夜に気付く
その夜、更新するのには少し勇気がいった。
————夜、鹿は小さな猿と出会った。
子猿は自分の名をターシャだと名乗った。
初対面だというのにターシャは人……いや鹿懐っこく、行く先についてきては「何してるの? 教えて! 教えて!」と無邪気に話しかけてきた。
「ぼくは死ぬんだ。邪魔をしないでくれないか」
鹿はそう言うもターシャは首を傾げる。
「どうしてどうして? どうして死ぬの?」
「群れの仲間から見放されたんだ。もうぼくはたった一匹で誰からも必要とされていないからもう死んでしまおうと思ってね。なぁ、後生だから放っておいてくれないか? ぼくはこの森の中で一番綺麗な場所で死にたいんだ」
鹿の言葉にターシャは少し考え込んだあと、何やら思い出したように言ってきた。
「鹿くん、それならちょうどいい場所を知ってるよ。とっても綺麗な場所なんだ。案内してあげる! ついてきて!」
そう言うとターシャは近くの楡の木をスルスルと登り枝から枝に飛び移りながら「こっちこっち!」と手招く。
鹿は少し戸惑いながらも他に行く当てもないのでついていく。
夜の森を鹿とターシャは連れ立って歩く。
その間、樹上からターシャは取るに足らない他愛もないようなことを話しかけてくる。
「君の好きなものはなに?」「その角はどこまで伸びるの?」「ねぇ、鹿くんはカラスさんのこと知ってる? 彼女ってとっても優しいんだよ」
鹿が答えようと答えまいとターシャは呆れるほどよく喋りよく笑った。
鹿は歩いた。歩きに歩いた。
やがて、ふと気付く。周りが明るい。
夜空が白んできている。
いつまで歩くのだろう? ふと鹿が思ったその時、樹上のターシャが申し訳なさそうに声を掛けてきた。
「鹿くん、ごめんね」
「え?」
鹿が見上げると、ターシャは気まずそうに「迷っちゃった」と言い、笑った。
「確かこっちだと思ったんだけどなぁ~いや~おかしいなぁ~」
そんな風にゴニョニョと呟きながらターシャは鹿の目の前に飛び降りてくる。
呆気にとられる鹿にターシャは「お詫びにこれ集めたんだ! 一緒に食べよう!」と言い両手いっぱいの木の実を差し出してきた。
「バカにするな!」と怒鳴ってもよかった。「どうして邪魔をする」と泣いてもよかった。
だけど夜通し歩いていた鹿はとにかくお腹が空いていたのでただ力なく頷くのみだった。
ターシャと木の実を食べながら鹿は考えていた。
こいつは本当に道に迷ったのだろうか?
そんな鹿の心の内を知ってか知らずかターシャは美味しそうに木の実を頬張りながら言う。
「明日こそ、この森で一番綺麗な場所に一緒に行こうね」
いつの間に昇っていた朝陽がそんなターシャの悪戯っぽい笑みを眩しいほどに赤く照らし上げた————
高見さんのアカウント名でもあるターシャとはフィリピンに実在する世界最小級のメガネザルらしい。
この前「私、この子が一番好きなの」と少し懐かしそうな笑顔で高見さんは教えてくれた。
だからついつい高見さんに喜んでもらうだけの為に今回新キャラを登場させてしまった。
少し悪戯好きな子どもっぽいイメージを高見さんは気に入ってくれるだろうか?
この先、鹿はターシャと暫く旅をするなんてどうだろう? 綺麗な場所を見つけるもターシャの悪戯に邪魔され悉く死ねない……高見さんはなんて反応をしてくれるだろうか?
夜の11時、何度更新しても通知は0。アクセスログは1のまま変わらない。
いつもならもうコメントしてくれているはずの時間なのに。
高見さんはもう寝てしまったのだろうか。それともコメントの送信ボタンを押すのを忘れてしまっているのかもしれない。機械音痴の高見さんならあり得る。
刻々と時間は過ぎる中、ぼくは幾つも幾つも高見さんの反応がない理由を考えた。それこそ小説を書くときよりよっぽどアイデアは浮かんだ。
暗闇の中でスマホの青い光が情けないぼくの顔を照らし続ける。
高見さんの返事を待つ夜が更けていくほど、胸の中にふと降り積もる想いがあった。
格好悪い。
ぼくは何を浮かれているのだろう。
この鹿はただ死ねばいいだけなのに。紅葉舞い散る森の中、この鹿は独りで死ぬ。それで終わりの物語なのに。
それなのにぼくは高見さんに出会ってしまった。
世界から消え去っていくぼくを高見さんだけが見つけてくれた。
ぼくは甘えてしまっている。
高見さんはたまたま僕を見つけてくれただけなのに。その聖母のような優しさでただ気まぐれに声を掛けてくれただけなのに。
ぼくはまた見つけて欲しい。
ターシャみたいに澄んだ丸い目でぼくを見つけて笑いかけて欲しい。
もう一度言ってほしい。
「小説、面白かったよ」
ただそれだけでいい。それだけでいいのに、夜は刻々と過ぎていく。
高見さんにバレてしまったのかもしれない。高見さんに返事を貰いたいんだってことが、ぼくは結局構ってもらいたがり屋で回りくどいとっても面倒臭い性格なんだってことが今回の更新で伝わってしまったのかもしれない。
ぼくは高見さんにも嫌われてしまったのだろうか。
高見さんからもシカトされたらこんなにも独り。
ぼくはなんだかいつにもまして何だか全てが嫌になっていった。
更新ボタンをタップし過ぎて指紋の跡がべっとりとこびりついたスマホを放り出し布団を頭まで被る。
明日の更新で鹿はもう殺してしまおう。
眠れない夜、布団の中で最終回だけが紡がれていく。