一話
彼方に聞こえる爆音と獣声、荒々しい波にも聞こえるその合間に混ざる人の絶叫と雄叫び。
舞い散る火花は紅蓮の空に昇って灰となって戻ってくる、立ち昇る戦火と黒煙は勢いを増すばかり。
少年は、廃墟と化した建造物の屋上からその景色を見下ろしていた。
年の頃は5歳ほどだろうか、伸び放題の黒い髪、垢だらけの皮膚、剥がれた爪、その身なりはお世辞にも良いとは言えない。だが、それでも廃墟の中で燃えカスとなった人物達よりはマシだろう。
虚ろな瞳には炎の紅が映り、身に纏ったぼろきれの布と、長い髪が爆風に流れる。
視線の先に映るのは、人々を襲う魔物共とそれを操り、生き残った者達を捕らえて高笑いする人。
逃げなければ、と。心では分かっていても身体を動かす気力も、体力も残ってはいない。
一応、魔術砲撃で焼かれたここに人が来るまではまだまだ時間はあるだろうが、それでも少年が逃げ出すには時間が足りないだろう。
座り込む事すらせず、無感情に無関心に眼下の景色を眺め続けていると、後ろから声を掛けられた。
「逃げねえのか?」
「・・・?」
振り返り、少年が首を傾げる。まるで何を言っているのか分からないという風に。
「だから、逃げないのかって言ってんだよ」
「・・・」
「言葉、分からねえのか」
声を掛けてきたのは男性だった。
大柄な、少年三人分はあろうかという程の体躯にオールバックにした黒髪。火のついたタバコを咥えるのがやけに似合う。
「・・・どうしたらいいですか」
ポツリと少年が言葉を漏らすと、男性は「知らねえよ」と、タバコを吐き捨てた。
「お前の人生だ、野垂れ死ぬもよし、復讐するもよし、全て忘れて別の国で生きていくのも、それはそれでいいだろ」
「少なくとも、俺はそう生きてきた」、そう言って男性は新たなタバコに火をつける。
すると、
「おい、生き残りを見つけたぞ!」
そんな声が聞こえて、気がつけば廃墟の周りにはこの国に攻め入ってきた隣国の兵士と、彼らの操る魔物が集まっていた。
どうやら、外部から建物を壊そうとしているらしい。
「ふん、おい小僧、運が良かったな」
ニヤリと、不敵に男性は笑う。
そして、腰に吊るした鞘から一振りの刀を引き抜いた。
それは途轍もなく美しい業物だった。
精緻な意匠の施された柄、漆塗りの艶めく鞘のいずれにも目がいかない程に、ゾッとする程美しい刀身。
濡羽を思わせる漆黒の刃は、見ているだけで魅入られそうだった。
「助けてやるよ」
そこから先は虐殺だった。
飛び降りた男性が魔物と人、合わせて数百はいたであろう軍勢を返り血一つ浴びる事なく殺していく。
そして、数分で終わったそれを見終わった時には少年の人生は決まっていた。
全てが終わった。
その日、戦争を仕掛けた国と仕掛けられた国、その二つともが地図から消えた。
原因は言うまでもなく、少年の目の前に立つたった一人の剣士だった。
結局、廃墟に集まった軍勢を倒した後、町から出るまでの過程で彼は全ての敵兵と魔物を殺してしまったのだ。
「で、これからどうすんだ?」
男性は尋ねる。
そして、少年の返事はもう決まっていた。
「剣を教えて欲しい」
この物語はそれから十年後から始まる。
☆
砂を踏みしめ、一歩を踏み出す。
炎天下、汗すらも蒸発する程の暑さの行軍は最早、地獄の様相を呈していた。
「暑い・・・」
「暑いって言うな、もっと暑くなる」
「あなたも暑いって言っている」
ウダウダと愚痴りながら歩く二人組、その片割れのアレンは水筒を取り出して少量の水を口に含む。
「後、どれくらいあるんだ?」
「ウルヴィンから出てちょうど4日だから、そろそろ着いてもおかしくは無い」
「4日?もう5日ぐらい歩いてないか?」
「4日、日が昇って降りた回数も数えられないの?」
「あ?」
「何?」
二人の精神状態は非常によろしくなかった。
先の見えない砂漠、強すぎる日差し、更には時折ある魔物の襲撃。
幾重にも重なった悪条件は、着実に二人の精神を蝕んでいた。
「あーあ、お前が氷菓子を食いたいって言わなきゃ、態々ウルヴィンから砂漠越えする必要も無かったのにな」
「貴方も食べたでしょ、それに、私は提案した。ウルヴィンから砂漠越えするより、アルスの森を遠回りした方が良いと」
「時間掛かるだろ!」
「でも、こんな苦しくない」
溜まりに溜まったお互いの不満が爆発する。
お互いに頭ではどちらも悪くない、ないしはどちらも悪いと分かっていても、悪環境に削られた理性では飲み込めなかった。
そんな二人だったが。
「ん、これは」
「アレン、気づいた?」
魔物とは違う、人工的な視線に見られている事に気づく。
二人して顔を寄せ合って、互いの肩越しに周囲を警戒する。
「盗賊?」
「砂漠の商人狙いだろうな」
二人して話し合って、頷きあう。
そこにあったのは、先程までのすれ違いが嘘のような意見の合致だった。
「着いたな、ハレーマルシェ」
「良かった」
「へ、へへ。それは良かったでさあ。じゃ、俺たちはこれで」
二人にヘコヘコと頭を下げるのは、厳つい顔に二本傷の入った男性。アレン達を襲おうとしていた盗賊達の頭領だ。
自分達を襲おうとしていた盗賊を襲うという、画期的な案を思いついた二人は、盗賊団を逆に襲撃し、その盗賊達に街案内をさせたのだった。
「取り敢えず飯食おう。腹減ったし喉乾いた」
「え、先に宿行きたい。体綺麗にしたい」
「マジかよ、しょうがねえ。じゃあ先に宿行こうぜ」
「やった。アレン愛してる」
「俺も愛してるぜ、ニア」
先程まで極限状態だった二人はやたらとハイテンションだった。
宿を探す為の足も自然と早くなる。
「しかし、流石は港湾商業都市だな。これまでの街より人の数が凄え」
「王都の方もこれくらいだった」
「そうか?じゃあ活気の問題かね」
ハレーマルシェは沿岸部に発展した巨大な都市であるため、人通りはかなり多い。
特に、人々の行き交う商店通りは活気に溢れていて、実際の数以上に体感は多く感じる。
どれぐらいかというと、潮風に混じる人の体臭や、香水の香り、屋台の料理の匂い、それと会話に、客引き、宣伝が相まって、耳も鼻もまともに効かない程だ。
「街外れの方まで行かないと宿屋無いっぽいな」
何とか街の広場まで来た二人は貰った街のマップを二人して覗き込む。
そこに記されてる通りなら、この辺りには宿屋は無いようだった。
「めんどくさい」
「ま、そう言うなって、砂漠に比べりゃマシでしょ」
「百理ある」
「だろ」
大分遅くなった足取りで再び移動を開始する。
人通りの多い場所を通る必要が無いのは二人にとって救いだったが、それでも広いこの街の真ん中から、外れまでは割と遠い。
これで宿屋が空いてないとなったら再び喧嘩になりそうだ、とアレンが何となしに考えていると。
「そこの二人、止まってください」
背後から声を掛けられた。
それも、口調からして穏やかではなさそうな感じに。
「はい?」
二人して振り返れば、そこに居たのは二人と同年代の少女がいた。白いケープを羽織り、軍帽を頭に乗せている。
キリッとした瞳と、背後で纏められたブロンドヘアが生真面目そうな印象を感じさせる。
「少し、お時間いいですか?」
「無理」
少女が尋ねたのに被せるようにアレンが口を開く。そして。
「こちとら砂漠越えで疲れてんだよ。もう二日は飯食ってねえの」
「その通り、お風呂にも四日も入っていない。さっさとお風呂行きたいから無理」
「え、ごめんなさい」
「分かってるならいいよ。じゃあね」
「さようなら」
「って、待ってください!ああもう、勝手に行かないで!?」
「ちっ、しつこいな。走るぞニア」
「分かってる」
走り出すアレン達。念の為後ろを振り返って先ほどの人物が追いかけてきていないかを確認するが。
「あれ?」
「どうしたの?」
そこに人影は無かった。
忽然と姿を消してしまっていたのだ。
一体どこに?というアレンの疑問はすぐに答えが出る。
「待って下さい」
「っと、速いね」
「むっ、中々やるね」
少女はアレン達の行く先で待っていた。
呆れたように腰に手をつきながらため息を吐いている。
「そんなにお時間は取らせませんから、お願いします」
「・・・しゃあねえ。受けるか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・分かった」
大変不満そうだったが、ニアの中で目の前の少女から逃げるよりは、大人しく話を聞いた方が早く宿屋に行けるという結論が出たようだった。
「・・・成る程、そういう訳ですか」
調書を取り終えた少女、リーナ・エッセンヴァインは二人の供述にため息を吐いた。
少女と少年、それぞれニアとアレンと名乗った彼らにリーナが聞いた内容は、最近、砂漠の方で噂となっていた盗賊団との関係だったが、その答えが余りにも斜め上すぎた為だ。
「えーと、この場合はどういった処置をするべきなんでしょうかね?追い剥ぎから、追い剥ぎ、した訳では無いですし、脅迫?って訳でも無くて、道案内を強制?うーん、真実を聞こうにも相手は盗賊団ですし・・・まあ、大目に見ましょう」
リーナが二人を見やる。
どちらとも特徴的な二人だった。
片方はこの辺では見かけない黒髪、黒目、それに少女じみた美しい容姿を持った少年。
もう片方も同様にこの辺りでは見られない銀の髪と瞳を持ち、少年の容姿とはまた違う整った、どちらかというと神秘性を感じさせる顔立ちをしている。
「もう行ってもいい?」
我慢出来ないとばかりに立ち上がったニア、イライラしているのが傍目にもわかる。
まあ、リーナ自身も四日もシャワーを浴びれずにいればストレスが溜まって仕方が無いのでわからない訳では無い。
「あー、そうですね。聞いた感じ、彼らと繋がりも無さそうですし、お時間取らせてしまってすいません。お詫びと言ってはなんですが良かったら、お風呂なら私の泊まっているところのものを使っても良いですよ」
「それは助かるけど、いいのか?」
「ええ、それに宿屋のある所は殆どご飯を食べる所がありませんから。この街の人間として観光に来た人には美味しいものを食べて貰いたいですし」
「じゃあ、お言葉に甘えようかな。ニアはそれでもいいか?」
「何でもいいから、お風呂行きたい」
「という訳だ、お願いする」
リーナはクスリと笑って頷いた。