酔いどれの魔法使い
やけに騒がしい夜だった。
タバス川の方からだ。
妙に、人の声が聞こえてくる。
「……なにがあった?」
「奇襲だってよっ!」
「敵の魔法使いが出てきたらしい!」
白濁した意識の中に、そんな声が割り込んでくる。
うるさい……と、ゼスチャラは思った。
「あそこには大勢いたんじゃないのか?」
「ムヒライヒ卿が防御陣地を造営中だったからな」
「今、大騒ぎだよ!」
「風と土と、それに水の魔法が確認されているらしい」
「三人もかよ!」
「いや、わからんぞ。
一人で三種類以上の魔法を駆使する魔法使いかも知れん」
うるさいといっているだろう!
と、ゼスチャラは心中で声がする方を怒鳴りつけたかった。
しかし、実際は、
「……うぅぅぅぅ……」
という、情けない声を漏らしただけだ。
今、ゼスチャラは、安酒場のカウンターに突っ伏して、酔いつぶれているところだった。
意志を振り絞っても、瞼ひとつ開けられない有様だった。
「……はいはい。
ちょっとどいてくださいねー……」
そんな、聞きようによってはかなり呑気な声が、ゼスチャラの耳に入ってくる。
「……おい、今の……」
「頭にトカゲを乗せて、若い女を連れていたな」
「じゃあ、あれが……」
「洞窟衆の、ハザマか……」
「なんだか知らないが、架橋作戦のときも大層な働きをしたそうじゃないか」
「ああ。
なんでも、グゲララ族の捕虜を大量に捕らえられたのも、あの男のおかげだとか……」
「あの男なら……」
「ああ。
この事態も、なんとかしてくれるかも知れん」
そうかい。
そいつぁ、よかった……と思いつつ、ゼスチャラの意識は混濁し、混沌の中に呑まれていく。
犬頭人に臭いをたどらせ、ようやく術者らしき者たちを見つけだした。
そいつらの周囲には、グガラダ族の者と血塗れになった犬頭人の死骸が散乱している。
倒れているグガラダ族の体には、無数の矢が突き刺さっていた。
おそらく、ここまでくる途中で、生きたまま盾となって、この二人を守ってきたのだろう。
「来るなよぉ! おい!」
たった二人が、死体の輪の中心で生き残っていた。そのうち片方が、そう叫ぶ。
「近づいたやつは……そこに転がっている犬っころみたいに、片っ端から切り裂いてやらぁ!」
もう一人の生き残りは、地面に両手をつき、なにやらぶつくさと小声を出し続けている。
そちらが、今も山道を陥没させている土の魔法使いとみて間違いはなさそうだ。
だとすれば、もう一人は、風の魔法使いか。
「弓は?」
イリーナが、傍らの洞窟衆に訊ねた。
「試してみましたが……」
その洞窟衆は、首を左右に振る。
やはり、風使いか……と、イリーナは断定する。
「おかしなことを考えるなよぉ!」
風使いが、叫んだ。
「お前らがなんにもしなければ、おれもなにもしない。
しかし、ちょっとでもおかしな真似をすれば……こうだぁ!」
ぱしゅっ。
という音がして、イリーナのすぐ隣にいた洞窟衆が、目を見開いた。
それから、自分の首筋に掌を置いて、
「……え? え? え?」
と、呟く。
少し間を置いて……その洞窟衆の首から、大量の鮮血が吹き出した。
「いっぺんにそんなに血を失ったら、まず助からねえ!
脆いもんだなあ、人間の肌ってのはぁ!」
風使い……イミルが、叫ぶ。
周囲にいた洞窟衆の者たちが、出血した洞窟衆の首に布などを当てるのだが、それもすぐに真っ赤に染まる。
風で、頸動脈を断ち切られたのだった。
「いいや、まだ間に合う!」
小柄な人影が、頸動脈を断ち切られた洞窟衆に近づき、患部に掌を当てた。
「少し痛むが……我慢しろっ!」
そして、その小柄な人影……エルシムは、回復魔法を唱えはじめた。
「……いた」
「おおい!
ゼスチャラ殿が、こっちにいたぞうぉ!」
「酔いつぶれていやがる!」
「くれぐれも乱暴に扱うなよ!
これでも、貴重な攻撃魔法の使い手だ!」
「丁重に……タバス川にお連れしろ!」
そうした声はゼスチャラの耳にも入ってきたが、ゼスチャラの意識はすでに混濁していて、その意味することをまるで理解できていなかった。
ただ、両腕を掴まれ、無理矢理に立たされた感覚だけは、やけに明瞭に感じていた。
タバス川の近くには、ファンタルが立っていた。
「うわぁ……」
タバス川を見て、ハザマはそんな声をあげる。
「こいつぁ……大惨事もいいところだな」
水面の至る所が血で赤黒く濁っている。
その上、夥しい人影。
負傷している者と、すでに事切れている者、それに健在な者とが渾然一体となっていた。
なにしろ水深があまりない川である。
意識がしっかりしている者は、自力で近くの川岸に向かおうとするのだが……。
ぶぉん、と、唐突に水柱があがり、赤黒い濁りがまた増えた。
「あれが……水の魔法だって?」
「超自然の現象であることは確かだが、魔法かどうかははっきりしない」
ファンタルが、ハザマに答える。
「あれ自体が、生きている可能性もある」
「……なんだ、そりゃあ?」
ハザマが、眉根を寄せた。
「疑似生命体、とでもいうのかな?
精霊の性質を真似て作られた、一種のホムンクルス……。
生物らしい気配はするのだが……どこか歪んでいる。
そんな不自然な気配を、先ほどから感じている」
「……エルフの勘ってやつ?」
「おおよそ、そんなところだ。
おぬしこそ、なにか感じ取れないのか?
その、トカゲもどきを通じて……」
「……そうか!
生物としての属性があるのなら……」
「ああ。
おそらく、やつらを止められるし……そのトカゲもどきの餌にもなろう」
「……そんなら……」
ハザマは、即座にタバス川に飛び込んだ。
「……酷い真似を……」
イリーナが、押し出すように、いった。
「お互い様だろう! おい!」
風使いのイミルが、叫ぶ。
「お前らだって……お前らだって、おれたちの仲間を大勢殺したじゃねーか!
いくさってのは、そういうもんだろうが!」
「……このぉっ!」
イリーナは、腰に差していた剣を抜き放った。
「やるのか? やるっていうのか?
じゃあ……次は、お前だ!」
イミルが、叫んだ。
しかし……。
「お、おい……」
……イリーナの身には、なにも起こらなかった。
「残念だったな」
洞窟衆の手当を終えていたエルシムが立ち上がり……イミルを、睨んでいた。
「ヒトの身でそこまで精霊を操れれば、まあ自慢してもよかろう。
しかし、精霊の扱いについて、よもやこのエルフの巫女よりも長けているなどと増長はしていないだろう?」
「……放てっ!」
イリーナが叫び、次の瞬間には、イミルの体に無数の矢が突き刺さっていた。
「……イミル!」
はじめて、地面に両手をついていた男が顔をあげる。
しかし、次の瞬間には、その男もイリーナによって斬り伏せられていた。
ゼスチャラの体は、あっけなくタバス川の水面に放り込まれた。
「……ぷはぁっ!」
一度全身を水面下に沈めたゼスチャラが、水面上に顔を出した。
「お前ら! なにをしやがる!
せっかく気持ちよく酔っぱらっているところを……」
「軍属魔法使いのゼスチャラ殿。
どうか、周囲をご覧ください」
軍人のひとりが、そう告げた。
ゼスチャラは、しかめ面をして、ゆっくりと周囲を見渡す。
「……ひょっとして、非常事態ってやつか?」
「どうやら、そのようですね」
その軍人は、もっともらしい顔をして頷いた。
「あちらの方に、ときおり水柱や水飛沫があがっているでしょう。
あそこになにかがいて、うちの者たちに危害を与えているようなのです、なにぶん、この暗さであの速さですし、正体も皆目わからず……」
「……よしよし。
状況は、大ざっぱにわかった。
要は、アレを止めればいいんだな?
確かにアレからは、それなりに魔力を感じるが……」
「できますか?」
「おれを誰だと思っていやがる!
このゼスチャラ様の手にかかればな!
こんなものはっ!」
次の瞬間……ゼスチャラを中心とした半径五百メートルほどのタバス川の水は、すべて凍りついた。
「……うわぁっ!」
「なんだこりゃ!」
「冷てぇ!」
「新手の敵の攻撃かっ!」
「動けねーよ、おい!」
「凍える! このままでは凍える!」
そこいら中から、悲鳴があがる。
「……アホですか、あんたは……」
「……すまん。
元に戻すわ」
「今度凍らせるときは、敵の周辺だけに範囲を限定してください」
「お、おう」
バシャバシャと水をかき分けて進んでいると、不意に、自分の周囲の水面が、すべて凍りついた。
と思ったら、すぐに元に戻った。
水温は、やはり急激に下がったような気がするが……。
「……なんなんだ、一体……」
ハザマは、呟く。
「魔法がある世界だから、もはやなんでもありだなあ、おい……。
目指す敵は、と……一番近いのが、あれか。
さて、バジルの能力が、果たして通用しますかねえ……」
ハザマは、派手に水飛沫があがっているところにむかって、水の中を進んでいく。
「はいはい。
どいてくださいよう」
途中、人夫らしい薄汚れた格好のおっさんたちが逃げまどっているのとすれ違うが、ハザマは気にもかけない。
その中にはかなり派手に出血をしている者もいる。
仮にも水中にいるのだから、出血量もそれだけ多くなっているはずであり、早く止血なりなんなりをしないと被害も広がる一方なのだろうが……今のハザマには、どうすることもできなかった。
今の状況だと、ハザマひとりが大勢を避難させたり手当したりするも、被害を増やしている元凶を一刻も早く叩き潰した方が、よっぽど手っ取り早いのだ。
「……そろそろ……かな?」
ハザマの目測では、そろそろ一番近い水飛沫が、バジルの能力の有効範囲内に到達する。
果たして、水妖とやらにバジルの能力が通用するのか、否か……。
ハザマの心配をよそに、ハザマが歩み続けると、急激に、それまで派手にあがっていた水飛沫が急激に止まった。
「……よしっ!」
拳を握り、ハザマは、水飛沫が止まったあたりへ急行する。
透明な、全長五十センチくらいの魚形の「なにか」が、水面に浮かんでいた。
「……これが、水妖ってやつなのか?」
疑問に思いつつ、ハザマは、その「なにか」を手に取った。
ひんやりとした感触で……。
「こりゃあ……水だあ」
水でできた固体、というべきだろうか。
氷ともゼリーとも違う、不思議な感触だった。
「詳しい詮索は、あとだ。
まだ何体か、動いているのがいたな……」
ハザマは、次の水飛沫へと向かう。
「ほれ! ほれ! ほれ!」
酔いどれのゼスチャラが奇声を発するごとに、水面上に半径二メートルほどの円形の氷が出現する。水面上に見えている部分は円形であったが、水面下を見ることができればその氷は実は半球状あったことに気づかされるはずなのだが。
たまに、たまたまその近くのいた人間がその氷に捕らえられて身動きができなくなったりするのだが、ゼスチャラは気にも止めていない。
「なかなかすばしっこいな。
ほれ!」
結局、ゼスチャラが水妖を凍らせることに成功したときには、十以上の半球状の氷がタバス川の水面に浮かぶことなった。
ゼスチャラがたった一体を捕獲している間に、ハザマは残り二体の水妖も確保している。
四体の水妖のうち、三体をハザマが捕獲していた。
魔法使いであるゼスチャラがたった一体を捕獲するだけに終わったことと比較すると、ずいぶんと多いようにも思われる。
が、バジルの能力はもともとかなり広い範囲に影響するタイプであり、水妖の速度などに影響を受けにくいことを考えると、まずは順当な結果であるといえよう。
「おいおい、あんた。
見ない顔だな。
新入りか?」
すべての水妖を確保したあと、バシャバシャと水を跳ねあげてゼスチャラがハザマのいる場所へと近寄ってきた。
「まだここに着いたばかりですから、新入りっていやぁ新入りになりますかね」
ハザマは、当たり障りのない挨拶を返しておく。
「そうか。
なかなかやるな」
ゼスチャラは、すでにハザマの成果を確認している。
「おれのような本職の魔法使いでも手こずるような相手を、あっという間に三体も捕獲して……。
あんたぁ、魔法使いではないな。
アイテム使いか?」
「魔法使いでもアイテム使いでもありませんね」
ハザマは、三体の硬直した水妖を持った手で頭の上に乗っているバジルを指すしぐさをし、簡潔に答えた。
「強いていえば、こいつの飼い主です」




