もうグラスのライフはゼロよ
俺は「いや見てない、おっぱいなんて見てないです」という意味をこめて、びしっと姿勢を正してまっすぐエミリの瞳を見つめ返す。
すると向こうも「今見てたでしょ……?」と言わんばかりの顔で凝視してくる。
だがここで目をそらしたり笑ったりしてはいけない。
おっぱいなど微塵も興味がない、純粋に強くなりたい好青年であることをアピールするのだ。
まあ実際はおっぱいが気になって仕方がない、ズルして強くなりたいクズ野郎なんだけども。
なぜかエミリが変に真面目な表情をしているものだから、思わず吹き出しそうになるのを必死にこらえつつ、しばらくお互い見つめ合う。
やがてエミリは顔をそむけたかと思うと、その場から逃げるようにぱっと立ち上がった。
……ヤバイ、もしかしてバレた? 機嫌損ねたかな?
ビクビクしながら眺めていると、エミリは奥の戸棚の中から、濃い色をした液体の入ったビンと、グラスを持って戻ってきた。
そしてテーブルの上でグラスに液体を注いだかと思うと、おもむろにあおり始めた。
辺りに激しいアルコールの香りが漂い出す。
「えっ、ちょっと、これからって時に飲んだらいかんでしょ」
「べ、別に、ちょっとぐらい……いいじゃないのよ! そっちこそ初めてのクセに、堂々として……、ほ、ほら、いいからトウジくんも飲みなさい」
「いや、俺あんまり酒は……」
ちょっとくらい、とか言いながらも、エミリはものすごいペースで酒を飲み干してはつぎ足していく。
なんなんだよもう……本当に大丈夫なのか?
呆然とその様子を眺めていると、エミリは何度か空にしたグラスをどん、とテーブルに置いて、ふーっと息を長く吐いた。
「……だ、だいたいさぁ、あんたもそんなんで、やる気あんの?」
「やる気? それはありますよもちろん」
「だったらほら……早く、脱ぎなさいよ」
「ぬ、脱ぐ? 脱がないとダメなの?」
「あ、当たり前でしょ!? それとも何? 着たままがいい、とか言うわけ?」
「いやそれは、できれば……」
どういうことだ? 脱がないと転職できないのか? 裸一貫からやり直す的な意味で?
聞いてないぞ、それってどんな羞恥プレイ……。
戸惑う俺を見て、エミリはなぜか勝ち誇ったような顔をする。
「ふふん、やっとボロが出たわね。余裕ぶってるけど、本当は緊張してるんでしょ? やる気があるとか言う割には、準備もできてないみたいだし」
そう言ってエミリはすっかり赤くなった顔を、俺の股間に向けてくる。
どこを見て言うかこの人は。もう完全に酔ってるな。
「だからほら、飲みなさいよ。そうすれば多少はリラックスできるだろうし」
「いや、別に緊張はしてないって。なんかおかしいのはそっちのほうでしょ」
「な、な、なによ、私がビビってるって言うの!? 童貞のクセに生意気言うんじゃないわよ!」
「ど、ど、ど、童貞は今関係ないだろ!」
な、なぜバレたし。
やはりそこはかとなく漂う雰囲気でわかってしまうのか。
だがこの全く関係ないタイミングでいきなりディスってくるのはやめてほしい。
「いいから黙って飲みなさい、ほらほらほら」
なみなみ入ったグラスをエミリにぐいぐい口元に押し付けられて、仕方なく一口。
うえぇ……やっぱ強い。
「よしよし、飲んだわね。これで血流がよくなってきたでしょ」
「け、血流? そんなすぐには……って!」
急にエミリの顔が目の前に来たものだから、驚いてのけぞってしまう。
そんな俺のあわてた姿を見て、エミリはくすくすと笑った。
「うふふっ、今の反応。ドキっとした? ドキっとした?」
「な、なにをふざけて……、てか完全に酔っ払ってるじゃん!」
「またそうやって素直じゃないんだから~……。これでもうちょっと正直で素直だったら、トウジくんのこと、ちょっといいかなって、思ってたのに…………そりゃ私しかいないって言われた時は、驚いたけど……」
今度はぶつぶつと独り言が始まった。
これは酔っ払い特有のめんどくさそうなヤツだな……。
「は、はあ……。ところで俺って、これから何にしてもらえるのかな……?」
「何って、それは……女の子にバカにされるから、お、男にしてほしいんでしょ?」
「そうそう、だからどんな男らしい力強いジョブになるのかなと」
「……は? じょぶ?」
「ほら、エミリの転職スキルで……」
「テンショク?」
「いやだから、これから転職させてくれるんじゃないの?」
「え?」
エミリは間の抜けた顔でぽかん、と口を開けると、ゴトっとグラスを床に落とし、それきり固まって動かなくなった。
◆ ◇
次に気がつくと俺は自宅のベッドの上で目を覚ました。
窓からは明るい日差しが入り込んでいて、どうやら日をまたいではいるようだ。
昨日エミリの部屋に行ったまでは覚えているが、途中からところどころ記憶が飛んでいる。
とにかく凄まじい勢いで飲まされて、エミリが何か、「お前の記憶を飛ばしてやる! 今日のことは全て忘れろ!」とか騒いでいたような気もするが、それすら定かではない。
最終的にどうやって家まで帰ってきたのか覚えてないし……。
「あー気持ちわる……」
酔いがまだ若干残っている。
結局転職もできていないようだし、踏んだり蹴ったりだ。
俺は二階の寝室からよたよたと階段を下りて居間にやってくると、すぐさまテーブルに置きっぱなしのグラスを取って、ポットから水を注いで口に流し込んだ。
ちなみにこのポットというのは量産されている魔法アイテムで、大樹の朝露とかいう大層な商品名がついているが、飲んでみたらただの水だ。
切り株をあしらったデザインをしていて、不思議な木材でできており見た目よりずっと頑丈。
中に水の精霊の気が閉じ込めてあるとかで、てっぺんを押し込むだけで飲み水が出てくる。
仕組みは全くわからんが、それなりにお高いものらしい。
トマリギにも置いてあったが、これはレナが王宮から持ってきたものだ。
「ふぅ……」
飲み干したグラスに再度水を注ぎ、二杯目を口に運ぶ。
するとその時、背後でかすかに人の気配がして、俺は何気なく後ろを振り返った。
「ひっ」
飛び込んできた光景に驚いて変な声を上げた俺は、ゴトっとグラスを床に落とし、その場に固まった。




