ターシャとの出会い
本稿からは『雑学百夜 自殺するサル』https://ncode.syosetu.com/n7593gh/ や 『雑学百夜 私が烏しか描かない理由』https://ncode.syosetu.com/n4490gd/ を読んで頂くとスムーズかもしれません。
翌日の放課後、学校の図書室に向かい動物図鑑を探した。
これから物語を書いていく上である程度鹿についても知っておこうと思ったのだ。
だがいくら所定の棚の所を探しても見つからない。図鑑は貸出禁止なので無い筈はないのに。
ひょっとして今誰かが読んでいる?
そう思い読書スペースの方をちらりと覗くと1人だけ何やら動物図鑑を熱心に読む女子がいた。
あれは……同じクラスの高見さんだ。高見詩織。長い黒髪と丸い眼鏡以外には取り立てて特徴のない地味な女子。
今まで特に親しかった訳じゃない。だけど実は前から気にはなっていた。別に恋愛的な意味じゃなくて。
「高見さん、その動物図鑑……」
ぼくがそう声を掛けると高見さんは椅子から飛び跳ねるように驚いた後
「えっ!! あっ、江藤君! ももも、もしかしてこの図鑑読む? いいよ! ごごご、ごめんね!」
と言って図鑑を差し出してきた。
これなのだ。前から気になっていた理由というのは。
いや別に嘘みたいな慌てっぷりや死ぬほど噛み倒すところが気になっていたわけじゃなくて。
高見さんは唯一ぼくのことをシカトしないクラスメイトなのだ。
というかどちらかと言えば高見さんも皆からシカトされている。ぼくほど明確な悪意を向けられている訳ではないが、元々口数の少ない高見さんにわざわざ話しかける様な奴はいない。時たま暇を持て余した男子が高見さんの丸い眼鏡を指し「メガネザル~」と意地悪を言うが高見さんはただ顔を真っ赤に俯くだけなのでぼくが言うのも変な話だが弄り甲斐が無いタイプのクラスメイトなのだ。だからまぁシカトされるようになるのもある意味必然だったのかもしれない。
「いやいや。高見さん読んでたんでしょ? 悪いし、また読み終わったら貸して欲しいなって思っただけだから」
ぼくがそう言ってかぶりを振っても、高見さんは「いやいや、私、本当にいつもこれ読んでるから! だだだ、大丈夫だよ」と言って譲らない。
結局、高見さんはぼくに図鑑を貸してくれた。
「ありがとう……ごめん」
ぼくの言葉に高見さんは小さく笑い返してきたあと「江藤君は何か好きな動物いるの?」と聞いてきた。
なんだかこうやって2人で話すと感じるが高見さんは変わった。
何がというのは分からないが昔より少し明るくなった。
ある時期の高見さんはいつも何かに怯えていた。だけどこの夏を境になんだか雰囲気が変わったのだ。何かあったのだろうか?
それにしても、ふと思う。
久し振りに誰かと喋った。
こんなにも屈託のない笑顔を向けられたのはいつぶりだろう。
ぼくは途端に怖くなった。
こんな優しい笑顔を汚したくない、そう思ったのだ。
「……高見さん、ぼくなんかと話してて大丈夫?」
そんなぼくの言葉に高見さんは元々丸い目をさらに丸くした。
「えっ? どうして?」
鈍いなぁ。ぼくは思わず漏れそうになった溜息を堪える。
「いや……ぼくなんかと話してたら川原とかクラスの奴に目を付けられるから……高見さんまでターゲットになっちゃうからさ。図鑑は本当に助かったよ。だから、ごめん。ありがとう……」
そう言って去ろうとした時、高見さんは後ろで「えー何それ?」と素っ頓狂な声を上げた。
「何それって……ほら、ぼくっていまクラスでシカトされてるでしょ? って、あんまりそんなこと言わさないで欲しいんだけど……」
「江藤君、そんなことされてたの? みんな酷いね……」
「……知らなかったの?」
「うん。だって私もクラスの人と殆ど話さないから」
そう言って高見さんは照れくさそうに笑った。
笑うところ?
ぼくが応えあぐねていると、高見はコホンと咳払いした後、俺を真っ直ぐ見てきて言った。
『世の中最低な奴らばっかりなんだし、シカトしとけば?』
高見さんらしからぬ低く冷たい声。
「今の瞳ちゃんの真似なんだけど似てた?」
高見さんはそう言って屈託なく笑う。
「瞳?」
「うん! 白石瞳ちゃん」
「……あぁ、あの隣のクラスで美術部の?」
「そうそう!」
高見さんはそう言って嬉しそうに笑った。
白石瞳は隣のクラスの同級生だ。美術部に所属していて市や全国の美術大会で何度も賞を獲っている。ちなみに絵の題材はカラスばかりで少し尖った芸術肌タイプ。絵の才能と引き換えに愛嬌とかその他諸々を捨て去ってしまっているような変わった女子だ。この前表彰されたのは何故かたまたま人物画だったらしいけど。
「こうやって腕を組んでさ、心底呆れたように言っているイメージね」
1人で何やら試行錯誤しながら高見さんはクスクスと笑っている。
偏屈な白石さんと目の前の高見さんが友達というのもあまりイメージが湧かないが、まぁこの様子からすると本当に仲は良いのだろう。
「ごめん。ぼくはあまり分からないや」
そう言うと高見さんは「そっかぁ。本当似てるんだよ?」と笑ったあとふと真面目な顔になり言った。
「そういう訳だし、別にみんなが江藤君の事どう思っていようと私には関係ないかな」
高見さんの顔がふと緩む。
その横顔に夕陽が差す。赤く赤く高見の笑顔を照らし上げる。
俺の胸に火が灯った。別に恋愛的な意味じゃない。それよりも寧ろ、自分への不甲斐なさとか悔しさとかそういう感情が昂る。
僕をシカトしないでいてくれる目の前のこの人に何か言いたい。
ありがとう? それともごめん?
……ダメだ。久しく誰とも話したことが無さ過ぎてこんな時にパッと言葉が浮かばない。
ぼくが言葉を探しあぐねていると高見さんは笑顔のまま続けて聞いてきた。
「ねぇ、それよりさ。江藤君は何か好きな動物いるの?」
俺の胸中なんてまるで知らないといった様子だ。
「好き……いや、好きというかちょっとシカについて調べたくてさ」
「シカ? いいね! 私も好きだよ。調べたいってなんで?」
高見の顔がぐっと近づく。
「いやっ、いや……なんでっていうかさ……」
「うん」
誰にも言ったことが無かった。小説を書いているなんて。
だってそれはもう裸を見られるより恥ずかしい。俺がこんな小さなことに悩んだり悔やんだりしているんだってことはどんなに上手に修飾したつもりでも文章の端々から絶対にばれてしまう。
格好悪い奴だと思われたくない。
だけど、なんとなく……高見さんなら良いかとも思えた。
ぼくの全てを知って欲しいって訳じゃないけど、高見さんなら馬鹿にして笑ったりしないだろうし、何よりこんなに悩んで告白したことを高見は絶対にシカトしたりしないだろうと信じられたのだ。
「シカを主人公にした小説を書こうと思ってて」
ぼくの言葉に高見は目を輝かせてくれた。
「えっ! うそ! すごい!」
「いやいや、マジで全然つまんない話なんだけどさ」
ぼくの自嘲じみた乾いた笑いにも、高見は全力で応えてくれた。
「ねぇ、私それ読んでみたい! いま原稿とかないの? 実はもう書籍化してるとか?」
「んなわけないじゃん。アホみたいにネットにこそこそ上げているだけなんだって」
「ネットかぁ。私そっち方面あんまり疎くて……私の携帯でも読める?」
そう言って高見さんは自分の携帯を差し出してきた。だいぶ古い機種だ。兄弟のおさがりとかだろうか?
「うん。まぁギリギリ読めると思うよ」
「よかったぁ。ねぇ、なんて検索したらいいの?」
高見は無邪気に聞いてきた。
ほんの少し、やはり迷った。
どうしようか? 教えてもいいのだろうか?
悩んだのはほんのつかの間だ。
気付けばぼくは高見の携帯で小説を投稿しているプラットフォームサイトを検索し、ご丁寧に自分のマイページまで開いておいた。
「ここにまぁ多分今夜の九時くらいに第一部はアップされるから」
何だかちょっと格好つけた言い方をしてしまった。後で気付いてふと照れる。
やっちまったと赤くなる頬を隠しながら、ぼくは高見さんに携帯を返した。
引かれただろうか? 嫌われただろうか?
そんな不安を吹き飛ばすように高見さんは全力で笑い返してくれた。
「ありがとう! 今日の夜、さっそく読んでみるね!」
高見さんはそう言うとさっと身を翻し「白石さんにも教えてこよーっと」と駆け出した。
「ねぇ! 他の人にはあまり言って欲しくないんだけど!」
高見さんを呼び止めるぼくの声はきっと聞こえなかったんだろう。高見さんはそのまま図書室から出て行ってしまった。
夕焼け色からいつの間にか藍色に染まりゆく部屋の中、ぼくはふぅと息をつく。
「参ったなぁ」
そう独り言ちながら図鑑の鹿のページを開く。
鹿の生態を調べながら、口元はどうしても自然と緩んでしまう。
シカトされるようになってから学校で笑ったのはそれが初めてだったかもしれない。
その日の夜、高見さんとの約束通りぼくは小説を投稿した。
タイトルは『夜に探すしか』
高見さんが読んでくれるかもしれないことを考えるとほんの少しだけ迷ったが物語のストーリーはやはり最初に思いついたままのやつでいくことにした。
————立秋の夜、仲間から嫌われ群れからはぐれた鹿は、この森の中で一番綺麗な場所で死ぬことを決意した。
誰にも見つからないようにその鹿は夜にだけこっそりと森を彷徨い歩いた。
暫く歩いた先にこれまで見たことがないほど綺麗な湖畔を見つけたがその水面に映っていた半月を見て死ぬのを止めた。
「もし満月だったら今夜ここで死んでたのに」
本当にそのつもりだったのか、それとも怖くなり強がっているだけなのか。自分だけが知っているその答えを胸に鹿はまた次の死に場所を探しに夜の森を歩き始めた—————
なんてところで第一話は終わった。
後、何話で終わるのかは分からない。ただもうラストシーンが決まっているだけの駄文。
あまり好きじゃないあらすじやタグ付けなどの作業をした後は碌に推敲もせず、件のサイトに小説を投稿した。
21:11 約束の時間には概ね間に合ったと言っていいだろう。
ぼくはドロドロに溶けてしまいそうな程熱い風呂に入ったあと、何の気なしにもう一度サイトをチェックすると投稿歴3年にして初めて2件のアクセスログと1件のコメント通知が来ていた。
戸惑いながらその通知をタップすると次のようなコメントが投稿されていた。
『江藤君! 読んだよ! 本当に凄いね!! これからどうなるのか本当に楽しみ! 大変だと思うけど頑張って下さい!! ……あと、明日の学校も頑張ろうね(;'∀') コメント主:ターシャ』
思わず笑ってしまった。多分というか絶対に高見さんだ。疎いとは言っていたけどまさかネットで実名出されるとは思わなかった。ネットリテラシー的にはアウトだと思うが削除するのはやめておいた。まぁどうせ他に誰も見ないだろう。
高見さんのアカウント名も気になる。ターシャとは何なのだろう。また明日、それこそ学校で聞いたら教えてくれるだろうか。
そんなことを考えながら人生初の作品に対するコメントにぼくはどうしてもニヤケが収まらなかった。
やっぱりシカトされるより反応があった方がそれは嬉しい。
だけど、同時にふと高見さんのコメントの一部が気になった。
『これからどうなるのか本当に楽しみ!』
高見さんはハッピーエンドを想像しているのかもしれない。
そう考えると、ぼくは何だか急に悲しくなって、寂しくなって、この世界に独りきりになってしまったようなそんな気がして、持っていたスマホを投げ出してそのままベッドで泥のように眠った。