リンザの腹案
「それでは、こちらの方をくれぐれもお願いします」
「はい、お任せください」
オットル・オラがステラシュス・ラデンダルの身柄を引き渡したとき、ヘムレニー猊下は緊張感をまるで感じさせない柔和な表情を変えないままステラシュスの腕を掴んだ。
「これでもこういった子の扱いには、かなり慣れていますから」
ステラシュスはただの若い女ではない。
任意の他人の言動を強制的に操作するという、かなり強力な加護の力の落ち主なのである。
その力を封じるため、今は念入りに目隠しが施されていたのだが、ヘムレニー猊下はすぐにそのステラシュスの目を覆っている布に手をかけて解こうとする。
「猊下」
慌てて、オットル・オラはそれを止めた。
「お戯れはおよしになってくださいませんか。
この方の力は、そのまま解放するには危険すぎます」
「あらそう?」
ヘムレニー猊下は小さく首を傾げた。
「では、ここではこの子の力を使わせません。
そうお約束しますが」
「猊下にそういわれましても」
オットル・オラは想定していなかったヘムレニー猊下の言動に戸惑った様子を見せた。
「それは、こちらのステラシュス様次第なのでは?」
「この方の意向は関係ありません」
ヘムレニー猊下はおっとりとした口調で続けた。
「ここでは、誰でも等しく加護の力を使うことができないのです」
ヘムレニー猊下は素早くステラシュスの目を覆っていた布切れを取り去る。
不意に視界が開けたステラシュスは何度か目をしばたいてから、対面していたオットル・オラとまともに目を合わせた。
オットル・オラが「あっ」と驚きの声をあげ、すぐに両目を閉じながら自分の腕を顔の前につき出してステラシュスの視線から逃れる。
「どうでうすか、スレラシュス様」
目を閉じたオットル・オラの耳に、ヘムレニー猊下の静かな声が響く。
「ご自慢の加護の力は、使えそうですか?」
「……え?」
ステラシュスの戸惑いを含んだ声が聞こえた。
「なんで?」
オットル・オラが薄目を開けて確認すると、ヘムレニー猊下がステラシュスの頬に両手を添えて、まともにその目を覗き込んでいる。
「ここではあなたの加護の力は、相殺されます。
そのような場所であると、思ってください」
ヘムレニー猊下はステラシュスの目をまともに見据えながらそういった。
「そんな場所で、あなたはこれからしばらく普通の女性として生活していく術を身につけるのです。
加護や身分に頼らない生き方を、です」
ステラシュスはその場で膝をつき、
「あ、あ」
と、嗚咽に似た声を漏らす。
「どうやら、加護の力が通用しなかったのがかなり堪えたようですね。
この子の身柄はしばらくヘムレニー教団がお預かりします。
そちらも今はなにかと騒がしく、忙しい時期になりましょう。
早くバジルニアに赴いてはいかがですか?」
バジルニアからも呼び出されていたのも事実であったので、オットル・オラはその足でバジルニアへとむかう。
オットル・オラの気は重かった。
目の前でハザマ男爵をああされるという失態を犯したから、ではなく、今のバジルニアを取り巻く情勢があまりにも劣悪であったためである。
いや、客観的に見ればバジルニア、というよりは現在のハザマ領を取り巻く情勢というはさほど悪いものではない。
ハザマの不在と、それ以外の諸々の要因があるのにも関わらず、洞窟衆首脳陣の結束は硬く、そうした困難の数々をあまり深刻なものであるとは捕らえてはいないようである。
だが、それでも元はといえば一族丸ごとに王家に仕えていたオットル・オラにとっては、王国と洞窟衆が対立しかけている現在の状況はあまり好ましいとはいえなかった。
おまけに、ハザマを除く洞窟衆の首脳部といえば、ほとんどが年端もいかないような女性たちで占められている。
そんな場所へと呼び出されたオットル・オラとしては、ひたすら気が重かった。
「今後の方針、洞窟衆が取るべき方向をいくつかに分類してみます」
領主官邸の中に設けられた会議室内で、リンザはいった。
「まず、王国に対して恭順に対応し、いわれたことには反対もせずになんでもこなしていく、という方針。
一番摩擦が少なくなる選択になりますが、反面、あんまりなんでもいうことを聞いていくとこちらへの要求がどんどん過大なものになり、こちらの負担が大きくなる一方であるという弊害があります。
いえ、今の時点でさえ、すでにそうなりかけています」
この言葉に、会議室に集まった面々は大きく頷いて見せた。
「次に、恭順するとまではいかないが、いくらかの反抗を含みながら、緊張関係を持ったままどうにか王国中央とも良好な関係を維持していくという選択。
現実的な選択肢でもありますね。
ある意味では、内心はともかくことを荒立てるのを嫌って表面的には服従してきた、これまでの延長ということになります。
ただこちらも、ハザマ男爵が不在でありながらもニョルトト、ブラズニア両公爵家との折衝工作までもこのハザマ領に投げ出されるとなると、先行きはあかり怪しくなってきます。
われわれはそうした交渉に不慣れであり、王国側は明らかにこの工作が失敗することを予測し、期待している節があるからです」
ここでまた、リンザは言葉を少し止めて区切りをつけた。
「次に、王国中央の意向を無視する。
あるいは、完全に反古にして、王国に反旗を翻すという選択もあります。
現在の洞窟衆は、財政その他の面で王国に依存する面が少なく、その気になればそうした決断を下すことも可能ではあります。
ただし、現在、ハザマ領内に多くの工房や施設、それらに関わっている人々を大勢抱えており、これらを別の場所に移す場合、多くの時間と費用を必要とするという難点があります。
とりあえず費用の問題を度外視したとしても、時間の問題はすぐに解決できません。
王国と決別するにしても、そのための時間を稼ぐためのなんらかの工作や交渉は必要となります。
将来的にはともかく、ハザマ男爵が不在の今、すぐにこの選択をおこなうのは不可能ではないが非現実的であると思います」
「それでは、ハザマ領もわれわれと同じように王国からの脱退を宣言してしまえばいいではないですか」
リンザがそこまで説明したとき、マヌダルク・ニョルトト姫が唐突にそんなことをいいだした。
「そしてみっつの領地で団結して王国からの脱退を成功させてしまうというのは?」
「そこまでしてしまうと、それこそあとに引けなくなりますね」
リンザは苦笑いを浮かべながらそう返した。
「それに、そんな事態にでもなれば、おそらく最初に戦火に晒されるのはニョルトト公爵領地とブラズニア公爵領ということになるはずですが、それでよろしいのでしょうか?」
単純に、王都からの距離の問題だ、と、リンザは思う。
大規模な軍勢を整え、移動させるのにもそれなりに準備が必要であり、ハザマ領は王国の外縁部に存在する。
三領地が王国と軍事的にも対立した場合、まずニョルトト、ブラズニアの両公爵領を平定して抵抗のできない状態にしてからでなくては、ハザマ領にまで手を伸ばすことはできないはずだった。
手前から順番に無力化していかないと、王国の軍勢は途中で分断され、挟み撃ちされてしまう恐れがある。
そうした軍事衝突が実際に起こるとすれば、ハザマ領の役割は、少なくとも当初は各種物資や人員の補充など、後方支援が主になるはずであった。
「それに、王国はそうなることこそ望んでいる節もありますし。
ここは、慎重に判断をするべき局面であると思います」
それが、リンザ自身の結論でもある。
おそらく王国中央は、洞窟衆をうまく取り込むか、それが無理ならば他の勢力と結びつく前に潰してしまった方がいいくらいに思っているように思えた。
今回のこの王命も、洞窟衆がどういう選択をするのか見定めるための試金石なのではないか、と、リンザは考えている。
現在の王国にニョルトト、ブラズニアの両公爵領を飛び越えてハザマ領にまで手を伸ばし、平定するだけの国力があるのかどうかが疑問であったが、そう考えると少なくともこの一見かなり無茶に思える王命の内容にもどうにか納得がいくのであった。
「具体的には?」
マヌダルク姫は訊ね返した。
「領主代行としては、どのような選択をお望みなのですか?」
「ですから、今まで通りです」
リンザは静かな声で答えた。
「少なくとも表面的には、王国のいうことを聞きます。
つまり、ニョルトト、ブラズニアの両公爵家を説得して、ハザマ男爵に公爵様になっていただこうかと思っています」
会議室内に、静かな動揺が走った。
「こちらの都合はともかく、両公爵家の方々がおとなしくこちらの交渉に従ってくださるものでしょうかね?」
片手をあげて、タマルが発言する。
「それともうひとつ。
男爵が留守の間に、そんな重要なことを決めてしまってもいいんでしょうか?」
「まずあとの疑問から先に答えておきますと、その男爵の留守であるため、われわれがすぐには動けないであろうというのが、王国が予測するところであると思います。
あるいは、なんらかの決断をして動いても、なんらかの失策を犯すことを期待していると思います」
リンザはいった。
「次に、両公爵家がこちらの思う通りに動いてくださるのかというと、こちらの思惑を説明をした上でご理解を求めれば、決して不可能ではないと思っています」
「その思惑とは、具体的にはなんですか?」
マヌダルク姫がリンザに訪ねた。
「時間稼ぎです」
リンザは即答をする。
「先ほども説明した通り、洞窟衆がこのハザマ領をいつでも捨てられる体制を整えるためには多くの時間と費用を必要とします。
洞窟衆が王命の通りに両公爵家との交渉をおこなえば、その時間が稼げます。
王国には逐一その進捗状況を報告しなければならないわけですが、なにしろこの手の交渉には時間が必要となりますから、場合によってはなんらかの結論が出る前にハザマ男爵が帰還することもあるかも知れません」




