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愛は陽炎

3人が出て行った後、”それ”はすぐにやって来た。

まるで俺が独りになるのを待っていたかのようなタイミングで、閉まったばかりのドアが再び開くと、仁王立ちした”それ”がいた。肉体だけが残った魂の抜け殻、元スーだったものだ。

口元は大きく吊り上がり、目に歓喜の光が宿っている。会ったばかりの頃の、達観した中にもあどけなさが残る少女らしい表情は微塵も残っていない。ただ、俺を喰える喜びに打ち震えているようだった。

「やっと会えた。会いたかったわよ、ダーリン」後ろ手にドアを閉める。その手が視界に戻って来た時には、大振りの青龍刀が握られていた。威圧感で見る者を圧倒する、断固たる暴力の象徴だ。そして酷薄な笑みを湛える口からは、その得物の禍々しさとは真逆の台詞が吐かれた。「愛してるわ」

「よしてくれ。お前は単に俺が喰いたいだけだろう?」嫌悪感に思わず顔が歪む。

「ずっと会いたかった。会いたくて堪らなかった。会ってあなたを食べたかった。食べてあなたをあたしのものにしたかったのよ。食べればあたしの一部になるでしょう?あなたはあたしと一体になるのよ。ずっと、ずーっとそればかり考えていたわ。それは愛しているって事でしょう?」ゆっくりと近付いて来る。

「何が愛だ!おまえの下種な欲望を美化するんじゃねぇ!」「美化もなにも、愛って欲望じゃないの。愛する者と一体になりたいって、普通の事でしょ?」「それが殺して喰うって事な訳があるか!」「何が違うのよ。多かれ少なかれ、相手を占有したい、自分の一部にしたい、それが愛じゃないの。自分の為に相手を取り込みたいって云う、自己拡張願望、それこそが愛と言うものの本質だわ」カウンターに手が届く。

「ふざけるな!」俺が手を突いて身を乗り出すと、”それ”の肩に力が入った。

その瞬間、俺は加速した。

身幅が15センチもある凶悪な刃が首を目掛けて飛んで来る。握った拳で刃の真ん中辺りを下から払い上げると、弧を描きながら刀身が歪んで行く。拳を当てた所で折れ曲がった刃が限界を超え、折れて真っ二つになった。

僅かに頭を下げて折れ飛んだ刃を躱してから目を遣ると、”それ”の顔がすぐそばまで来ていて、大きく開いた口が左肩に喰らい付こうとしていた。

醜かった。生理的に嫌悪感を催す、怪物の顔だった。

俺は敢て避けなかった。肩に食い込む歯を見ながら、ポケットに忍ばせて置いた物を取り出す。以前、ボディガードの姉さんがメッセージを託して寄越した投げ矢だ。

飛び掛かられた勢いでゆっくりと後ろに倒れながら、彼女の首筋、ある一点に狙いを定める。恐らくは経絡秘孔の類。そこを気を込めた針で突けば、立待ち全身が弛緩して意識を失うと云う、林の得意技を試してみようと考えたのだ。

肩の肉が服ごと食いちぎられる痛みに耐えながら、右手の指三本で摘まんだ投げ矢に集中する。強すぎても弱すぎても駄目だ。加速状態で重くなった投げ矢に気合を込める。

だが、投げ矢が首筋に届く直前、”それ”の左手が割って入った。掌の中央に食い込む投げ矢ごと俺の右拳を掴み、押し返しながら嚙みついた肩の肉を食い千切る。

破けた皮膚と鮮血を口から引きながら、勝ち誇るような眼差しが遠ざかる。同じ手は食わないぞ、と言っているようだ。

俺の背が壁に激突し、”それ”がカウンターに掛けた右手で身体を引き戻す。

相手にも同等の加速力があるので、距離を取られた以上奇襲は効かない。俺は加速を解いた。”それ”もまたアクセルを緩めたようだ。ゆっくりと口の中の物を咀嚼して、音をたてて飲み込んだ。服の切れ端を器用に丸めて吐き出すと、口元を拭いながら言った。「美味しい」目の輝きが増した。「でも、やっぱり心臓じゃなくっちゃね。あなたの命を丸ごと…ね?」掌に刺さった投げ矢に気が付き、摘まんで引き抜いて捨てる。

壁に凭れたままで”それ”の目を見つめ返す。醜悪な顔に不快な表情…だが、目は美しかった。透き通る様に純粋な光を放っていた。俺は、あらぬ妄想に取りつかれようとしていた。

その時、突然雷鳴が轟き、耳を劈く大音響と共に地面が揺れた。すぐ近くに落雷したようだ。

怯んだ”それ”の目線が一瞬逸れた。すかさず指弾を打ち込むと額の中央に命中した。パチンと間抜けな音がして、”それ”の頭が仰け反る。

「痛いじゃないの」ゆっくりと顔を戻すと、額から血が流れ出す。手加減しすぎたか…

鼻筋を通って滴る血を長い舌で舐めて拭い取ると、”それ”の顔から表情が消えた。「女の子の顔に傷を付けるなんて…」

「女の子は人の肩を食い千切ったり、心臓を寄越せなんて言ったりしないもんだ」俺は再度自分に言い聞かせるように言った。蜷局を巻いていた妄想が鎌首を擡げる。醜怪であると同時に甘美な妄想を断ち切る為に絞り出した声が掠れる。

肩の傷から流れ出た血が、腕を伝って袖口から滴り落ちる。あまり悠長に友好を温めている時間は無さそうだ。俺は身体を起こし、親愛迸る怪物に向かって言った。「お前のような怪物に食われてやる気はない。これ以上やるなら、お前を殺す」

”それ”の瞳が、小さく揺らいだ。

その揺らぎに気を削がれた瞬間、”それ”は猛然と襲い掛かって来た。俺も再び加速し、カウンターを飛び越えて迎え撃つ。

だが、俺の拳が”それ”の顔に届く前に、その後頭部辺りで何かが爆ぜた。ほぼ同時に瞳から光が消える。意識が消失したのだ。

俺は拳にブレーキをかけ、全身から力が抜けて慣性だけで飛んで来る”それ”を抱きとめて着地した。そっと下ろして横たえてから首の後ろを見ると、細い棒状の物が刺さっていて、先端から薄く煙が立ち上っていた。

「これは…何だ?」俺が摘まもうとすると、その棒は形を変えてスーのアバターになった。親指大の小さなスーだ。

「セキツイノシンケイヲヤイタワ。モウウゴケナイハズヨ」声に抑揚が無い。いつもの過剰な表情演出も無く、全くの無表情だ。

俺は黙って”それ”を寝かせると、スーを掌に載せた。俺を見上げる無表情の人形が酷く悲し気に見え、無力感に苛まれる。

「済まなかったな」「アヤマルノハアタシノホウヨ。メイワクヲカケテゴメンナサイ」ピョコンと頭を下げるが、動きがぎこちない。「ラクライガナケレバキガツカナカッタワ。レイキャクザイノナカニツカッテイタカラ…」

「気にするな。俺だけで何とかするつもりだったのに、お前の手を煩わせちまったな」本当に煩わせたのは、手では無い。怪物と化したとは言え、自らの肉体を葬り去らねばならなかったのだ。その心中は察するに余りある。

「ロウ…あたしの…ロウ…」いつの間にか、”それ”が目を開けていた。遥か虚空を見つめる目が潤んでいる。「お願い…お願いよ…」俺とスーが見下ろすと、”それ”はビー玉のような目をしていた。身体はピクリとも動かないが、絞り出すように声を出す。「お願い…あたしを…食べて…」

俺は愕然とした。

「あなたと…ひとつに…あたしを…あなたの…」

俺はヨロヨロと立ち上がった。「止めろ…俺には…」

「お願いよ…ロウ…愛しt…」「止めろ!それは違う!そうじゃない!そうじゃぁない筈だ…」

スーが俺の腕に縋り付く。俺は足元に滴り落ちる自分の血を見つめた。

ふと、痛む肩に力を込めて、左腕を挙げて見る。指先から落ちる血の雫が、”それ”の口元を濡らし、小さく喉が鳴る。

「ロウ…ダメヨ…ロウ」縋り付いたスーの手に力が籠る。

構わず血を流し続ける俺の耳の中には、あの日の女の声が響いていた。

「だって仕方ないじゃない?今日は満月なんですもの!」


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