白の獣
丸太のような大蜘蛛の脚を抱えたハザマは、それを振り回して近場の小蜘蛛たちを弾き飛ばす。
十人中三名が硬直している現在、魔法使い二名周辺の安全を確保するのも大仕事だった。
とどめを刺すよりも、まずは近場から追い出し方を優先させた。
『こいつら、なんでバジルの能力の影響を受けていないんだ?』
心話で、ハザマがエルシムに問いかける。
『それと、おれたちがあの大蜘蛛の影響を受けていないのは?』
『バジルの影響を受けていない蜘蛛がいるのは、その蜘蛛の位階がバジルの位階よりも高いからであろう』
エルシムが、早口に説明してくれる。
『その証拠に、近場にいる小さめの蜘蛛は、ちゃんと硬直化しておる。
それから、ブシャラヒムらが大蜘蛛の影響を受け、われらが免れていることについてだが……これも推測になるが、おそらくはわれらは、すでにバジルの影響化にあるからではないかと……』
後半は、随分と歯切れが悪い。
バジルの能力については、エルシムも推測でしか語れないようだった。
『おれたち洞窟衆の場合はそれでよしとしても……』
ハザマは、重ねて問いかける。
『……セスチャラのおっさんが平気なのは?』
『やつは、魔法使いだからな。ヒト族にしては保有魔力量も多い方であるし。
おそらくそのおかげで、ある程度の耐性があるのかと』
『ふむ。
レベル差と、魔力抵抗値のおかげってわけか……』
心話でそんな問答をしている間にも、ハザマは大蜘蛛の脚を近くにいる小蜘蛛たちに叩きつけ続けている。
幸い、身体能力がかなり強化されているので、今のところ疲労は感じていない。
ゲームのような無双状態なのはいいのだが……。
『際限がないな』
……なにより、数が多過ぎた。
「……ちょっと、お借りしますね」
イリーナは不動のブシャラヒムに声をかけ、その手に握っていた剣を取り、ニ、三度振るってみた。
「うん。
いい重さだ。
いや、もうちょい重くてもいいかな……」
ぶつくさいいながら、イリーナはブシャラヒムの剣を構える。
「イリーナさん。
自分のは?」
リンザが、問いかけてきた。
「あれは、軽過ぎてな。
こいつらのような、重くて硬い連中に使うには不向きだ」
小蜘蛛……とはいっても、あの大蜘蛛と比較すれば小さい、というだけであって、イリーナやリンザたちと比較すれば、十分に大きい。
重量的にもあちらの方がずっと重いし、なにより、硬い外殻に覆われている。
剣や槍などを叩きつけても、弾かれるばかりであまり効果はないようだった。
「えー……。
でも、やりようはありますよ」
そう口を挟んできたのは、トエスだった。
「武器だけで戦おうとするから、無理に思えるのであって……せいっ!」
トエスは、気合いを入れて小蜘蛛の体に槍を突き入れる。
トエスの槍の穂先が小蜘蛛の胴体部に刺さり、それでもトエスは、さらに槍を突き出す。
穂先だけではなく、槍の柄の部分までが、小蜘蛛の体内に飲まれていった。
「こうしてやれば……重量不足も、解消できますし……」
いいながら、トエスは、小蜘蛛が刺さったままの槍を構えなおし、無造作に持ち上げた。
トエスの体よりも大きな小蜘蛛は、槍が刺さったままじたばたと脚を動かす。
もちろん、トエスはそんな小蜘蛛の都合には頓着をしない。
「……こうすれば!」
トエスは、小蜘蛛が刺さったままの槍を別の小蜘蛛に叩きつけた。
ぐしゃり、と、ニ体の小蜘蛛の体が、衝撃に耐えきれずに潰れる。
「……武器の重量の問題も、解決できます」
「それ、槍が痛まないか?」
イリーナが、冷静につっこみをいれた。
「こんなもん、しょせん消耗品です」
トエスは、きっぱりといいきる。
「使えなくなったらなったで、ハザマさんがしているように、蜘蛛の脚でも引っこ抜いて使えばいいんです。
まずは効率よく、こいつらを片づけるのが先決でしょう」
「方法は、どうでもいいんですが……」
迫り来る小蜘蛛の脚を回避しつつ接近、頭部の根本に剣先を突き刺し、足で小蜘蛛の胴体を踏んで押さえながら、小蜘蛛の頭を素早くねじ斬る。
脚による攻撃をまともに受ければ、体重の軽いリンザなどは、それだけでもかなり遠くまで吹き飛ばされる。
だから、相手の攻撃を避けつつ、こちらの間合いにまで近づくしかなかった。
おまけに、毒を持っている可能性もあるから、蜘蛛の口にも近寄れない。
脚による攻撃や体当たりが避けきれないと判断すれば、相手の体のどこかを掴んで無理にでも投げ飛ばした。
ハザマと同じく、いや、それ以上に武術の経験に乏しいリンザではあったが、身体能力自体は格段に向上している。
落ち着いて対処すれば、小蜘蛛程度ならば、なんとか相手にすることができる。
「意外と、いけますね」
というのが、実感だった。
体の動きが、以前とはまるで違う。
一時期、短いながらもファンタルにしごかれた経験があったせいもあるが、それ以上に、バジルの影響は大きいようだ。
トエスやリンザと比較すると、ファンタルに師事した期間が長いイリーナは、もう少し器用に剣を使うことができた。
今、イリーナは、自前の剣とブシャラヒムの剣をそれぞれ片手に持ち、それを使っている。
別にファンタルに倣っているつもりはなかったが、敵の数がむやみ多いこの状況では、片方を牽制に使い、その隙に利き腕の剣で致命傷を与えるスタイルが有効だった。
イリーナはこちらに近寄ってくる敵をできるだけ引き寄せ、相手が飛びかかってくる寸前の間合いを見きって反撃に転じる。
力任せに双剣を小蜘蛛の前肢のつけ根に叩きつければ、いきなり切断は無理でも、かなりのダメージを与えることができた。外骨格であるとはいえ、関節部は、比較的柔らかい。切断は無理でも、勢いをつけて叩けば、ひしゃげさせることはできた。
つづく第二撃を頭部の根元に、これも力任せに、必要ならばニ度、三度と叩き込む。
狙うは、首の切断。
短時間で相手の動きを封じる手段は、実質的にはそれしかないようだった。
基本的に虫類は生命力が強く、致命傷を与えてもしばらくは動き回ったりする。
小蜘蛛の重量で闇雲に動き回られても、周囲にいるこちらの迷惑になるだけだ。
だから、確実に動きを止める必要があった。
実は頭部の切断に成功したとしても、この小蜘蛛の胴体はしばらく動いていたりするのだが……それでも、健常な状態のときと比べれば、ずっと動きが遅いし力も弱くなっている。
脚の一本でも掴んで、
「……よっ」
ひっくり返しておけば、自力で元に戻ることはできなかった。
他にも小蜘蛛が寄ってきているので、体をひっくり返すところまで丁寧な仕事をできることは少なかったのだが。
「……わっ!」
「どうしました?」
「今、糸吐かれた!
なんかベタベタして気持ち悪い!」
「エルシムさんかゼスチャラにいって燃やして貰ってください」
「……いいよ、気持ち悪いだけで、あんまり邪魔にもなっていないし……」
「あ。
一匹しとめ損ねた」
「こっちで対処します。
……はいっ!」
「おお、一撃」
「相手の注意がべつのところに逸れていると、意外に狙えますね」
「……連携した方がいいのかな……」
「ハザマさんとかイリーナさんほどには、効率よく捌けていませんしね。
二人で組んでやりましょうか?」
「あ」
「今度はなんですか?」
「槍の柄が折れた。
あ、まだ剣もあるから、ぜんぜん大丈夫なんだけど」
『……コツを掴んできたみたいね……』
『小娘たちか?
まあ、な。
あれらは、順応性が高い』
『で……そっちの具合はどう?』
『そろそろ魔法使いがバテそうだな。
ヒト族にしては魔力が多い方だとは思うが……』
『魔力切れ、か』
小蜘蛛の群を弾き飛ばしながら、ハザマは少し考える。
『一騎うちとか申し込んだら、受けてくれるかなあ……あの大蜘蛛』
『馬鹿なことを』
ハザマの思いつきを、エルシムは鼻で笑った。
『ここまで大がかりな罠を用意するやつが、今さらそんな申し出を受けてくれるはずもない』
『だよなあ。
……で、なんか打開策、あります?』
『あれの殻に裂け目を入れれば、なんとかなるかも知れん』
『……本当?』
『あくまで、勘、程度の根拠しかないがな。
魔力を弾くための仕掛けがあるとすれば、はやり体の表面であると思う』
『……そうか。
内部から、っていう手もあるか』
ブシャラヒム、ガズリム、アジャスの三人は、エルシムとゼスチャラの方に向き直った形で硬直したままだった。
この体制だと、エルシムとゼスチャラの姿を見ることはできても、他の者がなにをやっているのか、直接視認することはできない。
せいぜい、物音でなにが起こっているのか推測するくらいが関の山だった。
とりあえずは……三人とも、今の時点では、まだ小蜘蛛に襲われていないのは、確かだ。
だとすれば、やつらは、三人が抜けた穴をものともせずに、奮戦しているところなのだろう。
その証拠に、背後では怒号やかけ声、蜘蛛が潰れる濁音などが鳴り響き続けている。
「しっかし、多いなあ」
ハザマは口に出して、そういう。
襲いかかってきた小蜘蛛の体をやり過ごしてその下に潜り込み、脚を掴んだまま、濡れた地面に寝そべって蹴り上げる。
小蜘蛛は宙を舞い、背中から地面に叩きつけられた。
蜘蛛たちは、体の構造上、この体勢になるとすぐには起きあがれないらしい。じたばたと脚を動かし、反動を利用してどうにか体のむきを変えようとするのだが、その上にハザマが投げ飛ばした別の小蜘蛛が激突、さらに、ハザマが勢いをつけて跳び蹴りを食らわせる。
ニ体もろとも、頑丈な外殻にひびが入った。
その上に、ハザマはさらに別の小蜘蛛の脚を掴み、強引に投げ飛ばす。
一番下にいた小蜘蛛の体が完全に潰れ、あたりにおびただしい体液を放出した。
ハザマは小蜘蛛の脚を掴んだまま、その体を振り回す。
近寄ってきた小蜘蛛が、何体も弾き飛ばされ、遠心力によってハザマが掴んでいた脚の根元がひきちぎれ、小蜘蛛の体があさっての方に飛んでいく。
これだけ派手に動いても、ハザマは疲れを感じていない。
「……一発、勝負にでてみるか」
ハザマは、そううそぶく。
ハザマ自身はともかく、他の連中は、これ以上、この戦闘が長期化することに耐えられそうもない。
リンザたち洞窟衆はともかく、魔法使いのゼスチャラは、そろそろ魔力が切れる頃合いであるらしかった。
エルシムとゼスチャラが、魔法によってかなりの数の小蜘蛛を間引いてくれるから、なんとか今の均衡状態を保持していられるのだ。
そのどちらかの魔法が使用不可能となったら、すぐにでもこの場はあの小蜘蛛たちに埋め尽くされてしまう。
決意し、ハザマが、少し離れた場所で高みの見物を決め込んでいる大蜘蛛へと歩み出したとき……白く大きな塊が、ハザマのすぐ横を駆け抜けていった。
獣だ。
それも、かなり大きい。猫科の。白い。
「……なんだ、ありゃあ」
呟きつつ、ハザマはその獣のすぐあとに続く。
白い獣は、行く手を遮る小蜘蛛たちをものともせず、鎧袖一触に蹴散らしてまっしぐらに大蜘蛛へとむかっていく。
その牙と爪は、小蜘蛛たちの甲殻など容易く粉砕できるものらしい。
その獣のおかげで、ハザマもやすやすと大蜘蛛に近寄ることができた。
「……来るな来るな来るな来るなあ!」
大蜘蛛の背の上に立った女が、そんなことをわめいている。
本人は「代弁者」とかいっていたが、あれは、たんなる大蜘蛛のスピーカーに過ぎない。と、ハザマはそのように認識している。
エルシムも「普通のヒト」といっていたし、過剰に警戒する必要もないだろう。
それよりも……。
「このまま、この獣が大蜘蛛を傷つけてくれれば……」
魔法によるダメージが、素直に通るようになる。
そう思うハザマの心中を察してか、その獣は大蜘蛛の前脚にかじりつき、太く長い二本の牙をつきたてて、強引に噛み砕いた。
獣は、白いサーベルタイガーだった。
『あやつを、滅すればよいのであろう』
聞きおぼえのある声が、ハザマの脳裏に鳴り響く。
「あんた……爺さんなのか?」
『この姿になるのは、ひさかたぶりになるのだがな。
わが一族の仇、存分に討ってくれよう』
そういうと、白いサーベルタイガー……の、姿をしたルゥ・フェイは、軽々と跳躍して大蜘蛛の背中に跳ぶ。
そのまま、牙をたて大蜘蛛の背甲を噛み砕きはじめた。




