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東京府魔女奇譚  作者: 矢州宮 墨
2/9

ガレット、魔女と出会う

東京府を訪れた少女、運命の日。

 ……今日も疲れたなぁ。夕暮れ時の街を歩く。周囲に人影はなく、まるでゴーストタウンの様だ。このあたりはかつての商店街である。しかし今はシャッター街になっていて見る影もない。現在私は求職中なのだが、なかなかいい仕事が見つからないのだ。やはり仕事を探しに新都まで行ったほうがいいのかもしれない。「府」になってからすっかり廃れた東京より、新しい首都である京都のほうが仕事に就けるだろう。

 単に生活するだけならベーシックインカムに頼れば良い。そういう情報を頼りにこの国にを家出先として選んだわけだが、それは失策だった。その制度が適用されるのはこの国の国籍を持つものだけ。つまり外国人である私は対象外というわけだ。まあその制度で給付される金額は本当に最低限という話だから、どのみち文化的生活をするために働くことになっていたと思うのだが。唯一の救いは実家での英才教育によって言語には不自由しないということくらいか。

「ん?あれは…………」

 降りたシャッターが並ぶ中、一軒だけ営業中らしい店を見つけた。明かりはついているが、窓には分厚いカーテンがかかり中の様子は分からない。そして扉には「古書店」とだけ印字されている。私は珍しいものを見つけた驚きとほんの少しの好奇心に背中を押され、扉を開けた。

 ……まさかこれが今後の私の運命を大きく変えることになるとは、思いもしなかった。


 店に入ると、古本の匂いが充満していた。子供の頃、よく小さな図書館に行ったものだ。その時の思い出が呼び起こされる。店の中はまさに本の山だった。入り口近くにカウンターがあるが、店員は居ない。本の整理でもしているのだろうか。特に何かを買おうという気はないが、せっかくなので店の主に話でも聞いていきたい。ひとまず店員を探すことにした。 

 本棚と本棚の間、狭い通路をくまなく探す。居ない、居ない、ここにも居ない。もしや外出中かとも思ったが、さすがに戸締まりくらいはするだろう。ついに最後の通路に差し掛かる。なんとなく老店主の姿を想像しながら覗き込んだが、そこには誰も居なかった。諦めかけたその時、ふと横を見ると地下への階段があった。私はためらうことなくその階段を降りた。

 暗い階段を慎重に降りる。階下から漏れるわずかな光を頼りに少しずつ進んでいく。おそらく地下室のドアが少しだけ開いているのだろう。微かに、物音が聞こえる。なんだか水っぽい音、そして……女性の嬌声。心拍数が急上昇する。とにかく落ち着かなきゃ。どうやら非常にマズい現場に出くわしてしまったようだ。なんと間の悪いことか。とにかくここから離れなくてはいけない……のだが、ちょっと気になる。いけないコトだとは分かっているが、私だってそういうことに興味がないわけではないし。私は最後の階段を降り、そしてドアの隙間から様子をうかがうことにした。

 ドアの前に到着。その時、踏み出した足に妙な感触。なんというか、ぐにょっとしたものを踏んだような感じ。

「誰っ!?」

 なんてことだ、気づかれた。私は反射的にドアの隙間から室内を見た。そこには紫色の髪の女性と、半透明で緑色の……うごめく“何か”が居た。女性はすごく驚いている様子だ。それは私も同じである。しかしこうなったからには逃げるしかない。私は踵を返し一目散に階段を駆け上がる。いや、そのつもりだったが、気づいたときには無様に転んでいた。まるで誰かに足首を掴まれているかのような感じ。急いで立ち上がろうとしたが、片足が動かない。見ると、あの緑色の何かよくわからないモノが足首に絡みついている。

 不定形なそれは、まるでスライムのような見た目と感触だ。おもちゃのスライムなら見たことはあるが、こんなふうに自律的に動くやつは見たことがない。どうやら私が踏んづけたのはこいつらしい。必死にあがいてみるが、奇妙なスライムは恐ろしく強い力で足首を締め付けてくる。それどころか少しずつ足を這い上がってくる。身の毛もよだつような気持ち悪さだ。私は壮絶な嫌悪感と恐怖を感じていた。

 勢い良くドアが開き、現れたのは先程の女性。しかも服を着ていない。……その理由はなんとなく分かるが今はそんなことを気にしている場合ではないのだ。

「の、覗き!」

 それは一瞬の出来事だった。女性の傍らのスライムが跳躍し、私の両手両足を拘束した。困ったな、ますます動けなくなってしまった。ついでに気持ち悪さも限界突破。

「な、なんかヌルヌルする! と言うかなんですかこれは」

「うるさーい! 誰だか知らないけど不法侵入よ。あと覗き!」

 そんなことを言いながら彼女が近づいてくる。

「ご、誤解です! 私はただ店の人を探してただけで……とりあえずこの気持ち悪いのを取ってください」

「ダメー。この罪は重いわ……」

 このままではいけない。なんとか話を聞いてもらわないと。

「本当に店の人を探してただけなんですよぅ」

「ええ、私がその店の人ってやつよ。困ったなー、今は閉店中なんだけどなー。そう、つまりそのタイミングで店に侵入するということは有罪まっしぐらよ!」

「でもドア開いてたもん……」

「だからって勝手に入っちゃダメなのー。しかもこんなところまで入り込むなんて」

「うう……な、なんとか許してもらえないでしょーか……」

「うーん、そうねぇ……どうしよっかなー」

 意外なことに、彼女は何かを考え始めた。交渉の余地はあるのかもしれない。


 交渉によって利益を得るには少なくとも対等な立場に有らねばならない。徹頭徹尾こちらの不利という状況においては、交渉という行為は実際には行われていない。つまり答えは初めから決まっているのである。今は遠き実家での日々。まだ実を結ばない英才教育で得た知識を、私は今まさに思い知ったのだ。

「えっと、つかいま……ってのは何です?」

「奴隷とも言うわね」

「え」

「さすがに冗談。でも私のために色々と働いてもらうわ」

「あ、つまりメイドさんみたいなやつですか」

 そういえば実家にもメイドさんが何人か雇われていたっけ。懐かしいなぁ。

「まあそんなところかしらねー」

「あ、ちなみに給料は? 実は今ちょうど仕事を探してて」

「うん、それは働き次第。それからこの家に一緒に住んでもらうからよろしくね」

「住み込みというわけですか」

「そうよー。拒否権はないからよろしくねー」

 彼女は心の底から嬉しそうな笑みをうかべたのだった。あとになって思い返すと、それは悪魔の微笑みだったのかもしれない。

「ところでこれ、そろそろ何とかしてくれませんか」

 私は手足に絡みつく不定形の物体を目線で示した。

「ああ、それね。うん、そのままでいいから」

「私は良くないんですけど…………」

 急激な眠気に襲われる。どうやら何かされたようだ。でも彼女は私に指一本触れていない。不思議なことだらけな一日だったなと思いつつ、私の意識は闇に溶けた。それと同時に彼女の声が聞こえた気がした。

「寝てる間に終わらせるからね」


 お伽噺に出てくる魔女の相棒は黒猫と相場が決まっている。私は猫。きっと迷い猫だろう。でもこれは夢。本当の私は猫じゃないから。

 迷い猫は森を歩いた。迷い猫は霧の中を走った。そして迷い猫は海を渡って……

 どちらかと言えば「空を飛んで」だ。


 私は夢から覚めた。目に映るのは壁……いや、天井だ。私はベッドに横たわっている。

「そういえばまだ名乗ってなかったわ」

 真横から声が聞こえた。驚いて横を向くと、そこにはなぜか彼女。どうしてこの人は私と同じベッドで寝ているんだろうか。

「私の名前はヴァネッサ・ロードナイト、よろしくね。あ、それからおはよー」

「あ、はい。えっと、私のことはガレットと呼んでください」

 ガレットというのはもちろん偽名だが、この際問題ないだろう。ひとまず自己紹介も済んだところで、私は上体を起こす。メイドライクな仕事について詳しく聞かなければ。

 しかし、それどころではなくなったのである。なぜ私は服を着ていないのだろう。そして下着も。問いたださねばなるまい。だが私は昔から口より手が先に出るタイプだったわけで、次の瞬間にはヴァネッサさんを殴り飛ばしていた。フック気味に放った右拳は彼女の頬にクリーンヒット。凄まじい勢いで飛んでいくヴァネッサさん。そのまま彼女は頭から壁に突っ込み、壁に見事な穴が開いた。

「そ、そんな馬鹿な……いくらなんでもそこまで強く殴ったつもりは……」

 あり得ない光景。そもそも私はこんな怪力ではなかったはず。それはさておきマズイ。下手をすれば私は殺人犯だ。生きてておくれー。

「だ、大丈夫ですか……?」

 彼女に駆け寄り、そう言葉をかけた。

「あたたた……」

 よかった、とりあえず生きている。ほっと一息。

「久々に死ぬかと思った……。私じゃなきゃもうあの世に着いてるわね、あの勢いは」

「どういうことです?」

「説明不足でごめんなさいね。まず私……いえ、私たちは普通の人間ではないの」

「道理で変な人だと思いましたよ。ん? 私たち?」

 他にも変な人がいるのだろうか。

「ええ、あなたと私」

 どうやら私も変人の仲間入りらしい。

「分かりやすく言うと私は魔女。そしてあなたは使い魔よ」

「マジシャン?」

「手品師じゃないわよ。本当に魔術が使えるの。一種の超能力のようなものね」

 なんだろうこのトンチンカンな感じ。こんなことを言う人が現実に居るなんて、私はまだ夢を見ているのかもしれない。

「うおーすげー。ところで頭は大丈夫ですか」

「なんだか失礼な響きね。ま、もう大丈夫なんだけど。あなたは私と契約して使い魔になった。そして超人的な身体能力を身につけたってわけ。で、私は殴られて吹っ飛んだ結果、家の壁に穴が空いた、と。ちなみに私は再生能力が高いからちょっとやそっとの事じゃくたばったりしないわ」

 この人、マジだ。ようやく頭がスッキリしてきた。この感じは多分夢ではあるまい。

「てことはつまり……殴り放題ってことですねー!」

 寝てる間にやましいことをされた(かもしれない)恨みを晴らしておこう。

「ちょ、それは色々と困るよ」

 む、身体に違和感。と言うより浮遊感。

「え、なんか私浮いてる?」

 空中でいくら動いたところでまるで意味がない。その場でくるくる回るだけで上下左右、どこにも進めない。ヴァネッサさんへの攻撃は完封されてしまった。

「魔術を使えばこんな事もできるのよ」

 すごく得意気な顔。一瞬かわいいと思ってしまった。彼女は私より年上に見えるけど、その表情にあどけない少女の顔が隠れているような気がして……。

「ずいぶん呆けているけど、大丈夫? ちょっとやりすぎたかな」

「え? あ、大丈夫ですけど」

 慌てて返答する。

「よいしょっと」

 彼女は浮遊する私をベッドの上まで移動させ、魔術を解除した。ベッドにぽふっと座り込む私。今まで気づかなかったがなかなか上質なベッドだ。つい実家のベッドを思い出す。ホームシックにはなっていないけど、あのベッドだけは恋しい……かも。

「と、まあこんな感じに使えるわけよ、魔術。私に攻撃したらお仕置きだからねー」

 念を押された。実のところもうそんな気は失せていたんだけどね。

「ところでヴァネッサさん、私はその、魔術が使えるようになってたりしないんです?」

 使い魔というくらいだから少しくらい使えるようになっていてもおかしくないはずだ。あくまでイメージだけど。

「それは一概に言えないことよ。実は使い魔の契約をしたのはあなたが初めてでね。人によっては使えるようになるとか」

「なるほどー。あ、そうそう」

 そんなことより聞かなきゃいけないことがあるじゃないか。

「なんで私たち裸なんです?」

 もう疑問しかないのである。

「それはほら、使い魔の契約ってことで色々あったのよ」

「色々、とは」

「ひみつ」

 適当極まりない。さては教える気がないなこの人は。

「むむむ……」

「冗談冗談、知りたいなら教えてあげる……ベッドの中でね」

 と、ウインク。いくら私でもそこまで軽率ではないのである。

「遠慮しておきます」

「残念だなー。あ、それはさておき、もし魔術を習得したいなら使い魔兼弟子ってことにしてあげてもいいわよ」

「そうですね、せっかくなので弟子入りします。早速ですが師匠」

「なになにー?」

「今日のところはおやすみなさい」

 眠気を感じた私はベッドに潜り込む。

「え、ちょっと、そこ私のベッドなんだけどー」


 こうして私、ガレットと師匠の不思議な共同生活が始まったのでした。

「で、結局のところ契約のときの『色々』って何だったんですか?」

「内緒」

「師匠のケチ……。あ、もしかしていやらしいことですか」

 沈黙。

「ちょっと、どうしてそこで黙るんですか!」

「それよりも壁の修理代」

「え、いや、あれはほら、事故みたいなものじゃないですかー。あと持ち合わせ無いし」

「じゃ今月の給料から引いとくわー」

「そんなぁ」

 今日も今日とて、トラブルだらけの風変わりな日常は続いていくのだった。




 ―終―

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