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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第九章:飛雪は六月に非ず、沈みし冤ついに天光に
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104 月下の狩人

月は穏やかに夜を照らし、風は梢を撫でていた。木々の間、一匹の螳螂がじりじりと蝉へと忍び寄る。葉陰に潜む獲物は微かに身じろぎ、その気配を察していた。


狙いを定め、鎌がゆっくりと振り上げられる。

だが、その背後にはさらなる影。羽音ひとつ立てず、機をうかがう黄雀。


螳螂は目の前の蝉にばかり意識を向け、己が狙われていることには気づかない。鎌が振り下ろされた刹那、蝉が跳ねるように身を翻し、その刃をするりと避ける。そして、黄雀が舞い降りた。


気づいた時には、すでに遅い。螳螂の身が黄雀の鋭い嘴に捕らえられ、捕食者と獲物の立場があっけなく逆転する。


夜は、ただ冷たく静かに、それを見下ろしていた。


――長明堂の奥、凛音はふと顔を上げる。


風の流れが変わった。

外は妙に静かすぎる。虫の音すらない。


窓の向こう、闇に溶けるように佇む建物の影。

そこをすり抜けるかのように、微かな布擦れの音が聞こえた。


「……。」


凛音は無言のまま立ち上がる。指先で灯籠の火を静かに摘み取るように消した。


「凛音?」蓮が眉をひそめる。


「出るわ。」凛音の声は低い。「気配がする。敵よ。」


狙われている。

だが、狩る者が誰で、獲物が誰かは――まだ、決まっていない。


凛音は息を潜め、暗闇に目を凝らした。


その瞬間、外の静寂を切り裂くように、威圧的な声が響いた。

「長明堂の者ども、門を開けろ。王命により、お前たちは逆賊幇助の罪で拘束する。」


バン!バンッ!

無数の足音が周囲を埋め尽くし、門が激しく叩かれる音が響き渡る。まるで待ち伏せていたかのような、計算された動き。


蓮は目を細めた。「……《《偶然》》の襲撃じゃないな。」

「ええ。」凛音は素早く窓辺に身を寄せ、外を伺う。「これは、最初から私たちの居場所を把握していた襲撃よ。」


敵は、長明堂の存在をすでに掌握していた。


「……蓮。」

「分かってる。」

「清樹、すぐにクラウスを連れて逃げなさい。」

「で、でも凛音様――!」

「私たちは後で合流する。今は一刻も早く、クラウスを安全な場所へ運ぶのが先決よ。」


清樹は悔しそうに唇を噛んだが、すぐに頷いた。「分かりました……!」


そして、次の瞬間――


「突入しろ!!」

轟音と共に門が破られた。


長明堂、完全包囲。


一気に敵兵が流れ込んでくる。

だが、凛音は一歩も動かない。


「――全員、足を止めなさい。」

低く、鋭く、命令のように響く声。


一瞬、侵入してきた兵たちが無意識に動きを止めた。

次の瞬間、凛音の姿が、彼らの視界から消えた。


「――なっ……!?」

影のように駆け抜ける。

足音すら感じさせず、最前線の兵士の懐へ潜り込む。

「遅いわ。」


刃が煌めく。

一閃。

首筋へ正確に刃を滑らせ、静かに沈める。

返す刀で二人目の腕を弾き、武器を落とさせる。


「このっ……!」

別の兵士が槍を突き出す――だが遅い。


凛音はわずかに身体を傾け、その刃を紙一重で回避する。

そして、地を蹴り上げ、鋭い回し蹴りが兵士の側頭部に炸裂した。


「ぐ……!」

兵士は呻きながら崩れ落ちる。


しかし、凛音はまだ微動だにしない。

戦況を冷静に見極め、瞬時に最善手を選び続ける。


彼女の周囲には、すでに三名の兵が沈んでいた。


「……流石、林将軍の娘か。」

侵攻部隊の指揮官が唸る。

「だが、《《数》》には勝てまい。」


ドドドドドッ――!

合図とともに、さらに兵士たちが一斉に駆け込んできた。

数え切れぬほどの刃が凛音ただ一人に向かって襲いかかる。


「……おい、凛音様が一人で残ってるんじゃないのか?」

清樹が後ろを振り向きながら、焦ったように蓮に言う。

「……凛凛は、そう簡単にやられる女じゃない。」

蓮は短く答え、暗がりの中を進む。


その時、後方の影が大きく揺れた。

「……っ!?」

長明堂の裏路地、静寂を裂くように矢が一本、空を切った。

――敵の喉元に突き刺さる。


「ぐぁっ……!」

兵士の一人が悲鳴を上げ、崩れ落ちる。


誰だ!?

蓮と清樹が警戒しながら振り向く。


闇の中、一人の男が屋根の上に立っていた。

長い黒髪が風に揺れ、鋭い眼差しが月光を切り裂くように光る。


その瞬間、すでに屋内へ踏み込んでいた兵士の背に、鋭い矢が突き刺さる。

「……なに!?」

絶命する間もなく、兵士はそのまま崩れ落ちた。


次の瞬間、さらに一人、喉を貫かれる。

「あっ……!」

悲鳴が途切れる。


「くそっ、どこから――!」

「包囲を維持しろ!」

指揮官が怒鳴るが、兵たちの動揺は隠せない。


その時、夜闇を切り裂く声が響いた。

「……遅かったな。」


月光が彼の輪郭を浮かび上がらせる。


「お兄様?!」

凛音が息を呑む。


彼はゆっくりと弓を下ろし、敵兵たちを見下ろした。

「逃げ道があると思うなよ。」


最後の矢が放たれた。

鋭い風切り音とともに、一直線に飛ぶ。


「――ッ!!」

敵兵の中で、一番後方にいた指揮官の兜を寸分違わず射抜き、無情にも弾き飛ばした。

金属が弾ける音が響く。隊は完全に混乱に陥った。


凛律は静かに微笑むと、弓を素早く背中に戻し、一瞬の隙をついて地面に飛び降りる。

着地と同時に、素早く状況を見渡した。


「音ちゃん、言いたいことは山ほどあるが、まずはこの場を片付けようか。」


凛音が息をのむ間もなく、二人は背を預ける。

凛律は迷いなく腰の剣を抜いた。その眼差しは、獲物を捕らえた猛禽のように鋭く研ぎ澄まされている。

彼は、ただ螳螂を狩る黄雀などではない。


敵兵たちは混乱し、動揺の色を隠せないまま剣を構え直す。

「貴様……林将軍の……!」

誰かが声を上げる――だが、その言葉が最後まで続くことはなかった。


シュッ――風を裂く音。


次の瞬間、凛律の剣が閃き、敵の喉元すれすれをかすめる。

一拍遅れて、凛音の刃も舞う。斬撃の閃きが交差し、倒れ伏す敵の影。


背中を預ける、あの日と同じ戦場の感覚。


「……お兄様!?」

凛音は驚きの声を上げるが、視線は敵から決して逸らさない。


「久しぶりだな。」

凛律は余裕の笑みを浮かべ、剣を軽く払う。

「ちょっと派手にやりすぎたか?」


「お兄様こそ、まだまだ衰えてないみたいね。」

「そっちこそ、前より腕が上がったな。」


背後で微かに笑う声。その瞬間、二人は同時に動いた。


――疾風の如く。


そして、夜の狩人が誰であるか、ようやく明白となった。

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