?」


デイモンはゆっくりと身を屈め、鋭い視線を凛音に向けた。

「あなたを生かしているのは、果たして誰なのか、考えたことは?」


一瞬、凛音の表情が揺れる。しかし、その隙を突かせまいと、凛律が冷静に遮った。

「こいつの言葉に惑わされるな。」


デイモンは口元に薄く笑みを浮かべ、まるで全てを掌握しているかのように、ゆったりと片手を掲げた。そして、芝居がかった動作で道を示す。

「まあ、雪華国の王女殿下のためならば、見逃して差し上げましょう。」


その言葉に、周囲の兵士たちは一斉に動きを止める。


「さあ、道を開けろ。おい、何をしている? 雪華国の王女に道を譲らぬとは、無礼にも程がある。」


兵士たちは戸惑いながらも、デイモンの言葉に従い、ゆっくりと後退していく。


「雪蓮花が今日まで咲き続けていること……お前たちは、一体誰の力だと思う?」

デイモンはくすりと笑い、まるで何かを愉しむように続けた。

「彼女がいなければ、私たちがこうして楽しめる機会もなかったというのに――実に感謝すべき存在ではないか?」


その声は、どこか嘲笑に満ちていた。


「……さて、お帰りくださいませ、王女殿下。」


凛音は歯を食いしばり、拳を握りしめる。だが、横目に映るアミーリアと、傷を負った凛律。

ここで怒りに任せて戦うことは、あまりにも愚かだった。


――耐えろ。


足を踏み出し、背を向ける。


しかし、扉の前でデイモンは思い出したように口を開いた。


「ああ、そうそう。」

立ち止まる凛音たちに、彼は楽しげに言葉を続ける。

「お前たちも、もう無駄に身を隠す必要はないさ。私は追っ手を差し向けるつもりはない。」


そして、にやりと笑いながら囁いた。


「クラウスに伝えろ。私に会いに来い、と。」


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