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それは最高の教師

マモルは悩んでいた。

小さなテディベアに詰め込まれた脳の一部をフル回転させて方策を考える。一緒に組み込まれたデバイスが足りないを機能やリソースを補ってはくれるのだが、パターン学習で組まれたAIなので、極論を排除するとどうしても画一的で無難な答えしか出て来ない。思い付きでパラメーターを付加すると、すぐにフレーム現象を起こして停止してしまうし、ネット経由で情報を集めても、混沌から得られる虚実入り乱れたデータを吟味するのは、結局脳の役目となる。経験則に因らない方法論は、どれも空振りか失敗、下手をすると逆効果に終わってしまった。手詰まりだ。

マモルを悩ませる者、それは妹のサイボーグ少女、リミだ。

一寸気を緩めると、簡単にパワーが暴走する。過分なハイパワーを抑制できずにヤラかしてしまう。車をひっくり返したり砲丸を音速でぶん投げたり、猫を虐待した男を殺しかけたり…このままでは、いつか取り返しのつかない事態になってしまう。だが、あれは駄目、これは止めろと言うばかりでは、リミはすぐにへそを曲げる。逆の事をしたがり、事態は悪化する。

先日も、少しだけ強めに意見をした途端、キレたリミに放り投げられ、隣町の電波塔の天辺に引っ掛かってしまった。ひとりで帰って来るのは容易では無く、途中で幼い女の子に拾われてしまい、振り切ると泣かれてしまって困ったり、軽トラックの荷台に乗ったら目的地を通り過ぎて往生しながらも、ようやく家に帰り着いたのは翌日の夜だった。

かと言って、放って置けばやりたい放題だし、褒めれば図に乗って手が付けられなくなる。今も満面の笑顔で爆走中だ。恐らく時速100キロ近く出ているだろう。家から遠く離れた林道を抜け、山の頂上から隣接する丘を目掛けて跳躍する。背負われたザックから出した首が、Gでもげそうになる。森を飛び越えて晴れ渡った空に躍り出ると、遥か彼方に都心のビル群が見えた。

行く先は見えない。自分に見えるのは、通って来た道と、離れゆくばかりの我が家だ。

始めて会った時、リミはまだ保育機の中に居た。ガラス越しに触れた手に温もりは無かったが、そこに居て、生きているんだと感じた。母は抱き抱えた自分の耳元で、小さくて弱い妹を守ってやって欲しいと言った。その時から、それは自分の使命となった。

見学に訪れていた研究所で、爆発の兆候を見た。咄嗟にリミを通路の脇へ突き飛ばすと、次の瞬間には意識が消失し、目覚めたら熊の縫い包みになっていた。嫌も応も無い。ただ理解し、適応した。小さな機械仕掛けの身体は酷く不自由で、失った多くの感覚と肉体を代替する事は、ほとんど無かった。それでも、自分に残された脳に制御できるのは、それが限度だった。リミと同等の身体を持つ事はできても、制御はデバイスに頼らなければならなくなる。それは最早自分の身体では無く、ロボットに搭乗しているようなものになってしまうそうだ。テディベアの身体は不自由だが、まだ自分の身体感覚の延長にあるだけマシなのだ。

対してリミは、自由に、或いはそれ以上に動かせる機械の身体を持て余している。通常無意識に働く抑制のタガは無く、その気になれば道路標識を引っこ抜いたり、谷を飛び越えたりできてしまう。

それでも、自分がリミを守らなければならない。使える力の大きさでは無く、使い方こそが重要なのだと教えられるのは、自分しか居ないのだから。

轟音と地響きと共に大木を蹴り倒しながら着地する。「わー!何ここ⁉広ーい!」小走りで歩み出ると、大きく開けた場所に出た。直径数百メートルに亘って円形に切り開かれた広場になっており、細い林道一本だけで外界へと繋がっているようだった。何も無いが手入れの行き届いた芝生に覆われた、美しくも不自然な空間だった。

リミが子犬のように燥ぎ回る。「凄~い!広くて綺麗~!」グルグルと内周を走り始める。激しく揺さぶられながらもマモルは思案するが、止める方法が思いつかない。疲れるのを待つには、リミの燃料電池は無尽蔵にも等しい容量だ。山の向うに消えかけている太陽を見上げて、ゲンナリした気持ちになる。そして月は未だ見えない。

トラックを4~5週回ったところで、リミが突然立ち止まった。慣性を受け止め切れず、芝生が捲れて波を打つ。「…今、何か聞こえた!」リミがキョロキョロと周囲を見回す。必然的にマモルは反対側を見廻す事になる。

「リミ!あれだ!あそこから聞こえる!」円形の広場の外周に沿って、数本の黒いパイプのようなものが地面から生えている。その内の一本から、微かに声が聞こえる。リミが駆け寄り、マモルの入ったザックを前に抱え直す。「何だろうね、これ?」「分からないけど、換気の為のダクトじゃないかな?きっと地下に何かの施設があるんだろう」ふたりして耳を聳てる。

「…けて…誰か居るんでしょう?あたしをここから出して頂戴…」若い女性の声だ。地下に閉じ込められているらしく、助けを求めているのだ。「大変!お兄ちゃん!女の人が!た、助けなきゃ!」「あ、あぁ、そうだな。でも、状況が全く分からないんじゃ…」「そんな事言ってる場合じゃ無いでしょ!早く助けなくっちゃ!」「いや、だから、どこからどうやって?」焦ってジタバタするリミを窘める様にマモルが言う。

「どどど、どうしよう!お兄ちゃん!何とかして!」「落ち着け。こいつを試してみよう」マモルがザックから何か取り出す。500円玉位の大きさの金属片だ。7millionの文字の後ろに親指と薬指を折り曲げたハンドサインが描かれている。「どうするの?」「こうするのさ」

マモルが金属片を放り投げると熔けるように形を変え、蜘蛛のような虫の姿になってダクトに取り付いた。「…キモい…」「細いダクト内を移動するのに適した形なんだよ。行け!」マモルが命じると、滑る様に雨除けの隙間から侵入して行った。

暫くすると、目的地にたどり着いたらしい蜘蛛から通信が入った。「着いたぞ。聞こえますか?そちらはどんな状況ですか?」マモルが蜘蛛を通じて話始める。「あたしにも聞こえるように!」リミがザックを揺さぶる。「分かった分かった」マモルの声が雑音混じりになり、先程の女性の声が聞こえた。「ここは地下にあるラボで、閉じ込められてるの。助けて!あたしを出して!」「落ち着いて!先ず、あなたのお名前と現在の状況を…」「そんな事言ってる場合じゃ無いってば!早く助けてあげなきゃダメでしょ!」リミが切れ気味に激しくザックを揺さぶる。

「ちょ、ちょい待てって…リミ!」「女の子が閉じ込められてるって言ってんの!だから助けるの!」「分かった!分かったから!」リミがザックごとマモルを放り出す。目が吊り上がっていた。「早く!今すぐ!」

「落ち着けってば!助けるったって、どうすればいいのか分からないだろ!」ザックから這い出したマモルは目を廻してフラついた。「あたしの指示に従って!こっちからじゃ何もできないけど、外からなら開けられるようになってるのよ!」女性がマモル経由で急き立てる。「先ずは広場の入り口にある門柱に手を翳して。テンキーが現われたらパスコードを入れれば、ガレージへの進入路が開くわ」

マモルが林道の方を見ると、木々に紛れて小さな門柱があった。一歩踏み出すより先に首根っこを掴まれて、リミに一足飛びに運ばれる。勝手が分からず、ペタペタと門柱を触っていると、側面の一部が割れてテンキーが現われた。「いい?パスコードは…」淀みなく支持を出す声を聴きながら、マモルは不安になる。果たしてこれでいいのか?ラボとやらの全容も女性の素性も何一つ分からないままで、囚われた者を解放してしまって良いのだろうか?

興奮したリミが何度か間違えながらも入力を終えると、4~5メートル程離れた地面が割れて、地下への入り口が現われた。まるで冥府への道だ。何と無くオルフェウスの話を思い出して、マモルは目を凝らす。ひょとしたら、自分はとんでもない過ちを犯そうとしているのでは無いだろうか?駐車場の奥から続く暗く長い廊下は、設備の重厚さと外界を完全に拒絶した構造で不安を増大させる。リミは振り向きもせずにどんどん進んで行く。マモルは仕方なく後に続いた。

更にいくつかの扉があり、その度に違うパスコードを入力して辿り着いたのは、モニターや機械類で一杯の小さな部屋だった。マモルが見た所では検査機器や分析用の設備のようだった。母の研究室にも似たような機器があったのを思い出す。

リミは嬉々として次の作業に取り掛かっている。囚われた女性を救助するというシチュエーションに完全に酔ってしまっているようだ。こうなってはもう止められない。少なくとも、自分には止める術は無い。

リミが壁にある大きなレバーを操作すると、重い機械音がして地下で何かが動き始めた。大量の水が流れるような響きが地面を伝って来る。

やがて響きが収まり、静かになった。女性からの指示が無いので、リミがソワソワし始める。「ど、どうなったの?次は何をすれば…」不安からか、マモルを抱き抱える。

マモルは蜘蛛から送られて来る音に耳を澄ました。女性は薄く鼻歌を歌いながら歩いて移動しているようだった。狭い廊下に響く靴音が聞こえる。謂れのない恐怖を感じる。何か恐ろしいものが近づいて来るような気がする。

足音が止まった。一呼吸置いて3つある自動ドアのひとつが開くと、立っていたのは小柄な若い女性だった。身長は140センチ前後、赤いブラウスにロングスカートで、中学生か高校生位に見える。可愛らしい出立に、恐怖心が薄れる。やはり考え過ぎだったのか?

少女が笑った。その瞬間、マモルは電撃にも似た強い悪寒に襲われた。口元を吊り上げた酷薄な笑い。邪悪さを纏ったそれは、人間のものでは無かった。やはり自分達は、とんでもないものを解放してしまったのだと確信した。

「ありがとう。お陰で助かったわ。あなた達…ドクターケイレスの息子さんと妹さんじゃない?」母と自分達を知っている?言われて見れば、どこかで会った事があるような気もするが…思い出せない。リミにも心当たりは無いらしく、怪訝そうな顔で黙っている。

少女の足元をすり抜けて、蜘蛛がマモルに走り寄る。飛び上がって掌の上に乗った時には、元のコインに戻っていた。少女は微動だにしない。これの事も知っているらしい処をみると、母の元居た施設の関係者なのだろう。

「あなたは一体…」マモルが言い淀んだその時、背にしたドアが開いた。

リミが振り返る。マモルの視界の隅に、黒いスーツの大男が立っていた。長い廊下を駆け抜けて来たらしく、肩で息をしていた。サングラスで目は見えなかったが、少女を認めた顔が驚愕に歪む。瞬時に背筋を伸ばして身構えると、その手には大型の銃が握られていた。

怯えたリミが後退ると、大男と少女が対峙する形になった。

「麻酔銃?おまえ、あたしにそんな物を向ける気?」乾いた笑いを顔に張り付けたままで少女が言うと、大男は一瞬怯んだようだった。しかし、すぐに口元を引き締めて、少女に銃口を向け直す。少女は目を瞑り、やれやれと云う表情で呟いた。「全く困ったものね…」

言い終わった瞬間、少女の姿が消えた。

マモルが大男の方を見ると、サングラスの目線と共に上の方へと銃口が動いた。その先に目を遣ると、天井の角に逆様にしゃがみ込んだ形の少女が居た。口元が大きく吊り上がり、目が冥く輝く。再度その姿が消え、大男に視線を戻した時には、既に勝敗は決していた。

音を立てて崩れ落ちる大男。糸の切れた操り人形のように不自然な姿勢で倒れた大男を見下ろす少女の目には、感情が無かった。何事も無かったかのように顔を上げ、少女がリミを見た。「こいつはね、悪い奴なの。だから気にしなくていいのよ」優し気な言葉だが、冷たく、機械が喋っているようだ。

リミが恐る恐る大男の顔を覗き込む。「し、死んだの?」「死んではいないわ。ほっとけばその内目を覚ますでしょ」少女がマモルに目を向ける。「あなた達、お家まで送ってあげるわ。丁度そっちに用事もあるし」立ち上がると、手を伸ばしてマモルを掴もうとした。

半歩下がったマモルに少女の手が届く直前、リミが横からひったくる様に奪い取る。抱きしめたマモルを少女の目から隠す様にして離れる。肩が震えていた。理屈ではない。少女の発する瘴気のような雰囲気に怯えているのだ。

ニヤついた顔のままで少女がリミを見る。視線の温度が更に下がった。

「折角ですが送っていただかなくて結構です」マモルが抑揚のない声で告げる。

「そう?じゃぁ、あたしはこれで。あなた達も早くズラかった方がいいわよ」言い終わるが早いか、踵を返して走り去った。

どうやら断固として同行を拒否すると云う意思は伝わったようだ。少女の後ろ姿が消えるのを見届けてから、マモルは緊張を緩めてリミを見上げた。「大丈夫か?リミ…」

見開いた目で少女の消えた暗闇を凝視したままのリミが、震える声で呟く。「どうしよう…あんなのだって思わなかったから…」

「その話は後だ。今は急いでここを離れよう」マモルが出口を指して促すと、リミは頷いて歩き出す。恐怖心から足取りが覚束無い。急かすのは逆効果だろう。だが、落ち着くのを待つのは危険だ。

リミに抱かれながら、マモルは考える。明らかにマズい事態を引き起こしてしまったに違いない。だが、起きてしまった事は仕方が無い。例えあの少女が何者だろうが、何か事件を起こそうが知った事では無い。自分にとって大切なのは、リミだけだ。リミさえ無事なら、他の事はどうでもいいのだ。来た時とは裏腹に、消沈してしまったリミの足でここから帰るのには時間が掛かるだろう。道すがら、時間をかけて大切な事を教えよう。状況も確認せずに短絡的な行動を取ればどんな事になるか。今回の事件が大事であればある程、リミには良い薬になるだろう。力を持つものは、その使い方を十分に考える必要があるのだと教えなければならない。そして、他にも教えなければならない事が沢山ある。ひとつひとつ教えて往かなければ。それが、それこそが、自分が存在している理由なのだから。

外に出た時には、既に日は落ちて静寂が支配する闇が訪れていた。今夜は満月の筈だったが、ふたりの往く道を照らしてくれる者は未だ現われはしなかった。


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