夢なんかじゃなかった
願い虚しく、コレは悪い夢なんかじゃなかった。
次の号で最終回だったあの漫画は読めないし、買ったばかりのゲームは予約特典のパッケージすら開けていない。
仕事の引き継ぎなんて出来てないから、チームを組んでた先輩と後輩は死ぬ思いをしただろう。
俺は死んだし、今は犬。最悪ながらコレは現実だ。
人だった頃の両親の怒号と、姉の罵声が聞こえる気がする。親不孝かつ愚弟で申し訳ない。
近所への落雷で、パソコンがぶっ壊れてたままだったのは不幸中の幸いだった。性癖が身内にバレるとか、死んでも死にきれない。死んでるどころか生まれ変わってるんだけどさ。
それにしても…
犬…犬かぁ…マジかー…。
犬に生まれ変わって、良いことってあるのだろうか?全然思いつかない。イケメンなんてことは言いません。希望を言うなら人間で、出来ることなら女が良かったなぁ。
欲をかくならカワイイか美人な女。もうさ、最強じゃん?見栄えの良い女。同じ遺伝子とは思えない程に美形寄りだったかつての姉は、最強にして最凶。男を色んな意味でちぎっては投げ、ちぎっては投げ…姉と比べれば平凡どころか、平々々で凡々々な俺は、あんなだったら人生愉しかろうと何度思ったことか…
「どうした?腹でも痛いのか??」
頭上から男の声。一気に現実逃避から引き戻された。
俺が犬で、産まれてすぐに側に居るって事は、男は飼い主かブリーダーだろうか?とりあえず、野良犬じゃなかっただけ幸運と思おう。俺はワイルドでタフな質ではないから、野に放たれたら死ぬ自信がある!犬とはいえ、せっかく生まれ変わったのに、すぐに死んでしまうのもどうかと思うし、飼い犬で良かった。うん。
「コレが当代ですか?随分とお可愛らしくなってまぁ…」
子ども?女?さっきとは違う声だ。
「代替わりを見るのは初めてだったか。コイツらはいつもこうでな。そのかわり、育てば先の代の様になる。性格やら得意なことは変わってしまうがの」
「まぁ。左様でございますか…健やかにご成長なされませ?」
細い指に撫でられる。話の意味は分からないが、悪徳ブリーダーとか、無責任飼い主とは違うようだからどうでもいい。虐待はされなそうだ。俺は珍しい犬種なんだろうか?
「キャウっ、ワっ、ウゥっ」
鳴き声は仔犬らしく甲高く、自分が小型犬なのか、中型なのか、大型なのか判別が出来ない。
「あら?お返事なさったのでしょうか?」
「どうかのぉ。先の代よりは従順だと楽なんじゃがなぁ。まぁ、どんな質であろうがケルベロスはケルベロス。期待はするだけ無駄かもしれぬなぁ?」
…ケ?
ケルベロスなんて犬種が作られたのだろうか?犬に詳しいわけじゃないけれど、聞いたことがない。俺の知ってるケルベロスって言えば、アキバが舞台の昔のアニメで、毎回のように悪役のおねーちゃんに召喚?される機械仕掛けの「地獄の番犬ケルベロス」。又は、ゲームやラノベに登場する、頭が三つある犬だが、うっすら見える目に二つの頭は映らない。ぐりぐりと頭や耳を撫でられながら、俺はイタイ犬種名だなと呆れ果てた。
翌朝、俺はイタイのは犬種名だけではなかったと思い知る。
柔らかい光を感じて反射的に目を開けると、デカイ窓とその前に佇む人が見えた。
朝日の中、キラキラと艶のある真っ赤な長髪が反射している。腰どころかケツまで届きそうなさらっさらのストレートヘアの持ち主は、肩幅からして、男だ。
その真っ赤な髪から、黒くて捩れた角が生えている。着ている衣装は黒づくめ。
…昔懐かしいビジュアルバンド?
「む?おお、起きたか。」
俺に気付いて発した声は、昨日の男の声だった。
わぁ…俺の暫定飼い主あんなだったんだ…
俺が人であったなら、きっと引きつった笑みを浮かべているに違いない。平凡に没個性な日本人だった頃の俺にとって、男は完全に異文化圏の姿だった。パンク系というよりは、ゴシック系?中世ヨーロッパ貴族風なデザインの服装。しかも日本人的平坦な顔ではなく、彫りの深い西洋イケメン。すらっとしたモデル体型で、股下とかどんだけあんの?って感じだ。かつての俺にイケメン外国人やコスプレイヤーの友達が居たのなら珍しくもなかったかもしれないが、残念ながら居なかった為、些か引いてしまった。
いやいや、見た目でアリナシ判定しちゃいかんよな。
俺にとっては異文化だけど、ど派手な髪色も服装も、角でさえも似合うんだし、驚く俺が失礼なのだろう。趣味に口出しするのは野暮だ。自分がされて嫌なことをしてはいけない。
「よしよし、目が見えるようになったな」
金色の瞳を優しげに細めて俺を撫でる。言葉遣いが変だけど、時代劇か何かで日本語を学んだのだろうか?
…あれ?犬って、生まれてすぐに目が見える様になるんだっけ?飼ったことがないのでよく分からないけれど、次の日にもう見えるなんておかしくないか?そういう犬種を作った?ここは未来なんだろうか?
「どれ、腹は空いたか?朝餉とするかの」
困惑する俺を余所に、暫定飼い主が誰かに朝食の準備を命じている。すぐさま食欲をそそる香りが漂ってくる。
パンの焼ける甘い香り。ベーコン、チーズ、紅茶の香り。青っぽいサラダの匂いは、ドレッシングの酸っぱい香りと入り混じっている。スープはコンソメ風の香りを漂わせている。
内容としては、俺にも馴染み深いファミレスの朝食セットだが、それらを運んで来るのはファミレスの店員ではない。所謂、メイドさんだ。ヒラヒラした市販のコスセットやメイド喫茶的なヤツではなく、丈の長い、可愛さとかそういうものを重視していない、職業メイド的な服の皆さんだ。
その皆さんがだ、異文化どころではない。
舌の根も乾かぬうちに…とかってレベルじゃないんだ。もうさ、コレは仕方ないって。俺じゃなくても思うって。
はっきりとは分からないので、俺の知識でメイド服な皆さんの顔を表現するならば、次のようになる。
一人目。アルマジロトカゲ。
二人目。リャマ。
三人目。フェネック。
似てるとかじゃなくてね?硬質の皮膚や毛皮なわけですよ。瞬きの感じや、耳の動きからして、被り物ではなく本物の首。その下は、出るとこ出て引っ込むところ引っ込んでる人間の女性。特殊メイク…とは思えない。
異文化というか、未知の人類?てか人でいいのか?