領内の評判
「どうやらまた」
あるいは、
「いよいよ」
と、領内からルシアニアに集まってくる犬頭人の群れを目の当たりにしたルシアニアの人々は噂をしあった。
「男爵が動き出したらしい」
この前後にルシアニア内部に在住していた者は、ほとんどが洞窟衆関係の仕事に就いているか、それとも洞窟衆との取引相手になる。
いずれにせよ、ルシアニアでは日刊とはいかないまでもかなり頻繁に新聞が発行されていたし、それ以外に、辻芸人が漫談や人形劇など形でニュースを伝えて日銭を稼ぐ光景が日常的となっている。
ルシアニアの在住者は他の周辺諸国と比べると、些細な国政情勢の変化についてかなり詳しくなっていた。
なにかあると国債を発行することもあり、ルシアニアの住人たちもそうした情勢の変化についてかなり敏感に反応する。
この時の動きにしても、
「犬頭人たちがルシアニアに集まっているのだから、つまりハザマは王国側から森を攻めるつもりなのだろう」
と、すぐに察した。
これまでのように森東地域へ派兵をするだけだったら、わざわざルシアニアに犬頭人を集める必要もないからである。
よそからルシアニアに出張してきた商人たちはすぐに通信所へと駆け込み、自分が所属する商会へ連絡して穀物などを買うようにと伝えた。
どんな形であれいくさが大きくなれば食糧をはじめとする軍需物資の値は上がる。
特に穀物は相場という形で変動をするので実物を押さえる必要がなく、相応の金を積めば「将来的に荷を受け取る権利」を売買することが可能だった。
近い将来、必ず値があがるとわかっているのだから、現金さえあればこの時点で買っておいて適当な時期に手放せば必ず利鞘が稼げる。
こんなに楽で確実に儲けを得る手段はそんなにないわけで、ましてや、この場合は軍資金が多ければ多いほど得られる利潤も大きくなるので、個人でやるよりは商会などの組織に頼った方が効率がよかった。
「男爵は森の東側と西側、両側を押さえるつもりか?」
「こちらに兵を集めているってことは、そうなんだろうなあ」
「アルマヌニア公爵領の森に敵兵が出たってことだから、それに対応した形だろう」
別の者は、酒場などに居合わせた同士で推測を口にする。
「あの森には、洞窟衆が出資している村もかなりあるはずだ」
「まだそんな村に被害が出たって噂は聞こえてこないが」
「いずれ時間の問題、と判断したんだろうな」
「実際に被害が出てから動いたんでは遅い、っていうのはある」
「ここからだと遠いからな、あの森は」
「それはいいんだが、森東地域にもかなり兵を送っていたはずだろう?
大丈夫なのか、軍資金とか」
「大丈夫じゃないか?
洞窟衆はそんなところで見栄を張るようなたまでもないし」
「無理だと予想したら、そもそも無理に手を広げないだろう」
基本、洞窟衆の上層部はリアリストであり、自分たちの手に負えない事業には手を出さない。
そんな認識が、この時点でルシアニアの住人たちに共有されていた。
「にしても、戦場が広がりすぎるかな」
「あの森、かなり広いからなあ」
「漫然とあの森を守るとかいったら、それこそ兵隊が何十万人居ても埒があかない」
「まずは開拓村の安全を確保して、それ以降は周囲の意見も求めて調整ってところじゃないか」
「周囲って?」
「まずは、アルマヌニア公爵様だな。
洞窟衆が動いたとなれば、黙ってもいられんだろう」
「手を出すな、などというわけにもいかんから、おそらくは連携をして動くことになる」
「王家はどう動くと思う?」
「動けるのかなあ」
「先日、王城に痛手を受けたばかりだというし」
「今の王室が号令をかけても、どれだけの諸侯が動くことか」
「ただ、あそこの森を拠点として国内を荒らされるのも困るから」
「ああ。
どこまで本腰を入れて動くか、動けるのかはわからんが」
「なんらかの対応はするんだろうな」
「噂では、王家は貴族の盟主たる座を降りる工作をしているところとか」
「しっ。
変な噂話をしていると、不敬罪でとっ捕まるぞ」
「いずれにせよ、王家の威信が以前よりも失墜していることは隠しようがない」
「むしろこの件をきっかけにして、うちの男爵が周辺地域の盟主にもなりかねない」
ある者がそう口にすると、周囲にいた者が驚いた表情でその言葉を吐いた者の顔を見つめた。
「なにを見ている。
男爵はどうもあまり表に出たがらないらしいが、ここ一年、洞窟衆の働きが数々のややこしい案件をどうにか納めて来たことは事実だろう。
どうにもおれは、男爵がいまだに男爵でしかないことが不自然に思えてならんのだ」
「男爵が、その働きにふさわしい地位や評価を得ていない、と?」
「そうではないのか?
噂では、先日の王城襲撃の件でも、男爵が暗躍して王族を救出したといわれているぞ。
それだけの働きをして、それでもまだこんな辺境に封じられたままというのはおかしくはないのか?」
「十分な報償を与えるだけの余裕が今の王国にはない」
別の者がいった。
「そう、見るべきだろうな」
「短い間にあれだけ大きな事件が立て続けに起こったんだ。
それも無理はないだろう」
「だが、そもそもうちの男爵以外の貴族が同じような手柄を立てて、それでもなんの見返りもなかったとしたら謀反を起こしてもおかしくはない」
「謀反なんざ起こしてなんになる。
と、男爵ならいうだろうよ」
「おそらくはな。
うちの男爵は、王家にはそういう期待をそもそもしていないんじゃないか」
「普通の貴族とは、かなり毛色が違うからな」
「儲けが欲しければ、自分で仕事を作ればいい。
褒賞などは特に欲しくはないが、事務仕事をしてくれる文官なら大いに歓迎する」
「名誉よりも実益、か」
「それと、あんまり王家に借りを作って、紐付きになることもいやなんじゃないのか?」
「それよりも、王家に貸しを作ったままで、そのままこちらの動きに口出しをして来ない方が」
「かえってありがたい、っと。
うちの男爵ならば、考えそうなこった」
「でも、森が騒がしくなるってえと」
「武器の工房なんかは、また忙しくなるな。
しばらく弓矢なんかの在庫は増えていたはずだが」
「森東地域の件で、年末前後から増産体制に入っていたからな。
武器関係は、しばらくそんな状態になるだろう」
「作った端から売れていくんじゃ、工房を忙しくさせておくしかない」
「それよりも穀物が」
「ああ。
また、相場があがるな」
「さがる暇がないな。
あといくらかすれば、春小麦の収穫があるから幾分は落ち直すはずだが」
「山地方面への輸出分を、いくらかそちらに回す感じになるか?」
「食い物は勝手にこちらの都合に合わせて増えてはくれんからな。
調達出来る分をうまい具合に分け合うしかないだろうよ」
「これから寒さが厳しくなるって時期に」
「山地の連中は、これまで運び込んだ分をうまく備蓄しているだろうさ」
「そもそも、洞窟衆の輸送網が届いているのは山地全体から見ればごく一部に過ぎん」
「輸送網が届いていない部分は、うん、連中が自分の才覚でどうにか切り抜けるしかないな」
「今回、あの広い森を挟んでの大いくさってことになるわけだが。
勝てると思うか?」
「負けはしないと思うけど。
そもそも、勝敗の問題なのか?」
「というのは?」
「今回の件は、ようするに山地から降りてきた食い詰め者が原因ってことだろう?
そいつら全員に仕事なり衣食なりを手当てすれば、そもそも争いの理由がなくなる」
「おま」
そう発言した者以外が、驚いた表情でその男を見つめた。
「そりゃ、そうなんだろうけど。
でも、そんなことを現実に」
「やろうとしたら、どれほどの富が必要になるか。
いや、今の洞窟衆ならば」
「やりかねん、のか」
「そもそも、今、森東地域でやろうとしているのがそういうことだろう。
実際の戦闘は極力避けて、協議の場を設けてどうにか合意を引き出し、開拓事業などを展開することによって金を回す。
迂遠で時間はかかるが、死なないでいい人間が死ぬ数は減る」
「まあ、兵を出してもあそこを占領して支配下におくつもりはないってのは、明らかだよな」
「おまけに、金子もたっぷりかかる」
「奪うよりも投資。
そう考えると、うちの男爵は貴族よりも商人寄りの発想をするんだよな」
「気が長いことは確かだ。
ここルシアニアの造営費用だってかなり莫大なはずなんだが、それを回収するのだってこれから何年もかかるはずだし」
「だが、その大がかりな造営のせいで、それこそ何十万って単位の人間が職を得ている」
「それでここで育った職人は、しばらく働いていれば別の土地へいっても通用する技術を身につける」
「ルシアニアだけでなく、洞窟衆のおかげでどれほどの流民が使える人間に育ったことか」
「食わしている人間の数でいえば、洞窟衆はどんな王侯貴族にも引けを取らないだろうな」
「それもこれも、うちの男爵が最初から貴族という形に捕らわれていないからだ」
「これまでと同じことを、森や森東地域でもやろうっていうのか?」
「多分、やるんだろうな。
おそらく、これはいくさというよりは輸出だ」
「輸出?」
「洞窟衆というあり方や方法論を、売りつけにいくんだ。
食い詰め者がたくさん居るとかいう森東地域に」
「森東地域全体をハザマ領みたいにするっていうのか?」
「まるっきり同じにはならんだろうが、かなり似たような物にはなるんじゃないか?
なにより」
「なにより?」
「金と食糧をたっぷり持った兵隊に勝てるやつは、そんなに居ない」




