継ぐ者
「『イツミ』を使いたい? 本気かね?」
人払いした執務室で、大統領が私に聞き返した。
私の名は、デイヴィ・ド・フォー・クセス。今は連邦軍の長官である。
レイチェル・ザキ・シーク前長官が急死したため、副長官就任後わずか8ヶ月目にして長官に昇格した。
「テイィ・ゲルです。シーク前長官がヤツを倒していればいいのですが、もし取り逃がしていたとしたら、ことは急を要します。
ヤツの基地の捜査では、ヤツはデータを持ち出す余裕はなかったように見えますが、しかし、G弾に関するデータはヤツの頭の中にはあります。」
「前長官は、あれを使うことをひどく嫌がったが、君は積極的なんだな。あれが怖くはないのかね?」
大統領は椅子に深々と座った。
「あれの危険性についてはわかっているんだろう? たとえ戻れなくなって命を落としても、戦死扱いにすらならないんだぞ。」
「わかっています、しかし、今、速やかにテイィ・ゲルを追跡する有効な手段が他にありますか?」
大統領は、さらに深く椅子に沈み込むようにあごを引いた。
「よろしい。許可する。」
サラ・ファ・ロン・ミマナは、長官室に呼ばれ、珍しくやや緊張した面持ちで扉が開くのを待っていた。
29歳。まだ就任して1ヶ月にも満たない。チョコレート色のショートヘアは軍服とよく似合って活動的な印象を与えていて、よく動く鳶色の瞳は彼女の知性の高さと若さを物語っている。
連邦軍副長官に20代で就任するのは異例の抜擢というべきだが、彼女の戦績を見れば納得する人も多いだろう。
それにしても、複数の候補の中でいちばん若い彼女が選ばれた時には、誰よりもサラ自身が驚いた。
「やあ、サラ。」
長官室に入るなり、サラは長官の笑顔で迎えられた。
「今日はちょっと君に覚悟を決めてもらわなくちゃいけない。」
3週間と少し前、サラは初めて緊張した面持ちで長官室に就任の挨拶に訪れた。
そのとき、いきなりファーストネームで呼んでもいいか聞かれたのには少々驚いたものだが、どうやらこの新しい長官はかなりくだけた性格らしかった。
この若さでの連邦軍副長官という役職の重圧に、ガチガチに固まっていたサラの肩はそれで少しほぐれ、サラにとってはこういう上官はありがたかった。
そんなコミュニケーションの効果もあって、この1ヶ月足らずの間に、2人の間には軍の厳格な上官と部下という空気ではなく、サークルの先輩と後輩みたいな雰囲気が醸成されてきていた。
どうやらそれが、新しい長官の狙いらしく、軍の運用をサラと二人三脚でやっていきたい——という意思の表れのようだ、とサラも気がつき始めていた。
連邦政府内には、「長官も副長官も若すぎる」とその経験不足を危ぶむ声もあるようだったが・・・・
なに、上手くやるさ。経験則に縛られたヤツより、柔軟な発想のできる私たちの方が不測の事態には上手く対処できるということを見せてやる。
かわいらしいとさえ言えるその風貌に似合わず、サラは腹の中でそんなことを太々しく考えている。
私はサラに簡潔に『イツミ』の概要を話し、生体認証サインを求める旨を伝えた。
「ただの都市伝説だと思ってました。」
サラは、目をまん丸に見開いて驚いたが、しかし怖気付く気配は微塵もない。むしろ、その鳶色の瞳をきらきらと輝かせて身を乗り出してくる。
これだ!
このレスポンスこそ、私が若いサラに期待した資質なのだ。
リスクを伴う未知の領域に、怖じけることなく目を輝かせて飛び込んでゆく——。そういう資質でなければ、この先、私とタッグを組んで『イツミ』を運用していくのは難しかろう。
(断じて私の趣味で彼女を選んだわけではないからな!)←言わなくていいから
サラがひと通り理解した——と判断したところで、私は書棚をスライドさせて、現れた転送ポッドに乗るよう、サラに促した。
「すごぉい! 映画みたいですね!」
サラが、顔中を子どもみたいに輝かせて声を弾ませた。
えっと・・・・、このレスポンスは・・・・・?
まさか、こいつ・・・、ただのお調子者じゃないだろうな・・・?
サラは、転送ポッドの中で胸のワクワクを押さえることができなかった。
あの伝説のエスパーの実物を、この目で見ることができる! それどころか、自分がそれになることができる!
長官の言う「2人で運用したい」とは、そういうことだ。「おまえは控えておれ」ではないのだ!
こんなとびっきりの「冒険」に、尻込みなんかするヤツの気が知れない。
生体認証サインは、己れの人生の全てをその「機密」に捧げる、というほどの覚悟の要るサインだ。
それほどの機密にアクセスするというのに、この若いエリート軍人は遊園地のアトラクションに乗ろうとする子どもみたいな顔をしていた。
フォー・クセス長官は、そんなサラをポッドの中でしばらく観察し続けていたが、やがて得心したように微笑して小さくうなづいた。
「わたしの顔に何か付いてます? 長官。」
「いや、頼もしい。」
こいつの見かけに引きずられちゃいけない。その辺のイカツイ軍人なんかよりはるかに肝が座っていて、しかもそれをことさら表に出してアピールしたりもしない。
彼女の戦績と合わせて評価するなら、あらゆるリスクを笑顔で潜り抜けていくような、ちょっと得難い人材であるらしい。
この1ヶ月足らずの付き合いと今回のこの反応を見て、自分の人事の眼が間違っていなかったことを確信して、デイヴィは小さく微笑んだのである。
転送ポッドの扉が開くと、正面にあのマシンがある。
「遺伝子変換器ですね?」
サラは即座に言った。どうやら、メカニックの知識もハンパではないようだ。
「それにしても、大きいですね。さすがに全遺伝子変換となると——。」
「100年前の設備ってこともあるんだろう。記録によると、何回か部品を新しいものに取り替えてはいるようだけどね。その分は、多少コンパクトになってるんじゃないかな。」
言いながら私は軍服を全て脱いで、全裸になった。
サラは・・・と見ると、少し頬を紅くして視線を斜め下に反らせている。
おいおい、小娘じゃないんだから、ちゃんと見て、やり方を映像記憶しておけ。緊急事態にマニュアルを読んでたりしたら、間に合うものも間に合わなくなるぞ。
私は変換ポッドに入って上体を起こしたまま、サラに指示を出した。
「私が変換している間に、マニュアルと運用規則をしっかり読んで、生体認証サインをしておくこと。」
「は、はい!」
サラは姿勢を正して返事をした。
「次は君にやってもらうからね。」
「はい!」
こっちの「はい」は顔を輝かせて、声も心なしか弾んでいた。うん。いいレスポンスだね。
私は上体を倒して、ポッドの中に収まった。
ポッドのフタが自動的に閉まって、マシンが作動を始めた。