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ゲームを使って本格ファンタジーを語るな

作者: 虎戸リア

『おお、エッセイをご照覧あれ』


 某出版社の本格ファンタジーに関するコラムが、いつもの如くツイッタ創作界隈を盛り上げている。そのコラムの内容の是非については読者に任せるし、その批判をここでするつもりは毛頭ない。


 ただし一点。ゲーム開発会社であるフロムソフトウェア社(以後、フロム社と呼称)の最近の大ヒット作品であるエルデンリングというゲームに言及した部分について、少しだけ首を傾げる部分があった。

 そのコラムでの言及についてはざっくりと要約するとこうだ。(あくまで私的解釈ではあるが)


『本格ファンタジーであるエルデンリングというゲームが大ヒットした。そういう大ヒットを出しうるファンタジー小説は日本にはない。だからエルデンリングは海外の大物ファンタジー作家が参加している』


 これについて私がどうしても気になってしまったのが、エルデンリングがその壮大な世界観や緻密な設定――つまりコラム内で定義する本格ファンタジーの主軸を捉えたおかげで売れた――と言ってしまっている点だ。


 ラノベファンタジー作家であり、生粋のゲーマーであり、なによりフロム社のファンである私が正直に言おう。


 〝お前は一体何を言っているんだ〟、と。


 まず、エルデンリングというゲームについて語り始めると文字数が馬鹿みたいに増えるのでここで割愛する。


 ただし『エルデンリングには海外の大物ファンタジー作家が参加している』という情報については、重要になってくるので、ここでざっくりと説明する。


 エルデンリングは開発の初期段階から、海外の大物ファンタジー作家の代表の一人とも言うべきJRRマーティン氏(以後、マーティン氏と呼称)が参加している。


 彼が担当したのはエルデンリングの世界における、<神話部分>である。もう一度言う――<神話部分>である。それは決してストーリー部分ではないし、さらに作品コンセプトについてはざっくりフロム社側から説明があったという。こうしてマーティン氏によって執筆された神話をベースに、出来上がったのがエルデンリングという作品であり世界観である。


 なぜそういった経緯になったかはインタビューで散々語られているのでここで割愛するが、まず第一として、フロム社の代表である宮崎氏がマーティン氏の大ファンだとそのなかで語っている。その上で、宮崎氏がインタビュー内で『ゲーム性という理由でマーティン氏の作品に影響を出したくないから、それが極力出にくい神話部分を担当してもらった』という旨のコメントをされている。


 もちろんマーティン氏のスケジュールや予算の都合もあるが、これが『ストーリーをマーティン氏に書き下ろしてもらい、それをゲーム化し大ヒットした』という話なら、上記したコラムの言及内容にも一部頷ける。でもそうではない。あくまで世界観のベースとなる神話部分だけであり、もう一度ここで述べるがその理由の一つが――<ゲーム性という部分で改編あるいは影響を及ぼしたくない>からである。


 フロム社、というより宮崎氏のゲーム哲学として「ゲーム性を優先する」という部分があるそうだ。これもインタビューで散々語られているので詳しくは述べないが、それこそが本格ファンタジーとゲームの間にある大きな溝だと私は思っている。


 重厚な世界観。オリジナリティ溢れる設定。魅力的なキャラ達が織りなす群像劇。スペクタクル。感動。

 確かに本格ファンタジーにおいてそれらは重要であり、私も好きな部分である。でもそれをゲーム内で再現する時に、どうしてもゲーム性、あるいはシステムという部分で犠牲になってしまう部分はある。(中にはウィッチャー3など努力している作品もあるが、あれは原作小説のいわば続きなので、そういう部分の自由は利いたのだろうと推測する)

 

 おそらくゲーム開発者にとって、一番難しい、あるいは悩ましい部分だと想像できる。


 小説なら好き勝手やれるが、ゲームはそうはいかない。誰とも知れないプレイヤーという存在がどうしても介入してくるからだ。小説の読者と違い、プレイヤーは能動的にその世界へと関わってくる。


 そのプレイの快適性や楽しさなどを加味した際にどうしても犠牲になる部分がある。


 だからこそフロム社の代表である宮崎氏は、マーティン氏の創造物がゲーム性の犠牲にならないように、あえて神話部分のみを担当してもらったのだろう。


 そんな経緯を知れば知るほど、〝エルデンリングがその壮大な世界観や緻密な設定――つまりコラム内で定義する本格ファンタジーの主軸を捉えたおかげで売れた〟という部分に疑問が生じてしまう。


 いや、そうじゃないだろうと。確かに魅力的な世界観のゲームはやっていて楽しいし没入感もある。だけども、それはあくまでゲームという媒体だったからという前提があり、何より開発者による涙ぐましい努力の末のおかげなのだ。


 それを「本格ファンタジーだからですね!」なんて言ってしまうのは、あまりに乱暴ではないか。本格ファンタジーを主軸にしたら売れるという例としては、あまりに不適切である。


 ゲームにおいて世界観は魅力ではあるが、数ある要素の一つでしかない。という部分をもう一度よく考えてほしい。


 そもそも、本格ファンタジー作家を自称する者や本格ファンタジー小説以外のファンタジー小説を認めない派の人々が毛嫌いしている、いわゆるラノベやなろう系小説に出てくる<ステータス>だの<レベル>だの<中世ヨーロッパ風世界観>だのが出てくるエルデンリングを持ち上げて、「これこそ本格ファンタジーだ! 日本の小説にはない!」と叫ぶのはあまりにも矛盾している。


 ないのではない。あれはゲームだからこそ完成し、そして評価されたものであり、それ以上でも以下でもない。


 エルデンリングというゲームが存在しない世界で、エルデンリングという本格ファンタジー小説が仮に出たとして、じゃあそれが売れるのか? というと私は微妙だな、と思っている。実際ダークソウルのノベライズ(ゲームシステムや用語を一部拝借したオリジナル作品に近いもの)が発売したが、少なくとも私の周囲ではあまり話題になってはいない。


 売れる売れないで本格ファンタジーを語るなと言う人もいるが、そもそもこういった議題で上がる作品は全て商業作品である以上、売れる売れないが要素として出てくるのは必然だろう。


『だったら本格ファンタジーを求めない読者が悪い。そういう読者しかいない環境にした業界が悪い』、なんていう風にどんどん責任を転嫁させていっている様は、あまりに滑稽だ。


 本格ファンタジーはいいものだ。これは間違いない。

 どんどん書けばいいと思う。私もいつか書こうと思っている。

 だけどもそれを御旗に、他の作品やジャンルを批判するのはあまりに馬鹿げているし、よりにもよってゲームを使って持ち上げるなんてもってのほかだ。

 

 なのでいちゲームファン、そしてファンタジーファンとして、切にお願い申し上げる。


『ゲームを使って本格ファンタジーを語るな』


内容についてのコメントはご自由にどうぞ! 間違っている部分やおかしい点もあるかと思いますので。

コメント返しはしませんので悪しからず。

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― 新着の感想 ―
[一言] ライターには十二国記を暗唱できるようになるまで読みこませたいですね。
[気になる点] エルデンリングにおいて、まさに神話部分がストーリーの根幹をなしていたと私は思ったので、なおの事その部分に本格ファンタジー作家が関わっているのなら、それは本格ファンタジーで相違ないのでは…
[良い点] ゲームファン ファンタジーファン 握手! [一言] そもそも、本格ファンタジーの定義からして、紛糾しそうですものね。 「日本にはない」とか、他を下げて自分を上げて、優越感に浸りたかったんで…
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