欲しいんです、あの固くて、たくましい……。
「わっ、すごい湯気……」
アムは扉の先に足を踏み入れ、湯煙でいっぱいの浴室内を見回す。
俺も後を追って中に入るが、先ほどの人影はどこにもなかった。
「何も壊れてないじゃないですか」
アムは隅っこにおいてある熱気ツボを指さして言う。
ツボからはすごい勢いで水蒸気が噴き出していた。
「あれ? 気のせいだったかな、はは……」
「でもなんか変ですね、お湯も張ってあるし、まるで誰か入ってたみたいな」
ぎくり。
アムは訝しげに視線をあちこちさまよわせる。
ご丁寧に、湯船の中まで念入りにチェックし始めた。
「……やっぱりないか……」
「え? 何が?」
「いえなんでも。それよりも早く体を洗いましょう」
アムは気を取り直すようにして、湯船から手桶でお湯を取り出し体にかけ始める。
……ふう、なんとかセーフだったか。
おそらく隠し通路から逃げたに違いない。
先ほど俺が浴室内で見た人影は、まず間違いなくイズナだ。
あの野郎はやたら風呂好きで、スキあらば勝手に入ってはくつろいでやがる。
その割に、レナに一緒に入ろうと誘われても入りたがらない。
裸を見られるのが嫌なのか、とにかく一人じゃないとダメらしい。
以前に俺が誤って突貫した時も、イズナの姿はこつぜんと消えていた。
そういうときのために、どこかに抜け道を作ってあるようだ。
しかし猫って普通、風呂嫌いなんじゃなかったか?
まぁこの世界の猫は、ネコというそれに似た別の何かであると言われたらそれまでだが。
「あの、トージ様? 何か洗うものってあります?」
「あ、ああ、はいはい」
白い湯気越しに、イスに腰掛けたアムの声が聞こえてくる。
規制が入っているアニメ並に湯気で視界がふさがれていて、よく姿が見えない。
ツボに入れる石の量を間違えるとこうなる。
見つかった時に雲隠れするために、イズナがワザとやってんのかもしれないが……。
湯気をかきわけて、小型の水差しを手に取る。
これに入っているのは水ではない。
商品名柑橘樹の樹液という、いわゆるソープだ。
「いいですよ、手の上に出してください」
すっと目の前にアムの白い手が差し出される。
言われるがままに水差しを傾けると、白濁液がどろっと手のひらの上に垂れた。
アムはぬるぬるとしたそれを、一度手の上で遊ばせるように伸ばした後、顔を近づけてくんくんと匂ってみせる。
非常に誤解を招きそうな表現であるが、俺はあくまで見たままを的確に伝えようとしているだけだ。
「はぁ……いい香り。トージ様もこれ、使ってるんですね。ところでそのツボもエルシャのアトリエ製ですか? あそこの通販は私もよく利用しているんですよぉ。常連になると、おまけでついてくる飲み薬がすごくて……前回は、アレの感度が三倍になるっていうのが入ってて……」
聞いてもいないことを嬉々としてしゃべり出したが何を言ってるんだこの娘は。
こういう魔法アイテムは基本エルフが開発し、ドワーフが大量生産する、というのを以前レナがドヤ顔で説明してきたが、細かく突っ込むとすぐにしどろもどろになったのを覚えている。
なので詳しい経緯は知らないが、ここにあるのは元から家に置いてあったもの、レナが王宮から勝手に持ち出してきたもの、イズナがどこからか持ち込んだもののどれかだ。
よくわからず俺が曖昧な返事をしていると、アムは伸ばした液体を自分の体に擦り付けていく。
湯気が収まってきたせいか、徐々にてらてらと光る肢体が露わになっていく。
アムはもちろん全裸。
ソープを塗りつける手は腕から胸元、そして恥じらいもなく伸ばした足へ。
これは前かがみ不可避。
見てはいけないと思いつつも、自然と目が釘付けになっていると、不意にこちらを見上げたアムと目が合った。
「あ、なんかすみません私ばっかり。あの、よかったらトージ様も一緒に……」
「い、いえ結構です、ご、ごゆっくり!」
急に水を向けられてあせった俺は、水差しを置いてそそくさと逃げ出した。
◆ ◇
それから数十分後。
妙な緊張感を漂わせながら、居間のソファーに腰掛けて待っていると、アムがほわほわと湯気を放ちながら戻ってきた。
「お待たせしましたぁ」
アムは全裸のまま体にタオルだけ巻いた状態だった。
……絶対やると思った。
「すっかりキレイになりました。ありがとうございます、なにからなにまで……」
「い、いえいえ……」
アムは膝をつき合わせるように、すぐ俺の隣に腰を下ろしてくる。
まるでこれからプレイが始まらんかのような勢い。
思わず視線をそらすと、アムはすかさずその先に回りこんで、顔を覗き込むようにしてくる。
「あのぉ、それで……。迷惑ついでで、一つお願いがあるんですけど……」
「は、はい?」
「一晩だけでもいいんです。できれば私をこの家に……泊めてくれませんか?」
「それはムリです」
「やったぁ、ありがとうございます……ってあれ? いまムリって言いました?」
「はい」
これ以上は色々とムリです。
第一、厳密にはこの家、俺のものというわけではない。
ちょっとした訳あって借りている状態だというのに、他の女の子を連れ込んでいるとバレたら、間違いなく叩き出されて国外追放されるだろう。
それでなくても万一誰かに見つかったら怖いし……例えばレナとか、レナとか。
「ど、どうしてですか、ここまでサービスしたのに!」
「サービス言うな! ついにボロを出したな! だいたいあんた、エロすぎる……じゃなくて、怪しすぎるんだよ!」
「あ、怪しい……? ……そ、そうですよね、私お金も何も、持ってませんし……それで泊めろだなんて」
「問題はそこじゃないんだが」
「でもタダで泊めてくれなんて言いません。その代わり、私にできることなら、なんでも……」
「だから、そういうことを言ってるんじゃなくてだな……」
「いいえ、ここははっきり言ってくれていいですよ? 本当、なんでも……ていうか体で払います」
「いやいや自分から体で払うとか、おかしいでしょ」
「ダメですか?」
アムが潤んだ瞳で上目遣いにこちらを見上げてくる。
やはり文句の付けようがなく可愛い……いい匂い……そしてエロい。
いやまあ、ダメってことはないけどもね。
むしろ個人的にはすごく……いいと思います。
だが彼女の怪しいメーターはとっくに振り切れている。
何が狙いなのかはさっぱりだが、絶対に何か裏がある。
かわいそうだろ泊めてやれよ、と囁いてくるムスコをなんとか理性で押さえつけていると、
「……ね? 逃げないで、こっち、見てください」
アムの顔が至近距離まで寄ってきて、じいっと見つめてくる。
そして目が合った瞬間、アムの瞳に赤みが増して、怪しく光りだした。
とたんに、頭の中にもやがかかるような妙な感覚に襲われる。
いつの間にか体が動かなくなり、アムの瞳から目が離せなくなっていた。
「私に……ください。欲しいんです……どうしても」
妖しく微笑んだアムが、まっすぐ囁きかけてくる。
「トージ様の……あの……固くて、たくましい……光る……」
光る……?
アレにそんな機能あるのか?
「剣が……」
……剣?
朦朧とする意識に、ハテナマークが浮かんだ瞬間。
――ズドッ!!
頭上から降ってきた何かが、俺とアムの顔の間を縫って、ソファーの上に突き刺さった。




