魔人の最期
「馬車の中で打ち合わせをした通りに動け」
ハザマが小声でそう呟くと、トエスと水妖使いたちが左右に散っていった。
「うちの魔法使いは、このままなにもしなくてもあんたの命は長くないと推測している。
それでも、やるのか?」
ハザマは、かつて巨人を動かしていた男に確認する。
「その推測は間違ってはいないが」
男は、短く答える。
「こうしてまみえた以上、貴様を倒さなくては気が収まらん!」
難儀なことだな、と、ハザマは思う。
こいつを含む召喚魔法を伝えていた術者たちは、以前から周囲の社会と反目し合い、差別をされていたのではないか。
それはあくまで、危険な魔法をわざわざ継承しようとしている集団に対する嫌悪や忌避感などに由来していると思うのだが、こいつを含む術者の集団は自分たちの価値観が反社会的な物だとは微塵も疑っていないため、自然と周囲からは浮き上がる。
カルト教団が周囲から排除され、次第にその思想を先鋭化していく構図と、似たような経緯があるのではないか、と、ハザマは想像をした。
そして今ではその不遇の原因を、今度はハザマたち洞窟衆が森東地域へ進出したせいだと、脳内で補完している形であった。
あるいは、そう思い込むように仕向けた人間が別に居るのかも知れなかったが、今はそんな詮索をしている余裕はない。
向こうがハザマや洞窟衆に対してどんな恨みをもっていようとも、それが逆恨みであったとしても、この場でやるべきことに変わりはなかった。
「あんたを倒すことは実に簡単なわけだが」
ハザマは、五百メートルくらい先に居る男に対して、怒鳴るようにして告げた。
「なにかいい残すことはないか?」
「ない!」
男は、ハザマに叫び返す。
「思いはすべて、これより貴様にぶつけてやる!」
ならば、と、ハザマは一気に男との距離を詰める。
現在のハザマの身体能力からいえば、この程度の距離はないのも同然だった。
太股のホルスターからトンファーを抜き、そのまま振りかぶって男にむかって振りおろした。
「お!」
瞬時にこれだけの距離を詰めたハザマの俊敏さを予想していなかったのか、男は驚きの声をあげて慌てて背負っていた巨大な物体を振りかざした。
男自身の体よりもよほど大きい、巨大な金属板がハザマの攻撃を弾く。
「なんだと思ったら」
男から距離を取りながら、ハザマは呟く。
「胸につけていた装甲板なのか、それ」
「おうよ」
男は、笑みをたたえながら答える。
「持ち出すのに手頃だったのでな。
武器にもなるし、防具にもなる」
手頃、と軽くいえるほどの重量でも大きさでもないのだが。
ともかく、男はその物体を持ち出す理由が、なにかしらあったのだろう。
その理由は、すぐに明らかになった。
「駄目!」
男の背後から、トエスの声が聞こえる。
「この子たちの干渉、無効化されている!」
水妖使いたちの能力が、ということなのだろう。
「こいつに刻まれているのは、ルシアナ甲紋を改良した呪紋だ!」
男は、大きな声で告げた。
「ルシアナ甲紋も、お前たち洞窟衆が広めたものだったな!
こいつは結界とは違い、外部からの魔法のみを遮断する!
そちらの牙猫たちの怪しげな能力も、精霊魔法に似たなにかだそうだな!」
敵は、こちらの手の内について熟知をし、その上で対策も講じていたらしい。
そのこと自体は意外でもなんでもなく、ハザマたちの予想した範囲内のことではあったが。
「直接攻撃に切り替えろ!」
ハザマは叫んだ。
「遅いな」
男は、一度振りかざした金属の塊を地面の上に置き、なにやら呪文を詠唱しはじめた。
「お、おい!」
ハザマは、狼狽えた声を出す。
ルシアナ甲紋と従来使用されていた魔法効果消去結界との大きな差異は、後者が結界内の魔法を見境なく無効化するのに対し、前者はルシアナ甲紋の内側に居る術者は自由に魔法を使えるという非対称性にある。
「うまく避けろよ!」
ハザマはそう叫んで、それまで立っていた場所から慌てて飛び退く。
その、さっきまで立っていた場所に、魔力で作られた光条が出現した。
「もうほとんど魔力は残っていないんじゃなかったのか!」
光条から逃げながら、ハザマは叫ぶ。
「おうよ。
これまでの成り行きで、想定外に消耗を強いられた。
それは事実だ」
男は、呪紋を詠唱する合間に、そういった。
「そのおかげで、あまり派手な攻撃ができん!」
そんなやり取りをする合間にも、男の周囲には常に数本の光条が出現しては消えている。
野郎。
と、ハザマは思った。
半分以上はったりなんだろうが、随分余裕があるじゃねえか。
「これじゃあ迂闊に近寄れないよー!」
遠くの闇の中から、哀れっぽいトエスの声が聞こえた。
「しばらく我慢しろ!」
吐き捨てるような口調に、ハザマがいう。
「今からおれがなんとかする!」
「は!
なにができるというのか、洞窟衆の!」
男が、叫んだ。
「貴様は、おれ一人にも対抗出来ん、哀れな小物よ!」
「そうかい」
ハザマは、ランダムに左右に進路を変えながら、男との距離を詰める。
そして、男が構える巨大な装甲板に、足からぶつかっていった。
「お!」
大きな濁音が周囲に鳴り響き、男が戸惑ったような声を出す。
どうやら、危うく倒れるのを免れたらしい。
あの巨大な金属板の下敷きにでもなったら、地力でその下から出てくるのには苦労するはずだった。
「お前も、死角が大き過ぎるんだよ!」
ハザマは叫んだ。
巨大な金属板を抱え、必死になって姿勢を持ち直そうとしている男の背後に回り込んで、トンファーを振りあげる。
男の後頭部に迫ったハザマの一撃は、しかしなにかによって遮られた。
意外に、硬質な感触。
ハザマのトンファーを止めたのは、男の体から伸びた細長い肉質、触手としか呼びようがない物体だった。
別の触手が何本も襲ってきたので、ハザマは慌ててその場から飛び退いて男から距離を取る。
「貴様ごときに遅れを取るとでも思ったか!」
男は、叫んだ。
「今のおれは、お前などよりも遙かに強力な存在よ!」
異界から召喚した謎の生物と融合し、魔法を自在に操る。
確かに、個体としてみれば、そこそこに強くはあるんだろうな。
と、ハザマは冷静に評価する。
もっとも、自分と比べてどうこうとはいわないが、もっと破格に強力な存在と何度もまみえた経験があったので、ハザマとしては特別に感銘を受けるということもなかった。
この男は、普通の人間よりは遙かに強いことは確かだったが、せいぜいそこ止まり。
ハザマにしてみれば、その程度の評価でしかない。
だが。
「何本触手を生やしても」
その触手から逃げ回りながら、ハザマはいった。
「それを操っているのはたった一人ってのがなあ」
「なに!」
ハザマの動きを目と触手で追うことに夢中になっていた男は、視界の隅に動く物体を複数認め、覿面に狼狽えた。
素早く男に迫る、複数の物体。
サーベルタイガー形態の水妖使いたちが、別々の方角から一気に男に迫る。
「くそ!」
それを認めた男は、罵声を吐きながら水妖使いたちの進路上に触手を伸ばす。
水妖使いたちは触手を器用に避けて、さらに男との距離を詰める。
男よりも体重があり素早いサーベルタイガーたちは、男にとっても十分な脅威といえた。
肉薄されたら、対抗をする術がない。
複数の野獣に一度に襲われるという、本能的な恐怖をどうにかねじ伏せながら、男は素早く呪文を詠唱して何本かの光条を発生させた。
しかしサーベルタイガーたちは、そうした光条を難なく躱しつつ、さらに、男に迫る。
「この!」
男は、巨大な金属板を振るってサーベルタイガーを叩こうとした。
「悪いな」
しかし、その金属板の上に、ハザマが飛び乗る。
「こんなデカくて重いの、いくらあんたでも気軽には振り回せんだろう」
その言葉通り、そんなに巨大な金属板を振り回すためには、いくら異界の生物と融合をした魔人であっても足場を固めて渾身の力を振り絞る必要があった。
なんといってもその金属板は男自身の体重の、何倍もの重量がある。
膂力だけが増大をしていても、ただそれだけでは振り回せる代物ではなかった。
そこにハザマが乗って全体重を乗せたので、男はたまらず体勢を崩す。
時間にすればごくわずかな遅滞でしかなかったが、男の注意が逸れた。
その隙を見逃さず、水妖使いたちはそれぞれ別の方向から男へと殺到する。
そしてそのまま、男の体のどこかを食いちぎって再び闇の中に帰っていった。
「お、お、お」
男は、うめき声をあげながら慌てて傷口の周囲を肉質で覆い、止血を試みる。
しかし、開口部が大きすぎるのと痛みとでうまく意識を集中することが出来ない。
基本的に男は術者であり、戦闘訓練などは受けたことがなかった。
そのため咄嗟の際になにを優先するべきなのか、うまく判断が出来ない。
ようやく自身の痛覚を遮断することを思いつき、男はそれを実行する。
そうすることによって、ようやく自身の惨状を詳細に点検することが可能になった。
右の太股と左の腹部、それに右の上腕部の肉がごっそりと持って行かれていた。
そうして食い荒らされた部位は、当然、まともに機能していない。
出血が思ったよりも多く、意識が薄まりかけている。
どのみち、この体は長くは保たないと覚悟を決めている。
そのため、衝撃こそ受けなかったが、ただ一瞬の遅滞でこれほどの打撃を受けたという事実に、男は内心で打ちのめされた。
この場で倒れていてもおかしくはない重傷であり、実際にそうなっていないのは異界の生物と融合した自身の体、その頑強さのおかげでしかなかった。
なにより不審なのは。
「なぜ、これほどの隙を見せているのに、やつらは一気に畳みかけて来ないのか?」
男はその点に、疑問を抱いた。
自身の体を修復するため、男の意識はしばらく完全に外界から逸れていたはずだ。
やつらにとって、それがどれほどの好機になることか、想像してみるまでもない。
「あんた、もう終わりだよ」
遠くの暗闇から、あの男、ハザマの声が聞こえた。
「どうやら痛みを感じないようにしているようだが……そこまでバジルに食われたら、もう後がない」
なに。
と、声をあげることさえできなかった。
その時にはすでに、男の声帯を含む頸部をあらかたバジルが食べ終えていたためである。
男の頭部は、そのまま無造作に地面の上に転がった。
周囲にまとわりついた召喚獣の肉質ごと男の体を食べていたバジルは、柔らかい内臓部分から頸部を食い終え、それから残っていた肩と腕を片方ずつ食べていく。
その様子を、そんな状態になってもまだ意識があった男の頭部は、黙って見守るしかなかった。
そうするうちに上半身をすっかり食べ終えたバジルは腰部から下の方へと男の体を食べ尽くしていき、最後に、地面に転がっていた男の頭部を食べはじめた。
王都を騒がせた巨人、それを操っていた術者の最期は、そんな様子だった。




