意志と決断
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国王陛下は、ゆっくりと息を吐きながら、
「まだ、決定したわけではない。」
と告げたが
”決定したわけではない”けれども、もう覆すことができないところまで来ているということなのだろう。
「前回送り出せなかったこちらのせいで同盟が締結されなかった という主張をするあちら側の貴族も少なくなく、こちらから送り出すべきだ。ということなのだろう。」
宰相閣下は淡々とつぶやいた。
王家同士の婚姻で同盟を強固なものに ということなのだから、こちらの国の一人しかいない王女殿下が対象になるのだろう。
確か、今14歳だったか。
「直系の王家の娘でなくても、それに準ずるような、”濃い王家の血筋を引く”例えば公爵家の娘でも構わない という打診もあったのだ。だが…。」
最後まで言い切ることなくこちらに視線を一度向ける。
濃い王家の血筋とは、”月明りの瞳”とまではいかなくとも少なくとも金の瞳を持つ という意味なのだろう。
現在公爵家に姫はおらず、序列や王家の血筋の濃さで言えばわたしになるのだろうが、いくら血筋が濃く国内の序列が公爵家に劣らないといっても我が家は侯爵家だ。
隣国からすれば同盟のための婚姻には説得力が薄いし、そうなるとわたしを公爵家か王家の養女にして という話になってきてしまうだろうが、それは流石に国王陛下も宰相閣下も踏み切れないだろう。
王家としての責務を果たさず家臣の娘を養女として送り出した というのは外聞が悪いというだけではなく、下手したら派閥が割れる可能性もある。
「またみすみす送り出すのか?王女殿下の事 忘れたわけではあるまいな。」
宰相閣下が言葉を選びながら慎重に話すのを、無言のまま聞いていた国王陛下に父が問いかけた。
父の言う王女殿下 とは25年前に同盟締結のための婚姻に向かうはずだった、王女殿下の事なのだろう。
ここでその話題が出てきたことに少し戸惑いながらも様子を伺っていると
「忘れるわけがないだろう。」
いままであまり感情を出さなかった国王陛下が、一つ声のトーンを暗くして父をじろりと見た。
「同じことを繰り返さないためにも、使節団は必要なのだ。」
そう言って国王陛下は、わたしに視線を移す。
「サラ そのためにそなたの力を借り受けたい。」
”懐かしい”金の瞳がわたしを見つめながら一瞬揺らぐ様子に、わたしは自然と口が開く。
「陛下は、わたしに 使節団としてあちらに赴き、王女殿下のお輿入れのための”下準備”をご所望なのですね。」
宰相閣下はわたしの言葉に少し動揺したような空気が伝わってきたが、わたしから視線を外さない陛下は、もう驚くこともないといった様子で
「そうだ。」
もう揺るぐことのない瞳でしっかりわたしを見据えながら肯定した。
下準備と言ってもドレスや式の話ではない。
和平・同盟のために国王陛下の手足、目や耳となって動き、国間の交渉が少しでも円滑に進むように使節団の一員として働く傍らで
王家の血を濃く引く高位貴族の令嬢 としてもあちらの社交界に赴き貴婦人の間で催されるお茶会などにも参加し、あちらに王女殿下が嫁がれたら必要になる社交界での基盤づくりのための情報収集や人脈作りにもあったってほしい ということなのだろう。
確かにそれは、男性にはできない仕事で尚且つある程度の家柄や能力が必要になってくるであろう。
父が、また重い口を開く。
「だからと言って、使節団が危険なことに変わりはない。そもそも、なぜ今なのだ。以前失敗に終わったものをどうして今また動かす気になった。」
わたしに打診があった理由に納得はしたもののやはり簡単には容認できないし、いろいろと納得ができない と父が食い下がる。
「無論、こちらもなんの勝算もなく使節団を送り出そうとしているわけではない。」
宰相閣下が父を宥める様に説明する。
「今回我々が使節団派遣・同盟締結に踏み切ろうというのにはきちんと理由がある。」
「そうでなくては困るがな。」
なかなかに遠慮のない父に、特段気にする様子のない国王陛下と宰相閣下。
「あちらの王弟が尽力していてな。使節団の後ろ盾になると打診してきた。もちろん、こちらが望むならという話だが。」
国王陛下の”王弟”という言葉にどきりと心臓が脈打った。
「あちらの王弟殿下が…。」
「先の条約締結以降もあちらでいろいろと動いていたようでな。かなりの根回しを経て、今回は先に使節団を送ってはどうか と打診してきたのだ。」
「なるほどな…。」
父の納得し、緊張が緩んでいくような様子とは裏腹に、わたしの鼓動は先ほどよりも早くなっているのがわかった。
父達の指すあちらの王弟殿下 とは ”亡くなられた王女殿下”の婚姻相手になるはずだった方のはずだ。
「使節団派遣が必要で、あちらで庇護を最低限受けられる というのはわかった。かの王弟殿下なら何か不測の事態に陥ってもなんとか使節団を逃がしてはくれるだろう。」
父達の王弟殿下への信頼が予想外に高いのに少し驚き戸惑っていると
「これはあまり表には出ていない話だがな 王女殿下があちらに輿入れされる際、国境沿いまで王女殿下を迎えに来ていたのだ。また王女殿下の葬儀の際も単身国境沿いの教会まで来て祈りを捧げ、王女殿下への花を送ってきたのだ。たまたま私とルーカスもそちらにいてな。顔を合わせたことがあるのだ。」
初めて聞く話に、驚きながらも胸が騒めく。
(これはわたしの気持ちではないけれど、なんとなくわかるわ。切ない という心が。)
今まで自身の人生では経験したことのない感情が不思議と知っているかのようにすとんと心に落ちてきた。
父が、眉を少し寄せながらゆっくりと息を吐きだす。
「2人の言いたいことはわかった。使節団の派遣、同盟締結に踏み切ろうという理由も納得しよう。だからと言って、うちの娘を というのは別の話だ。」
父としての気持ちか 家門の長としての判断か、どちらかはわからないが父は再度はっきりと意思表示をした。
(どちらにせよ、お父様はわたしを守ろうとしてくださってるわ。まだ幼い娘を送り出す国王陛下の手前、ここまではっきりと伝えるのは気が引けるはずですもの…。)
忠臣として、また陛下の友人として娘を差し出すという判断もできただろうに
(お父様、ありがとうございます。)
政治や家門の利益のための道具としてしか娘を見ないことも少なくない世の中で、わたしを守ろうとしてくれる父に対し、感謝の気持ちを持つと同時に申し訳ない気持ちにもなった。
(お父様、申し訳ございません。ですがわたしは、わたくしは…。)
少しずつ飲んでいたリンゴジュースも、もうほとんど残っていない。
父は使節団の人選の状況や、どこの家門が我が家を候補に押し上げようとしたのか宰相閣下に探りを入れている。
テーブルの上のグラスに送っていた視線をゆっくりと上げる。
静かな意識をわたしに送っていた国王陛下と視線が交わった。
この金の瞳とわたしの瞳が向き合うことなどわたし自身の記憶では数回目のはずで、昔の記憶でだってほとんど正面から見合ったことなどないはずなのに、不思議と心は落ち着いていた。
「国王陛下。」
わたしが話し出すのをわかっていたかのように、わたしの物より濃く、堅い色の瞳がわたしの言葉を受け止め、促す。
「そのお役目、謹んで拝命いたします。」
父も宰相閣下も驚き言葉を失う中で、国王陛下だけが予想していたかの様に、ただ真っ直ぐにわたしを見ていた。
一瞬、その瞳に影が射したようにも見えたが、一度瞼が閉じられて再度開いた時にはいつもの重厚な輝きに戻っていた。
「何故なのか、聞いてもいいだろうか。」
理由を聞かれると思っていなかったわたしは少し驚いたが、対称に陛下は落ち着いた様子でじっとわたしを見据えていた。
軽く息をついて、新しい空気を少し胸に取り込んでからわたしは答え始める。
「今までわたしは侯爵家の娘として、また畏れ多くも王家の血を引く貴族として教育を受け、そして数多の権利を享受してまいりました。わたしはそれに報いなければなりません。そして、この身が一番家門や国のお役に立ち、価値を発揮できるのはここだと 判断したからです。」
政略結婚であろうと宮廷への出仕や、自領地の運営だろうと、結局はわが身が一番価値を発揮し、役に立てるところに身を振るつもりであったのだ。
それが他国への使節団としてということであれば、それはそれで そういうものなのだと思うことにした。
そのためにわたしは今まで教育を受け、貴族として最上級の扱いを受けてきたのだからそれに報いなければならない。
澱むことなく答えたわたしに対し、陛下は少し視線を下げた後
「そうか…。」
と一言つぶやいた後に、
「それに、」
わたしがまた言葉を続けると、陛下はわたしの薄い金の瞳を見つめた。
「幼い王女殿下が他国に嫁がれることになるのですから、わたしもなにかできることがしたいのです。」
自然と口角が少し上がったわたしは、自分でも意外なほど強い意志を持って、国王陛下に思いを告げた。
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