9 プリンじゃなくて不倫
私が何事もなく仕事を終え、自宅までたどり着くと、扉越しにかすかに声が聞こえてきた。さすが、ボロアパートである。私は扉に耳を当ててみた。
「そろそろジェームスが帰ってきてもおかしくないんだけどな」
「いや、ボクはそろそろかえるよぉ。仕事を終えて疲れてるところに、真面目な話をしてもあれだし」
「そうね、確かにあれねぇ。んじゃ、帰りなさい」
「うん〜」
妻ともう一人は知らない男だった。しかもかなり親しげである。私の頭の中に一つの可能性が浮かんだ。
「ま、まさか……」
「何してるんですか、早くこっちに!」
私がぼーっと突っ立っていると、青年が私の腕を引っ張り、(おそらく彼の家と思われる)家に引きずられていった。
「あぶないところでしたね」
「えっ?」
「きっとあなたの奥さん不倫したんですよ。あそこでばったりでくわしたら、最悪の状況になっていたところですよ」
「最悪の状況……」
この青年の名前だけは表札を見て知っていた。
「井上さん、それは一体……?」
「シッ! 静かに!」
とっさに井上さんは私の口を手でふさぐ。そして外を誰かが通り過ぎていく音がして、だんだん聞こえなくなったところで、
「ふぅ。あなたも分かっているとおり、このアパートはボロですので、声が筒抜けになってしまいます。とりあえず玄関で話しっぱなしというのもアレですので、どうぞ中へ」
私は言われるままに靴を脱いで中へ入る。青年の一人暮らしの家なので、必要な物なのかゴミなのかよくわからない物が床にたくさん散乱していた。
「今日は私の家に泊まっていくといいでしょう」
といって、彼は麦茶を私に差し出した。味はまあまあだった。それよりも少しぬるいのがいただけなかった。
「さっきは助けられてしまった。すまない」
「ハハハ、世の中助け合いじゃあないですか」
彼も麦茶を口にした。「なんかぬるいなぁ」と言った。
「ところでさっきの話なんだが……」
「ああ、最悪の状況についてですね」
「そうだ」
彼は私が説明しなくても分かっていた。彼は私なんかよりも格段に賢かった。彼が少し偉大に見えた。
「では、さっきあなたがあのまま扉の前で突っ立っていたままだったと過程してお話しましょう。その後どうなるでしょうか。状況としてはもうすぐ不倫相手と思われる男が帰ろうとしていたところでした。」
「う〜ん……。男がでてくる。私が夫だとばれた途端殴り合いになる……? 私が敗北して埋葬され、息絶える?」
「すごい負の考えですね。さすがに命がなくなるような事はないとおもいますよ。私が言いたいのはですね、妻は離婚の話をしようとしたんじゃないかということです」
「り、離婚……!?」
「はい、奥さんと男の二人であなたの帰りを待っていました。あなたとその二人に関係のある話です。しかも、その男が真面目な話と言っていた。となると、やはりその二人にとってあなたが邪魔な存在となり、離婚をしようとしていると考えられます」
「なるほど……」
「そして、離婚を考えている者が2人、あなたは1人。人数的にあなたが不利です。男が奥さんに何かを吹き込んでいたとしたら、まず勝機はないでしょうね」
「一体どうしたらいいんだ……」
「状況、情報が足りません。幸い、私の家はあなた方の隣です。本当は男と二人で話しているところを聞くのがよかったですが、贅沢も言ってられないでしょう。一体どういう状況なのか、奥さんが何か喋るのを待ちましょう」
……壁に耳をくっつけ静かに何か喋るのを待つ男が二人。事情も知らない垢の他人が見れば、それはそれはとても奇妙な光景に映ったに違いない。
「何も喋りませんね。警戒しているんでしょうか」
「いや、単に喋る相手がいないだけじゃ……」
突如、携帯がなり出す。私の携帯だった。よく見れば相手は妻からだった。何の用だろうか。
「まってください」
とボタンを押して会話しようとする私を制する井上さん。
「もしかすると、離婚の話を持ち込んでくる可能性があります。なんの策もなしに軽率な行動をするのはやめてください」
「でも、どこにいるか心配しているかもしれないし……」
「女というのは、好きな男のことしか考えないものです。一途というのはそういうデメリットもあります」
私はしぶしぶ携帯に応じるのをやめた。ああ、後でどんなお仕置きが待ち受けていることだろう。しばらくして携帯は鳴りやんだ。
「心配しなくてもいいです。私があなたを元の生活に戻れるようにしますから」
「迷惑ばかりかけてすまない、井上さん」
「いえいえ、気にしないでください……。ん、静かに!」
井上さんは真剣な表情になった。妻が何か喋り出したのである。
「なんで電話にでないのよ、あの馬鹿ジェームス。一体どこをほっつき歩いているのかしら。弟は弟で金がないからってあたしのところにくるし……、仕方なく面倒見てやろうかと思って、相談しようと思ったらあいつは帰ってこないし……。男は駄目な奴ばっかりねぇ〜」
これで最終回になります。最後まで読んでくださった方、とてつもなくありがとうございました。次回作の予定はありませんが、またいつかよろしくおねがいします。




