楓の森に君と鹿と
体育館裏には何本もの楓の木が生えていて、色鮮やかな紅葉がまるで絨毯のように降り積もっていた。
なんだかどこかで見たことがあるような気がする。
そんなことをぼんやりと思っていたぼくの隣で苛立った様子の川原が聞いてきた。
「おい。高見は?」
怒気をはらんだ川原の声は耳ではなく頭に響く。
「さっ、さぁ」
声はどうしても震えてしまう。
川原はそんなぼくの震えを確かめるように肩に手を回し強く締め付けてきた。
ぼくは心の奥底で奇跡を祈った。
例えば生徒指導の中村先生が近くを通りかからないだろうか。それか急に雨が降ってきて高見さんどころではなくなるとか……贅沢を言ってしまえばもう川原が高見さんのことを許してくれたらいいのに。
無理だろうか。もう全てをバラしてしまおうか……。
その時見張りをしていた川原の取り巻きの一人が声を上げた。
「誰か来た!」
その声に驚いたのだろうか、近くの木に止まっていたカラスが一羽飛び立った。
そんなカラスと入れ違うように現れたのは黒髪でポニーテールを結んだ女の子。高見さんの友達で美術部の白石さんだった。
「どうしてここに?」
ぼくは白石さんの元に駆け寄り小声で聞いた。
「放課後に呼び出しの定番かなと思ってチラッと覗いてみただけなんだけどまさか本当にいるなんて……男子ってマジでそういう発想しか出来ないんだね」
白石さんは呆れたように言う。
いや、ぼくが聞きたいのはそうじゃなくて……。
「おい江藤! 俺たちが呼んで来いって言ったのは白石じゃなくて高見だっつうの!」
川原が遠くから叫んできた。
「いや、ぼくが白石さんを呼んだ訳じゃないんだけど……」
そんなぼくと川原の会話に白石さんが割って入ってきた。
「ねぇ、詩織のこと呼び出したのってどうせ恵に頼まれたんでしょ?」
詩織とは高見さんの下の名前だ。
「あぁ?」
川原が不機嫌そうに返す。
「だったら詩織じゃなくて私でいいよ。恵が本当に嫌ってるのは私だから。だけど私のことが怖いから詩織を虐めて間接的に私に嫌がらせしようとしてるの。そうでしょ?」
白石の言葉に川原は何も答えない。沈黙が答えだった。
しばらく無言の間が空いた後、白石さんはパンと手を打ち「はい、じゃあそういう訳でお終い。私残るし、江藤くん帰っていいよ」とぼくの方を見てそう言ったあと続けて言った。
「小説書かないといけないんでしょ?」
不意に出た小説という単語に「えっ、なんでそれを?」と思わず声を上げてしまった。
「詩織が言ってた。今日教室で江藤君がわざわざ今夜も小説更新するからって声かけてくれたって」
にこりともせず白石さんはそう言った。
そう。今日、ぼくは確かに川原に発破を掛けられたあと、高見さんの席へわざわざ小説の事だけを言いに行った。
それが自分なりのけじめのつけ方だった。何やってんだろうとも思った。だけどそうでも言わないと決心がつかないような気がしていたのだ。
「ダサいし、凄いおめでたいよね。自己陶酔してる感じもあるし……何も言わずにここまで来たっていいのに」
白石さんは呆れたように言う。
女子に目の前でダサいと言われると流石にくるものがあったがその後白石さんは「まぁ、詩織は楽しみにしてたけど」と言って唇の端を小さく歪めた。
もしかしたら笑いかけてくれたのかもしれない。
そんなことを考えていると川原が僕らの方へ向けて叫んできた。
「もういいや! おい江藤! 白石連れてこい! それでチャラにしてやるよ!」
川原はそう言いながら一歩ずつ歩み寄ってくる。苛立っている川原が一歩近づいてくるたびにその体は実際の大きさ以上に大きく見えた。
「……だってさ。私を差し出せばあっちに戻れるみたいよ?」
白石さんはさして怯えた様子もなく、ぼくを試すような目で見てくる。意地の悪いことにわざわざおあつらえ向きに手まで差し出してきた。
「これが最後のチャンスだよ。もうこれを逃したらずっとシカトされっぱなしになっちゃうよ? 辛かったんでしょ? 死にたくなるほど苦しかったんでしょ?」
川原が「おい江藤!」とまた叫ぶ。思わず体が竦んだその時、白石さんはぼくにだけ聞こえるように言ってきた。
「ねぇ、どうする? 鹿くん」
振り向くとそこには今度こそ間違いなく笑っている白石さんが居た。首を傾げ上目遣いでこちらをじっと見つめ悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
紅葉が一枚目の前に舞い降りる。
このシチュエーションってまんまいつかの夜に調べた十月札の絵柄じゃないか。
紅葉舞い散るこの場所で後ろを見つめる一匹の鹿。
ぼくはあれは群れの仲間から目を逸らしそっぽを向いているんだと感じた。
だけど今ふと思う。
あれはひょっとしたら振り向いた先に仲間がいたのかもしれない。あの鹿は独りじゃなかったのかもしれない。死のうなんてこれっぽっちも考えていなかったのかもしれない。
だからぼくはあの札を綺麗だと感じたのかもしれない。
気付けばぼくは叫んでいた。
「うるさい! 川原! お前らなんて……こっちからシカトしてやる! 二度と話しかけてくるな!」
背中で白石さんが「あはっ、いいね」と笑った声がした。
ぼくの言葉に完全に切れた様子の川原は「てめぇ! マジでぶっ殺してやる!」と息を巻いて走ってきた。
もう何も怖くない。
ぼくは白石さんを守るように川原の前に立ち塞がった。
川原は拳を大きく振り上げる。
鈍い音が辺りに響いた。
————夜、角のぶつかり合う音が楓の森の中に鈍く響いた。
一瞬の静寂の後、やがてカバラはゆっくりと地面へと倒れ込んだ。
鹿はふらつく身体をなんとか必死で保ちながら後ろで見守っていたターシャの元へ歩み寄っていった。
だが、やがて鹿もどさりと地面に倒れ込んでしまった。
木から飛び降りたターシャは鹿の元へ駆け寄り「ねぇ! 嘘! 嫌だ! ねぇ! 鹿くん!」と真ん丸な瞳からポロポロと大粒の涙を零した。
ターシャの涙が染み込んだ鹿の栗色の毛皮を秋風が撫でる。
「お願い! 死なないで! ねぇ!」
ターシャの叫びに呼応するように倒れ込んでいた鹿の目が開いた。
「鹿くん!」
「……死ぬわけないだろ」
鹿はそう言ってゆっくりと立ち上がる。
「明日も綺麗な場所を探しに行くんだから」
ターシャは鹿の言葉に何度も頷く。
「この森で一番綺麗な場所を探しに行こう……ずっと一緒に……」
噛み締めるように鹿は呟いた。
鹿の首元にターシャは抱きつく。
そんな二匹に楓の森はまるで手向けとでも言うように赤や黄色の色鮮やかな紅葉をいつまでもいつまでも舞い降らせた。————
やっと終わった。
いつか考えていた最終回は結局お蔵入りのまま、ついさっき思いつくままにようやく書き上げた。
こうしてみると随分格好つけてしまったようにも思う。
例えば鹿とカバラの戦闘シーン。これはまんま今日の放課後にあった川原との喧嘩をモチーフにしているが実際はそんな大したものではなかった。
こちらに向かって走ってくる川原の前に無我夢中で飛び出したところ、ぼくの頭がちょうど川原の顎に当たりそのまま川原は倒れてしまった。そして、かく言うぼくだって地面に伏せ痛みに悶絶していた。
結局騒ぎを聞きつけ先生がやって来たのでぼくも川原軍団も散り散りに逃走しなし崩し的に終わった。
一方、白石さんはというと「怖かったです」なんてちゃっかり先生に助けを求めていた。なんというか本当に敵わない。不思議な人だと思う。いつもあったアクセスログの二件の内の一件は白石さんのものだったのだろう。今夜の更新分も読んでくれるだろうか。いつか感想をくれるかもしれない、いや無いかな、それは。
高見さんは何と言ってくれるだろう。予め言っておいたのだから今夜こそ感想を送ってくれるだろう。
何といっても最終回だ。ぼくも力が入った。自信満々の箇所しかない。
特に最後の鹿のセリフが良いじゃないか。
『この森で一番綺麗な場所を探しに行こう……ずっと一緒に……』
ずっと、一緒に……ってなんだかこれじゃあ告白してるみたいじゃないか?
途端に顔が赤くなる。
いや、これはあくまで鹿とターシャの物語なんだから……でもターシャのモデルが高見さんだってことはどう考えたって分かる訳だし……いや……でも……それにそういう意味だって本当は込めてるとか込めてないとか……。
あぁ、やっぱり回りくどくて面倒臭い奴だよなぁ。
そんなことを思い、窓から覗く夜空に向けてぼくは笑った。
雑学を種に百篇の話を投稿しようと頑張っています。
『雑学百話シリーズ』
https://ncode.syosetu.com/s5776f/
本稿関連作
『雑学百夜 私が烏しか描かない理由』https://ncode.syosetu.com/n4490gd/
『雑学百夜 自殺するサル』https://ncode.syosetu.com/n7593gh/
最後までお付き合い頂き本当にありがとうございました。