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東京府魔女奇譚  作者: 矢州宮 墨
4/9

襲撃、そして深淵の娘:Ⅰ/瓦礫と炎

第4話です。

 瓦礫の下、視界に入るものすべてが炎に包まれていた。今まで暮らしてきた施設は地獄へと姿を変えたのだ。いつから居たのかは分からない。少なくとも物心がつく頃には既にここで暮らしていたと思う。これまでの二十一年間、私は施設の外に出ることはなかった。生活のすべてがこの施設の中で完結していた。

 炎と黒煙がすぐそこまで迫っている。山奥に隔離されたこの施設では外部からの助けはあてにならない。おそらく私の人生はここで終わる……この隔絶された世界とともに。だんだんと意識が薄れてくる。もう手足は動かない。いずれ炎に身を焼かれるだろう。

 どうしてこんな事になったのか、見当すらつかない。ただ一つ確かなのは、昨日までは私の日常がそこにあったということだけ。それが突然崩壊した。私は目を閉じ、死の天使が私の魂を連れ去るその瞬間を待つことにした。


 紅蓮の炎がすべてを飲み込んでいく。建物も人も思い出も、炎の前では薪にすぎない。研究者、先生、友達と呼べる数人の人々……。彼らの顔が浮かんでは消えていく。


◇◇◇◇◇


 目が覚めるとそこは病院らしきベッドの上だった。部屋には私一人。信じられないが、私はまだ生きているらしい。ベッドに寝ているという今の状況を理解するまでにひどく時間がかかった気がする。実際にはどのくらいの時を混乱した状態で過ごしていたのだろう。

 ようやく冷静になった頃、体を動かしてみようかと思ったがやめておいた。自分の体がどうなっているか、不安で仕方がなかったのだ。部屋に看護師が入ってきたが、私を見るとすぐに出て行ってしまった。一体何が起きたのか、今はとにかくそれが知りたかった。なぜ施設が崩壊したのか。そしてあの地獄めいた場所で焼け死んでいるはずの私がなぜここにいるのか。それから身体の状態についても知る必要がある。


 看護師は医者を連れてすぐに戻ってきた。

「やあ、目を覚ましてくれてなによりだ。ああ、キミは戻っててくれ」

医者は早々に看護師を下がらせた。

「さてと、まず始めに言っておくと僕は例の施設について大体知っている。だからそのあたりの隠し事はしなくていい。場合によっては僕のほうが詳しいってこともある」

感情を伴わない声が淡々と続く。

「キミはあの“山火事”によって瀕死の重傷を負った。あの規模の火災だ、普通なら死んでいただろう。現にキミ以外の人間は一人残らず焼死していた。あの施設は君も知っての通り……と、そうだ。キミ、記憶はあるかい? 自分の名前はわかるかね?」

「……ラムダ・ラビノウィッツ。記憶はなくなっていないと思う」

言葉を発するのに少々手間取ったが、声自体はまるで異常がない。喉が焼けなかったのか、それとも完治するまで眠り続けていたのか。炎に囲まれたあの状況から考えれば、どちらにせよ奇跡的なことだろう。

「ふむ、よろしい。本筋に戻ろう。あの施設は魔術を研究し、人工的に魔術師を生み出すためにあった。ある機関が研究のために使っていた施設であり、機関の本部とも呼べる場所だ。一方、この病院は一般的な病院を装っているが実際は例の施設を補佐する役目を持っていた。そんなわけで捜索隊がこの病院から派遣された。第一目標はもちろん生存者を探すためなんだが、ついでに隠蔽工作も兼ねていた。機関やあの施設に関することは秘匿しなければならないからね」


 医者の話はおおよそ理解できた。私自身、あの施設が何なのかは大体知っていたからだ。話を聞いているうちに炎の記憶がフラッシュバックしていた。それと同時に、何か激しい感情が心に湧き上がってくるのを感じていた。だがそれが何なのかは分からない。怒りでも憎しみでもない。ましてや悲しみでもないのだ。もちろん生還した喜びでもないし、実を言うと自分が生きているということを信じきれていない。

「ああ、大体はわかった。で、私がここにいる理由は?」

思わず、乱雑な口調になった。

「おや、なにか機嫌を損ねることを言ってしまったかな。すまないが嘘や方便は苦手でね。僕は事実を述べるだけだよ。捜索隊が目にしたのは瓦礫の山とたくさんの焼死体。その中で彼らはキミを見つけた。キミはまさしく瀕死の状態でね、一見すると他の人達と見分けがつかないほどだった。生きているのが不思議なくらいだ。表皮はほとんど焼けていたし、腹部は崩壊した瓦礫に押しつぶされていた。片腕も切断されていたしね。ところがどういうわけか……」

医者はそこで言葉を切り、私の体にかかっていた掛け布団を捲り上げた。一瞬、心臓が止まるかと思った。そこに変わり果てた肉体があるのではないかと、無意識に恐れていたのだろう。

「キミはひとりでに再生した」


 体に欠けている部分はない。両腕も揃っているし、触ってみた感じ腹部も潰れたりはしていない。見る限りではまるで問題ない。驚くべきことに無傷だ。

「もちろんこっちでできる処置はしたが、それにしてもキミの再生能力は異常だ。なにせ火傷の痕すらないんだからね。あとで確認してみるといい。さてここからが問題だ。例の施設で調査されたキミの記録を見たんだが、キミは魔術的素質がまるで無かったらしいね。生まれつき術式を持っているわけでもないし、許容量も平凡だった。唯一変わっていたのは、他人の魔術によって加工された魔力を部分的に吸収できるということだけだ」

自分の性能についてはよく知っていた。魔力の吸収は他人にはない能力だった。だが部分的にしか吸収できないため、誰かに魔術で攻撃されたとしてそれを無効化するには至らない。つまり何の役にも立たない能力だった。

「僕が思うに、施設の崩壊によって様々な魔術装置が壊れ、そこから加工された魔力が流出した。あるいは施設の職員が事態解決のために魔術で最後の抵抗をしたのかもしれない。何にせよ、結果的にはキミに大量の魔力が流入した。そしてキミは魔術的に“進化”したというわけだ。あくまで推測に過ぎないが、魔術的な何かが関与しているのは間違いない。キミが寝てる間に色々と測定してみたが、キャパシティ、つまり術式行使における魔力変換の許容量が凄まじく上昇していた。かつてあの施設にいた誰よりも高い性能だ」

長々とした説明。理解することはできたが実感が伴わない。すべてが他人事のように感じられる。

「説明はそれで終わり?」

「現状のキミについての話はこれで終わりだ。そしてこれからの事なんだが」

医者は壁にかけられていたカレンダーを見ながら続けた。

「そうだな、あと一週間くらいは入院していてもらおうかな。キミの肉体は完全に治癒したわけだが、かれこれ二週間もここで寝たきりになっていたからね。リハビリが必要だ」


◇◇◇◇◇


 はじめの一週間は何も考えずリハビリに専念していた。いや、むしろ何も考えたくなかったが故のことなのだ。夜眠るたびにあの炎が蘇る。医者や看護師が言うにはそれは珍しくないことで、あの火災のショックによって心が傷ついているのが原因らしい。

 しかし私は、恐怖や悲しみといった感情とは別の激しい心の猛りを感じていた。怒りや憎悪とも違う心の炎。日に日にそれは強くなり、やがて具体的な指向性を持つようになった。

「……つまりキミは、他の魔術師を全員斃(たお)したいと? なぜそう思う?」

「そんなの分からない。ただそう思ってるだけだし、そうしなきゃいけないような気がするってだけ」

医者は困惑した様子で腕を組んでいる。

「ああ、それはあれかな、同族嫌悪ってやつなのかもしれないな。心の傷が原因で攻撃的になるってこともある」

それが正しいかどうかは分からないし、どうでもいい。とにかく私はこの衝動に身を任せたくてたまらない。

「ここにもさ、私の他に魔術師がいるでしょ?」

「なぜわかる? ああそうか、伝え忘れたがキミは魔術の波動に敏感になっている。分かりやすく言うなら、魔術師センサーってやつだ。……いや、今のはちょっとわかりにくかったか。ともかくその魔術師は僕の助手だ。手出しするのはやめたまえ」

「わかった」

危険な衝動を抱えているものの、私は恩や忠義にはそれなりの価値観を見出している。恩を仇で返すような真似はできない。

「ああ、それから例の機関だけどね、本部があの通り壊滅したということで解体されたよ。ここもこれからは普通の病院として運営される。キミはここでは一人の入院患者というわけだ……そう、研究対象ではなくてね。だから退院後どうするかはキミの勝手だ。あとこれまでの入院費用も払わなくて結構。その代わり入院中はおとなしくしていてくれたまえ」

考えられる中で最良の条件だ。問題は私の精神。火災の禍々しい炎がそのまま心に宿ったかのような、魔術師に対する破壊衝動。退院するまであと一週間。その間くらいは抑えられると思う。しかし問題はその後だ。

「そうだ、一つだけキミに教えなければいけないことがあった。実はあの施設の崩壊はね、外部の魔術師による破壊工作が原因だったようだ。まあ冷静に考えてみると、魔術的技術を最大限活用して厳重に閉鎖されたあの施設に侵入できるとしたらそれは」

「魔術師以外あり得ないってわけか」

その通り、と医者が笑う。

「僕がこういうことを言うのもおかしな話かもしれないが、キミの衝動は間接的には敵討ちになるのかもしれないね」


◇◇◇◇◇


 今夜も夢であの光景を見ていた。禍々しい炎、炎。もはや過去の記憶ではない。今の心の有り様を示しているが如く、燃え盛る炎。やがてその光景に奇妙な幾何学模様が浮かぶようになった。炎よりなお光り輝くそれは美しく思えた。そしてその事を認識した途端、何か閃いたような感覚。あるいはずっと忘れていたことを思い出したかのような感覚だ。

 夢から覚めたとき、私は幾つかの術式を手に入れていた。

 空間に遍在している魔力を術式に通し、変換することで魔術は発動する。許容量とは言ってみればその変換効率だ。医者の話が正しければ私はとてつもない許容量を手に入れた。そして術式を今手にした。他の魔術師を打倒できるだけの力が揃ったのだ。

 喜んでいいものやら、それすらわからない。自分の感情というものがここまで難解だとは思いもしなかった。他の魔術師を倒すこと、それは悲願でもなんでもない。単なる衝動だ。この衝動の奥底にあるものが何なのか。医者が言うように同族嫌悪なのだろうか。それとも人間が持ってはいけない、おぞましい“何か”なんだろうか。


◇◇◇◇◇


 退院の日がやってきた。この一週間、リハビリは単なる習慣になっていた。私の肉体は医者の見立てより早く正常な動きを取り戻していた。そして結局、あの夢を見ない日はなかった。医者によれば、いつになるか分からないがそのうち解放されるときがくるらしい。定期的なカウンセリングも勧められたが、即座に断った。夢に出てきたあの術式。あの夢と衝動は火災のトラウマではなく、魔術的な変容が原因なのではないだろうか。だとしたら、心の傷が癒えたとしてもあの夢から解放される確証はない。


 変化したのは魔術の素質だけではない。私の心で燃える炎。魔術師への破壊衝動だったそれは、もはや単なる衝動ではなくなっている。他の魔術師を倒すこと、それを実行しなければ心が満たされない。精神の充足といえば聞こえはいいが、実際は別の言葉がふさわしいだろう。例えば欲望とか。

 ああ、私は自分の欲望を満たすためだけに他の魔術師を殺そうとしている。そう思っていることにも、もはや全く抵抗を感じなくなった。まるでそう思っているのが自然な状態であるかのように。抜け殻になった罪悪感は、不気味な歓喜で満たされている。

 きっと私の心はあの火災で燃えてしまったのだ。あの施設で過ごした日々。いずれ思い出と呼べたかもしれない過去の記憶。そのすべてを炎に焼かれてしまったのだ。その炎の中から私は生まれた。かつての私は炎の中で死んだのだ。こうして今ここにいる私は別人だと、そう思わずにはいられなかった。

 今のラムダ・ラビノウィッツは魔術師を殺すための装置になったのだと、そう自分に言い聞かせなければ心の平穏を保つことができなかった。だがそれは表面的なものに過ぎない。波一つない心の水面の下では、欲望という名の、炎を纏った巨獣が眠っているのだから。


◇◇◇◇◇


 魔術師の気配を辿り徘徊する日々。それが私の日常になっていた。

 一人目の魔術師との出会いは運命的だった。その男は魔術師である前に狂人であった。私は襲撃の計画を立てるため、その男を観察していた。まるで探偵にでもなったようだ。男は刹那的に殺人を犯していた。殺しの手段自体は平凡で、魔術を使っているわけはなかった。時には刺殺、時には絞殺といった具合だ。拳銃を使っていたこともあった。男は殺人の隠蔽に魔術を使い、私以外の誰にもそれを知られずに過ごしていた。

 私はその男を人目につかない路地裏に呼び出すと、【焼却】の魔術を使って焼き殺した。あらかじめ魔法陣をセットしておき、男がそこに足を踏み入れた瞬間に起動する。男は全身を炎に包まれ、五秒ほどで灰になった。その瞬間、私の心は歓喜していた。なんという悪逆。だが心は満たされた。次に心が飢えるのがどれほど先かはわからない。しかし飢えたからには満たさねばならないことだけは事実だ。

 そしてその男を殺したことで、私はある魔術――男が隠蔽工作に使っていたもの――を習得していた。殺した相手の魔術を奪う、恐ろしい能力だ。よりによって私のような人間がそんな能力を持っている。この世に神がいるならばそんなことは許されないだろう。

 私はどこまでも救いがない衝動を抱えてしまった。そしてその罪を背負ってしまった時点で、私は救われてはいけない存在になったのだ。


 獲物を求めて今日も街をさまよう。この東京府は私にとって都合がいい。新都である京都は人が多すぎるし、街中を監視システムが覆っている。真っ当な人間が住むにはあれほど清浄で安全な場所はないだろう。だが私のような人間には合わない都市だ。そしてそれは魔術師たちにとっても同じことなのだろう。この東京という街は魔術師の気配が多い。しばらくの間、ここを根城にすることにした。

 結果的にそれは成功だったとも失敗だったとも言える。私でさえ勝てるかどうか分からない、“本物の”魔術師に出会えたのだから。

今回は長いエピソードになったのでこのあたりで区切っておきます。

これ以降も話の長さに応じて分けていく予定です。

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