シカトという言葉の語源
ぼくはいま世界から消え去っていく。
なんてね。
つまらなそうな空笑いが教室の窓から吹く秋風に乗ってどこか遠くへ飛んでいく。
こんな回りくどくて、うざったい言い回しが誰かの気に障ったんだろう。
冒頭で格好つけて言ってみたが、何のことはない。ぼくはいま皆からシカトされているだけだ。
中学二年生。イジメ。噂には聞いていた。だがまさか自分が標的になるなんて思いもしていなかった。
ある日を境に急にシカトが始まった。
ついこの前まで「江藤、江藤」と名前を呼んでくれたクラスメイトは今はもう目すら合わせてくれなくなってしまった。宿題用のプリントを回す時もいつもぼくだけ飛ばされる。
何故こんなことになったのか、それを教えてくれる人さえいない。というより本当はもうみんな何でぼくをシカトすることにしたのか覚えてすらいないんじゃないだろうか?
多分最初はクラスの不良格である川原あたりが面白半分で始めたんだろう。クラスのみんなも脅され嫌々乗っかったんだと思う。
だけど乗っかっているうちにみんなも楽しくなってきたらしい。いつの間にか当の川原は飽きているのにまるで音楽の鳴りやまないメリーゴーランドのようにゆるやかにだらりと今日の今日までシカトは続いている。
殴ったり、物を隠したりするイジメと違ってシカトっていうのは本当に良く出来ている。されているぼくが認めるのも悔しいけど言ってしまえばコスパに優れたイジメだ。コストという罪悪感はそれほど感じないし、パフォーマンスという相手への嫌がらせとしては十二分だ。当事者が言うんだから間違いない。
あぁ、そうなんだ。シカトって本当死ぬほど辛い。
初めのうちこそ、むしろうざい奴らと縁切れて清々したなんて強がっていたが、やっぱり、どうして辛い。寂しい。
「おはよう」ずっと何気なく言っていた。だけどシカトされるようになってぼくは初めてその言葉の本当の意味を知る。
ぼくは「おはよう」って言って欲しくて「おはよう」って言っていたんだ。
ぼくは「またね」って返して欲しくて「またね」と手を振っていた。
そして最低だけどSNSで送った「元気?」とか「大丈夫?」っていうのも本当は相手を心配していたんじゃなくて「君は?」って返して欲しくて送ったメッセージだった。
シカトが続けば続くほど自分の弱さに気付く。ぼくはこんなにも嫌な奴だったのかと反吐が出る。
そう思うと、初めに考えていたことも殊更に的外れという訳でもないのかもしれない。
存在が世界から消え去っている、とまでは言わなくても世界から消え去ってしまっていい存在という言い方には変えられるのかもしれない。
……あぁ、だから回りくどくてうざいんだってば。やっぱりさ、こんな嫌な奴なんてこの世界に要らないでしょ?
どうしてぼくがこんな目に合わないといけないんだ。
大人はよく「相談しろ」と言う。
だけど相談すれば解決することなの?
親や教師が無視をするなと叱り皆がぼくを見てくれるようになったとしてそれは本当にシカトしてないと言えるのだろうか。
『シカト なぜ?』
家で独り藁にも縋る思いでこっそり調べた夜もある。スマホの検索画面にそのワードを打ち込んでいる時は涙が出るほど悔しかったのに、その検索結果にぼくは思わず笑ってしまった。
検索方法が悪かったんだろうし、自分がいじめられている理由をネットで調べるという発想自体が間違っていたのだろうけど、ネットで出たのはまさかのシカトという言葉そのものの語源だった。
『シカトという言葉の語源は花札。花札の十月札に描かれた鹿がそっぽを向いていることから無視することを賭博師の間で「しかとう(鹿十)」と言い、それがやがて一般に広く使われるようになった』らしい。
サイトにはご丁寧に件の札の画像も貼ってある。
花札をしたことはないけど漫画とかでなんとなく見たことはあった。
紅葉の葉が舞い散る森の中で一匹の鹿が横を向いている絵。
あまり芸術がどうとかは分からないけど和風の情緒溢れるその絵は憎むべきシカトの象徴にしては皮肉な程に綺麗だと感じた。
その時、ぼくの頭にはある1つの物語が思い浮かんだ。
————この鹿はもう死のうとしているのだ。うざったい群れの仲間から遠く離れ、この森の中で死に場所を探している。道中でうさぎや小鳥から引き留められるもそんな彼らの声をシカトしてこの鹿は紅葉舞い散る森の中で一番綺麗な場所で死ぬことが出来た————
なんて取るに足らない下らない物語が思い浮かんだ。
あぁ、結構いいかも。
ぼくには寂しい趣味がある。
つまらないどうでもいいような趣味だ。
ぼくは時たま思いついたときに、ネットに小説を投稿している。
別に何か特別表現したいことがある訳じゃない。誰かに強烈に伝えたいメッセージがある訳じゃない。
ただ物語を書いている間だけ現実を忘れられる。主人公に感情移入しながら物語を紡ぐ内に何だか生まれ変わったような気持ちになれるのが中々どうして一度味わうと癖になる。
ある時はゲームが大好きな医療事務員、ある時は祖母に茶道を習うOLやまるでやる気のない天使の物語を書いてみたりした。
特別文章力がある訳でもない中学二年生の駄文だ。誰が読むわけでもない。アクセスが0なのは茶飯事だったが別にそれで構わなかった
小説を書こう。世界でたったひとりの小説家になろう。
そうすればぼくはシカトのいじめを受けている中学生から、一瞬にして自殺しようともがく鹿になれる。
生まれ変わったと言えるほど中身が変わったのかどうかは疑問だけど。
そんなことを思いながらぼくは先ずスマホのメモアプリに最初の一行を書きだした