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東京府魔女奇譚  作者: 矢州宮 墨
3/9

スライム・ラプソディー

第三話です。

 私、ガレットが師匠の使い魔兼弟子になったのは昨日のことだ。そしてそんな私に与えられた、記念すべき最初の仕事に取り組んでいるわけだが……

「この倉庫、広すぎじゃない?」

地下の倉庫の掃除。それが与えられた仕事なのだが、どういうわけかこの建物、地下だけが異様に広い。地下には書庫と工房、そしてこの倉庫がある。倉庫だけでも地上部分と同等の広さを持つ。しかも物が多すぎる。だというのに書庫はここより広いらしい。そのうち書庫の掃除もすることになりそうだ。やれやれと思いつつ、独り言を交えながら掃除を進めていると、どこかから男の声がした。

「おいお嬢ちゃん、独り言にしては声がデカすぎるんじゃねぇの」

恐る恐る、声の方向を見る。……が、誰もいない。どこかに隠れたのだろうか。

「で、出てきてくださいよー……もしくはこのまま永久に消えてください」

不審者とあれば撃退するしかないな、と身構えつつ、声の方向に歩み寄る。

「そう、ここの棚だよ、棚」

再び男の声。棚には大きな瓶が一つ。その中には緑色の半透明な液体がうごめいていた。

 蘇る昨日の記憶。この緑色の液体、すごく見覚えがある。あの時このスライムを踏んづけていなければこうなることもなかったのだろうか。

「やれやれ、やっと気づいてくれたか」

瓶の中で激しく動きながらスライムが話しかけてくる。なんとも奇妙な光景である。

「えーっと、何か用ですか?」

と言うか話せたんですねあなた。

「昨日のことさ。結局ヴァネッサと使い魔の契約を結んだんだろう?」

なるほどその事か。私は昨日の出来事を簡単に説明した。

「壁に穴……なるほど」

何が“なるほど”なんだろう。

「つまりお嬢ちゃんはもう普通の人間ではないということか。見たところ、手に入れたのは人間離れした身体能力だけじゃないな。再生能力、そして不老」

「歳をとらないってこと?」

「いかにも。つまりその貧相な胸が育つ可能性は限りなくゼロに近いということだ。だが安心してほしい、俺は貧乳も好きだぜ」

「全然フォローになってない」

そもそも胸にコンプレックス抱いてないし。

「ところであなたは何者なの? 師匠は使い魔は私が初めてだって言ってたけど」

「俺か? そうさな、都合のいいペットみたいなものだ」

「ペット?」

話すペットとは奇妙な存在だ。しかもスライムだし。少なくとも私はこんな生き物に覚えはない。

「そうさな、ここらで昔話でもするか。ま、仕事の片手間にでも聞いてくれ……」



 それはたぶん五十年以上前のこと。もちろん俺はまだ人のカタチで存在していた。俺はとある魔術系の組織に所属していて、その日も仕事だった。

 螺旋塔、それは魔術の独占を目的とした組織。世界中の魔術師を探し出し、組織の管理下に置くことが目下の目標だ。もちろん手段は選ばない。だから俺のように、破壊に特化した魔術師が厄介事に駆り出されるというわけだ。

「森の中ってのは慣れないもんだな。歩くだけでも疲れる」

本日のターゲットは「森に住む魔女」だ。舞台はヨーロッパの某国で、問題の森ってのはとんでもない田舎だ。手配した車はある程度役立ったが、途中からは車が通れるような道は無くなってしまった。そんなわけで現在徒歩で行軍中。いつも通り部隊は俺一人だからマジで孤独な進軍なのだ。

 だが不安はない。なにせ俺の能力は、化け物揃いの螺旋塔でもトップクラスなのだ……純粋な破壊力に関しては。俺がこの組織に所属しているのは強制されてのことじゃない。一言で言えば金のためなのだ。困ったことに俺は魔術的なこと以外の有象無象に無関心で、それがもとで流転の風来坊のような生活をしていたのだ。そんな生活の最中に組織と出会い、金で雇われることにしたというわけだ。


 【フラクタル・ブラスト】、それはまさしく破壊のためだけに存在する魔術。その魔術による爆発は際限なく増殖し、やがて敵は逃げ場を失う。今までこの魔術だけで仕事を片付けてきた。俺が使える魔術は他にもたくさんあるが、これが一番手っ取り早い。対象が籠城しているなら建物ごと吹き飛ばし(一応の隠蔽工作は組織の他のメンバーに頼んである)、相手が迷彩でも使おうものなら全方位に容赦ない爆発をばらまく。スマートではないが確実な方法だ。たぶん今回もこれで片付くだろう。


 森の中、開けた場所に出た。目の前にはなんともそれっぽい古城。実に美しい。だが交渉が決裂した場合、この城ごと吹き飛ばさなければならないかもしれない。そして悲しいことにほとんどの場合、話し合う余地すらない。

 さてどうやって対象と接触するか、と考えていると、重い音を立てて城の扉が開いた。

「こんな森の奥に何か御用? それとも迷子かしら?」

扉の奥の暗闇から“魔女”が姿を現した。組織からの情報通りのものすごい美人が、微笑みを浮かべている。だがこいつは魔女というより悪魔だ。直感的にそう思った。その笑顔の下に潜んでいるのは、善悪という秤では量れない存在に違いない。

 俺はひとまず形式通りの説明――組織から渡されたスクリプトを一字一句違えず――をした。嫌な予感、とりわけ死の予感を振り払うように。

「お断りします」

拒絶。案の定、交渉決裂である。空気が粘性を増し、呼吸が苦しくなる。もちろん錯覚なのだが、それを生じさせる戦慄は本物らしい。黙って引き返したいところだが、そうはいかない。交渉の余地がないので俺の仕事は次の段階へ移る。つまり対象の捕獲もしくは抹殺だ。組織の目的は魔術の独占。そのため協力的でない魔術師は捕まえてどうにかするか、もしくは永遠に眠ってもらっても問題ない。

 一般的な魔術のイメージと違い、詠唱は不要である。俺はただフラクタルな図形――この魔術を習得したときに見えたもの――を思い出すだけでいい。そうすれば無数の爆発が対象を消し去ってくれる。この魔術が防がれたことなど一度もなかったのだ。【フラクタル・ブラスト】の発動と対象の消滅は、何よりも強い因果律で結ばれていたはずだった。爆発は静寂とともに訪れ、光と音を飲み込みながら増殖する。仕事の度に目にした、今となっては見慣れた光景。このあとは爆発が収束し、対象もろとも消滅するのを見届けるだけだ。

 だが、そうはならなかった。まさに爆発の規模がピークに達したとき、天を貫く光芒が現れた。しかもグラウンド・ゼロから。考えたくはないが、たぶんあの魔女は生きている。次の手を打たなければいけない。しかし、もしこの魔術を防がれたとして他の手は通じるだろうか。俺は魔女が消滅していることを願いながらも、最悪の結末に備えて身構えていた。

だが、魔女は再び俺の前に現れた。あの爆発の中から、完璧な姿で。


 なぜ生きているのか、なぜ無傷でいられたのか、と訊かずにはいられなかった。

「むしろ質問をしたいのはこちらなんだけどね」

実に怒っているようだ。……当然であるが。ここはどうにか時間稼ぎをして、その間に次の手を考えるとしよう。

「なぜ私が無傷なのか。わざわざ説明するのは面倒だ。しかし一つだけ言っておこう。私にあんなものは通用しない」

方法は不明だが、どうやら俺の攻撃を完全に防いだらしい。障壁系統の魔術でも使ったんだろうか。それならばまだ打つ手はある。

「さて、普段なら来客には優しくするところなのだが……」

魔女の視線、氷の眼差しが俺を貫く。

「今回ばかりはそうはいかないようだね」

一瞬で間合いに侵入される。どうやらこいつは近接戦を好むらしい。だが俺にもそれなりの心得はある。そして俺の奥の手もまさしく近接戦闘で使える魔術なのだ。

【インサイド・ブラスト】、一撃当てさえすればそれで片付く。対象の内部で爆発を起こすこの魔術を防ぐ方法はおそらく無いだろう。たとえ障壁があったとしても俺の拳はそれを貫通する。俺は相討ち覚悟で拳を繰り出した。破壊の拳は何にも妨げられることなく魔女の体を捉えるはずだった。だが当てたと思ったまさにその瞬間、魔女は俺の眼前から姿を消していた。空を切る拳、とっさに振り向こうとするが遅かった。俺は雷に撃たれたかのような衝撃を受けた。地面に倒れ、手足が思うように動かない。どうにか意識を繋ぎ留めようとしたが、もうダメだ。反撃の機会すらなく俺の意識は闇に溶けていった。



 スライムが語った昔話。それを聞き終わる頃には、倉庫の中はきれいに片付いていた。

「それで、結局どうしてそんな姿になっちゃったんですか?」

ここまでの話で分かったのはスライムが昔は強い魔術師だったことと、森に住む魔女とやらに負けたことくらいだ。

「そう焦るな。ここから英雄譚の第二部に突入するんだからさ」

「えー、もう掃除終わったから私は上に帰りますよ」

「ここまで聞いておいて帰るだと」

「続きはまた今度聞かせてください」

こんなホコリっぽいところに長居はしたくないのである。

「分かった分かった、じゃあ手短にまとめる」

「仕方ないなぁ」

とは言ったものの、続きがまったく気にならないわけではない。

「次に目が覚めたときには既に、俺の体はこんなことになっちゃってたわけ。俺が気絶している間にアイツがどんな恐ろしいことをしたのかは永遠の謎だ。肉体を変質させる魔術を使われたか、もしくは魂をこっちの器に移されたか、両方あり得る。だがアイツはもうこの世に居ないから呪いの類じゃないことは確かだ」

「あれ? その魔女って師匠のことじゃなかったんですか」

「いーや、違う。ヴァネッサはアイツに比べたらまだ可愛いほうだ。俺が戦った魔女は、簡単に言うとヴァネッサの親みたいな存在でな。この体になってからはアイツに散々こき使われてたわけよ。だがしばらくすると、アイツは俺を屋敷に残してどっか行きやがったんだ。……ヴァネッサを頼む、とだけ言い残してな。しかも俺のこと凍結していきやがったし」

「なかなか大変な人生ですね」

「で、その凍結が解除されたとき、目の前にはなんとヴァネッサが居たというわけだ。その後いろいろあって今に至る、と」

「じゃあ結局、その魔女さんがどうなったか分からないんですね」

「一応そういうこと。だがアイツはヴァネッサや俺と違って、魔術の腕こそとんでもないがただの人間だからな、多分もうくたばってる頃だろう」

「そうなんですか。じゃあ結果的には言いつけを守って師匠のこと手伝ったりしてるってことなんですね。いい話だなぁ……」

「それがね、そうでもないんだよ。この話には続きがあって」

「え、まだ続くの?」

「面倒を見るって言ってもほら、タダってわけにはいかないじゃん」

その姿でお金は意味を成すのでしょうか。

「意地汚いですね。でもその体でお金なんてもらっても……」

「うん、だから金じゃなくて体の方をだね」

「え」

このスライム、想像以上にろくでもない奴かもしれない。

「いただこうかなと。性的な意味で」

「うわ」

やっぱりろくでなしだった。このスケベスライムめ。

「そしたらヴァネッサのやつ、魔術とか格闘とか何にもレクチャーしてないのに『きゃー』の一言で俺を爆砕しちゃうんだもん」

「ば、爆砕……」

それ普通の人だったら即死だと思うんですけど。

「まったく怖い怖い。というわけで……代わりにお嬢ちゃんの体を堪能させてもらいますぜ! とーう!」

なんという素早さか、スライムはあっという間に私の体に絡みついてきた。こんなことなら最初から無視しておけばよかったなぁ。昨日のことが想起される。やっぱり気持ち悪い。どうもこの感覚には慣れないようだ。慣れたらそれはそれで問題な気がするけど。

「ちょ、やめ……やめてってば……あっ…………ん? なんか服溶けてない?」

なんということだろう、スライムに触れている部分の服が綺麗さっぱり無くなっている。

「大丈夫大丈夫、ちょっと異次元送りにしただけだから。終わったら戻すから」

「終わったらって、ちょ……あう…………」

スライムの動きがやたら活発になる。こいつめ、なんか張り切ってるみたいだ。その時、階段から誰かの足音が聴こえた。まあ十中八九、師匠だろう。

「ちょっと、私の使い魔に何してんの」

大正解。師匠、素敵!

「げ、やべえここは逃げの一手だ」

「ふんっ」

師匠がスライムの一部、よくよく見ると核のような部分を鷲掴みにする。そして……

「てーい!」

渾身の一投によって、スライムは元の容器に収納されていった。ただ投げただけじゃないんだろう、たぶん。服も元に戻ったし、一件落着だ。

「やれやれ、あのポンコツ魔導生物にも困ったものだわ」

「川にでも捨てときましょうよ」

「ダメよ」

ポンコツと言いつつもやっぱり師匠はスライムに愛着があるのだろう。でなければ昨日みたいなコトはしないだろうし。

「あんなのを野に放つわけにはいかないわ。責任持って管理しとかないと」

「あー、確かに」

愛着とかそういう話ではなかったみたいだ。師匠って意外と常識人かも。

「さて、どうやら掃除も終わってるみたいだしちょっとお茶でもする?」

「いいですねー」

「実は古書の取引先からクッキーが送られてきたのよね」



 ここも随分かしましくなったものだ、一人増えただけだっていうのに。俺がこの瓶の中でできることはせいぜい思い出にひたることか妄想に耽ることくらいだ。あとは魔術の脳内実験。この体ではかつての魔術は使えなくなってしまったので、新しく編み出さなければならないわけだ。今のところの目標はシェイプシフト。つまり見かけの姿を偽装することだ。どうにか人間形態にならないとどこにも行けない。いや、できれば美男美女だな。ぐふふ。さてスライム化してから睡眠は不要になったが、慣習的動機からの睡眠欲というのはあるのだ。たまには夢を見るのも悪くない。


 これは夢か、それとも記憶に焼き付いた思い出か。

 目覚めるとそこは魔女の屋敷。未だ忘れ得ぬ光景である。誰かが屋敷の扉を開け、中に入ってきた。魔術の波動を感じる。一瞬あの忌々しい魔女かと思ったがどうも違うらしい。魔術の波動というのは一種の気配のようなもので、人それぞれ異なる。俺はそれを区別する能力が高いらしく、誰がどの波動なのかは大抵区別することができた。そしてその能力はこの姿になっても失われていないようだ。

 部屋の扉が開き、屋敷への訪問者が姿を現す。なんということだろう、そいつはあろうことかあの魔女と瓜二つの姿をしていたのだ。しかも当然ながら超美人。表情はアイツより柔らかいからますます好みの外見だ。凍結される前に託された、ヴァネッサというのは多分こいつのことだろう。頼まれたときは乗り気じゃなかったが、気が変わった。面倒見てやろうじゃないの。



                        ―終―

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