プロローグ「光届かぬ街」
暗がりの夜。
法も月光も届かぬ地下街で、毎晩のように無秩序な声がわだかまる。
男の怒号、女の悲鳴、この4層では珍しくもない。
その街の一角。
少女は息を切らしながら暗い路地を駆ける。
「ハアッ、ハァッ」
後方から三つの大きな影が追いかけてくる。
大きな声で怒鳴り散らしているようだが、死に物狂いの少女には聞き取る余裕はない。
暗いせいで顔は見えないが、鬼の形相で追ってきているのは火を見るよりも明らかだ。
年端も行かぬやせ細った体に、ずっしりと重いバックパックを背負いながら、少女は走る。
その刹那…。
パンッ!
という空気を弾く音と共に、少女の足元で火花が散った。
(撃ってきた…!)
足を狙われたらしい。もし命中していたらと考えると背筋が凍る。
身動きできなくなった女がどのような末路を迎えるかなど、この街では想像に難くない。
少女は飛びのき、レストラン裏の大きなごみ箱の影に隠れた。
(くっ、考えが甘かった…)
ここまで来るのに一度も撃たれなかったことから銃は全て取り上げたと思ったが、読みが外れたらしい。
どうやら弾薬を出し惜しんでいるようだ。
しかし、本当に追い詰められたら全力で仕留めに来るのは間違いないだろう。
互いに無傷で事が終わるという可能性は、既に失われたと確信した。
(もうここで、やるしかない…)
気持ちを臨戦態勢に切り替える。
少女の手には手製の『弓』があり、バックパックから羽根だけが露出した矢をつがえるべく引き抜く。……が、すでに全ての矢を撃ち尽くしてしまっていた。
(まずい…!)
少女が身動き取れないことを察した男たちは、ゆっくりと少女の元へ歩みを進め、声をかけた。
想像していた通り、三人とも随分な大男だった。
「なぁ、嬢ちゃんよぉ。オレたちゃオメェさんが大事そうに背負ってるソイツを返してほしいだけなんだ」
男たちは淡々と続ける。
「大サービスだ。今すぐに返してくれりゃぁ、さっき嬢ちゃんが殺した俺達の仲間の事は不問にしてやってもいいぜ。どうせ矢も残ってねぇんだろ」
(見られてた…)
だがこれを返すわけにはいかなかった。
いま少女の命を繋ぎ止めているのは紛れもなくこのバックパックだ。
差し出した瞬間、武力を失った盗人の少女など……いや、盗人でなくても悲惨な結末しか待ち受けていないだろう。
「それともなにか? 俺達から盗んだソイツでやり合おうってのか?」
少女は目を細めてバックパックを見る。
ずっしりと、重い。バックパック越しでも硬い感触が背中に伝わってくる。
「そいつぁ俺たちが汗水たらしてかき集めたんだ。お嬢ちゃんには過ぎたオモチャさ。
ガキは弓兵ごっこで我慢しな」
「これも汚れた品よ」
少女は一度だけ敵との対話に応じた。
「あぁ、そうさ。もしこの街に汚れてないもんがあるってんなら教えてほしいね」
(そんなもの、4層には存在しない…)
「さっきは見事な弓捌きだったなぁ。そうだ! なんなら俺たちの仲間になれよ!
お嬢ちゃんが殺した仲間よりもずっといい仕事してくれそうだ。メシもしっかり出してやるぜ」
もはや少女は耳を傾けていない。
バックパックを降ろし、中から黒光りする冷たい感触を手に取った。
(リヒト、ごめんなさい……)
「それとも俺の女になるか? ちょっと青くせぇが、毎晩可愛がってオレ好みの女にしッ……(パァン!)」
少女の手によって、男の言葉は遮られた。
眉間を正確に鉛玉が貫き、まるで電池が切れた機械のようにピタリと動かなくなった。
一瞬の静寂。これから起こる抗争を汲み取るには十分な猶予だった。
「やりやがった! このクソアマ!!」
二人の大男が罵声を浴びせながら、撃鉄を起こす。
今夜は地下街に、いつもより多くの銃声が鳴り響いた。




