序章
機密チェック。
電源チェック。
システム起動。
各部システムチェック。致命的異常無し。酸素残量十分。
脳波認証……エラー。所属と官姓名、認識番号と共に声紋をチェック。
合衆国宇宙軍、月面駐留部隊、ニール・アームストロング少尉。社会保障番号1969-07-2020。
偽の認証コードを通します。スタンドアロンのシステムなので、一度騙してしまえば苦労はいりません。
「……よし」
第一世代AMS、『ハンニバル』。起動。
「さて、楽しい月面散歩と行きましょうか」
エアロック開放。視界にうつるのは、クレーターだらけの砂地と、太陽光利用システムの受光部群。その他、雑多な人工物。
わたしの世界は、ここにある。地球からの距離約30万km。自転・公転周期約30日。赤道直径約3500km。重力0.17G。
太陽系第三惑星地球の衛星・月。
人類の辿り着いた最後のフロンティア。此処は、その最初の足掛かり。
「……だったら良かったんですけど」
世界は、そう都合良くは回っていないもので。
2068年。人類が月に降り立ってから100年を目前に控えたその年。人類は外宇宙からの侵略に怯えることとなる。
知的生命体という概念が確立して以来、延々と唱えられて来た地球外生命体の来訪。そのXデーがとうとう来たのだ。
だが、それは多くの人間が予想していたものとは些か趣きを異にしていた。
外惑星探査網に偶然引っ掛かったそれは、光速の数パーセントで太陽系目指す物体群だった。
当初は、稀な天文現象……恒星間を渡ってきた流星群か何かではないかという見方もあった。だが、光学観測の結果は、明らかな人工物。物体群は、円錐形の綺麗な形状。それが、綺麗な隊列を組んで航行していた。議論の余地はほとんど無かった。
地球上のあらゆる言語、及び情報的符号に基づく誰何。各国政府機関による、概ね歓迎のメッセージ。ピタゴラスの定理、素数列、原子のイオン化エネルギー、その他「自分たちが知的生命体である」ことを定義するデータの送信。果ては人類のゲノムデータ、賛美歌、神学大全に至るまで。
そういった通信が、公式・非公式問わず世界中の大型通信設備から行われた。相手の処理能力越えを危惧する国際機関の制止にも関わらず。
だが、それら一切の通信に対して、対象は何ら反応を見せなかった。交流・交戦。目的は不明。
そして観測データが集まり、予測された物体群の進路は、太陽系の複数の惑星を掠める軌道。そこには、地球も含まれていた。……誰が呼んだか、「各駅停車」。ことここに至り、物体群の目的解析は急務となった。
議論の果てに科学者達と一部の軍人が出した結論は、ごく単純。曰く、『惑星探査のための無人探査機』或いは『惑星侵略のための尖兵である無人兵器』。
二通りの結論の理由は、絞り込めなかったから。要するに実体としては探査目的のプローブであろう、と。だが、物体の詳細な内部構造は依然として不明のままであった。無人である点で一致していたのは、単純に速度を鑑みた結果。たかだか光速の数%では、隣の恒星までですら、時間がかかり過ぎるから。
つまり、この結論は「自分たちがこんな物を作り出す立場なら、それはどういう理由によるか?」を論じた結果にすぎない。
困ったことに、これら二つは物理的には同質のものであっても、人類の対応は180度変わらざるをえない。
交戦か、友好か。人類は、メッセージを送った後に悩む羽目になった。
それはある種、知的生命体であるが故のジレンマだった。送り出した側は、この本質的な矛盾に悩んだのだろうか?いや、それとも受け取る側をテストするため、敢えてそうしたのか。
予想されるシナリオは概ね2つ。第一に、無人探査機であった場合。プローブ群は地球をかすめる軌道で調査をし、通り過ぎ(フライパス)るだろう。第二に、無人兵器であった場合。進路を地球に狙いを定め、体当たりをしてくる恐れがある。大気摩擦を考慮しても、人類は大きな打撃を被るだろう。しかもどちらであっても、今の人類の技術力では手出し出来ない。
ならば、無抵抗でいるしかない。ありのままの人類を教え、まだ見ぬ「彼ら」が下す判断が人類に友好的なものであることをただ祈る。
時間は無かった。他の方法も見当たらなかった。
軍組織の一部は異も唱えたが、結局、ようやく形になりつつあった宇宙艦隊を火星に派遣し、静観する他は無かった。
……その「プローブ」群の一部が、火星へ落着するまでは。