召喚獣の空間
その後のハザマの行動を迅速だった。
「どうも召喚獣の中にお姫様が捕らえられているらしい」
手早くまだ暴れていた偽腕を肩端から引きちぎり、無害な状態にした上で、そばに居たアズラウストに簡単に事情を説明する。
「救出するのにおれの力が必要だそうで、しばらく無防備な状態になりますが、その間おれには干渉しないようにしてください。
うちの者たちにも護衛をさせますが」
「……召喚獣の中に?」
ハザマの説明を聞いたアズラウストは、そういって顔を顰めた。
「また、ややこしいことになっていますね。
なにか助力は必要ですか?」
「そういわれても」
ハザマは肩を竦めた。
「こういっているおれ自身もどういう事態なのか完全に理解をしているわけではないので。
ただ、しばらくおれは外界に反応できなくなるということは確かなようで」
その部分だけ押さえてくれれば、当面は問題ない……の、かなあ。
説明しているハザマ自身も、確信が持てなかった。
ハザマにしてみても、これからなにをやらされるのか、はっきりと理解しているわけではない。
少し遅れて駆け寄ってきたトエスとサーベルタイガー形態の水妖使いたちにも同じ説明をし、
「しばらくハザマの身を守っていること」
と命じる。
「とはいえ」
ハザマは周囲を見渡していった。
「グラウデウス公爵を倒した今、おれたちの邪魔をしそうな人間はしばらくここには近づけないと思うけどな」
天守のこの部屋に通じる道はすべてバジルの能力によって動きを止めた人間によって塞がれている。
数十人、いや、数百人単位の生きた、不動の人間の壁に遮られ、この場は孤立している形であった。
こうした人間たちはバジルの能力を解除しない限りはそのままのはずで、その手間を考えるとそれをどかしてここまでやってくる者はいないはずである。
「ま、念のため、誰かがここに来ても事情を説明してしばらく待たせておいてくれ」
ハザマは、そうもつけ加える。
『準備は整ったか?』
通信で、トスラタトテが訊ねてきた。
「ああ」
ハザマは軽く頷く。
「こっちはいつでもいいぞ」
『それでは、目を閉じて軽く深呼吸をしてくれ』
トスラタトテが指示する通りに、ハザマは目を閉じて意識を集中するように努めた。
『これからハザマの精神に干渉して、召喚獣の中に入る』
次の瞬間、ハザマはどことも知れない暗闇の中に居た。
いや、ハザマの意識は、か。
と、ハザマは思い直す。
ここはおそらくトスラタトテがいう精神の領域。
その名称が意味することをハザマは完全に理解をしていたわけではないのだが、おそらくはハザマの体や五感で感じている物理的な世界ではなく、そうした場所から切り離された仮想空間であると、ハザマは認識する。
おそらくは、トスラタトテさんが用意をしたんだろうな。
と、その程度の曖昧な理解の仕方だった。
そもそもハザマは、この世界の魔法については理解が薄いことをよく自認している。
トスラタトテは洞窟衆のエルフの中でも随一の魔法通であり、ハザマにはよく理解出来ない魔法を使ったとしても今さらに驚くことはなかった。
「待たせたな」
しばらくしてそのなにもない空間、マザマのすぐ目の前に、唐突にそのトスラタトテが現れた。
「なんだ。
そいつも連れてきたのか。
いや、今になっては不可分な存在なのか」
トスラタトテはハザマの姿を認めるなり肩のあたりに視線を向けて、そういう。
目線を下げて確認をしてみると、いつの間にかハザマの肩にバジルが乗っていた。
トスラタトテがそういうんなら、そういうことなんだろうな。
ハザマは、そんな納得の仕方をする。
ハザマにしてみればこの世界に来てからこの方、納得がしがたい出来事に遭遇するのは珍しくもなく、今回のように「そういうもんなんだろうな」的になあなあな態度で流すことにもすっかり慣れてしまっている。
魔法の存在をはじめとして、検証したり深く考えても正体が判然とせず、しかし厳然と存在する物がこの世界にはあるのだから、その事実を謙虚に受け入れるしかないというのがこれまでにハザマが学んできたこの世界に対する態度だった。
今回の件にしても、ハザマにいわせればかなり唐突で無理めな設定に思えるのだが、この世界ではアリなんだろう。
そう思って、粛々と対処するしかない。
……と、ハザマは思っている。
「で、具体的におれはなにをすればいいんですか?」
ハザマはトスラタトテに訊ねた。
「今は外界からの入力を遮断し、ハザマが受ける刺激を最小限に留めている状態だ」
トスラタトテは説明する。
「これより、召喚獣の精神に直接介入する。
精神というほど上等な物は存在しないと思うが、とにかくその生物の処理系内部に直接繋ぐ。
準備はいいか?」
準備もなにも、そう説明されてもなにがどうなるのかさっぱり理解出来ない。
「いつでも」
とりあえず、ここで戸惑っていても事態は進展しない。
そう考えたハザマは、軽い口調でそういった。
その次の瞬間には、ハザマの周囲は極彩色に染まる。
視覚だけではなく、聴覚的にも不快なノイズまみれになった。
「すまん」
雑音の中から、トスラタトテの澄んだ声が聞こえる。
「こうした仕事ははじめてでな。
不慣れなため、調整が行き届かない点があった。
すぐにどうにかする」
次の瞬間、またハザマの視界は切り替わり、元のなにもない空間の中にまたトスラタトテだけ立っていた。
あの耳を聾さんばかりの雑音も、ぴったりと止んでいる。
「今、調整中だ」
ハザマが説明を求めるよりも早く、トスラタトテがいった。
「召喚獣の感覚器官に接続をして、それをわれわれにもわかりやすい形に変換をして……よし。
これでどうだ」
なにもなかった空間が、不意に元の、ハザマが居た天守の中の風景に変わった。
色調が少しおかしいような気がしたが、アズラウストやトエス、水妖使いたちや床に転がっている血塗れの死体などもしっかりと見分けられる。
「これは?」
「召喚獣が感じている外界の様子、ということになるな」
「今の光景、ということですか?」
「そう。
今の、だ」
なるほど、と、ハザマは思う。
リアルタイムか。
だが。
「これだけだと、おれたちがここに来た意味がなくね?」
「むしろこれからが本題」
トスラタトテはいった。
「これより、召喚獣の精神と本格的に繋ぐ」
光景や聞こえる物が劇的に変化をしたわけではなかった。
しかし、その瞬間、確実になにかが変化している。
なんだ?
と、ハザマは訝しむ。
少し考えてから、この色調が狂った光景が、ごく自然に感じられることに気づいた。
なるほど。
ハザマは得心した。
つまりは、召喚獣の感じ方に影響を受けはじめたわけか。
物の感じ方が唐突に変わる。
それも、半ば強制的に変えられるというのは、奇妙な感じがした。
これが召喚獣が見る風景、ということは。
「視覚、見ることが出来るスペクトラムが人間とは微妙に異なるってことか」
ハザマは小さく呟いた。
いやそもそも、あの不定形な召喚獣に視覚器官が存在したことに驚くべきなのかも知れない。
「スペなんとかがなにかはわからないが」
トスラタトテはいった。
「どうもこの召喚獣は、特定の器官に依存せず、体表全体で見て聞いて、あるいは匂いも感じていたらしいな」
視覚とは光線の、聴覚とは空気の振動、匂いとはpHを主体とした化学組成。
そう考えると、体表全体で出来ないわけではない。
ただし、専門の器官を発達させないとなると、精度はそれだけ荒くなるのだろうが。
まあ、原始的な生物らしいしな。
と、ハザマはそう受け止める。
「そんな単純な生物にも精神なんてものがあるのか?」
ハザマはそう訊ねた。
「知性が発達していない生物であることは確かだ」
トスラタトテが答える。
「しかし原始的であるからといって、精神までが発達しないということはない」
どうもトスラタトテのいう「精神」という語は、ハザマが理解している定義とは微妙に異なっているのではないか。
「お姫様の精神と召喚獣のとが、混じり合いはじめているといってたが」
「そう、それだ」
トスラタトテはハザマの言葉に大きく頷いた。
「この召喚獣は原始的な生物であるがゆえに、どうも自分とそれ以外の外界をうまく区別が出来ないらしい。
外界の物質をそのまま自分の体内に取り込んでは消化して吸収する。
その際、体内に取り込んだ物に関しては、物質だけではなく精神的な物も境界を崩して消化して、自分の物にしようとする性質がある」
「召喚獣の体を割いてお姫様だけ取り出すっていうのは?」
「半端な状態で引き剥がせば、王女の精神に後遺症が残る可能性がある」
トスラタトテはそういって首を横に振った。
「最悪、廃人になるな。
今ならまだ中に取り込まれてからあまり時間が経っていないから、無事に済む可能性も高いのだが」
実際にやってみなくちゃわからない、か。
面倒な。
と、ハザマは思う。
「物理的に引きが剥がすのは最終手段として取っておくにしても」
ハザマはいった。
「もっといい手っていうのは?」
「この場で、召喚獣を屈服させる」
トスラタトテの答えは簡潔だった。
「召喚獣の側が自発的に王女を吐き出せば、おそらくリスクは最小限に留められる」
つまりは、この特殊な場で召喚獣と戦えということか。
回りくどいような、単純すぎるような。
「ここは召喚獣の精神で構成された空間なんだよな?」
ハザマは確認する。
「召喚獣にとって都合がいい空間だと、認識しておいた方がいい」
トスラタトテはハザマの疑問に即答した。
「現実の召喚獣は単なる不定形生物でしかないが、この場ではもっと厄介な存在になっているだろう」




