前国王の価値
「敵騎兵部隊そのニ、ヴァンクレス隊と接触。
いくらかは撃破するものの大半は健在のまま、散り散りになって逃げていきます」
「ヴァンクレス隊はそのまま敵騎兵部隊その三の追撃に入ります」
「敵騎兵部隊その四、その五、フォロパイに接近。
味方の騎兵部隊が間に合いません。
このままですと無傷のままフォロパイ駐留部隊との交戦になるものと予想」
「脱落した騎兵にむけて、すぐにフォロパイに戻るように通信してください」
ネクレイはいった。
「今からではフォロパイの防衛にまわって貰う方が、よほど役に立ちます」
味方の騎兵部隊は、その半数以上がこのスデスラスで徴用した人員で構成されている。
その質もまちまちであり、連携も甘い。
いや、それ以前に、ヴァンクレスの馬についていくだけの足を持った馬がほとんどいなかった。
そのため、本来もっているはずの機動力を十全に活かせなかった結果となった。
突出した能力を持つ個性が存在していたとしても、他の戦力との連携ができないようでは、その能力を完全に活かすことができないわけだな。
と、ネクレイは結論する。
特に今回は、敵側がヴァンクレスの存在を知った上で、それに対する対抗策を用意してきた節があった。
「現在、ヴァンクレス殿についている騎兵の数は?」
「先ほどの敵軍との接触で、二十騎を切りました」
残りは、馬の足がついていかずに脱落したか、それとも敵軍に討ち取られたか、だ。
いや、味方の被害が甚大であるという報告は入ってきていなかったから、大半は脱落したのだろうが、いずれにせよこの場面で貴重な戦力を有効に活用できなかった事実は否定しようがない。
ここは、フォロパイにほど近いある町の廃屋を急遽借り受けて臨時に作った司令室になる。
かなり埃っぽいが、それでも雨露くらいはしのげる。
どのみち、長期間に渡って使用する予定でもなかったので、快適な環境はさほど求めていなかった。
なにより、かなりの人数を詰めることができるだけの広さがある。
ここではネクレイをはじめとする諜報部門の者と、それに使い魔を駆使する斥候隊の人員が共同して働いていた。
フォロパイ周辺のかなり広範な範囲を見張り、高速で移動する敵騎兵部隊を追跡するのは、複数の使い魔を駆使ししても決して容易な仕事ではないのだが、今回の場合、それにあちこちで脱落したヴァンクレス隊の騎兵の現在地を把握し、それおれに誘導する仕事まで加わっている。
この臨時の司令室にいる人員も多忙を極めていた。
「ええ、そうです。
そこからまっすぐ南東にいってください」
「落ち着いて!
まずは味方と合流してください!」
「そうです。
そのまま直進すればフォロパイに戻れるはずです。
うまくいけば、フォロパイを攻撃する敵軍を挟撃することができます」
味方の騎兵部隊は、あちこちでボロボロと脱落していたので、指示をするこちらの作業もそれだけ煩雑になる。
まずは近くにいる味方同士を引きあわせてまとまった戦力にし、そのあとで目的地を指示する。
周辺は畑以外になにもないような土地柄であったし、目印となるものがほとんどなかった。
指示を出すにしても、漠然とした方角を示すしかない。
指示を出す側は、使い魔を駆使した上で地図を睨みながら、必死になってそれぞれの味方の現在地を割り出していたのだが、それでも頻繁に予想と現実の間にズレが生じた。
そのズレは、味方の騎兵により一層の回り道をさせることの原因となる。
細かい指示をする側も、こうした事態には不慣れであった。
せっかくの通信術式も、まだまだ使いこなせてはいないな。
と、その混乱した状況を見ながらネクレイは思う。
遠くに声を届ける術を持ちながらも、現地の状況を知るための目と耳の数が足りない。
それと、もっと精度の高い地図も欲しい。
そうすればもっと的確に、無駄なく兵力を運用できるのに。
「南東より接近中の部隊が、そろそろフォロパイからも視認できる距離に近づきます!」
そんな声が、物思いに沈んでいたネクレイの意識を現実に引き戻す。
「スセリセス殿!」
ネクレイはフォロパイに居るスセリセスに伝えた。
「南東より接近中の敵軍が、そろそろそちらも見える位置に来ます!」
『了解しました』
スセリセスは以外に落ち着いた声で応じた。
『すぐに迎撃の準備を整えさせます。
こちらにはエセルさんが居ますから、敵軍が密集して近づいてくるようだったら問題はないかと。
問題になるとしたら、敵軍が同時に多方面からフォロパイに接近してきた場合ですね』
エセルの精霊魔法による広範囲攻撃は確かに強力無比といえる。
しかし、その精霊魔法にしても、一度に離れた複数の場所を攻撃することはできない。
味方やフォロパイの住人たちももろともに、フォロパイ周辺の広範な領域すべてに攻撃するというのならば可能なのだろうが、そんな自殺行為をしても戦略的には意味がなかった。
敵味方が等しく無力化されたあとに敵の別働隊が到着すれば、それでおしまいなのだ。
「魔法にせよ加護にせよ、いかに強力な能力でもそれを十全に活かせるだけのお膳立てを用意できませんと威力が半減しますな」
『そうですね』
ネクレイが思わず吐いた本音に、スセリセスも同意する。
『とくにエセルさんについては味方になってから日が浅く、こちらもうまく活用できていない面があります。
ですがそれらは、今後の課題ということで』
今は、もっと差し迫った問題があるのだ。
「ところで、例の前国王はどうしましたか?」
『ああ。
あの方ですか』
スセリセスはネクレイが予想だにしなかった答えを、あっさりと呟く。
『こちらの判断に任せるといわれていたので、すぐに身柄を開放しました』
「それは……」
あまりの返答に、ネクレイは絶句する。
「……なんとも、思い切ったことをしましたな」
スデスラス前国王。
その身柄を抱え込めば、それだけでスデスラス王国地元住民の意思を押さえ込みやすくなる。
ガンガジル王国なりゴロジオ王国なりが当てにするだけの名望を、少なくともこのスデスラスの地の中では持っている人物であった。
その人格や能力はさておき、利用価値は極めて高いといえる。
その前国王の身柄を、スセリセスはあっさりと解き放ったという。
『なんといってもこの非常時ですからね』
スセリセスはそう続けた。
『あんな人のお守りまでやっている余裕はありませんよ』
それはそれで、事実ではあるのだろう。
フォロパイに居たガンガジル王国軍並びにゴロジオ王国軍の全兵士を武装解除した上で、新たに来襲してくるゴロジオ王国軍に備えなければならない。
スセリセスとフォロパイに駐留している解放軍は、現在、多忙を極めているはずだ。
その上で、政治的には価値があるがしかしこの場では積極的に保護する意味を持たいない前国王という人物の面倒までは見ることができない。
そのように判断したとしても、それはそれで理にかなってはいるのだ。
だが。
……こんなところであとは好きにしろと放逐された前国王も、たまったものではないだろうな。
とか、ネクレイは思う。
「あえて失礼ないいかたをしますが、解放軍はあなたに対して無理にでも保護するだけの価値を認めておりません」
スデスラス前国王に対して、スセリセスは明瞭な口調で告げた。
「ですから、あとはどうぞご自由になさってください。
報告によりますと、この街の周辺にどうやらスデスラスの再興を願う人たちが潜伏している様子ですが、そうした人たちとうまく合流できるといいですね」
そうすれば、少なくとも当面は身の安全は保証されるだろう、とスセリセスは思う。
しかし、そういわれた側のスデスラス前国王は、なにをいわれたのか理解できないといった風で、ぽかんと口を開けて呆けていた。
「……汝は」
しばらく時間を置いて、ようやく前国王は口を開く。
「余の身柄に価値はないと、そのように申すのか?」
半信半疑であり、なおかつ、呆れたような口調であった。
「解放軍の目的は、あくまでスデスラス国内から諸外国の軍勢を駆逐することにあります」
スセリセスは丁寧に説明をする。
「スデスラス国内の問題に対しては、できるだけ中立であるべきでだというのが、ケイシスタル・ワデルスラス姫が示した方針になります。
だから、前国王陛下に対しても、積極的に利用しようとすることはありません」
中立を保つために、あえて放置をする。
それはそれで、理屈だけをたどっていけば筋が通っているように思えた。
だがそれは、前国王にしてみれば、すぐには信じられない内容でもある。
「では、そなたら解放軍とやらは」
前国王はそう確認せずにはいられなかった。
「なんの見返りもなく、数カ国の軍勢を同時に敵に回しているというのか!」
「いえ、見返りをまるで期待していないわけでもないのですが」
スセリセスはそういってゆっくりと首を振った。
「その見返りとやらは、おそらくは別のところからたっぷりと利子を伴って掠め取る算段がついているはずです。
そちらの方面についてはぼくも専門外であり、この場で詳しく説明するだけの知識は持っていないのですが。
ただ、その見返りは、従来の国同士の関係ではなく、もっと細かいレベルでの商取引によって賄う予定であると、そう聞かされております。
それとも前国王陛下は、改めて冒険者ギルドにご自身の身柄を保護するためのクエストを発注なさるおつもりでしょうか?
そうした契約をお求めでしたら、ご相談に乗ることはできると思いますが。
いずれにせよその場合も、そのクエストに見合った対価を用意する必要があります。
失礼ながら前国王陛下は、その身柄を守る仕事にふさわしい財貨を所持していらっしゃいますでしょうか?」
あくまで冷静な口調を崩さず、スセリセスは説明を続ける。
スデスラス前国王は、賢明に頭を働かせてこの少年がいっていることを理解しようとした。
より正確にいうのならば、現在、自身のおかれた立場を、だが。
「つまり、汝らは」
さらにしばらくの間を置いて、スデスラス前国王は口を開く。
「余には、なにも期待していないというのだな?」
「最初から、そのように申しあげております」
スセリセスはそういって、鷹揚に頷いてみせた。
「どうぞ、どこへなりともご自由にお運びください」
「ではその高貴な身柄は、こちらで引き受けることにしよう」
不意に耳にすぐうしろから声をかけられて、スセリセスはひどく驚いた様子で振り返る。
しかし、背後には誰も居なかった。
いや、居ないように見えた。
「……隠形の術ですか」
他者の感覚に干渉をして自身の存在を隠す。
そのよう術が存在するとは、スセリセスも耳にしていた。
かなり珍しい、ごくごく一部の者にしか伝えられていないようなマイナーな魔法であるが。
「スデスラスの方ですね?」
「われらの正体については、好きに推測するといい」
スセリセスの問いに、その声は答える。
「こちらにしてみれば、この場で明かさねばならぬ道理もなし」
「確かに、詮索しても仕方がないことですね」
スセリセスはその言葉に頷く。
「こちらの陛下の処遇については、もはやわれわれが干渉すべきことがらではありません。
陛下と直接交渉をしてください」
スセリセスにしてみれば、相手が誰であろうとも、この場の懸念事項がひとつ減ってくれるだけで、十分にありがたいのだった。
「やけにあっさりとした態度だな」
声が、苦笑いを含んだようだった。
「ここで前国王陛下の身柄をわれらに渡したことで、将来の禍根になるとは考えないのか?」
「そのときはそのときです」
スセリセスはいった。
「ケイシスタル姫はスデスラス国内の統治権に関しては関心を持っておりませんし、冒険者ギルドの頭領にしても、解放軍の働きがどうなろうとも、政治的な混乱は避けられないであろうという見方をしております。
王政の完全廃止を主張するアポリッテア姫が台頭してきている現在、王政復古を求める勢力は、時期は前後しても必ず出てくるはずだと。
どういう手段を使おうとも、そうした主張を完全に黙殺することはできないだろうと、そういっていました」
「妙に達観した意見だな」
その声はいった。
「いや、他人事としてみれば、そう見るしかないか」
「いずれにせよ、そちらの前国王の処遇を含めて、スデスラス国内の問題ついては余所者が安易に干渉をするべきではないということで、冒険者ギルド上層部の意見は一致しております」
スセリセスはそう続ける。
「陛下の身の振り方は、陛下ご自身で決断してくださるのが一番かと」
「だ、そうだが」
声が、こんどはスデスラス前国王に問いかけた。
「どうなさいますかな?
陛下。
われらに身を任せるもよし、ご自身の才覚によって未来を切り開くもよし」
「ど、どうせよと!」
スデスラス前国王は、動揺した声を出した。
「おぬしも余に、なにをせよということはないのか!
期待をすることはないのか!」
「失礼ながら、われらが陛下に対して期待しているのはその意思でも人格でも能力でもなく、生まれ持ったそのご身分のみにございます」
その声は、淡々とした口調で説明する。
「陛下の存在がなければ、スデスラス国内の混乱はまだまだ長引くことでしょう」
「つまりは、お主らについてけば、この混乱もいずれは治まるというのだな!」
スデスラス前国王はいった。
「その言を信じることにしよう!
余は、以後、そなたたちと行動をともにする!」
「おや?」
その声は、ここでかなり意外そうな口調になる。
「そのようにわれらを簡単に信じてしまって、よろしいのですか?」
「なに、今の余は、どこに身を置いたとしても、結局は利用されるだけの存在だ」
前国王はそういって昂然と胸を張った。
「少なくともそなたらは、この余の身柄に価値があると断じている。
であれば、必死になって余のことも守ってくれるであろうよ。
そこの解放軍などとは違ってな!」
卑下しているのか、開きなおいっているのか。
「ま、それはそれで卓見ではありますな」
その声は、皮肉げな口調でいった。
「確かに、われらにしてみれば御身はまだまだ利用価値がある。
価値がある以上、御身の安全は可能な限り守らせていただきます」
その言葉が終わるのとほぼ同時に、スデスラス前国王の姿がすうっと消えた。
ように、スセリセスの目には見えた。
これで、懸念事項がひとつ消えた、と。
スセリセスは、心中で呟く。
『敵騎兵部隊の第一陣、南東より接近中です!』
「エセルさんの部隊をそちらに回してください」
その直後に、そんな通信が飛び込んでくる。
「ぼくもすぐに行きます。
他の方面から来る敵は居ませんか?」
『いまのところは、目視できるほどに接近してくる敵は確認できていません』
ヴァンクレスを筆頭とする味方の騎兵部隊が現在どのようになっているのか、この時点ではスセリセスは把握していない。
なんの報告もないということは、おそらくはすぐにこのフォロパイに駆けつけることができない場所に居るということなのだろう。
つまりは、そうした騎兵部隊の存在をあてにせず、接近中のゴロジオ王国軍に対処するしかないわけであった。
強力な精霊使いであるエセルが居るにしても、実戦経験が乏しい寄せ集め解放軍兵たちで構成されている解放軍で、どれほどのことができるものか。
条件的にはかなり厳しいと思ったが、それでも与えられた中で最善をつくすしかないな、と、スセリセスは静かに決意をする。
「どんな様子ですか?」
「もうすぐ、攻撃可能な距離に到達するのです」
フォロパイ南東の町外れに到着したスセリセスは、先に到着していたエセルに声をかける。
このエセルは、幸いなことに馬に乗ることができたので、護衛としてに二十騎ほどを預けて待機させていた。
全方位から時間差を置いてこのフォロパイに到着する敵軍に対抗するためには、ある程度の機動力は必須であったからだ。
「今度は、手加減をする余裕はありません」
鞍の上から、エセルはそういってスセリセスの目をまともに見据える。
「次から次へと敵が攻めてくると、そう聞いています」
「ですね」
スセリセスも、その言葉に頷く。
「今回は、手加減抜きでお願いします。
できれば、馬くらいはそのまま鹵獲したいところですが……」
「その辺の加減は、精霊さんたちの機嫌しだいなのです」
エセルの声は冷酷に響いた。
「ただ、その力を振るうことを喜ぶ子が多いので、制御はかなり難しいと思います。
あ。
入りました」
敵軍が、エセルの精霊魔法の射程内に、ということであった。
フォロパイの周辺部はほぼ渡って耕作された土地であったが、そうした畑地の上を憚ることなく敵の騎兵部隊が突進してくる。
その数はとても一目では数えることができず、ネクレイの報告によるとどうやら二百前後は居るという。
実際に目にした印象では、無数の騎兵がこちらにむかってくる、という事実だけが胸に迫ってきた。
あんなのとまともにぶつかったら、いかに連弩を装備していたとしても、解放軍のにわか兵士たちはあっという間に蹴散らされるだとうな、と、スセリセスは思う。
巨大な馬に乗った騎兵は、実際に間近にしてみれば、ただの一騎だけでも人間の心理を圧倒する。
それが数十、数百と集まれば、ただそれだけで圧巻だった。
しかし、間近に迫ってきたその騎兵部隊を、突如発生した何本もの竜巻が襲った。




