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東京府魔女奇譚  作者: 矢州宮 墨
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襲撃、そして深淵の娘:Ⅱ/襲撃

まだ続きます。

 じめじめとした空気と不快な暑さで目を覚ました。ここ数日、雨が続いているせいだ。備え付けの冷房のタイマー機能を使えば良かったのだけど、勝手についたり消えたりされるのは好きじゃない。隣を見るとガレットのベッドはもぬけの殻だった。

 ガレットというのは私のただ一人の弟子で、私は魔術師だ。と言っても私は魔術を生業にしているわけではないので魔術使いと言ったほうがふさわしいかもしれない。そしてガレットは私の弟子ということになっているけど、実際そっち方面のことを教えたことはほとんどない。なぜなら魔術は、私の理解の範疇において教えようと思って教えられるものでもないからだ。せいぜいそれに関する知識を、単なる知識として教えるくらいが限界だろう。


 私の本業は古書店の店主であり、ガレットはその従業員である。私は魔術という、いわば超能力のような特殊技能を持っているわけだが、それを使う機会はあまり無い。もちろん目立つ形でそれを使うことなど全く無い。そんなわけで、異質な存在でありながらこの東京という街に溶け込めている。まあこの街自体がそういうものに寛容な空気を持っているのだけど。なにせ最盛期に比べて人が減ったので、どこもかしこも中途半端に人口密度が低い。しかも個人主義的な雰囲気が高いせいで地域社会のようなものはごく一部の区域にしか存在しない。私自身、近隣住民の顔とかいちいち覚えていないし、隣の家に人が住んでいるかどうかさえよく分からない。

 とにかく都市構造に対して人が少ないのだ。それは十年前の戦争の後、首都機能が京都に移転したのがおおよその原因である。私がここに来たのもおよそ十年前のことで、この近辺に関して言えばその頃にはすでに今のような状態になっていたと思う。


 さて、まず私は台所に向かい、喉の渇きを癒やした。次にやるべきことといえばメールのチェックだ。いろいろなところから古書を売買するのが主な仕事で、時には新しくどこかから仕入れてくることもある。だが仕事のほとんどはメールと宅配便で片がつく。電話をしてくるようなせっかちな客は居ないし、店を直接尋ねてくる客も居ない。たまたま迷い込んできたのも今のところガレットだけだ。それでも生活が成り立つのは厄介事と同時に舞い込む臨時収入のおかげだったりする。

 半ば倉庫と化した古書店スペースに足を踏み入れると、珍しくガレットが掃除をしていた。

「あ、師匠。おはよーです」

「おはようガレット。掃除なんて珍しいじゃないの」

「このところサボってましたからね……と言うか師匠、こっちまで出てくるときは服着てください」

「だってこの方が涼しいんだもん」

どのみち窓の分厚いカーテンのおかげで外からは見えないのである。

 今日も今日とて平和で退屈な一日が始まると思っていた。だがその予想は覆されたのだ。事の始まりは一本の電話だった。


◇◇◇◇◇


 午後二時。外は曇り空である。私は暑さと湿気から逃れるため古書店スペースで作業をしている。カタカタとキーを打つ音、そして旧式のエアコンの稼働音が響く、静かな昼下がりだ。

「ししょー、またネット散歩ですか」

「うん? 何か言ったかな?」

「はぁ……」

ガレットがため息をついたまさにその瞬間、店の電話が鳴った。

「おや、電話なんて珍しいですね師匠! 電話! 電話鳴ってますよ師匠!」

はよう出ておくれガレットちゃん。

「あ、もしやこれ私が出るやつですか。こほん、もしもし。こちら『ヴァネッサの不思議な古書店』ですが」

「おいこら、そんなトンチキな店名にした覚えはないぞ」

「はいはい、いま代わりますよー」

一体誰が電話なんて……と思いつつガレットから受話器を受け取る。

「もしもしー」

『ヴァネッサ……久しぶりだな』

威圧的な口調とは対象的な、可憐な少女の声。聞き違えるはずもない、間違いなく『彼女』だ。もう少しやわらかい口調にすればいいのに、といつも思う。

「あら、オフィーリアじゃないの。久しぶり。元気にやってる?」

『まあな。それよりも大事な話だ』

知っている。彼女はそういう要件でなければわざわざ電話などしてこないのだ。

『この電話が通じるということはまだ東京に住んでいるな』

「そうよー。もし引っ越すときは連絡くらいするし」

『では悪い知らせだ。実は近頃、東京に魔術師殺しが現れた』

「魔術師殺し?」

『ああ。魔術師を見境なしに殺しまくっている。まったく迷惑な話だ』

「わーお、魔術師って意外とたくさんいるのね。それで、殺されないように逃げろってこと?」

『いや、もし出くわしたら返り討ちにしてくれ。正直こっちとしても奴の存在は迷惑だ』

「簡単に言ってくれるけど、それ私が勝てる相手なの? 知っての通り、実戦経験あんまりないんですけど」

『奴からは逃げるほうが難しいかもな。方法は分からないが、奴は魔術師を見分けることができるらしい。だからお前にたどり着くのも時間の問題だろう。こっちの方でも対策は検討中だが、あいにく極東に回せる人員は少なくてな』

「要するに、もし遭遇したらやりあうしかないってことね。了解」

『それじゃあな……ああ、そうそう』

彼女はそこで言葉を切ると、

『奴を仕留めたら報酬を出そう』

と聞き捨てならない台詞を残して電話を切った。やはり臨時収入は厄介事とセットのようだ。

「ねえ師匠、今のは誰なんです?」

「昔の知り合いさ」


 オフィーリア・エッジワース。魔術師。少女の見た目をしているが実年齢は不明。何年経ってもまるで外見が変わらないのだ。螺旋塔という、魔術を管理するための組織に所属しているらしい。私とはちょっとした縁があって、昔は色々と助けてもらった。

「ははぁ、なるほど。そう言うの何ていうんでしたっけ……なんとかロリ……いや、ロリなんとか?」

「さーて、ちょっと偵察してくるわ」

「スルーですか、師匠」

「もちろん」

「それよりその、報酬にはかなり期待できるって話でしたけど……大丈夫なんですか?」

「大丈夫って、何がよ」

「魔術師殺しですよ。なんだかすっごく強そうじゃないですかー」

「心配ないわよ、あなたは魔術師じゃないんだから」

「違いますよー……もう。師匠の心配をしてるんです」

徐々に小さくなる声。ちょっと沈黙。こんな時はどんな言葉を返せばよいのだろう。伝えるべき言葉を持たないまま、何度も発話しようとし、そして躊躇した。

「えっと、秘密兵器があるから、きっと大丈夫、だと思う……あはは」

曖昧な返答と共に、私はガレットからそっと目を逸らし、まるで逃げるように地下の倉庫に向かった。


◇◇◇◇◇


「それじゃ、行ってくるから。留守番よろしくね、ガレット」

師匠はそう言って出かけてしまった。ちょっと買い物に行くかのような軽い口調。こういう荒事には慣れているのかな、師匠は。思えば、師匠と出会ってからまだ一月ほどしか経っていない。互いに深く知っているわけでもないし、ましてや愛し合っているわけでもない。だけどやっぱり心配になってしまうのだ。

 そういえば師匠、緑に輝くペンダントをしていた。初めて見たけど、あれが秘密兵器なんだろうか。


◇◇◇◇◇


 東京府月露市月露町、私たちが住んでいる町だ。そしてここは千年公園という、この町には不釣り合いな都市公園だ。しかもここ数年は環境整備されていないらしく、庭園など一部の場所は立入禁止になっている。

「本当にこんな寂れたところに居るっていうの?」

公園の入口で立ち止まり、私はペンダントの緑の宝石に……いや、形態変化したスライムに話しかける。

「間違いない。こんな強烈な気配はおそらくそいつだろうよ」

「でもなんでこんなところに?」

あたりを見渡しても人影はない。

「気をつけろよ。相手はわざわざこんな場所をねぐらにしてるわけじゃない。待ち伏せされてると考えたほうがいい」

「なるほどね、じゃあ出来る限り警戒して進みますか」

一呼吸して、私は公園に足を踏み入れた。

 突然、どこからか声が響く。

「そっちから出向いてくるとは驚いたわ。まずはじめに言っておくと、あなたはここから出られない。この結界は、入るものは拒まず出るものは逃さない。だから大人しく殺されなさい」

「随分好戦的なのね……ってあら?」

いつの間にか、10メートルほど先に金髪の女性が立っていた。遠目でもわかるスタイルの良さ。そして真紅の上着。実に派手、そして攻撃的な雰囲気をまとっている。

「へぇ、意外と落ち着いてるんだ。これから殺されるっていうのに、怖くないの?」

女が笑う。

「ここで死ぬつもりはないから。どうやらあなたが“魔術師殺し”に間違いないみたいね。で、なんでそんなことしてるの? 復讐とか?」

逆鱗に触れたら困るなぁ、なんて思いつつも訊いてしまう。逃げるにせよ倒すにせよ、せめて理由くらいは聞いておきたいのだ。

「復讐? そんなくだらない理由じゃない。強いて言うならそうね……衝動。いいえ、欲望と言ったほうが正しいかな。とにかくそうしないと気がすまないの。ま、あなたみたいな油断しまくってる奴には分からないでしょうけど……」

嫌な予感がした。否、そんな生易しいものではない。これが殺意ってやつなのかは分からないけど、これはマズい。

 彼女の周囲に膨大な魔力が集中する。私はとっさに飛び退いた。尋常ならざる閃光、圧倒的熱量を持ったそれは、おそらく炎だ。眼前にそれが現れたのはまさにその一瞬のことだった。間違いなく魔術による攻撃だ。どうにか着地したものの、どういうわけか私はバランスを崩して座り込んでしまった。直後、左腕に激痛が走った。

 あまりの痛みに私は叫んだのかもしれなかった。地面をのたうち回ったのかもしれなかった。どちらにせよ意識が混乱している。

「さぞかし痛いでしょう。なにせあなたの片腕はもう燃え尽きているのだから」

女の声でなんとか意識を取り戻す。その時ちょうど、左腕が視界に入った。……二の腕から先がない。ああ、道理で痛いわけだ。

「躱したと、思ったんだけどな……」

「並の魔術師ならさっきので仕留めていたわ。今、楽にしてあげる」

ああ、またあの一撃が来る。今度こそ死を覚悟したとき、腕の痛みが全身に広がった。骨が軋み、筋肉がねじれるような感覚。

「―――――――――――――」

声にならない叫び。明滅する視界。知覚のすべてが命を否定する。あらゆる苦痛、生きることの苦しみが体内で渦巻くが如く。時間と空間が融け合い、記憶のフラッシュバックが無秩序に起こる。

「そんな……腕が、“再生している”?」

彼女がそう言った直後、永遠に続くかと思われた痛みが唐突に消えた。

 とにかく形勢逆転するには今しかない。私の反応速度では躱しきれない以上、先手を打つしか方法はないのだ。「行け」と心で念じながら、ペンダントの宝石を……緑に輝く宝石をつかむ。【空間転移】、それは対象を任意の場所に転送する魔術。これくらいの大きさなら、術式の発動は一瞬だ。対象は宝石、転送先は敵の足元。

瞬く間に、宝石は敵の足元に移動した。直後、宝石に擬態したスライムが牙を剥く。

「くっ……化物め!」

擬態を解いたスライムが彼女の足元から一気に展開し、彼女をすっぽりと覆い隠したのだ。おそらくこれで動きは封じたはず。あとはスライムに生命力を吸わせれば無力化できよう。そうしたらオフィーリアに引き渡せる。突然襲われたとはいえ、彼女の命を奪うことは私にはできない。だから私はこのままオフィーリアに渡そうと考えたのだ。

 しかし、そう上手くはいかなかったのだ。


 スライムはすぐに私のもとへ戻ってきた。彼女が居た場所にはもう誰も居ない。なんの痕跡もないのだ。

「悪い、逃げられた。空間転移系の魔術だと思うが……」

スライムの声を遮るように、どこからか彼女の声がする。

「その通り。なかなか賢い下僕を持ってるみたいね。どうやらあなた、まともな人間じゃなさそうだし、殺すにはそれなりの手段を探さなきゃ。私の名前はラムダ・ラビノウィッツ。いつかあなたを殺す者の名よ。せいぜい覚えておくことね」

それっきり彼女の声は聞こえなくなった。どうやら難を逃れることができたらしい。だがそれより問題なのは左腕だ。恐る恐る視線を下げると、そこには失ったはずの左腕が完全な形で存在していた。試しに軽く動かしてみても全く違和感がない。

「ねえ、これどうなってるの? 私の体、再生能力が高いっていうのは知ってたけど……さすがに度を越しているっていうか……。もしかして、あいつの攻撃は幻だったのかしら?」

「いや、あれは本物さ。お前さんの体については、俺も詳しいことは知らんさ。だが奴の魔術をまともに食らっていたら死んでいただろうよ」

「そうよね、そこまで人間離れしてるわけじゃないわよね」

自分は人間なのだと自身に言い聞かせるように呟いた。

「たぶんな。さあ、いつまでもへたり込んでないで帰ろうぜ」

「ええ……あれ? なんか腰が抜けちゃったみたい」

「とりあえず深呼吸でもして落ち着け。お前さんはこういう事には慣れてないんだ。ビビって当然さ。でもどうして今回はこんな積極的に出向いてきたんだ? 前にもオフィーリアから懸賞金絡みのネタは来てたってのに。なんで今回に限って……」

「うーん、なんでかな……。やっぱりガレットをこういうことに巻き込みたくないから、かな?」

自分でも意外なことを口走った。でもそれはきっと正しい理由なのだろう。

「そうかい。お前さんもずいぶん人間らしくなったもんだな」

「どういう意味よそれ。ほら、それにあれで家ごと焼かれたら困るじゃない」

「それもそうか。だがこうなるといよいよ危険だな。あの家はあくまでただの家に過ぎん。いっそこの騒動が収まるまで屋敷の方に避難するか?」

「それは却下ね。この街を離れたくないもの。家には結界を貼ってなんとかしましょう。さ、帰るわよ」


◇◇◇◇◇


 帰路、私は魔術師殺し……ラムダについて考えていた。彼女の行いにどんな意味があるのだろうかと。魔術師であれ何であれ、それ以前には人であるわけで、人殺しがいいことだとは思わない。

彼女は復讐が理由ではないと言っていた。でも私には彼女が憎しみのような感情に取り憑かれているように思えてならない。

「もっと楽しい生き方もあると思うんだけどなぁ……」

「誰もがお前みたいな道楽者じゃないってことだな」

「そうなのかなぁ。ってあんたも人のこと言えないでしょうよ」

そんなやり取りをしつつ家に向かう。

 大通りから路地へ。どんどん細い道へ向かう。ふと、視界の橋に違和感があった。普段ならそのまま通り過ぎている分かれ道。足を止め覗き込むと、そこには人が倒れていた。生きていくだけなら困らないこのご時世、行き倒れは珍しいなんてものじゃない。どう考えても何かあるに違いなく、基本的にそういうのは放っておくか警察に連れて行くに限る。


 しかし私はその行き倒れを家に連れて帰るのであった。


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