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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第九章:飛雪は六月に非ず、沈みし冤ついに天光に
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103 操られし人形

クラウスの昏睡はすでに数日続いていた。身体に大きな異変は見られないが、目覚める気配もまるでなかった。

蓮と清樹は幾冊もの医書を広げ、治療の術を探し続けた。そして、たどり着いた答えはただ一つ。

「クラウスは、自ら目覚めることを拒んでいる。ゆえに、神の力でさえ干渉できない。」


理屈としては筋が通る。だが、それが真実なのか――誰にも分からなかった。


「……でも、いつまでもこうして待っているわけにはいかない。」

凛音は息を整え、一言。

「アミーリアを助けに行くわよ。」


――静寂は、時にどんな言葉よりも不安を掻き立てる。


窓の外には、闇深き夜が広がっていた。宮城の奥は静まり返り、どこか不穏な気配さえ漂っている。燭火が揺れ、壁に映る影が滲んでは消え、ただ無言でそこにあった。

寝殿の片隅で、アミーリアはじっと座っていた。細い指先が手首をなぞる。そこには、兵士に強く掴まれた痕が赤く残っていた。目を閉じると、あの日の喧騒が脳裏をよぎる。王座は沈黙し、兄の声は届かず、デイモンの命令だけが響いた。


どれほどの時が経ったのだろう。彼女はこの宮殿に囚われ、外の世界と完全に切り離されていた。侍女たちの態度は日に日に冷たくなり、目を合わせることすら避けるようになった。


デイモンは、すべてを掌握するつもりなのだ。

王座を覆すだけでなく、あらゆる反抗の芽を摘み取るつもりでいる。

兄は今、どこにいるのだろうか。いや――まだ、生きているのだろうか。

胸の奥に、冷たい感覚が広がっていく。


その時、静寂を破るかのように、寝殿の外から足音が聞こえた。


「……アミーリア様。」

おずおずとした侍女の声が響く。彼女は反射的に顔を上げた。

「デイモン様が、お呼びでございます。」


心臓が、小さく跳ねた。――デイモン? こんな時間に、一体何の用だというのか。

アミーリアは静かに息を整え、そっと立ち上がる。衣の乱れを直し、表情を引き締めながら、思考を巡らせた。


今は、焦らず冷静に。


彼女には、デイモンの真意を探る術も、頼れる味方もいない。だが、それでも――ただ囚われの姫として待つつもりはなかった。


どんなにわずかでもいい。

この牢獄のような宮殿の中で、今の自分にできることを見つけなければならない。


「叔父上様、一体何のご用でしょうか?」


「アミーリア、そんなに冷たくしなくてもいいじゃないか。」

デイモンは不敵な笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩み寄る。

「昨日のことは、逆賊を捕らえるために必要だっただけさ。」

彼の指がそっとアミーリアの顎に触れ、無理やり持ち上げる。


「つまり、私は叔父上の手の中で動く、ただの駒ということですね。」


その言葉に、デイモンの笑みが僅かに歪んだ。

次の瞬間、彼の指がアミーリアの喉を強く締め上げる。


「そうだな。その駒らしく、しっかり役目を果たしてもらおうか。」

低く囁くと、デイモンは無造作に手を放し、アミーリアの身体を乱暴に押しやった。


「いい子にして、『賢明な女王陛下』を演じてくれよ。」


……何?

アミーリアの瞳が大きく見開かれる。

彼は、自らが王位に就くつもりなのではなかったのか。ずっとそう思っていた。

なのに――


デイモンの真意に気づいた瞬間、背筋を冷たい刃でなぞられたような感覚が走った。


「王位? くだらない。そんなもの、一体何が面白い?」

デイモンはゆったりと歩を進め、アミーリアの髪を指先で掬い上げる。

それを弄ぶように絡めながら、ふっと微かに笑みを浮かべ、鼻先へと寄せる。


「背後に立ち、すべてを操る者こそが、本当の王だ。」

淡々と告げると、絡めていた髪を指の間から滑らせた。


「さて、アミーリア――」

彼は彼女の手を取り、まるで貴婦人をエスコートするような優雅な仕草で、穏やかに王座へと《《導いた》》。

そして、恭しく「迎え入れる」かのように、彼女を王の座へと腰掛けさせる。


そのまま玉座の背後へと回り込み、アミーリアの手首を掴み、自らの掌へと添えるように持ち上げる。


「知っているか?」

囁くような声が、彼女の耳元に落ちる。

「操り人形を動かすのは、実に楽しいものだよ。」

デイモンの声には、心底愉悦を滲ませた響きが混じっていた。


「クラウスには少し期待していたんだがな。もう少し遅く気づいてくれれば、こうして王座に座らせて、存分に遊べたものを。」

まるで心から惜しんでいるかのように、肩をすくめる。


「……では、叔父上は、私がいずれ反旗を翻すとは思わないのですか?」


「反旗を翻す? お前は、なぜ私がシアンに血蓮の研究を命じたと思っている?」


デイモンは王座の正面へと歩み寄ると、ゆっくりとその肘掛に手を添え、軽く膝を折るように身を屈めた。

アミーリアの顔を見据えながら、視線は徐々に彼女の首筋へと滑り、そこに浮かぶ細い血管をじっと見つめる。


彼は喉の奥で愉悦に震える笑みを漏らし、低く囁く。

「せいぜい、今のうちに反抗を楽しんでおくことだな。」


目を細め、唇の端を愉悦に歪める。

「ああ、お前は知らないだろう? 細い針をゆっくりと刺し、じわじわと血がにじむ様を観察するのは、なかなか趣深いものだよ。」


「……変態。」


アミーリアは忌々しげに吐き捨てた。


デイモンは微かに肩をすくめ、ゆるやかに立ち上がる。そして、両手を背に回し、どこか余裕のある笑みを浮かべた。


「そんなこと、言わないでくれるか? 何しろ、誰にも望まれず、冷たい地面に転がっていたお前を拾い上げてやったのは、この私だ。」


軽く息を吐きながら、彼は王座の階段をゆっくりと下りる。だが、ふと立ち止まると、再びアミーリアを振り返り、恭しく片膝をつくような仕草を見せた。


「ほら、ご覧なさい。誰にも望まれなかった赤子が、今やこんなにも立派な女王様になったのだから――実に、感慨深いとは思わないか?」


彼の口元には、嘲弄と狂気が入り混じる歪んだ笑みが浮かんでいた。


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