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怪物は心中に

任務を終えて東京に戻った更待月。俺は開店時間が迫っていたので、買い物帰りの道を急いでいた。店のある路地に入ると、いつもの黒塗りの外交官ナンバーの縦列駐車とは別に、マンション前に高級外車が止まっているのが見えた。大方、またドクターナナコに相談事を持ち込んできた輩だろう。俺に廻って来る種類の仕事でなければいいのだが…

店のそばまで来た時、フロントガラス越しに運転手と目が合った。それまで目深に被った帽子で表情が見えなかったが、俺の気配に反応したのか、鍔越しに鋭い眼光が飛んで来た。俺を目で追いつつ、後ろからストーキングして来る男や離れた所に駐車してある外車にも注意を向けている。何れこの運転手も只者では無さそうだ。俺や各国の諜報部員どもの気配を感じ取って、警戒しているのだ。

何食わぬ顔でやり過ごし、店の半開きだったシャッターを上げて、ドアにカギを差し込む。ふと、建物の隅、隣の敷地のフェンスとの隙間かから、ボロいモップのようなものが覗いているのが目に入った。手を止めて注視してみると、それはモップなどでは無く、汚れてガビガビになった長髪の人の頭だった。隙間に座り込んで居眠りをしているホームレスのようだった。この街でホームレスを見かけるのは珍しい。俺は一寸気になって、繁々と眺めてみた。

俯いているので顔は良く見えないが、中年に差し掛かったばかりのように見える。ヨレヨレのスーツに革の鞄を抱え込んでいて、通勤途中に仕事が嫌になって行方を晦ましたサラリーマン然としていた。世捨て人にしては少々若いようだが、昨日今日逃げ出して来た訳では無さそうだ。

男がカクンとのめりそうになり、ビクンと跳ね起きると、キョロキョロと周りを見廻す。何かに怯えているようだ。鞄を胸に抱え、心成しか震えているように見える。男が俺に気付いた。遠くの物を見る目だ。何と無くだが、恐怖の対象が人間では無さそうだと感じた。まぁ、この界隈では珍しくも無いが。

男の視線を感じつつ、店に入る。間も無く開店の時間なのだ。準備を急がねば。と言っても、カウンターやスツールを軽く拭き、グラスを用意するだけ…あぁ、看板に灯りを点けなければ。形ばかりとは言え、営業開始の合図を忘れてはならない。

ドアを閉めて振り返ると、薄暗がりの中で赤い目が点滅していた。スーが何かの演算処理をしているのだ。「あら、お帰りなさい」通常の目に戻る。「今回はどうだった?」

「絶海の孤島で人間狩りを楽しんでた成金オヤジをトッチメて来た。正面からショットガンのOOをブチ込んできやがって、手前でやった癖に化け物だのゾンビだのと言いやがったから、高慢チキに尖んがった鼻にデコピンをくれてやったよ」俺が掻い摘んで話すと、スーが噴き出した。

「あなたにデコピンされたんじゃ、鼻が無くなっちゃったんじゃないの?」「泣きながらのた打ち回ってたよ」カウンターに潜りながら「兎に角遠くて、行き帰りの方が疲れたよ」と言うと、スーが目で追ってくる。「前回の反社外国人集団の方が大変だった?」

「俺はひたすら相手を制圧するだけだが、仕込みや後始末とか、再発防止の段取りをする林のオッサンの方が何倍も大変なんじゃないか?」布巾を絞り、カウンターを拭く。準備良しっと。後は夕子が降りて来るのを待つばかりだ。

程無くして、夕子が現われた。今日は手ぶらなので、”本日の一本”は奥の倉庫から出すようだ。

後ろ手にドアを閉めようとした瞬間、黒猫がスルリと付いて来た。「うわ!また来た!」夕子が飛退く。「ニャー」猫は何処吹く風だ。足取りも軽く近付いて来る。

「あら、シャオヘイ!いらっしゃい!」スーが両手を広げて歓迎しようとする。

「お前、いい加減嫌われて…」俺が言いかけると、猫が店の真ん中でピタリと立ち止まり、全身の毛を逆立てると飛退いて向きを変え、入り口の右上辺りを威嚇する。「シャー‼」

全員が天井を見上げる。

薄暗い天井の隅にへばり付く様に、何かが蠢いていた。色の浅い毛に覆われた一抱え程もある丸い塊。その中央には、卍の文字が黒々と浮かんでいた。

「ナニ?あれ…」夕子がたじろぐ。瞬時にスーが形を変え、夕子の前に流れるように飛ぶ。「静かに!ゆっくりと移動して」言い終わった時には、16頭身のフォーマル姿の女性に変身して、夕子を隠すように身構えていた。

夕子がゆっくりとカウンターの方へ移動する。毛の塊はモゾモゾと躍動している。と、突然、どこからともなく和太鼓の音が響いて来る。ドコドコドコドコ…

一体何処から聞こえて来るのか、地を這うような低温が響き渡る。すると、それに刺激されたのか、塊が大きく形を変えて下へと落ちた。

ドサリと落ちたそれは、猿だった。いや、ヒヒ?の方が近いかもしれない。モッソリと立ち上がったそれは、振り向いて苦しそうに顔を歪めると、低く唸り声を絞り出す。「ウルウルロロロロ…」身の丈は約1メートル。ザワザワと波打つ体を重そうに揺らしながら、悲しそうな目で俺を見た。

何が起きているのか、どうするべきなのか、恐らく誰にも分からなかった。が、猫だけは本能的に行動した。「シャ‼」音速で跳び、必殺の爪で襲い掛かる。

しかし、その手は空を切った。

まるで霞にでもなったように、猿は霧消した。明るいこちら側から、薄暗い闇の中へと溶けるようだった。同時に太鼓の音も鳴りやんでいた。

気が付くと、背中にジットリと汗を掻いていた。空気が湿度を増し、獣の臭いがした。間違いない。奴は今の今まで、そこに存在していたのだ。

カウンターに手を掛けていた夕子が、気を取り直して腰掛ける。俺も拠無く膝に貯めていた力を抜くと、グラスを取り出した。

猫は空振りしたのが余程悔しかったのか、猿の居た辺りを嗅ぎまわっては、時折土間を掻き毟っている。

16頭身のスーが歩み寄り、カウンターに手を掛ける。全身が金属色の流体となり、突いた手の位置で元の姿に戻る。「あれは…」

俺は考えないようにして、夕子を見た。「今日は何にする?」

夕子は一瞬怯えた目をしたが、「そうね…ジンにしようかしら…」と言うと、目を閉じた。

俺は奥の倉庫に行き、タンカレーのボトルを持って来た。夕子のグラスに注ぎ、「氷は?」と一応聞いた。

「要らない」言うなり、注いだ分を一気に流し込む。目は瞑ったままだ。

スーの目が瞬いている。調べているのか、考えているのか…

夕子が目を開く。同時にスーの目も通常の光を取り戻した。「「あれって!」」同時に叫んだ。

顔を見合わせたふたりを交互に見て、俺はどちらにともなく言った。「分かったのか?」猫も反応して、急ぎ足て駆けて来るとスツールに飛び乗った。

「お先にどうぞ。意見を聞きたいわ」夕子が言うと、スーは頷いた。

「あれ、イドの怪物じゃないかしら?」

俺には分からなかった。「井戸の怪物?貞子みたいな?」「その井戸じゃ無いわよ。人の意識の底にある混沌の事。そこには怪物が住んでいて、人が意識する事無く具象化する事がある、とか何とか…」スーも今一つ自信が無さげだ。

「成程ね。近いかも」夕子が呟く。

「近いって?他にあんな表出の仕方をするものがあるの?」スーが夕子を睨みつける。「猿のような姿だったけど、アレは猿なんかじゃない。全身が小さな蜘蛛みたいな虫の集合体だったわ。あんな出鱈目なもの、他に思い当たらないわよ」人類史上、最も”全知”に近づいたスーにして辿り着いた結論なのだ。きっとそれに違いない。多分。

「確かに造形はそんな感じよね。でも、太鼓の音は?」「う。そうね。音がしてたわよね…」スーが揺らぐ。夕子が畳み掛ける。「そして問題なのは、”誰の”かって事でしょ?」

「うん。それよ。あれを生み出したのが誰なのか…」スーが再び考え込む。

「あたしが思うに…」夕子が言いかけると、スーは考えを中断した。「あれはもっと表層的なものだわ。確かに無意識に生み出されたものなのかも知れないけど、だとしてももっとずっと浅い部分の具現化だわ」「?それは?」スーが前のめりになる。

「夢よ」

「夢?あれが?え?どうして?」スーの眉毛がこれ以上無い位に寄る。

「あれは悪夢よ。見ている者が苦痛を感じる悪夢」確かに、猿は苦しそうだったが…

「そして卍の意匠。あれは入眠幻覚が実体化したものだわ」夕子が立ち上がるなり、入り口に向かって歩き出す。何故そうなるんだ?

俺もスーも驚いて、ただ夕子が何をするのかを見ていた。夕子はドアを開け、右の方、マンションの端に向かって怒鳴った。「あんたでしょ!ネタは上がってんだからね!怒らないから出て来なさい!」いや…メッチャ怒っていらっしゃるようにしか見えないんですけど…てか、誰に言ってるんだ?

俺とスーは顔を見合わせると、恐る恐る夕子のそばへ行った。

夕子が開け放った入り口の下の方から外を見る。先程、角の隙間で居眠りをしていたホームレスが、驚愕と畏怖の入り混じった目で夕子を見ていた。腰を抜かし、頭を庇う手が震えている。こいつが?アレの創造主?だって言うのか?

再度顔を見合わせた俺達は、仕方なく男のところまで行き。何とか宥め賺して店の中へ連れ込んだ。

男を座らせ、水を与えて様子を見る。おどおどと周りを伺っていた男は水を少し飲むと落ち着いたようで、深いため息と共に背中を丸めた。「あれが…あれが出ましたか?」掠れるような小さな声だ。「どんな姿でしたか?」

どうやら夕子の読みは正しかったらしい。当のこいつにも、アレの正体は分かっていないようだが…「子供位の大きさの猿だったわ。背中に卍の印、それと太鼓の音もね」夕子が”比較的”優しく語りかける。「あんた寝てないでしょ?眠るのが怖い?」

男は驚愕の目で夕子を見た。「あなたは…アレが何か御存知なんですか?」

夕子は相手を見ず、確かめるように呟く。「アレは、あんたが眠りに入る時に見る幻覚が実体化したもの。そうでしょ?」

男が目線を落とし、力なく答える。「自分ではどうする事もできんのです。始めは突然眠くなって、居眠りすると痛くて苦しいだけだった。次第にその痛みや苦しみが形になって見えたり聞こえたりするようになった。でもそれは幻覚・幻聴で、自分にしか見えず、聞こえんもんだったんです。でも、ある時から、それが現実に出て来るようになった。堪えきれずにウトウトすると、怪物が現われて音が鳴り響くんです。わっしは只々怖くて、痛くて、苦しくて…」涙声になり、肩が震える。

「ナルコレプシーね」スーが夕子を見る。「苦痛を伴う入眠幻覚が、何かを切っ掛けに実体化してしまうようになった…」男に視線を移す。「あなた、日中の居眠りを咎められて、居場所を無くしたんじゃない?」

男は目を見開き、スーを縋るような目で見た。「そうです。仕事はクビになって、家も追い出されました」「怪物が現われるようになったのは、その頃からね?」夕子が天井に話しかける。

「そうです、そうです。奴等が現われては、周りの人達を脅かすようになって…わっしはその内誰かを傷つけちまうんじゃないかと心配で…そんで、あっちこっち移動しながら、寝ないように、眠ってしまわないようにと…」夕子を見る男の目から、涙が零れ落ちる。

男が一呼吸置いた時、夕子の隣でカリカリと音がした。全員がギョッとして見ると、猫がカウンターを引っ掻いてロウを見上げていた。「ニャーケ!」

「シャオヘイがお酒を御所望よ」スーが苦笑いし、俺は溜息を吐いた。「こいつは…」小皿を出して、ジンを注いでやる。「今日はこれだぞ。嫌なら帰れよ」

クンクンと嗅いでみて、一口嘗める。困ったような目で俺を見上げるが、知らん顔をすると、渋々呑み始める。

男が興味深そうに猫を覗き込む。「へぇ、酒を呑む猫ですか?珍しいですね」二股の尻尾には気付かないようだ。「わっしも猫を飼っていたんですが…あいつは…どうしてますかねぇ…」言いながら、目の焦点が合わなくなる。

途端にどこからかボレロが聞こえて来た。音源が不明だが、外からではない。まるですぐそこの空間が鳴動しているようだった。スーが虚空を見上げて呟く。「あ、これって…」「マズいんじゃないのか?」「マズいわね」俺と夕子も同意した。

いつの間にか目を閉じた男が顔を歪める。ボレロのボリュームが上がる。力無く項垂れた口元から苦悶がこぼれ出る。「う…痛…イタタ…」

夕子とスーが驚いたようにこっちを見た。いや、見ているのは俺ではなく、俺の後ろ…振り向くと、”本日の一本”専用の神棚…と言っても只の壁の窪みだが、猫に注ぐ為に出した酒の代わりに何かが居た。後退って見ると、スーより一回り小さなピエロだった。「何だこりゃ?」

ピエロはサーカスの幕間のショーの時にやるような大袈裟な挨拶をすると、ピョンピョンと跳ねて躍り出した。「痛い!イタ…い…」男はピエロが飛び跳ねるのに合わせて痛がり、魘されている。

どうしたものかとも思ったが、取り合えず捕まえて見る事にして、首根っこの辺りを鷲掴みにした。

ピエロは苦しがってキイキイと泣き叫び、男は逆に静かになった。うむ、分かりやすい。

よく見ると、赤い着け鼻と化粧の下は土気色の肌をしたゴブリン?もしくはガーゴイルのような顔だった。尖った耳、吊り上がった目にギザギザの歯が凶悪そうだ。「これ、どうしようか?」「殺っちゃえば?」スーが真顔で言う。「大丈夫かねぇ」「大丈夫なんじゃないの?」今度は夕子が興味無さげに言う。

それではと、手に力を込めて見る。「ギュー!」ピエロが変な声を出して潰れた。先程の猿と同じように、掻き消す様に消えてしまうと、ボレロも聞こえなくなった。

夕子と反対に、興味深そうな目を爛々とさせていた猫が途端に興味を無くしたようで、空になった皿の手前を爪で引っ掻き始める。酒のお代りを要求しているのだ。「ニャケ!」コイツもまた、酒なら何でも呑むクチだったらしい。

痛みが無くなった男は、突っ伏して眠っている。久しぶりなのだろう、深い眠りに落ちたようだ。猫に酒を注いでやりながら、誰にともなく言ってみる。「さて、どうしたものか…」「ナルコレプシーなら、薬で軽減できるでしょ」スーが事務的に言う。

「問題はこいつの潜在能力だろ?夢から怪物が出て来る能力とか、ヤバくないか?」「病気に対する周囲の無理解がストレスとなって発現した力なら、発作さえ収まれば消えるでしょ」夕子が猫を横目で見ながら言う。ナルホド道理だ。元来が人畜無害な奴のようだし、事を荒立てる必要も無いだろう。

「そう言えば、アレクサンダーが行軍中に悪魔が訪ねて来たって話があったけど、あれは彼が見た幻覚でナルコレプシーによるもの、つまり入眠幻覚だったんじゃないかって説があったわね」「ナポレオンも突発的に眠り込む事が多かったし、羽田沖に落ちた旅客機の機長が疑わしいとか…ね」「そんな昔から良くある病気なのか…」「実際には病気だとは知られず、従って理解も得られない事がほとんどでしょうね」「只の寝不足、怠け者のレッテルを貼られて切り捨てられてお終いだわね」「大昔から、そして現代に至っても、か…」

明日は男を病院に連れて行ってやろう。今夜はゆっくりと眠るがいい。

俺は男を起こさぬよう、新たに用意したグラスに、静かに酒を注いだ。


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