夜の吹雪
しいなここみさんの「冬のホラー企画2」の参加作品です。
しいなさんの指摘を受けたあと、少し手を入れてみました。
この地方には雪女の言い伝えがあってね。吹雪の夜には美女について行っちゃいけないんだよ。あんたたち若い人は信じないかもしれないけど、それは現代だって変わらないよ。だから吹雪いたら、必ず止まって晴れるのを待つんだよ。
ペンションとは名ばかりの民宿のお婆さんが、夕食の時そんなことを話して女将に叱られていた。
「まぁた、お婆ちゃんはそういうことを。年寄りの戯言だから気にしないでね。そんなもの出ませんよ、このスキー場には。観光組合長に怒られるわよ。」
「穂奈美にはついて行っても大丈夫なわけだな。」
「どーゆー意味だよ、それ。」
同好会唯一の女子、佐倉穂奈美がぷっとむくれる。
裕也たち5人は大学のスキー同好会のメンバーで、2泊3日でこのマイナーなスキー場に来ていた。
ゲレンデは大きくないが、雪質もまずまず良く、コースも変化があって面白い。
明日は帰る日だから、裕也たちは最後のナイターを楽しむつもりだった。
空は晴れて星も出ている。ゲレンデには、音質の悪いスピーカーから広瀬香美 の曲が流れていた。
カラフルにライトアップされたゲレンデは、初心者コースもコブだらけの上級者コースも幻想的でファンタスティックな雰囲気になっている。
マイナーなのでゲレンデはそれほど混んでいない。
そんな少しだけ非日常の世界を、裕也たちは集合場所だけ決めて各自好きなように楽しむことにしていた。
そんな中、裕也がリフトの一番上、上級者コースのスタート地点から先に降りていった鈴木たちを追いかけようと滑り始めた時、あれほど晴れていた空から雪が舞い始めた。
みるみるうちに視界が遮られてゆく。
「マジかよ?」
裕也は口の中で小さくつぶやく。
視界の悪い中でゆっくり目に滑るうち、目の前にに突然木の影が現れて裕也は慌てて体を捻りスキーを止めた。ぶつかるところだった。
「あれ?」と思わず声に出す。
どこかで間違えて、林間コースに入り込んだらしい。
雪はさらにひどくなり、視界が全く利かなくなる。いつの間にかあの割れたスピーカーの音も聞こえなくなっていた。
びゅうううっという風の音だけが耳元で聞こえ、頬に叩きつける雪が痛い。
「こりゃあ、マジで動けんわ・・・。」
裕也は少し雪が収まるまで、ここで動かずに待つことにした。何にしても、コースが全く見えないんじゃ下手に動くと危ない。
林間コースはそれほど長くなかったはずだし、収まればナイターをやっているAゲレンデの照明も見えるだろう。
山の天気は変わりやすいっていうけど、こういうことなんだな。もちろん、こういう天候の中を無理して滑るほど裕也も馬鹿ではない。
ペンションの婆さん、ああいう話でスキー客が危険な行動を取らないように忠告してるつもりなんだろうな。
裕也は吹雪の中で、ふっと笑いを漏らす。
それは白い湯気の塊になってから、すぐに雪と一緒にどこかへ飛んでいった。
「すごい吹雪いてきたね。」
何の気配もなかった裕也のすぐ脇で声がして、裕也は跳び上がりそうに驚いてそちらを見た。
すぐ傍に女性スキーヤーがいた。
いつの間に、ここへ・・・?
「こんな時に林間にいるなんて、キミ勇気あるなぁ。それとも迷った?」
玉を転がすような声。
この吹雪の中なのに、その声だけが妙に明瞭に聞こえる。
声の出てくる唇は真っ赤なルージュに彩られ、濡れているように艶めかしく、裕也の心臓がどきりと跳ねた。
ゴーグルの中の潤んだような瞳は真っ黒。毛糸の帽子の下に無造作に放り出された背中まであるストレートの髪も漆黒で、吹雪の中で踊っていた。
スキーウエアに身を包んでいると美男美女に見えやすいなんて言うが、いま裕也の目の前にいる女性は掛け値なしの美女と言えた。
「こんな所にじっとしてると、凍えちゃうよ? わたし、この辺詳しいからついてきて。」
赤い唇の端に小さなピンク色の舌がちろっと現れて、唇を舐めて消える。
裕也の視界が狭くなった。
まるで、微笑むその赤い唇だけしか世界に存在しないような錯覚に陥る。
「ボーゲンでゆっくり行こうね。木にぶつかると危ないからね。」
その声が密かに、そして静かに、裕也の身体を絡めとってゆく。
頭が痺れたようになって思考がまとまらない。
この寒さのせいだろうか?
いや、寒いのかどうかすら、すでに分からなくなってきている。
頭のどこかで踏切の警報みたいな音が鳴っているが、裕也の意識はそこに焦点を合わせられない。
言葉どおり、ボーゲンでゆっくり前を滑ってゆく女性の、内股になった完璧とも言えるフォームに裕也は魂を惹きつけられたようになって後に続いた。
背中までの黒髪が、おいでおいでをするように風に舞っている。
それ以外の何も見えない。
オレハ、ナニヲシテイル・・・?
やがて、前をゆく女性がスキー板を開いて止まった。
「あそこ。」
美女がストックを上げて指す先に、ぼんやりと暖かそうな灯りが見えた。
「わたしたちのロッジだから。休んでいかない? 温かい飲み物、ご馳走するよ?」
赤い唇が、魅惑的に微笑む。
温かい・・・・。
裕也はふらっとついて行きそうになった。
その時。
頬に冷たい雪風が吹き付け、裕也の視界が戻ってきた。
その視界の中に木で作った案内板の矢印が見えた。
← Aゲレンデ
「あ・・・。もう、すぐそこみたいだから・・・。」
裕也は理性をふり絞って、それだけを言う。
「いいじゃない、少しくらい。収まるまで、暖まっていけば?」
玉を転がすような声が、風の音の中で明瞭に裕也の耳に届く。まるで頭の中に直接話しかけられているようだ。
頭の隅で半鐘が鳴っている。
いけない。ついて行っちゃ、いけない!
「い・・・いえ・・・。友達も心配してると思うんで・・・。」
粘りつくような何かを振り切って、裕也はAゲレンデの方にスキー板を向ける。
ふり返るな!
ふり返るな!
ほどなくAゲレンデの照明が見えてきて、あの割れるようなスピーカーの音楽が聞こえてきた。
気がつけば空には星が出ている。
裕也の背中に、どっと冷たい汗が吹き出した。
・・・が、それで終わりではなかった。
翌日、帰り支度をしてスキー同好会のメンバーと駅のホームにいる時、裕也は反対側のホームを見て青ざめるような出来事に遭遇した。
あの黒髪の美女が、笑いを浮かべながらこちらを見ているではないか!
「今日、帰りですかぁ?」
玉を転がすような声。
「雪子、知り合い? イケメンじゃん。」
「昨日林間で会っただけ。ほら、ちょっと吹雪いた時に。ロッジに誘ったんだけど断られちゃった。彼女とかいるんじゃない?」
「誰? 知り合い? すげー美人じゃん。」
鈴木が裕也の背中を叩く。
・・・・・・・・・・
しまった——————っ! (°Д°;)
完
名前、聞いときゃよかった———!
メルアドくらい交換しときゃよかった———!!
チャンスには踊る後ろ髪はないのです。
=後書きの後ろの後書き(量子論的可能性の世界)=
もし、この後に次の短文が追加されたら・・・
* * *
電車が入ってきて、向こうのホームが視界から遮られた。
裕也は後ろ髪引かれる思いで電車に乗り、動き出した電車の窓から未練がましく反対側のホームを見る。
すると、先ほどのグループの中にあの黒髪の美女がいない。
「え?」
・・・・・・・・・
裕也のすぐ背後で、玉を転がすような声が聞こえた。
* * *
これだとホントにホラー!!(°Д°;) ですね。。(笑)