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朝顔師  作者: 五十鈴 りく


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19/28

十九

 それからすぐ。

 一人の男が東吾のもとを訪ねてきた。

 それは忌まわしい、悪夢そのものの形をしていた。


 隙なく整えられた立ち姿。

 手入れされた月代(さかやき)に、僅かの乱れもなく髷が結わえられている。腰に差した大小、その風貌は間違いなく侍のそれである。しかも、それなりの家柄であるとわかる品性がそこはかとなく漂う。


 しかしだ。

 その顔に、東吾は吐き気がした。


 庭先で立ち尽くす東吾と、その後ろ、縁側にいた清江も息を呑んだのがわかった。客人は、脱いだ笠を手にふと穏やかに笑う。


「おぬしが東吾だな。訊かずともわかって当然か。他の誰かであるはずもない」


 東吾は、今、自分がどのようにして立っているのか、よくわからなくなっていた。今にもくずおれそうになるのを、やっとの思いで堪えている。


「おぬしも、私が誰なのか、名乗らずともわかるはずだ」


 わかりたくもない。けれど、知らないととぼけるには似すぎていた。

 男は、東吾と同じ顔をしていた。

 鏡写しとはこのことかと、気分が悪くなる。髪型や着物が違うだけで、それさえそろえてしまえば、当人たちでもない限り、二人の区別はつかぬだろう。


 これが、兄か。

 血を分けた、本当の兄弟。


 東吾の生家、安曇野(あずみの)家の嫡男。

 名は――風雅(ふうが)


 声も出せず愕然としている東吾に構わず、風雅は(いびつ)な朝顔に囲まれた庭で笑いかける。


「勝手に入ってすまぬ。庭を覗いたらおぬしの姿が見えたものだから。――声をかけるべきか迷ったのだ。けれど、やはりこうして話してみたかった。私は、ずっとおぬしに会いたかったのだ」


 会いたかったと、風雅は屈託なく言う。

 東吾は――会いたくなどなかった。


 己は不要とばかりに、養子に出された身なのだ。それに引き換え、兄は嫡男として生家に残され、大切にされて育った。


 同じ日に、同じ(はら)から生まれた二人。けれど、その値打ちは天と地ほども違う。

 血の気が失せた。ただひたすらに気分が悪い。

 それでも、東吾は確かめた。無言のまま風雅に近づき、右袖の下を暴く。


「っ――」


 にこやかであった風雅は、その時になって初めて顔をしかめた。東吾が腕をつかんだせいで傷が痛んだのだろう。風雅の右腕には白い布が巻かれていた。


「やはりか」


 東吾はそう独り言つ。

 時折、身に覚えのないところが痛むことが、幼い頃からあった。けれど、その理由(わけ)は常にわからなかった。ただ、漠然とした予感だけがあった。東吾ではなく、兄に何かが起こっているのではないかと。


 生まれる前までは、互いは半身であったかもしれない。

 けれど、生まれ落ちた後は別なのだ。遠く離れた互いは別人だ。事実、今の今まで顔を見たこともなかった。言葉を交わしたこともなかった。赤の他人ほどには遠い二人であったはずなのだ。


 それでも、どこかで繋がっていると、逃れられぬ呪いのようにして時折やってくる痛みや不調が、東吾は忌まわしくて仕方がなかった。そんなものを共有したいはずがない。兄は兄で、己は己なのだ。


 必要とされた子と、不要とされた子。同じのはずがない。同じであるわけがない。

 風雅は東吾につかまれたまま、息をついた。


「よくわかったな」


 自然に振る舞っていた。怪しいところもなく、風雅は怪我を覚られると思っていなかったようだ。

 何故、東吾がそれに気づいたのかは言いたくなかった。


「刀傷か?」


 短く問うと、風雅は苦々しく眉根を寄せてうなずいた。


「少々不覚を取った」


 何があったのかは知らない。訊こうとも思わない。

 ただ、そんな怪我をしたのなら、一人でふらつくべきではない。これでも、安曇野家の跡取りなのだ。何かあってはいけないだろうに。


 東吾では、風雅の代わりにはならない。同じ顔をし、血を分けたとはいえ、育ちが違う。生家に愛着もない。風雅に何かあっても東吾は生家になど行きたくもないのだ。


「――そんな怪我をしている時に、(なに)(ゆえ)にここへ来た? 何をしに?」


 自分でも驚くほど、声が冷え冷えとしている。

 生き別れた兄なのだ。離れ離れになり、今こうして初めて会った。それでも、東吾は嬉しくない。会いたいとは思っていなかったのだから。

 風雅は、見るからに善良な男だった。そんな東吾にも気分を害することなく静かに言った。


「弟に会ってみたかった。本当は、もっと早くに来たかったのだが」


 どうしてそんなにも素直に会いたかったと言えるのだか、東吾にはわからなかった。双児は、特に武家では忌み嫌われる。東吾は、生まれてはいけなかったのだ。


 大事に育てられた風雅は、それをわかっていないようだ。

 ただ単に、弟が養子に出されたとしか思っていない。兄弟がそばにいない風雅は、離れて暮らす弟が何を思い、どう生きているのかなど、本当の意味では理解できない。


「俺は――」


 東吾はうつむいた。目の前の兄を直視していられなかった。否応なしに事実を突きつけてくる兄の風貌を目に入れたくない。

 うつむいたまま、喉の奥から声を絞り出す。


「俺は、会いたいと思ったことなど一度もない」


 似ているのだとは思っていた。それでも、こんなにも同じ顔をしているとまでは知らなかった。

 会ってみて、いいことなどひとつもない。

 互いに離れたままでよかったのだ。わざわざ目の前に現れたりしないでほしかった。

 そうしたら、こんなにひどいことを言わずに済むのだ。


「俺には義弟(おとうと)しかおらぬ。安曇野の家との縁は、とっくの昔に切れておる」


 しかし、風雅は怒らなかった。身じろぎひとつせず、穏やかに、顔を見ずとも苦笑しているのが伝わるのだった。


「そうだな、それを言われると何も返せぬよ。けれど、母上はおぬしを気にせぬ日はなかったし、父上とて好き好んで手放したわけでもなかろう。それをおぬしに申しても言い訳にしかならぬのが苦しいところだが、私はそれでもおぬしに会えてよかった」


 清廉な兄に、己は少しも似ていない。似ているのは姿形だけだ。

 それを改めて知った。きっと、何ひとつ敵わないのだ。


「東吾」


 声も似ているのだろうか。

 似ていないような気がする。

 似ていてほしくない。


 優しい声で風雅は言った。


「私とおぬしはよく似ておる。だから、くれぐれも気をつけるようにな。〈天狗〉に攫われるでないぞ」


 天狗に攫われるとは、一体なんのことだ。天狗隠しに遭うほど、東吾は幼くもない。

 それとも、風雅から見て東吾は子供のような半人前であると言いたいのだろうか。東吾もああ言った手前、その言葉の意味をとても訊けなかった。


 きびすを返し、風のように身を翻して去った兄。

 幻であればいいと思った。あれが東吾の見た夢であればいい。


 振り返ると、縁側にいた清江は、何か泣き出しそうな目をしていた。それは東吾があまりにも情けない顔をしているせいかもしれなかった。

 ぼそり、と東吾の口から声が漏れた。


「俺は畜生(ちくしょう)(ばら)でな。それ故に幼い頃にすぐ養子に出されたのだ」


 不吉とされる、二人の児。

 その片割れは、いてはならぬものなのだ。


 その場で亡き者にされなかっただけで温情に感謝すべきなのだろう。少なくとも、よいところへ養子に出された。大事にされて過ごした。

 だから、恨んでいるわけではない。


 それでも、自らの手に負えぬところで生まれを咎とされても、すんなりと呑み下すことはできない。

 ならばせめて、忘れていたかった。考えずに生きていたかった。

 会いになど、来てほしくなかったものを。


 自嘲するような東吾の物言いに、清江も何を返していいのか困ったようだ。胸元で襟を握り、一度唇を結ぶと、それから覚悟を決めたようにして言った。


「わたしを助けてくださったのは東吾様でございます。お顔がどれほど似ていらしたとしても、東吾様はただお一人だけ。わたしは、他の誰でもなく東吾様にのみ恩を感じております。――そんなことをわたしが申しましても、なんの足しにもならないかもしれませんが」


 清江なりに、東吾の傷に触れぬよう、やんわりと包み込もうとしてくれている。その心遣いを感じた。

 だから、東吾は少しだけ笑い、つぶやいた。


 ありがとう、と。

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