異能の簒奪
「異族や獣が、勝手に帰りはじめているだと?」
「はっ」
ほぼ同時刻、山岳民軍の司令部で、そのような問答がなされていた。
「心話を使えるテイマーや魔法使いが必死で呼びかけておりますが、いっこうに埒が明かず」
「原因は?」
「しかとは。
しかし、魔法使いたちがいうことには、蠱術のルシアナの気配が急に感知できなくなったとか……」
「あの伝令師は、クツイルはどうしておる?」
「連絡が途絶えております」
「……ふむ」
戦場に似合わぬ豪奢な衣裳に身を包んだ、若い男だった。
山岳民連合は、正確を期するのならば、「国」という体制を整えていない武装集団だった。
大小合わせて二百とも三百十もいわれる部族を糾合して、対外的な交渉を行うための、便宜的な組織であるとされている。
理想としては、各部族の立場は平等であるとされていたが、実際には持てる資産や武力によって、それなりに序列ができてしまう。
その若い男は、有力部族の跡取りと目されている人物であり、事実上、対王国軍戦の最高責任者とされていた。
「あの魔女に何事か、異変があったわけか」
吐いて棄てるような口調で、そういった。
「あの化け物も、もうだいぶん長生きしてきたんだ。
そろそろ年貢の納めどきだったのかも知れんな」
なにかと噂の絶えない、しかし、実際に面談した者が極端に少ない大魔女のルシアナには、この若い男も直接面談したことはない。
あの魔女は、伝令師を介してしかこちらと交渉しようとしないのだ。
「それよりも、若」
男とさして変わらない年頃の女が、面もあげずに言葉を続ける。
「獣や異族が抜けた穴を、なんとかしませんと……このままでは、補給線も前線も維持できなくなりそうです」
「……そんなにヤバいのか?」
若い男の声に、はじめて、狼狽の響きが混じった。
「体制を立て直そうにも、王国軍はこれまでと変わらずに意気も盛ん。
このまま放置すれば、橋を食い破られてこちらに侵攻される懸念も……」
「……っち!
まったく、今回のいくさは、例外ずくめだな。
エルフと犬頭人どもが川をこえて砦を建てているし……」
「方便でも、一度、王国側と会談の場を設けてはいかがでしょうか?」
「……方便、なあ。
正直、気が進まないのだが……」
「時間稼ぎには、なります」
「そいつをやっている間に、軍を立て直せるか?」
「必ずや、ご期待に応えてみせましょう」
「……今日はやつら、妙に浮ついてやがるな」
馬から降りたヴァンクレスが、呟いた。
一度暴れてから自陣に帰り、一息ついたときのことである。
ヴァンクレスら決死隊の役割は、正規軍の前に敵軍に突撃し、攪乱して味方の進撃を補助することであった。
事前に敵軍の注目を集めるだけでも、それだけ王国軍側がやりやすくなる。
決死隊の通称通り、囚人だけ構成された部隊など、生還しようがそのままのたれ死のうが、軍上層部の知ったことではなかったのだろう。
多大な犠牲を出しながらも、ヴァンクレスはここ数日で無視できない戦績をあげてきた。
その戦功を……というより、後先を考えない戦い方を讃えて、何人かの貴族からは酒や食料、医療品、世話役の奴隷などを贈られてくる始末だった。
貴族たちの方も、ヴァンクレスがこのいくさを無事に最後まで戦いきり、首尾よく恩赦に至った場合、仕官を勧めるための下工作としての贈与であり、十分に下心があるといえた。
「……他の皆様は?」
「知らん。
おおかた、土塁でも運んでいるのであろう」
ヴァンクレスは、その奴隷にそっけなく答える。
正規軍の通行を妨げそうな障害物を取り除くのも、決死隊の役割のひとつだった。
もちろん、敵地での作業であるので、相応に危険が伴う。
そのヴァンクレスは、板金で覆われていない部分に突き刺さった矢を、世話係の奴隷に抜いて貰っている。
鏃が肉に食い込んでいるので素手で引っ張っただけでは抜けず、ペンチを使用して強引に引き抜く形となる。
鏃の周囲にある肉ごと、力づくで引っこ抜くわけだが……。
「本当に、痛くはないんですか?
かなり血が出ていますけど」
「痛みは、あまり感じないな。
いくさの前後は、いつもそうだ」
ヴァンクレスは、そう答えた。
「それに、この程度の傷なら、少し待てば塞がる」
ヴァンクレスの驚異的な回復力は、王国軍の医師たちも口を揃えて認めるところである。
奴隷は鏃を抜いたあとの傷口に強い蒸留酒をかけて清めたあと、痛み止めの軟膏を塗って絆創膏を張った。
それらの医療品は、ヴァンクレスの武勇に感心した貴族たちから寄贈されたものを使っている。奴隷もヴァンクレスも知らなかったが、ムムリムら、洞窟衆の医療班が製造したものだった。
「これからも、出陣の予定で?」
「まだ、昼にもなっていないからな。
一休みしたら、また引き回しにいく」
不機嫌そうな口調を隠さずに、ヴァンクレスはそういった。
ヴァンクレスは、先ほどから今日の敵軍から感じ取った違和感の正体について考えている。
あの毛深い、小山なのような巨獣は、なぜなにもせずにあの場を去ったのか?
まさか、単なる野生動物がいきなり戦場の真ん中に出現するとも思えない。
やはり、なんらかの効果を望んで敵軍があの場に引き出した、とみるのが自然であった。
しかし、あの獣はなにもしないままにそのまま踵を返し、山岳民の土地へと帰っていった。
「……獣どもが、敵軍に従わなくなっている?」
多くの強獣や異族を従えていることは、山岳民軍の強さの一因となっていた。
その一因が崩れたのだとすれば……。
「このいくさ……案外、すぐにでも片がつくかも知れんな」
誰にともなく、そんなことを呟く。
いくさの勝敗なぞ、ヴァンクレスの知ったことではないのだが……早くこのいくさが終わるのであれば、それはそれで結構なことだ、と、ヴァンクレスは思う。
基本、脳天気で前向きなヴァンクレスは、「自分自身の戦死」という形でヴァンクレスにとってのいくさが終結することを、想像だにしていなかった。
ヴァンクレスは奴隷が持ってきた粗末な食事を、勢いよくかき込んだ。
「……さて、この荷物をどうするかな、っと」
一方、ハザマたちの方はというと、多すぎる戦利品の搬出方に頭を悩ませているところだった。
「とりあえず、出口のところまで運びますか?」
リンザがそういった。
「……うん。
そうするしかないか。
あー。
ドゥ、トロワ、キャトル。
水を使って、こういうの運べないかな?」
衣裳箱を指さしながら、念のため、訊ねてみる。
「壊してもいいんならー」
「浮かせることはできるけどー」
「力の加減が難しくてー」
「……やらせない方が、無難か」
三人の反応を聞いて、ハザマはそう結論した。
「それじゃあ、手分けしてちゃっちゃと運びましょうかね」
「えー」
「なんでー」
「やらせればいいのにー」
水妖使いの三人が、意義を唱える。
「……やらせるって、誰に?」
一応、ハザマは聞き返してみた。
「蜘蛛とかー」
「いっぱいいるしー」
「すぐに終わるよー」
「……はぁ?」
ハザマは、間の抜けた声を出す。
「あのなあ。
ルシアナは、もういない。
蜘蛛とかを操れるやつは、もういないんだよ」
「違うしー」
「ルシアナはいないけどー」
「ハザマも、同じことできるよー」
「……なんで?」
「知らないー」
「でも、今のハザマからルシアナと同じ感じ、してるしー」
「命令に逆らえないとかー」
「お前らなあ……」
ハザマは、頭を抱えたくなった。
「……そんないい加減な、出鱈目なことが……」
「いや。
ことによると、あり得るかも知れん」
唐突に、エルシムが口を挟んでくる。
「お前様よ。
バジルがあの大蜘蛛を食べたおかげで、お前様の位階が飛躍的に向上したことはすでに体感しておるな」
「ああ。
いやというほど、な」
「今回、バジルは、あの大蜘蛛の肉をほとんど独占して喰らうておる。
バジルもあの大蜘蛛も、ともにヒトを相棒とし、他者に特殊な影響を与える能力を持っていた。
種族こそ違っても、あの二種は同じような仲間なのではないか?」
「そういう言い伝えとかが、こっちにはあんのか?」
「ない。
ないのだが……それが、存在しないという証明にはなるまい」
「ま、エルフとかがいるファンタジーな世界だしな」
ハザマは、そういって頷く。
「それで、バジルがその同種の仲間とやらを喰うとどうなる?」
「喰われた側の能力を奪うことができる、とか?」
エルシムは、軽く首を振った。
「思えば……ルシアナとやらも、同種をこの場に引き寄せるための大がかりな罠を張っていたようにも、思える」
ハザマは、思い返す。
なぜ、一度は部族ごと捕らわれたルゥ・フェイが一人だけ易々と逃げ出すことができたのか。
あるいは、ガズリムの母親は、なぜ、わざわざ遠く王国まで送り届けられたのか。
「……バジルのような存在を、それとなくここに案内するために……」
「その可能性は、あろうな。
あまりにも、都合が良すぎる」
エルシムは、推論を述べ続ける。
「おそらくは、他にも大勢……そのような存在を見つけたら、それとなくここへ向かわせる。
そのような暗示をかけられた撒き餌が、あちこちにばら蒔かれていたのであろう」
「随分と、気の長いはなしだな」
「ヒトの尺度からいえばな。
だが、大蜘蛛の寿命はヒトよりも遙かに長い。
確実性はなくとも、いつか、ひょっとしたら引っかかる可能性があるかも……程度の期待しか、していなかったのかも知れん」
「バジルの能力を奪うために、か?」
「バジルの存在そのものを特定して狙っていたわけでもなかろうがな。
たとえば……あのヴァンクレスとその馬も、今にして思い返してみれば、おぬしたちの組み合わせと似たような雰囲気があった」
「……今になってそういう重要なことをさらりというなよ」
「あくまで、雰囲気に止まっておったからな。
他に今回のルシアナという実例を目の当たりにして、共通点にもついて今さらながらに思い当たったわけだが」
「まあ、いいや。
実際に試してみれば、はっきりする」
ハザマはそういうと、片手をあげてこういった。
「……蜘蛛でもなんでも、おれの命令を聞くやつは全員、集合!」
いくらもしないうちに、蜘蛛やコウモリ、山犬などがわらわらと集まってきた。
数え切れないくらい……それこそ、足の踏み場がないほどに。
「どうするんですか、これ!」
リンザが叫ぶ。
「一端、解散させてください!」
「お、おう」
戸惑いつつ、ハザマは、
「蜘蛛を除いて……あとのやつは、解散!」
と、叫んだ。
「……に、しても……」
少し経って落ち着いてから、周囲を見渡してハザマはいった。
「小さいのばかりが集まったもんだな」
蜘蛛のこと、であった。
今、ハザマの周囲に集まってきた蜘蛛たちは、最大のものでも足の先から先までおおよそ三十センチ前後。
自然界に存在する蜘蛛としては、それでも十分に大きいといえたが、ついさきほどまで人の体よりもずっと大きなのを相手にしてきた身としては、随分と小さく感じてしまう。
「おそらく、魅了とかいう能力の位階が、まだまだ低いからであろう」
「ああ、なるほど」
エルシムの声を聞いて、ハザマも、頷いた。
「レベルが低いから、レベルが低いやつしか使役できない、と」
理屈は、理解できる。
「それじゃあ、改めて。
蜘蛛たち、ここにある荷物を鍾乳洞の外まで運んでくれ」
小さな蜘蛛たちは、遅滞なくハザマの命令に従った。
一体一体の力はさほどでもなかったが、なにより、数が多い。
わらわらと衣裳箱にとりつき、その下に潜り込んだり、糸を吐いて持ち上げたりして、すぐに意外な速度で移動しはじめる。
「なんとまあ、便利な」
ハザマは、そう感想を述べた。
「残ったやつらは……そうさな、蜘蛛の外殻を、やはり鍾乳洞の外まで運んで貰おうか。
あの大蜘蛛も、そのまま運べればありがたい」
何十万という蜘蛛が取りつき、大蜘蛛の遺骸を運び出す様子は……。
「……壮観、としかいいようがないな」
「ああ」
惚けたような声でそんな会話をしているのは、ガズリムとブシャラヒムであった。
「帰ってからここでのことを伝えても……どこまで信じて貰えるか」
「あの大蜘蛛の殻を持ち帰れば、信じたくなくとも信じないわけにはいかないでしょうよ」
ガグラダ族のアジャスが、口を挟んでくる。
「それよりも……平地民の貴族さんよ。
帰ってからも、あのハザマってなにをやり出すかわからない男を……そのまま野放しにしておくつもりですかい?」




