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1-1 目覚め

 アインツブルヘン。魔族との境に身を置く、戦い多き戦塵の国である。その過酷な環境に身を置くための、デヒナルトからの慈悲なのか、魔導士が良く生まれ、彼らの創りだす魔術による美術物が、帝国一の輸出物となっていた。高値で取引されるそれらは、魔導士一個人による自由売買は認められておらず、必ず国の対外国部に集められ、そこを通して売買が成立していた。

 魔導士国家、ともいえる帝国であるが、同時に軍人国家ともいえるこのアインツブルヘン。非魔導士である、いわゆる普通の人間のヴィヴィアン=イルラーゼは、数代前に魔導士を出したきり、繁栄を閉ざされた下級貴族の娘だった。下級貴族と言えど、領地も持たない準男爵家であり、まだ繁栄の名残のあった祖母の時代に、金と地位に目が無かった祖母が帝国より買い取った最下位の爵位である。

 爵位が買えてしまうなど、世も末だと幼いヴィヴィアンは冷めた目で肥えない畑をよく眺めたものだ。悪政と言っても、過言ではないだろう。準男爵家などと、家名を名乗ったところで、鼻で笑われて御終いの爵位であるのに、その買取価格は異常なものだった。きっと、無学だった祖母の弱みに付け込んだに違いない。せめて、祖父が生きていてくれたら・・・幼い母は子供時代をいつもそう思って過ごしていたという

。思えば、祖父の落馬事故からこのイルラーゼ家は、転落の道をころころと転がりはじめたのかもしれなかった。


 とはいえ、生まれたときから、馬鹿みたいに貧乏だった家で育ったヴィヴィアンは、早くから子供らしい夢は捨てていた。食うためには何が必要か。明日のパンはどうやって得れば良いのか。

そんなことばかり考えている子供だった。

 欲狂いの祖母が「無価値」だと放っておいてくれた、商いに関する古い本は、物置小屋の藁の下から見つけて以来、ヴィヴィアンの宝物になった。内容は、毎夜悪夢にうなされるくらい難しいものだったが、それでもヴィヴィアンは考え、考え続けていくうちに、9歳でその本を読み終え、またその内容を十分に理解していた。物の原価を知るヴィヴィアンは、あくどい商人がやってきても、正論でそれを跳ねのけ、周りの民家の住人の暮らしを守った。それを1年続けているうちに、村を訪れた地方役人の眼にたまたま止まって、「養子に」と引き取られた。どうやら、ヴィヴィアンは稀にみる賢い子供らしかった。


 養女となったヴィヴィアンは、イルラーゼという姓を捨て、代わりにオーベルという姓を名乗るようになった。夫妻はとても良くしてくれ、ヴィヴィアンも彼らにとても懐いた。だが、両親や小さな弟への思いは健在だった。そればかりか、募る一方だ。いつか必ず、高給取りになって、実の両親と弟に良い暮らしをさせてあげたい。ヴィヴィアンの目標は、決まった。



「お義父さん、お義母さん。月に一度はお手紙書くわ」

「ええ、ええ。気を付けてね、向こうは寒いと聞くから、服はちゃんと良いものを買うのよ。それに年頃なんだから、きちんとした小奇麗なものを選びなさい」

「わかったわ。私はどうもセンスがないみたいだから、服を買うときはお店の人に選んでもらうことにする」

「そう、それがいいわね」


 ほっと安心した笑顔の夫人に、どれだけ自分はセンスがないのだろうかとヴィヴィアンは頭を悩ませずにはいられない。だが、今着ている服は夫人自ら独り立ちのお祝いにと作ってくれた、品の良いドレスだ。北に向かうヴィヴィアンに合わせて、丈夫な裏地をつけてくれているから、向こうでも重宝して着れることだろう。当分は、服には悩まなくても良さそうである。


「バベル大佐付の秘書になるとは・・・さすがは私の娘だ」

「お義父さん、”バベル大佐付の秘書課”に配属されたので、その言い方は少し適切ではないわ。お願いだから、”バベル大佐付の秘書課”で働いているっていうふうに、ご近所さんには言っておいてね」

「む。どちらの言い方も、大佐付の秘書であることに変わりはないだろう」

「大違いよ、お義父さん!」


 とにかく娘を誇りに思い、自慢したい様子の養父に終いにはヴィヴィアンもあきらめて、好きなようにしてもらうことにした。どうせは、いずれ大佐付の個人秘書になるつもりである。ヴィヴィアンは、大きな野望を胸に、戸口で夫妻を振り返った。



「お義父さん、お義母さん。今まで有り難うございました。ヴィヴィアンほどの幸せな娘はいません。本当に有難う」

「たまには帰ってくるのよ・・お手紙もね」

「ヴィヴィアン・・・」


 今にも涙腺が崩壊しそうな夫妻に、柔らかな笑みを浮かべると、ヴィヴィアンはくるりと反転した。

この夫妻の住む館にやってきて、4年。その間、好きなだけ勉強をさせてもらった。美味しいご飯も、仕立てのいいドレスも着せてもらった。美しい花を愛でる楽しさを夫人から教わり、勉強を素直に楽しいと思える感情を養父から教わった。

 なんて幸せな日々だったことだろう。この4年間を思えば、例え今から赴く場所が、戦塵の舞う要塞であったとしても、ヴィヴィアンにとって何の障害にもならなかった。

”幸せ”を知った少女は、強かであった。生への渇望、それよりも幸せを追い求めるための生きる力が、ヴィヴィアンはどれだけ素敵なものか、学んでいたのだ。



***



 その頃、王都のすぐ近くにある秘された森、ノイエ・ガーデンにて、一体の獣が瞳を開けた。

なめらかな身体は、穢れなど一切許さぬような白で覆われ、胴体から延びる4つの脚は、しなやかに地面に伸びている。

 獣は、力の入らない四肢に懸命に聖気を流し込み、数分後にようやっと立ち上がることができた。

硝子玉を埋め込んだかのような、濡れた瞳は一心に北の地を見つめる。長い睫毛はぴたりと止まり、瞬きさえしない。

 その様子を、彼女はじっと見つめていた。美しい赤い唇に弧を描き、そっと獣に歩み寄る。

獣は気づいているが、彼女の事は無視しているらしい。それよりも、北の地が気になってしかたがない様子だった。


 なんてつれないこと、と女が呟いたが、それはどこか嬉しそうな声音を含んでいた。



 朝露にしっとりと濡れたノイエ・ガーデンの翠色の中、獣はしばらく、請うように北の地を見つめ続けていた。


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