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雪の刃—殺し屋の元王女さま  作者: 栗パン
第九章:飛雪は六月に非ず、沈みし冤ついに天光に
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100 春風に背を向けて

春の訪れは、ひそやかに忍び寄るものだと思っていた。氷が解け、川の流れがわずかに速くなる。雪の重みに耐えていた枝々は、ようやくその白を手放し、薄緑の芽吹きを迎えた。霞がかる空の下、風に乗って微かな花の香りが漂う。


――確かに、春だった。


けれど、肌を撫でる風は、あまりに鋭い。柔らかな陽光の下、微かに孕んでいたはずの温もりは、頬を裂くほどの冷たさを秘めている。まるで、春風に紛れ込んだ冬の残響が、最後の牙を剥いているかのようだった。


春は、ただの希望ではない。新たな命を芽吹かせる前に、弱きものを淘汰する季節でもある。


クラウスは、ふっと目を細めた。

まるで、この王都の運命を映しているかのようだ――


今日、この城に春をもたらすのは俺か。それとも、嵐を呼ぶのか。


春風が、王宮の高窓を揺らした。

細く長い回廊の奥へと流れ込み、赤い絨毯の上に淡い影を落としていく。


クラウスは、一歩、また一歩と歩を進める。

背筋を伸ばし、最後の訴えを胸中で組み立てる。

父上に、すべてを伝えなければならない。

まだ間に合うかもしれないと、どこかで思っていた。


王座の間の扉を開けると、王は玉座に静かに座っていた。

背を向けたまま、何も言わず、ただ座っている。


「父上――話があります。」

クラウスはまっすぐ進み、決して怯まずに声を上げた。

「辺境の民は虐殺されました。クリスは命をかけて、その証拠を王宮へ持ち帰ろうとしました。けれど、彼は殺された。この国はおかしい。どこかが腐りきっている。人の命は塵のように扱われ、民はただの駒と化した。」


王は何も言わない。微動だにせず、ただ静かに座っている。


「父上、だからこそ悪党も役人も好き勝手に振る舞うのだ。この王はすでに腐り果てている!なぜ何も言わない!なぜ見て見ぬふりをする!」


「父上!」

クラウスは眉をひそめ、一歩、また一歩と近づく。


なぜ……何も言わない?

なぜ……この場が、こんなにも静かすぎる?


春風が、王座の間の大きな窓から吹き込む。

風が通るたび、まるで空間そのものが凍りついていくようだった。


クラウスの足が玉座の前で止まる。

皇帝の肩に手をかけ、そっと揺さぶった。

「父上。」


その瞬間、力なく崩れ落ちる身体。首がぐらりと傾き、玉座の前に倒れ込む。

青白く冷え切った肌。目は開かれたまま、すでに光を失っていた。


――死んでいた。


「バカな……そんなはずはない……!」

心臓が大きく跳ねる。指先がわずかに震えた。


その時――


「クラウス!!」

重々しく閉ざされた扉が、鋭い怒号とともに叩き破られた。

デイモンが率いる武装兵が、王座の間を埋め尽くすように雪崩れ込む。

「貴様、国を裏切り、敵国と結託し、皇帝を弑したな!!」


一瞬、脳が思考を拒否する。しかし、それはほんの一瞬だけだった。


クラウスの目が大広間の一角に吸い寄せられた。

アミーリアが、兵士の刃に挟まれていた――


「っ……アミーリア!!」

クラウスの顔色が変わる。


デイモンはにやりと笑い、部下に手で合図を送った。

アミーリアを拘束していた兵士が、ゆっくりと刃を彼女の喉元に押し当てる。


「おいおい、クラウス。そんな顔するな。お前のせいで、この可愛い妹が犠牲になったらどうする?」


金属の冷たい輝きが、春の陽光を受けて鈍く光る。

刃が喉元にぐっと押しつけられ、アミーリアの肌に薄く赤い線が浮かび上がる。


「デイモン……っ!!」

クラウスの拳が震える。


「早く投降しろ、クラウス。刀剣というものはな、時に勝手に動くものだ。」

デイモンは薄ら笑いを浮かべながら、アミーリアを押さえる兵士にさらに力を込めるよう示す。


「兄上!!」

アミーリアが必死に声を上げた。

「兄上、早く逃げなさい!」


「アミーリア!!」

クラウスの足が、無意識に一歩踏み出す。


「クラウス、馬鹿な真似はよせよ?」

デイモンは片手を挙げ、合図を送る。


刃がアミーリアの肌を深く押し込む――

鮮血が一滴、ぽたりと滴る。


クラウスの脳内が、一瞬真っ白になる。

「……っ……!!」

――これは、完璧に仕組まれた政治的な粛清だ。


「さあ、クラウス。選べ。お前がここで剣を捨て、全ての罪を認めるなら、妹だけは助けてやろう。」


アミーリアが震えながらクラウスを見つめる。


クラウスの手が、無意識に剣の柄を握りしめる。

しかし――


「兄上、ダメだ!!」アミーリアが叫んだ。「逃げて!!生きて!!」

彼女の声は涙で震えていた。それでも、揺るぎない強さがあった。


クラウスの脳内で、何かが弾けた。

「……くそっ……!!」

歯を食いしばる。

血の味が口腔内に広がる。


ここで死ぬわけにはいかない。

今は、まだ――


「悪いな、アミーリア。」

クラウスは、剣を握りしめたまま後ろへ跳ぶ。


「そうか……選んだな。」

デイモンが冷笑を浮かべ、手を振り下ろす。

「捕えろ!!」

号令とともに、禁軍が怒涛のごとく押し寄せた。


「兄上っ――!!」

アミーリアの悲痛な叫びが、大殿を切り裂いた。


クラウスは剣を振り抜き、迫る兵を斬り伏せる。槍が閃き、鋼の音が耳を裂く。

「くそっ……!」

肩に鋭い痛みが走る。敵の刃が肉を裂き、鮮血が宮廷の赤絨毯を濡らした。呼吸が乱れ、視界が揺れる。


「押さえ込め!!」

数名の禁軍が一斉に飛びかかり、クラウスを地面に組み伏せた。


「ふざけるな――!!」

もがくクラウスを無理やり押さえつけ、長槍の柄が容赦なく背に叩き込まれる。そのまま床へと押し倒された。


「クラウス、お前を国家反逆の罪により――処刑する!!」

デイモンが冷ややかに言い放ち、剣を抜く。


冷たい刃が春の陽光を反射し、銀色の光がクラウスの視界を満たした。


大殿の空気が、張り詰める。


「……こんなところで……終わるのか……?」

クラウスの意識が、徐々に霞んでいく。


その時――


「待たせたな。」

刹那、窓ガラスが砕け散り、黒い影が音もなく大広間へと降り立つ。


「何……!?」

デイモンの表情が一瞬、揺らいだ。


望月公会の殺し屋たちが闇の中から現れ、一斉に動く。「――やれ。」

鋭い刃が閃き、次の瞬間、守衛たちが鮮血を撒き散らしながら崩れ落ちた。


クラウスの腕を誰かが強引に引き上げる。

「クラウス!」


聞き覚えのある声――凛音。

「立てるか?」


クラウスは奥歯を噛みしめ、体に力を込める。足元がふらつきながらも、どうにか立ち上がった。

「……助かった……!」


「話は後だ!行くぞ!」


「クラウスを逃がすな!!」

デイモンの怒声が響き、禁軍が再び殺到する。


「チッ……!」

クラウスは反射的に剣を振るい、目前の兵を貫いた。


外ではすでに蓮が待ち構えていた。

「こっちだ!!」


開かれた大門の向こう、逃げ道はまだ残されている――

クラウスたちは、血染めの宮殿を後にした。


春風は変わらず吹き抜け、王宮の血の匂いを遠くへと運んでいく。


クラウスは一度だけ振り返った。そこには、かつて自分のものだった城が、冷たい静寂の中に佇んでいる。


「……終わっちまったな。」

凛音が低く呟く。


クラウスは血に濡れた拳を握りしめ、ゆっくりと前を向いた。

「いや……まだ終わりではない。」


――ここで終わるわけにはいかない。



03.02

気がつけば、もう第100話まで更新しました。


私が書いている題材は少しニッチかもしれませんが、それでも書きたい物語なので、こうして書き続けることができました。だからこそ、読んでくださる一人ひとりの読者さんがとても大切な存在です。


最初は誰にも読まれなかったこの物語も、今ではずっと追いかけてくれる方がいること、本当に感謝しています。今日読んでくださった方も、これから読んでくださる方も、心からありがとうございます。


正直、自分でも分かっています。第一部では蓮の伏線を大きく張りすぎて、まるで彼がいないように見えることもあったので、途中で読むのをやめてしまった方もいるかもしれません(笑)。でも、ここまで読み続けてくれた皆さんは、本当にすごいです!ありがとうございます。


まだまだこの物語に対する想いがたくさんあって、これからの展開にも期待が膨らみます。これからも、胸を張って「これが自分の書きたかった物語だ」と言える作品を描いていきたいと思います。


これからもよろしくお願いします!

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