森の異変
その冬、周辺地域がなにやら忙しくしている中、ハザマ領だけはしばらく平穏であった。
それをよいことにハザマは領内並びに洞窟衆の組織改革を機械的に進めていく。
この前後はそれぞれの部門内では専門性を増して行き、つまりは作業効率が飛躍的にあがっていく時期に相当するが、その代わり部門間の摩擦も増えていた。
それ以上に多かったのは、製造部門の効率があがったため原材料の調達が間に合わなくなってくる事例であり、これは事前に傾向を察することが出来たのである程度は先回りしてそれまで視野に入れていなかったような遠い場所にまで行って取引を持ちかけ、どうにか対応しているようだった。
そうした遠方から取引をして物資を安定的に調達する、ということは、つまりは洞窟衆の商圏がまた広がるということを意味し、つまりそこからハザマ領間の流通ルートも開拓しなければならない。
これはいうほど簡単な仕事ではなかったし、それに、固定的な流通ルートを持つことになれば、それを保持するために一定数の人員を確保する必要もあった。
洞窟衆は森東問題に取り組んでいる間にもこうした平常の業務もこなしているわけであり、それどころか多分、関わっている人数の比率でいえば製造業とか流通関係など、戦乱などには関わっていない人間の方が圧倒的に多かったはずだ。
また、そうした日常生活を平穏に送っている人間に余計な被害が及ばないように努めるのも、権力者としてのハザマの、大きな目的になっている。
内部規定や法整備なども含め、組織としての洞窟衆を安定的に稼働可能な状態に保つ。
というのが、現在のハザマの具体的な仕事になっている。
まだこの決定については公表されていないのだが、ちょうどハザマ領が王国から完全に独立をすることが決まったばかりでもあり、今のうちに出来る準備をしておく必要もあった。
必要性と、それに丁度いい機会でもあったので、ハザマは粛々とそうした改革を断行していく。
とはいっても、この段階では領主室直属の職員に相応の裁量権を与えた上で各部門へと派遣して、十分に調査をさせた上で必要な調整を行うだけであったが。
そうした各種問題の折衝事例についても書面として提出させ、今後の法制化のための資料にするつもりだった。
この世界においてどんな問題が起こりやすいのか。
その具体例を集めた資料として、これ以上に適した物はない。
ハザマはしばらくそんな風にせっせと内部の環境を整えていたわけだが、そうした比較的平穏な時期は唐突に終了した。
アルマヌニア公爵領東部にある森林地帯に、武装した勢力が侵攻をしてきたのだ。
この森林地帯には、これまでも森東地域から人間が流入してきた例があったわけだが、今度の乱入者はどうやら食い詰めた流人などではなく、確固たる意思を持ち、組織的な軍事侵攻を行っている集団になる。
まだ確定的な情報は届いていなかったが、断片的な情報を繋ぎ合わせて考えるに、どうも森東地域での勢力争いに敗れた連中が、どうやら森を経由して王国側にまで足を伸ばして来たらしかった。
「ああ」
その報告が届いた時、ハザマはそっとため息を漏らした。
「こんなに早くに、か」
山地での勢力争いに敗れた連中が山を下って来た。
それと同じパターンが、森東地域で繰り返された形になる。
ハザマとしても「いずれこうなるのではないか」、という漠然とした予想はあったのだが、ここまで動きが速くなるとは予想していなかった。
こうした動きがいずれは出てくるにせよ、それはもっとずっと後のことだろうと、そう考えていたのだが。
「うちがあそこに物資を持ち込んだりしたから、かえって争いが激化したのかなあ」
「そういう要素は、あるのかも知れませんね」
ハザマがなんとなく呟くと、すぐそばで仕事をしていたリンザが顔をあげてその意見に同意をした。
「今までにうちが持ち込んだ物資はかなり大量になりますから。
それにより、息を吹き返したり勢いづいたりした勢力は少なくないと思います」
現在洞窟衆は、森東地域にかなり大量の、食糧をはじめとする物資を持ち込んでいる。
これからなにをするにしても、現地に居る人間をまずは生き延びさせること。
これを、最初の目的としているからだ。
現地の人間から事情を訊き、もしも必要があれば対立する勢力間の調停を試みる、などの働きかけはその次になる。
しかしその結果として、本来であればもっと早く脱落するはずの勢力がかろうじて生き延びたり、あるいは洞窟衆が持ち込んだ物資によって従来よりも勢いづいた勢力も当然あったはずで。
つまりは、洞窟衆が介入した結果、森東地域での勢力争いを加速してしまったのではないか。
そうした懸念を、ハザマとリンザとは共通して持っている。
「アルマヌニア公爵からは、なにかいって来ている?」
「今の時点では、うちに支援を求める動きはないようですが」
リンザは通信を使って何カ所かに連絡を取り、確認をしてからハザマに答えた。
「この時点で王国中央と、それに治安維持軍には支援を求めているようです」
「筋からいえば、そうなるのか」
ハザマはその言葉に頷いた。
「仮にこれからうちに声がかかるにしても、もっと後になるのか」
筋からいえば、アルマヌニア公爵が真っ先に頼るべきは王国中央になる。
治安維持軍と洞窟衆は、アルマヌニア公爵にしてみれば、あまり頼りにしたくはない相手、なのかも知れない。
背に腹は変えられないし、なによりこの事態を短期間のうちに、あまり大事にならないうちに収拾したいだろうから、治安維持軍にも声をかける。
洞窟衆にまで要請が来なかったのは、ハザマ領の地理的な条件、つまりこれから援軍を差し向けても、相応に時間がかかるから、だろう。
第一、今の洞窟衆は山地がある北方経由で森東地域へと、延々物資を運び込んでいる。
控えめにいってもかなり膨大な人的リソースをそちらに割いているわけであり、さらにこの上、
「急いでこちらにも支援を」
と要請することは現実的ではないと、アルマヌニア公爵はそう判断したのではないか。
ハザマは当代のアルマヌニア公爵とは数回、遠目に見掛けた程度の関係だったが、その時の印象と風聞とを考え合わせると、かなり実直で常識的な判断をする人物であるらしい。
それにあそこは。
と、ハザマは心の中でつけ加える。
あまり豊かな領地ではないからなあ。
アルマヌニア公爵領はそれなりに広かったが、その半分以上があまり生産性のない森によって占められている。
名誉はともかく、アルマヌニア公爵は経済的に見るとさほど裕福になるべき理由を持っていなかった。
洞窟衆に助けを求めるとなると、当然なんらかの見返りを用意する必要があるわけで。
その用意を出来るあてがなかったから、アルマヌニア公爵は洞窟衆にも声をかけなかったのではないか。
現在、アルマヌニア公爵は森東地域と自領とを結ぶ、森の中を突っ切る道路を建築中であり、その事業については洞窟衆も協力している。
しかしそちらは、無事に道路が開通すればそれなりの見返りが見込めるから、なにも問題はない。
今回の件については、森の中を侵攻して来た連中を無事に追い返せたとしても、アルマヌニア公爵にとってはあまり利益にはならないのだった。
防衛戦争とはあまり戦利品を望めない、勝ったとしても損害が減るだけの、仕掛けられた側が不利になる性質がある。
アルマヌニア公爵はそのことも含め、戦後のことまで見据えて洞窟衆へも支援を求めないと、そういう選択をした可能性があった。
もっとも、今回の件にしても、相手が想定以上に手強く、泥沼になりかけもしたら洞窟衆へもお呼びがかかるのかも知れないが。
「今の時点では、もう少し様子見をするしかないか」
ハザマは、そう結論する。
呼ばれていないのに自分から顔を突っ込むのも、筋としてはおかしい。
なにより、洞窟衆としては、なんの利もない。
「森東地域での、うちの活動範囲は?」
その上で、ハザマはリンザに確認をする。
「うちの勢力圏は、森東地域のうち、北部に位置するごく一部でしかありません」
リンザは即答した。
「なにしろあそこは広大ですし、それに、現地の人間との交渉をしつつ、活動可能な範囲を広げているわけですから」
現実問題として、現地の人間に了解を取っておかないと、物資を運ぶことも出来ない。
そうした交渉を行った上、物理的な交通路の整備をしながら活動圏広げているわけだから、当然、その活動圏が広がる速度もたかが知れていた。
ただ、そこで洞窟衆が運び込んだ物資自体は、それを貰い受けた現地の者同士でも取引をされるであろうし、意外に遠くまで運ばれ、洞窟衆の予想もしない場所で活用をされているのではないか。
「そちらの方にさらに注力しつつ、森東地域での情報収集に一層励む」
しばらく考えた末、ハザマはそう結論する。
「後、アルマヌニア公爵から支援を要請されていいように、すぐに動ける人間も王国内で集めておいてくれ」
「それ、必要になりますかね?」
リンザはハザマの言葉に首を傾げた。
「まとまった人数を拘束するとなると、相応にお金もかかりますが」
「必要にならない方がいいんだがな」
ハザマはため息混じりにそういった。
「ただ、森の中での戦争となると、決戦をやってすっきりとした決着はつきにくい。
なんにせよ、人手は必要になってくるだろうから、今のうちから準備だけはしておこう」
今の時点に王国内が混乱するとなると、ハザマとしても困るのだった。




