難民への対応
王都は揺れていた。
スデスラス王国でのワデルスラス公爵軍の敗北、ニョルトト、ブラズニア両公爵家の王国からの脱退宣言、さらには今回のアルマヌニア公爵領を経由して留めなく流入してくる難民騒ぎと、立て続けに国家を揺るがしかねない大事件が頻発している。
政務にたずさわる貴族や文官たちは浮きあしだっていたし、それ以外の庶民たちも世情が一気に不安定になったことを肌で感じ、漠然とした不安を感じるようになっていた。
この国は、少しおかしくなっているのではないか。
ついこの間まで安泰に思えた王国の体制が、いまではとても脆弱な物に思える。
言語化すれば、そんなところになるだろうか。
もとより、この王国に限らず、直接政務に関わることがない庶民にとって、国の上層部の思惑など感知するところではなかった。
大勢の庶民にとっては、国のまつりごとにたずさわる人々がなにを考え、なにを決定しようとも直接自分たちの生活に関わってくる度合いは少なく、自然と無関心になる気風があったのだが、その風潮も今では過去のものになりつつある。
世情がここまで不安定な物となってくると、関心を持たないではいらない。
そのような事情とは別に、洞窟衆が例によって何事か事件が起こるたび発行する号外が、それまでに薄かった庶民の国事への関心を強めていた。
そのような号外を読む素養のある者は、たとえ庶民であってもなんらか商売に関係していることが多く、直接自分の仕事に関わらない事件だとしても投資先の吟味をする材料として、そうした事件への関心を強くする者が増えていたのだ。
ニョルトト、ブラズニア両公爵家の王国から脱退宣言以来、そうした庶民たちはこの国の屋台骨がいよいよ動揺していることを、その肌で感じはじめている。
なにかと騒がしくなるのも無理からぬところで、そこへ来て、追い打ちをかけるようにして難民騒ぎが起こった形である。
さて、王国の上層部は、この森から出てきた避難民をどのように遇するものか。
いささか意地の悪い興味も含んで、庶民たちは王国が打ち出す対応策を見守っていた。
まず具体的な対応策を打ち出したのは、アルマヌニア公爵であった。
アルマヌニア公爵にしてみれば自分の足元にも等しい自領に起きた問題なのだから、早急に対処するしかない。
具体的には、アルマヌニア公爵はそうした難民たちへの懐柔策をまず用意した。
非常時用の備蓄の食糧庫を開放して、難民たちの前にまで搬送したのである。
もちろん、そうした備蓄の食糧も数量的に限りがあったので、そうした懐柔策を取りながらも、アルマヌニア公爵は王家や他の貴族たちへの協力を要請する使者を出した。
王家や他の貴族たちにとってもこの問題は決して他人事ではなく、難民たちがアルマヌニア公爵領から溢れて別の場所へ移動をしはじめると、誰もが非常に困ったことになると心得ていたため、物資や人員をアルマヌニア公爵領に貸し出す者は多かった。
そうした難民への懐柔策をおこなうのと同時に、アルマヌニア公爵はそうした難民たちの移住先を探しはじめる。
これもまた懐柔策の一種ではあったが、なにしろ難民たちは次から次へとやって来るわけで、こちらの方から安住先を提供でもしなければ、どのような振る舞いに及ぶものか予想がつかない。
懐柔策であると同時に、この先、ごく近い将来に予想される被害を未然に防ぐための方策でもあり、この移住先探しについても、アルマヌニア公爵はかなり真剣に取り組んでいる。
住居が決まれば、その近くでなんらかの職場を提供できる目も出てくるわけであった。
アルマヌニア公爵の狙いはそうした難民たちを無害な存在とすることであり、そのためには彼らに対して大きな不満のない待遇を与えることが重要になる。
アルマヌニア公爵はこれはかなりの非常時であると認識した上で、難民の中から志望者を募って森を切り開き、独自の開拓村を新たに作ることさえ許そうと構想してさえいた。
住居と仕事とを与え、つまりは彼ら難民たちが自暴自棄になる要素をできるだけ少なくして、彼らが暴発することを未然に防ごうとしたわけである。
なにしろ数が数であったから、そうした難民たちが一度暴発してしまったら、どこまで騒ぎが大きくなるものか予想できない。
そしてこれは、一人アルマヌニア公爵だけの問題などではなく、完全に王国全体の問題でもあった。
なにしろアルマヌニア公爵領の森といえば、その中を古代文明の遺物である「緑の街道」が突っ切っている。
その街道の先には王都が、ドン・デラが、それにその他の王国の主要な都市や町にまで到達しているのであった。
数万だか数十万だかの難民が暴発してどこかに移動をしはじめれば、王国内のどんな軍隊でもその勢いを留めるのは難しいだろう。
それだけの人数を無理に武力で制圧しようとすれば、かえって激発してより過激な行動を取りかねない。
具体的な指揮者、指導者が存在するわけではないそうした難民たちの動きは、事前に予測することが難しかった。
アルマヌニア公爵をはじめとする王国の貴族たちが、難民たちをできるだけ刺激しないように扱っているのは、決して理由のないことではないのだ。
こうした懐柔策と並行して、アルマヌニア公爵は難民たちの集団に通信術式のタグを手渡し、その使用法を教えている。
それは、別々の村に前後して姿を現した難民たちが、自主的に組織化することを期待してのものだった。
今後、彼らが王国に対してなんらかの要求をこちらに突きつけてくるにせよ、バラバラの状態であるよりはある程度まとまりを持っていてくれた方がなにかと都合がよい。
さらにいえば、彼ら難民の仲間同士でその目的とするところに違いがあることが明瞭となり、内部抗争に近い動きが出てくれば、アルマヌニア公爵としてもありがたかった。
その境遇から考えて、彼らはほぼ例外なくなんらかの鬱憤を抱えているはずであり、その鬱憤がむかう先は、やはり王国の関係者であるよりは難民内部の仲間内である方がいい。
このようなストレスが多い状況下では、完全に烏合の衆でしかない難民たちがすぐに一致団結する可能性は少ないだろうと、アルマヌニア公爵はそう考えたのである。
アルマヌニア公爵が相互の連絡用にと通信用のタグを手渡したのは、決して彼らのためではなく、むしろ彼ら難民たちの不和を促進し、内紛で勝手に疲弊することを期待してのことだった。
王国の貴族たち以外にも、王国からの脱退を宣言したはずのニョルトト、ブラズニア両公爵家も、食糧をはじめとする物資や人員を提供してアルマヌニア公爵の懐柔策に協力をした。
やはり難民の脅威度を重視した結果の協力であると見られたが、それ以外にも、この両公爵家が王国という軛から放たれたとしても近隣の貴族との関係を蔑ろにするわけではない、というアピールすることも狙ったものだとされている。
所属がどうであれ、物理的に近い領地の貴族同士がこうした危地に対して仲良く対応しようとする、一種のご近所づきあいは、意外に大切なのであった。
そんな中、洞窟衆はといえば、そうした難民たちを積極的に雇入れ、衣食住を供給することによって、結果としてそうした懐柔策に貢献していた。
今では洞窟衆も森の中にいくつかの開拓村を所有しており、そうした村の中で難民たちに暴れてもらっても困るからである。
そうして洞窟衆が不満を持つすきも与えずに新生活を用意できた難民たちは、全体数から見ればごく少数であるといえたが、少なくとも洞窟衆が管理をしている村の中では大きな問題を起こさずに済んだ。
洞窟衆は全般にその手の仕事、どこの誰とも知れない未知の相手に対して、その相手の適性を見極め、ふさわしい仕事を紹介するという事業にかなり慣れていたのだ。
その人数を別にすれば、普段から洞窟衆がやっている事業の延長線上の仕事だったともいえる。
さらにえば、洞窟衆は、一時的突発的にある分野の業務が超多忙になるという事態にも、組織的に慣れていた。
まるで問題が起きなかったとはいわないが、そうした問題はだいたい想定の範囲内で起こっており、地道に原因となる要因を潰していけば徐々に問題視するまでもなくなってくるということを、洞窟衆はこれまでの活動で学んでいたのである。
そうこうするうちに数日が過ぎ去り、ハザマが姿を消してから二十日ほどが経過した。
森の中に姿を現した難民たちは、毎日数百人とかあるいは千人を超える勢いで王国内のどこかへ、その多くは都市部の、労働力を欲している場所へと移送されていき、今では王都やドン・デラをはじめとする王国内の都市部でそうした異国風の服装をした人間を見かけることが珍しくはなくなっている。
各地でこうした難民の扱いを巡って大小の摩擦がなかったわけでもないが、難民たちにしてみても王国側がかなり無理をしていい待遇を用意しようとしてくれていることは理解していたので、これまでのところは決定的な事件は起こっていなかった。
ただ、これほどまとまった人数の、違う文化圏の人間が王国内部に入り込み、ほぼ間違いなくこのまま相当数が定着するであろうことは確実であり、これから先、将来のことについては、受け入れる側、受け入れられた側の双方に、どうとも断言できないような状態であるといえる。
数年先、あるいは今の難民の子孫たちがこの王国内で自分たちの境遇をどのように捉え、どのような行動に出るものか、誰にも予想できなかった。
王国内部の、特に都市部は、日常的に微妙な緊張に包まれるようになっている。
そんな情勢の中、王都にあるハザマ領の公館を、とある人物が訪れようとしていた。
その若い男は、洞窟衆を、引いては王国全体をさらに動揺させるような知らせを持ち込んで来ようとし目論んでいたのだが、公館の者たちはそんなことを事前に察知できるはずもなく、その日もいつもと変わらぬ通常の業務に勤しんでいた。




