読書/夏目漱石『硝子戸の中』 ノート20180505
夏目漱石『硝子戸の中』朝日新聞初出1915(大正4)年
硝子戸の中は随筆だ。
題名の意味するところは、これに仕切られた漱石の書斎のことだ。昔日のバラエティー番組にある寸劇では、きまって茶の間のセットがあったものだが、漱石の書斎が舞台になる。書籍やら書簡が書棚からはみ出して、畳の上にもうず高く積まれた状況が描写されている。持病のため長らく病院に行き、そこから戻って来ると、遠出をすることなく、ここから世間というものを眺める。
前半は、過去にこの書斎を訪れた人々が描かれている。自作の素人小説の感想を求めてきたり、出版社に売り込んでくれと言ったりして押しかけてくる小説家志望者、短冊に一句書いてくれとせがんでくる「巡礼」親爺、身の上話をきいてくれとやってくる老婆……。それが後半になると、亡くなったペットや家族の思い出、回顧録になってくる。
四十の恥かきっ子という言葉があった時代、両親の晩年に生まれた漱石は、生まれるとすぐに里子に出され、気の毒に思った姉が連れ帰って父親に叱られたこと、かなり年の離れた二番目の美男の兄が独身のまま他界していると芸者が訪ねてきて焼香をしたことが綴られている。また、子供時分の漱石は多感で、金縛りにあったり、冥界の縁をのぞきこむような怖い夢をみたりしていた。そんなとき、祖母だと思っていた上品な母親の名を呼んで悲鳴を上げると、疎遠であったその人が枕元にやってきて、優しい言葉をかけてくれたことが嬉しくて生涯忘れなかったことなどが綴られている。姉が、赤子である漱石を里子にやられた先から連れ帰る逸話と、母親の逸話はよく引用されるところだ。
個人的に興味深かったのは、『吾輩は猫である』のモデルとなる初代猫から三代目の黒猫の話題だ。この黒猫は漱石が入院する直前に皮膚病にかかり、獣医に安楽死させてもらおうと考えていた。だが退院してみると、黒猫はまた毛が生えてきて元気になっていた。死に損ないの自分と、病気から回復した黒猫とを重ねて、なんだか元気がでてきた、もうちょっと頑張ろう、みたいな感じがいい。――ポオの『黒猫』にでてくる、ネガティブな語り手の男と、歴代黒猫たちとの因果な関係とは真逆になって、「ほっこりした」感じだ。
また、最近注目されている江戸時代の天才画家・伊藤若冲の話題がこの中にあった。さすがは漱石先生!
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