第一話「地下の街。第4層」
地下街の第4層。
最下層に位置するここでは毎日のように人が命を落とす。
殺人、餓死、自殺、事故。あらゆる形で虫の如く消えていく。
老衰を望む者がいれば鼻で笑われるだろう。
この地下街に住む限りそんなことは不可能だ、と。
だが死を迎えることでようやく最下層に囚われた彼らの魂は地上をまたぎ、
天に至ることができるのだ。
いや、あるいは地上を求めて永遠にこの地下街を彷徨っているのかもしれない。
今日、生を終えた男たちは、無事に地上へと至っただろうか。
半刻ほど前に少女に送られた者たちは、天に届いただろうか。
そんなことを少女は知る由も、考える余裕もなかった。
「ハァ……ハァ…」
少女は男たちの後追いはすまいと必死だった。
(早く、帰らなきゃ……はや、く……っ)
薄汚れた壁に体を預けながら、引きずるように歩く。
脇腹を抱えながら歩く少女が通った道には、鉄の臭いが刻まれていった。
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死に物狂いで隠れ家までたどり着いた少女。
その背中にバックパックは既になく、
額には脂汗が滲んで前髪が張り付いていた。
力を振り絞り、浅く握った拳でドアを決まった手順で叩く。
ドンドン……、ドンドンドン………ドンッ。
いつもより音の間隔が長いキレの悪さに、
ドアの向こうから息をのむ気配が伝わってきた。
数秒の沈黙を挟んでドア越しに声が聞こえた。
「二兎を追う者は?」
扉越しにもわかる少し高い少年の声だ。
少女は振り絞るように言葉を返す。
「三兎、得よ…」
パタッ。と、合言葉を言い終わると同時に少女は倒れた。
「えっ?」という間の抜けた声の後に、一拍置いてドアがわずかに開かれた。
「シィ姉…? シイナ姉ちゃん!」
少年の瞳に、血を流し倒れている家族がうつる。
少年はとっさに家の中へ大声で呼び、子供たちは少女を家の中へと運ぼうとする。
少女は朦朧とする意識の中、
うっすらと見える家族の顔をその目に捉え、気を失った。
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アルテナ南東の地下街。
今日の地下抗争はまだ終わっていない。
銃声はせずとも、命のやり取りは常に行われているのがこの第4層だった。
「なんだよコイツ……ッ! なんなんだよッ!!」
その場にいるのは全部で5人。
しかし、それは4対1の抗争だった。
顔を晒している人間は一人もいない。
「その仮面、人喰いの悪魔……!!」
光届かぬ薄暗い地下街で、男の一人が言った。
4人は麻袋をかぶっており、ナイフや銃で武装していた。
一方でもう一人の男は随分と特徴的な風貌だった。
奇妙な仮面をかぶり、フードのついた足首まで伸びる黒いローブを身に纏っている。
鳥の様なクチバシが長く伸びている、黒い仮面だ。
背中にはクロスボウを携えいる。
左手には黒光りするロングナイフが握られており、滴る血が小さな水たまりを作っていた。
「アンタのシノギだとは知らなかったんだ! すまねぇ! ほんとにすまねぇ!! 許してくれよ!!」
4人のリーダーらしき男が懇願する。
どうやら4人の男たちは、仮面の男の仕事を邪魔したらしい。
既に一人が床に倒れている。
生きてはいるが、男の腕は肘から先が既になくなっており、
真新しい断面からはサラサラとした血液が硬い地面を染めていく。
この医療もまともに受けられない無秩序な地下街で、
五体不満足の体は何よりも生き地獄だとここの誰もが全員が知っている。
仕事も失い、仲間からも見限られる。
想像に難くない未来が脳裏をよぎり男は泣いた。
いや、激痛からくるものだろうか。
それとも生存が絶望的なこの状況に恐怖してかもしれない。
「せめて弾の入った銃を持ってくるんだったな」
仮面の男が放った最初の一言だった。
仮面の中で声が反響するせいか、不気味な声が吐き出される。
見た目も相まって恐怖心を揺さぶる声だ。
脅し用の弾が切れた銃など無意味な相手だった。
それもオートマチックの銃だ。
弾切れ時にはスライドが後退したままになり、傍からみても弾切れなのが見て取れる。
この地下街に銃の知識がある人間は限られている。
今までそれで何とかなっていたのだろう。
しかし、仮面の男は銃口と対峙してもその仮面の奥で金色の目を細めるだけだった。
男たちは手に持ったナイフや鈍器を捨て、抵抗の意思がないことを示した。
本能的に勝てないと理解した。
仮面の男はリーダーであろう男に近づく。
反射的に男は体が逃げようと一瞬ビクついたが、
逃げたら間違いなく殺されることを理解したのか無抵抗だった。
仮面の男は片手でそいつの首を掴み、壁に押し付けた。
80キロはあるであろう大男の体が浮いた。
「ウ、グッ……!」
「お前が殺したあの店主は、用心棒として俺に月1万モントを払っていた」
ナイフを持ったもう片方の手を上げる。
男は本能的に刺されると死を覚悟した。
が、それが振り下ろされることはなく、指先で男の麻袋が取られる。
「グ、ウッ……ヴゥゥッ!!」
男の顔が露わになる。
大きな傷跡が斜めに一筋。目がビクビクと泳いでおり、片目は色素がない。
おそらく光を通してはいないだろう。
既に真っ赤になっており、空気を求めて喉を鳴らしていた。
周りの2人の仲間も動けずにただその光景を見ている。
「毎月の月初め6時、2万モントここへ持ってこい」
篭った不気味で冷ややかな声が響き渡る。
仮面の奥から金色の目がまっすぐ男を捉える。
視線だけ圧殺しかねないその気迫から、男は1秒でも早く逃れたかった。
いっそのこと今すぐ死んで楽になりたいとさえ思った。
男は無言で頷く。
窒息することを訴えるように何度もコクコクと頷いた。
「逃げられるなんて思うな。もし1秒でも遅れてオレが逃げたと判断したら、どんな手を使ってでも見つ けだす。死が生温いほどの苦痛を味わってもらう」
男は続けてコクコクと何度も頷いた。
恐怖か窒息のせいか定かではないが、涙すら流していた。
ようやく解放される。
男は壁に沿うように息を荒げながら地面へと倒れこんだ。
それと同時に他の2人も腰が抜けたのか尻もちをつく。
仮面の男は踵を返しながらロングナイフの血を振り落とし、一瞬でどこかへしまった。
そして、床に落ちている『腕』を拾い上げる。
「オ、オレの……ウ、デ…!」
名残惜しそうに、『腕』の元持ち主は残った右腕を無意味に伸ばす。
もう二度と直ることはない。
生まれてからずっと共にしてきた体を返してくれと言わんばかりに。
「今夜はお前の奢りだ」
仮面の男は意図を汲めない言葉を残し、
興味を失ったかのようにゆっくりと去っていった。
『腕』は持っていかれた。
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いつものように見知った道を迂回し、背後に神経を巡らせる。
尾行はないと確証したのち、ようやく帰路につく。
同時にゆっくりと仮面を外した。
リヒトは第4層の住人だった。
一番貧しい世界の住人だ。
世界は5つに住み分けされている。
上から、『地上』『第1層』『第2層』『第3層』『第4層』。
上に行くほど治安もよく、飽食で豊かな暮らしができる。
逆は言うまでもないだろう。
リヒトはかつて一番裕福である『地上』で暮らしていたこともあったが、故あって今は地下の底の底。
この第4層まで落ちた。
自分で選んだ道だったが、地上の暮らしとはあまりにもかけ離れていた。
別世界、と言っても決して誇張ではないのだ。
今日の食事にありつけるか。
ここの住人の頭にあるのはそれだけだ。
子供はおろか、大の大人ですら一人で生きていくにはあまりにも過酷な世界。
法律はどの階層にも同じものが適応される。
しかし、第4層に限ってはあってないようなものだ。
軍が全階層を統治してはいるが、その働きは各階層の納税率に比例する。
金のない連中の集まりである第4層に納税する余力などあるはずがない。
せいぜい商売の際に発生した、わずかな税金の分だけ見回りにきて、少ししたら上の階層に帰る程度のことだ。
みな今を、今日を乗り越えることでやっとなのだ。
人類から切り捨てられた社会的弱者たち。
それが第4層の実態だった。
弱者たちは今宵も、互いの生き血をすすり合う。
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(シイナはうまくやっただろうか)
今日は武装集団の倉庫に忍び込んで、不当な銃を盗む。
という、かなり危険な仕事を頼んだ。
能力に見合っていると考え、任せた仕事ではある。
だが、シイナ1人となると今まで任せた仕事と比較しても、過去一番の危険度だった。
元々は同行するつもりだったが、直前で急遽の仕事が発生してしまった。
それを聞いてすぐ、シイナは一人で行くと言い出した。
若さによる慢心でも無鉄砲でもないとわかる。
シイナは自分の能力を自覚しており、できることとできないことの分別はついている。
現地に行けば、状況を見て自分に可能かどうかを判断できるだろう。
もし厳しくても、手柄欲しさに功を焦ることは絶対にないと断言できる。
賢い子だ。
この4層においては慎重すぎるという状況はない。
少し考えたが、オレは承諾した。
シイナは優秀だった。13か14程度の少女とは思えないほどこの世界に適応している。
弓術やナイフ、射撃からピッキングまで。あらゆる能力が高水準に達していた。
全てオレの仕込みだが、シイナの吸収の速さは明らかに常軌を逸していたのだ。
きっと地上で生まれることができていたら、打ち込んだものに対して歴史に名を残すほどの成果を出したかもしれない。
しかし、最悪の事態もありうる。
いくら技術はあれど、所詮は年端も行かぬ少女だ。
大の大人に力で勝つなど不可能。
それも複数に接近を許せば、これまで培ってきた技術など関係なしに組み伏せられるだろう。
まだ青いとはいえ、この4層において女は希少だ。
もし捕まれば死を選んだ方がはるかにマシだと身をもって分からされるだろう。
(そんなこと、覚悟の上か)
結果は家に着けば分かることだ。
こっちは成果は酷いものだった。
今後の収入は増えたが、同時にリスクも増した。
しばらくは大丈夫だろうが、ヤツらがいつ裏切るかもわからない。
武器は取り上げなかった。
武力を取り上げてしまっては、自衛も金稼ぎもままならないだろう。
連中が痺れを切らすまでは、預けておく。
慎重に今後の出方をうかがっていこう。
久々にシイナに成果で負けたことを、子供たちにバカにされるのが目に浮かぶ。
負けるのは二ヶ月ぶりだろうか。
食料調達をしにみんなで人工池へ釣りに行った時を思い出す。
オレとシイナ、下の子たちの家族8人で行った。
いつも通りオレが一番多くの魚を釣り上げたが、
下の子の針にエサを付けてやろうと動いた際に自分のバケツを蹴って池に落としてしまった。
中には釣った魚。
再び自由を手にした魚たちが解き放たれていく。
閉店時間は間近だった。
子供たちは今日の晩飯が減ったことを嘆くかと思ったが、
シイナが「リヒトに勝った! 記念日だぁ~!」とわざとらしく言うと、どっと笑いが起こった。
子供たちも続いて「ボクも!」「ワタシも~!」と、オレへの初勝利に歓喜している。
微笑ましかった。4層で唯一、幸せを感じる瞬間。
この後も同じ光景が見れるんじゃないかと、口をほころばせながら今日の合言葉を思いだす。
(たしか……二兎を追う者は、三兎得よ。だったか)
なんだそりゃと思うが、子供の考えた合言葉だ。
みえみえの食い意地が面白い。
そんなことを考えていたら、もう家の近くまで来ていた。
が、違和感。かすかな血の匂い……。
ローブの下からクチバシの伸びた仮面を取り出し、静かに被る。
いつ何が出てきても対処できるように気を張る。
歩みを進めていると、匂いの元が目に入った。
血痕……。比較的新しい。
この地下街じゃ別に珍しいものでもなんでもない。
しかし、気になったのはその血痕が見知った路地へと伸びていることだった。
おかしなことじゃないが、嫌な予感がする。
罠の可能性を考慮しつつ血痕を辿る。
5分ほど辿ったところで、予感は確信へと変わった。
(なにが、あった……!?)
血痕は我が家の玄関で止まっており、
ドアの真下には赤黒い血だまりが出来ていた……。




