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バルーンファイト

掲載日:2016/04/01

目が覚めると、見慣れた天井が僕の目の前にあった。

文字通り目の前、鼻の先だ。

はじめは、寝ている間に事故でもあって、

天井が落ちてきたのかと思った。

しかし、どうやらそうではないらしい。

体を回して下を見ると、そこには僕の生活スペースがあった。

ベッド、テーブル、テレビ、どれも壊れた様子はない。

見慣れたもののはずなのに、いつもと違って、まるで玩具のように見えたのは、

真上から見下ろしているからだ。


つまり僕は、宙に浮いていた。


それに気づいた瞬間、背筋が凍る。

落ちる!

とにかく何かを掴もうと、

慌てて手を振り回したせいで、天井にぶつけてしまった。

結局何も掴めるものはなく、身にかかるであろう衝撃を覚悟する。

が、何も起きない。

恐る恐る目を開けると、まだ僕の体は浮かんでいた。


ああそうか、これは夢だ。

妙に意識がはっきりしているが、きっと明晰夢というやつだ。

空を飛ぶ夢を見るのは、欲求不満だと聞いたことがある。

確かに最近忙しかったし、さもありなんだ。

僕は自分を納得させたが、念のため、頬をつねってみる。

痛い。


これが現実であると思い知ると同時に、

古いマンガみたいことをしてしまった自分を恥じる。

ぶつけた手も痛む。


とにかく、事実として僕は宙に浮いているのだ。


不思議なもので、何故自分が浮いているかなどは気にならなかった。

というより、心当たりが無さ過ぎて、考えようがなかった。

目下の心配は、別のところにあった。

会社どうしよう……。


テーブルの上の携帯電話に目をやる。

天井に立ち上がって手を伸ばすが、届かない。

突然落ちないことを願いながら、

恐る恐る天井を蹴り、テーブルに向かってジャンプする。

すると、まるで体に風船が結ばれているかのように、

ふわりと飛び上がり―――他人が見れば飛び降り―――、

携帯電話をキャッチすることができた。

落とさないようにしっかりと両手で握り、会社に電話をする。

数回のコールのあと、聞きなれた上司の声がした。


「はい」

「もしもし、僕です」

「おお、君か。どうした?」

「その……、今日お休みをいただきたくて。」

「何だ、風邪か?」

「いや、風邪というか、宙に浮いてまして。」

「宙……?」

「あ、その……」

「ああ、熱に浮かされているということかな?まあ君は最近忙しかったからな。無理もない」

「はい、そういうことでどうかお願いします。」

「はいよ。お大事に」


正確には状況は伝わっていない気がするが、良しとした。

僕だって、今宙に浮いている、なんて誰かに言われたって理解できない。

上司と同じような反応をするだろう。

とにかく、会社の件は頭の隅に追いやった。


知っている人間と話をしたことで、僕は幾分か落ち着いていた。

自分の置かれた状況を分析してみると、二つの事が分かった。

一つは、浮いているのは僕だけだということ。さっきの携帯電話はまだ手に持っている。そうしないと、床に向かって落ちてしまうのだ。それに、窓の外を見ると、普通に人が地に足をつけて歩いている。こんな状態になったのは、世界で僕だけのようだ。

もう一つは、重力についてだ。浮力と言った方が正しいかもしれない。僕の体は天井側にあるが、逆さになっているわけではない。携帯電話を取るときに感じた、風船が体に結びついているような浮遊感。それが僕をこんな状態にしていた。


「風船、か。」


成長期を越え、大人になり、そしていつの間にか僕は社会人になった。そんな時の流れの中で、僕は風船なんかには興味を失っていた。今でも、たまに街で配っているのを見かけるが、貰いにいこうなどとは思わない。


それでも小さな頃は、風船に夢中だった。手を離せば浮かんでいく風船を、まるで生き物であるかのように思っていた。


小学生の時分、僕は友人達と一緒にある実験をした。風船に手紙を括り付け、宇宙人と文通しようとしたのだ。それぞれが思い思いのメッセージを書き、風船に託した。手を離した瞬間、それは見る見るうちに空へと飛んでいった。首が痛くなっても、僕らのメッセンジャーが見えなくなるまで、空を見上げていた。

「次は僕らが宇宙に行こう」

そんな事を言いながら、興奮冷めやらないまま帰路に着いたのを思い出す。

僕らの夢を打ち砕いたのは、子供向けのテレビ番組だった。子供の素朴な疑問―――どうして空は青いの?、とか――― に答える番組で、よりによって「風船は宇宙まで飛んでいくの?」が放送された。そこで僕らは現実を知った。風船は宇宙へは行けない。

地球人と宇宙人の友好は絶たれてしまった。宇宙人が攻めてきたら、僕達は皆死ぬのだ。

翌日の重苦しい空気は、今でも忘れられない。あれから10年以上経った今でも、笑い話にするのが躊躇われるほどだ。


思い出に耽っていると、久しぶりにその時の友人の声が聞きたくなった。親の転勤や中学進学で、ほとんど連絡を取らなくなったが、成人式で偶然再会した友人がいた。仕事中でないことを祈りながら、慣れない番号にコールする。先ほどよりも長いコールの後、もはや聞き慣れない、だけど当時を思い出させる声が聞こえた。


「はい」

「あ、僕だけど。仕事中?」

「いや、夜勤明けで今から寝るところ。何?」

「いや、元気かなと思って」

「まあボチボチだな。そっちは?」

「こっちもそれなりに。今浮いてるけど。」

「は?」

「いや、こっちの話」


お互いの近況報告や、世間話をする。図体は大きくなったが、中身はあの頃と同じだ。

そうだ。彼は風船のことを憶えているだろうか。


「風船?風船…ああ、宇宙に飛ばしたやつ?」


苦い思い出ではあるが、友人が憶えていたことは素直に嬉しかった。


「そう、それ。ちょっと思い出しちゃってさ」

「ああ、あれは楽しかった。」

「でもさ、結局届かなかったのは、残念だったな」


しばしの沈黙。

寝てしまったのかと心配していると、意外な返事が返ってきた。

「いや、俺はそうは思わないな。」

「え?」


思わず声が裏返る。


「そうは思わないって、何が?」

「届かなかった、って。あれは俺らのメッセージを乗せた使者だ。ただの風船とは違う。科学的にはどうであれ、事実、割れた風船も落ちて来てないし、手紙を拾ったという連絡もない。届いたんじゃないか?宇宙に」


言葉を失う。そんな事は考えたこともなかった。


「そうか……。」

友人の言葉を心の中で繰り返す。僕らの風船は届いている。

「そうだな。届いてるな、きっと」

「まあ海に落ちたのかもしれないけどな」

意地悪そうに友人が言う。本気とも冗談ともつかない口調だ。悪ガキめ。

その後も思い出話に華が咲き、さすがに眠いから寝る、という友人に別れを告げ、電話を切った。


相変わらず、僕の体は浮いている。

だが、久しぶりに友人と話した高揚感とは裏腹に、 少しだけ浮力が弱くなったような気がする。


外から子供の泣き声がする。

窓の外を見ると、小さな男の子が泣いていた。目の前には大きな木がある。そこには戦隊ヒーローの絵がプリントされた風船が引っかかっていた。

無意識のうちに、僕は窓から体を乗り出していた。窓枠を蹴り、木にジャンプする。そのまま上空に浮いて行ってしまうのではないかと一瞬寒気がしたが、幸いなことにそうはならず、木にたどり着くことができた。


風船を男の子に渡すと、彼はすぐにそれを離した。支えを失った風船は、今度こそ空に消えていく。


「にいちゃん、ありがとう!」

木の上で呆然とする僕に、男の子は満面の笑みを浮かべながらお礼を言った。

「風船、飛ばしちゃって良かったの?」

「うん!スペースレンジャーに届けたかったんだ!」

聞き慣れない単語に返答を躊躇うが、先ほどの風船に描かれていたヒーローを思い出す。

日曜の朝に、全国の少年の心をつかんで離さない、正義の戦隊だ。

「にいちゃんは、もしかしてスペースレンジャー?」

「え?」

「オレさ、スペースレンジャーに応援の手紙を送りたかったんだ!」

自分の言葉を伝えたくて仕方のない、実に子供らしい話し方で男の子が言う。

「それで、風船に手紙をつけて飛ばしたんだ!」

僕は思わず吹き出してしまう。

「何で笑うの?」

自分の気持ちを馬鹿にされたと思ったのか、男の子はまた泣きそうな顔になる。

「ああ、ごめんごめん。いや、君は僕と同じだと思ってさ」

僕は慌てて弁明した。

風船にメッセージを載せて飛ばすなんて、まさに僕らが子供のころにやったのと同じじゃないか。

僕らは宇宙人に。

そして彼らはスペースレンジャーに。

うろ覚えの知識では、スペースレンジャーは悪い宇宙人と戦っていたような気がする。

下手をすれば、手紙の受取人は敵同士だが、それも仕方ない。

風船同士の戦いだ。彼らには彼らの戦いがあるのだ。

「にいちゃん、さっきさ、空飛んでたよね!オレ見たんだ!」

男の子がキラキラした目でこちらを見ている。


僕は木から降りた。

体を包む浮力はもうほとんど無くなっていた。

さて、どこから話をしようか。



終わり

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