犬頭人の行軍
こうした実務以外にも、王国や周辺諸国にも事情とこちらの意向を通告して理解を求めておかなければならない。
なにしろ、洞窟衆が自分の意思により軍勢を起こすのはこれがはじめてのことになる。
余計な警戒心を呼び起こしても摩擦の原因になるだけであったし、事前に出来ることはすべてしておく方がいい。
これまで、洞窟衆の軍事行動はすべて外からの依頼を受け、それに応じる形がほとんどであった。
そのため、そうした交戦前の根回しなどについては組織的に見ても経験がなく、外交活動についてもそれなりに経験を持つマヌダルク姫から助言を受けつつ、慎重に具体的な文面を固めていく。
そうした王国を含む周辺勢力への通達は、煩雑で避けられない作業ではあるものの、いってしまえばただそれだけの仕事でもあった。
それよりもハザマとしては、
「これでいよいよ引き返せなくなるな」
という思いが強い。
この一連の動きは、いってしまえばこれまでどこかの下請けに甘んじていた洞窟衆が、自分の意思で外部への干渉を開始する事例となる。
いや、昨年末から森東地域への干渉も行ってはいるわけだが、あれはあくまで洞窟衆と森東地域、この二者のみの問題といい逃れることが出来る範囲内でのことであった。
しかし今回は、その延長線上にある動きであるとはいえ、周辺諸国にまで洞窟衆の意向を周知し、その上で森の中にある開拓村をとことん守り抜く意思を完遂すると宣言したのに等しい。
客観的に見ればそうした開拓村をすべて合わせたよりも洞窟衆が干渉をする森東地域の方が面積も大きく、そこの住人も圧倒的に多かった。
つまりは、開拓村を守りたいという洞窟衆のエゴを通すために、場合によってはそれ以上の犠牲を出すことも厭わない。
そんな姿勢を洞窟衆は内外に示す形となる。
これまで、少なくとも形式上は王国の下部組織に甘んじていたハザマ領が、洞窟衆が、いよいよ主権的な集団として自発的な意思により動き始めた。
外部の者たちは、そう見なすはずであった。
現在、男爵でしかないハザマが王国から公爵の位を下賜されることを待たずに動き出した形であり、当然、そうした体面を重んじる連中などは不快に感じるはずだ。
こうした行動は、現在のハザマの身分を考えると明らかに越権行為に該当するわけで、そうした身分を自明とする人々はかなり動揺するはずなのである。
それ以外の、現在の洞窟衆の実力を過不足なく評価している人たちにしてみれば、
「いよいよ本腰を入れて動き出したか」
と、そう思うことだろう。
ハザマがそうした身分について、あまり重視していないことは内外に知れ渡っていた。
そのハザマが自発的に動き出したわけであり、これまで洞窟衆の動きを注視していた者たちから見れば、ようやく洞窟衆がその実力に見合った責任を果たしはじめたと、そう見なすはずであった。
洞窟衆がいよいよ本気で王国のくびきから逃れ、自分の意思でうごきはじめた。
その事実をどのように評価するにせよ、今回の件はその事実を外部にも強く印象づけることになる。
その、はずであった。
どんどん面倒なことになるな。
と、ハザマは思う。
こうして場合によっては軍事行動を含む対応を取る姿勢を明示すれば、当然、洞窟衆が周囲から今まで以上に警戒されることにもなる。
無論、こちらとしても、今回の件も含めて防衛的な目的以外には強硬な態度を取ることはないと説明をするつもりではあるが、それもどこまで本気に受け取って貰えることか。
過度に見くだされ、舐められるよりはいいのかな。
とも、ハザマは思った。
どちらにせよ、すでに動き出してしまった以上、その結果どんな反応が返ってくるのか、こちらとしては待つしかない。
それもこれも含めて、外交という物なのだろう。
つまり、洞窟衆とハザマ領とは、今後はそうした外交活動を必要とするような独立勢力として見なされるわけだった。
これは、王国がハザマ領を切り離す前に、ハザマ領の側が勝手に動いて王国とは別の判断で動く勢力であると示した形になる。
そうしたことも含めてハザマは、
「いよいよ引き返せないところにまで来てしまった」
と、そう思ったわけであった。
ハザマたちが会議し根回しなどを行っている最中にも、洞窟衆内部では粛々と仕事を遂行していた。
まず領内各地の冒険者ギルド支部が出入りをしている犬頭人たちに声をかけて、
「出来るだけ大勢を集めろ」
と命じる。
「ハザマ直々の命令である」
とつけ加えたので、すぐに予想以上の、冒険者ギルドにこれまで登録していなかった犬頭人たちまでがわらわらと集まって来た。
供給する食糧の都合などにより、人数を調整して若すぎる個体を返すなどをして部隊を編成し、各人に背負子を配ってそこに乗せられるだけの缶詰を乗せて送り出す。
あるいは、缶詰を所蔵している倉庫まで移動させ、そこで荷を受け取らせる。
領内各地に点在する冒険者ギルド支部で、同時にこうした動きが起こっていた。
結果、領内の道という道に犬頭人たちが列をなし、一路まずはルシアニアへと目指す。
そのルシアニアに一度集合をしてから、道案内役の人間などを含めた隊列を編成し直し、改めてアルマヌニア公爵領内にある開拓村へと急ぐ予定になっていた。
この時点で、領内でこそ犬頭人の姿はさほど珍しくもなくなっていたが、一歩領外へ出ると犬頭人をはじめとする異族はまだまだ恐怖の対象だった。
そのため、無用のトラブルを回避するために、今回の隊列にも何名かの人間を配置し、高々とハザマ領と洞窟衆の旗を掲げて所属を明示する必要があった。
無論、こうした行軍の途上、通過する場所には事前に告知をしているわけだが、そうした情報がどこまで徹底して広められるのかもこの時点では定かではなく、いつ途切れるともわからない長々とした行列を作る犬頭人の姿を目の当たりにした人々がどのような反応を示す物か、予測がつかない部分もある。
ハザマたち洞窟衆にしてみれば、そうしたトラブルを回避するために手を尽くすのは当然のことであり、少なくともそうした移動ルート上にある人里に関しては、その土地の首長などに対する公式の告知とは別に、わざわざ先回りして人を派遣し、普通の村人たちや一般領民に対して念入りにことの次第を説明するよう、手配をしていた。
こうした犬頭人の隊列は、いざ動きだすとなると人や早馬などよりもよほど早く移動することが出来たが、なにぶん人数が人数であり、多くの場所では、
「いつまで見守っても隊列が途切れない」
あるいは、
「ひとつの隊列が通過したと思ったらすぐに別の、同じような規模の隊列が通過していく」
という事態になるはずであり、そうした光景を実際に見た者が不安に駆られるのは容易に予想が出来る。
そうした不安の暴発を防止するために、洞窟衆としても出来る限るの手を打っておく必要があった。
それ以外に、街道沿いに点在する駅にも通達し、周辺住人に騒がないように注意を喚起するように伝えていた。
この駅というのは、馬車や旅行者用の休憩施設であるが、手狭なことが多く宿の機能に関しては需要のほとんどを満たせない程度の設備しか持たない場所がほとんどだった。
ただし、水飲み場を備え、軽食なども提供し、周辺で足を休めるための場所として最近では定着している。
少し前まで旅行者用の設備など大きな町に行かなければならなかった状況に比べると、こんな貧弱な施設であっても、
「あるだけまし」
であり、ことに最近は洞窟衆関係で物流の量が恒常的に増えていたので、周辺地域の街道沿いには増加しつつある。
犬頭人の隊列は、なにしろ人数が人数であるからこうした駅で足を止め、気軽に利用出来るはずもなかったが、こうした駅の利用者というのはおおむね各地を移動している者でもあるので、各駅で周知を徹底すれば洞窟衆の出兵についてもそれだけ早く、効率的に噂が広まるという計算もあった。
こうした配慮に対して真っ先に着手したのは、無論、無用な摩擦を避けるためという理由がまず第一にあるわけだが、洞窟衆内部でハザマの主張する、情報重視のポリシーがこの時点では浸透をしはじめていたからでもある。
この世界の従来の思考法であれば、おそらくは今回の件に関しても、
「周辺地域の支配者層に周知をする」
だけでよしとしたはずであった。
しかし洞窟衆は、ハザマがなにもいわなくてもそれ以外の領民の反応を予測し、その上で最大限に配慮をして、可能な限り無用な摩擦が起きないように手配をしていた。
おそらく洞窟衆は、この世界においてこうした軍事行動が支配者層だけの問題ではないと、そういう意識を共有した最初の組織になるはずである。
この犬頭人たちは、最長で三日をかけてルシアニアからブラズニア公爵領を抜けてアルマヌニア公爵領内にある森へと到着する予定になっている。
国境紛争の際、ハザマはほぼ同じルートを逆方向に北上して戦場に移動しているのだが、その時は馬車を連ねて十日以上をかけて移動していた。
それと比較をすると、隊列を組み重たい荷物を背負っていても犬頭人の移動はかなり速い。
種族的な適性として俊足であるからだが、こうした特性を持つ犬頭人を主力に据えて軍事行動を起こすのも、おそらくは洞窟衆がはじめてになるはずであった。
それ以前にも洞窟衆は国境紛争時に犬頭人を兵として用い、また、山地でもルシアナが健在だった時は異族を戦力として活用していたのだが、今回は犬頭人たちは歴とした主戦力扱いであり、これはやはり例外的な事態といえた。