戦場の貴婦人
「洞窟衆のハザマくん」
ようやくハザマたちが上陸してきたあたりまで山道を下ると、今度はアムラヌニア公の次男坊に声をかけられた。
「どうやら……例の奇妙な能力によって、抜け駆けをしてきたようですね?」
形ばかりは疑問形だが、実際には断定しているような口調だった。
「はっ!
おかげさまで!」
誤魔化す必要もないな、と判断したハザマは、正直にそう答える。
「途中で、うちのブシェラムヒと会いませんでしたか?」
「ブシェラムヒ様は、敵の前線司令部を抑えると勇んで前進しておりました!」
ハザマ自身がそそのかした結果であることは、この場で明かす必要はない。
「……そうですか。
いや、彼が無事であるのなら、それでいいのです」
ムヒライヒ・アムラヌニアは小さく首を横に振る。
「それで、ハザマくん。
このあとの予定は?」
「こちらの捕虜をしかるべき場所に確保し……そのあとは、今回の後始末で忙しくなるかと」
「結構です。
いくさは……実際の戦闘よりも、前の準備とあとの始末の方が、数倍面倒で気を使う。
そのことを弁えている軍人は、貴重です」
あなたには期待していますよ……とかいって、ムヒライヒは軽く手を振ってハザマを促し、人夫たちに縄を用意してハザマたちが来た上り坂に向かうよう、指示をした。
そこに、多数の敵兵が直立不動になっているはずなのである。
「お忙しいとこ、すいません」
次に、ハザマはムムリムに声をかける。
「……なんか、手伝えることあります?」
「ごめんねー、ハザマくん」
ムムリムは、顔もあげずに声だけでハザマに応じた。
「見ての通り、今、手も離せないし相手をしてあげる時間も取れないんだー」
「はいはい。
そりゃ、見りゃわかりますから」
ハザマも、周囲を見渡してそう答える。
あたりは、治療を必要とする人と、治療を施そうとする人とでいっぱいだった。
「なにか、用意した方がいいものあります?」
「……人手!
それが駄目なら、処置が済んだ人たちをどこかここではない場所まで運ぶように手配して!」
「……了解、っす」
そう答えて、ハザマは、リンザたちを連れてむこう岸へと帰っていく。
バタス川にかかった浮き橋は、すでに十本以上を数えるようになっていた。
それだけではなく、両岸に綱を渡し、それに筏を繋いだものまでもが川を行き来しはじめている。そうした筏は、防衛陣地用の資材を持ってこちらに渡り、傷ついた将兵を乗せて戻っていた。
なんだ、ムムリムにいわれるまでもなく、負傷兵の搬送はもうはじまっているじゃないか、と、ハザマは思った。
ハザマたち自身は、大きな荷物を抱えているとはいっても自分の足で歩けるので浮き橋を利用した。
上陸作戦が成功のうちに終わったとはいっても、このいくさすべてが終結したわけでもなく、周囲を行きかう人々は、皆、ある種の緊張感を秘めてきびきびと動いており、ハザマたちに注目する者はほとんどいなかった。
武装した兵士ではなく、人夫や医療関係者など、非戦闘要員の比率の方が圧倒的に多くなっている。
ピリピリとした空気を肌で感じながら、ハザマたちは野営地の天幕の隙間を縫うようにして、洞窟衆が間借りしている場所まで移動した。
「……お帰りなさい。
無事だったんですね」
洞窟衆の天幕まで戻ると、クリフが出迎えてくれた。
「おれたちは、無事だな」
ハザマは、そんなことをいいながら、肩の荷を降ろす。
「死傷した人は、それなりに出ているようだけど」
「なんですか? この人たち」
「よくわからんが、敵軍の偉い人。
例によって、動けなくして捕虜にしてきた。
こいつらを縛る縄、用意して」
「あ。
はい」
弾かれたように、クリフが駆けだしていく。
この少年はハザマが期待している以上に、侍従見習いという自分の役割を重く意識しているらしかった。
「あとは……」
「ムムリムから、救援要請が来ているが」
エルシムが、そう声をかけてきた。
「何人か連れていってもよいか?」
「あ。
お願いします」
ハザマは、軽く頭をさげる。
「ここの留守は、おれたちが見ておきますので」
「今、増えた怪我人のための天幕を増設させておるところだが……どこかで割り切らないと際限がないぞ。
無限に怪我人の面倒を見てやれる道理もないのだ。
薬も、今調合をさせているところだが、全然足りん」
「承知しています。
その辺は改めてちゃんと考えますので、今はムムリムさんの手助けをお願いします」
ハザマがひたすら下手に出ていると、エルシムはそのまま去っていった。
「ま……無制限に怪我人を受け入れられない、ってことは、最初からわかっていますがねー……」
その背中を見送りながら、ハザマはぶつくさと独り言を呟く。
「ハザマさん。
縄を持ってきました」
姿を消したクリフが、戻ってきた。
「よし。
この人たちをふん縛って……そうだな。
あの飛竜乗りのところにでも放り込んでおいてくれ」
「……架橋作戦が成功しただと?」
ほぼ同時刻、野営地の某所で低く唸る者がいた。
「どこの馬鹿だ!
あんな無茶な作戦を成功させたうつけは!
……失敗すると思ったから許可したのにぃ!」
「お姫ぃ様。
そのようなことを大声でふれ回るのは、いささか外聞が悪いかと」
「戦場で上品に振る舞っていられるかぁ!
かぁー……アムラヌニア家の短絡思考どもが!
おとなしく予備選力に徹しておればよいものを!
……それでなくても、此度のいくさは兵站が滞っておるのだ。
これ以上、戦線を増やしたら食料も兵士にあてがう給料もまるで足らなくなるぞ……」
ほとんど呪詛に近い暴言を際限なく吐き続けるのは、メキャムリム・ブラズニア。二十歳。
大貴族ブズラニア公の長女であり、このいくさでは兵站計画を統括する後方幕僚として重要な役割を担っていた。
「……これで、予算超過は確実だな。
王都に至急、追加予算の請求を。
兵站計画の変更はどうなっているのか?」
「緑の街道をはずすよう、指示の徹底をしております。
しかし、すでに出発していた部隊に関しては……」
「よい。
それらについては、捨てたものと考えよ」
メキャムリムは、そろばんを弾きはじめる。
「……ええっと、緑の街道の治安悪化と、戦争の長期化……穀物の相場が、またあがるぅ……。
うちの城を出た輸送隊はまだ着かないのかっ!」
「最速でも、あと三日はかかるかと」
「それまで……食料が、保つか? 保たないか……。
計算では、かなりギリギリだが……」
「……バタス川より伝令!
山岳民の捕虜、新たに二千を確保したとのことです!」
「……うがぁ!
また計算が狂ったぁ!」
メキャムリム・ブラズニアはその場で立ち上がり、自分の髪を両手で掻きむしった。
「足りねーよ! 全然足りねーよ!
予算も食料も全然足りねーよ!」
メキャムリムが取り乱しても、周囲の幕僚たちは黙々と自分の仕事に勤しんでいる。
この程度メキャムリムの錯乱は、ここでは日常茶飯事なのである。
「……出かける」
ひとしきり叫んだあと、メキャムリムはぼつりと呟く。
「その前に、お姫ぃ様」
メキャムリムと同年輩の侍女は微笑みながら、メキャムリムに告げた。
「そのままではいろいろと残念過ぎて先方に失礼ですから、一度御髪と服装を改めましょうね」
有無をいわせぬ口調であった。
この侍女は長年メキャムリム付きの仕事をしているので、彼女の扱い方をかなり心得ていた。
「補給部隊、またまた到着しましたー」
「おお、お前も来たのか」
そういって洞窟衆の天幕に入ってきた者の顔を見て、ハザマはいった。
「……タマル」
「そりゃあ、来なけりゃ!
これだけ大きな戦場ともなりますと、商機ばーんとありますし!
ええと、今回は、食料と薬品ならびに薬品の材料、ドワーフが製造した武器、それに労働力として三百人分の奴隷を連れてきました!」
「お、おい……」
タマルのテンションに、ハザマの腰が引ける。
「……大丈夫なのか?
いや、人を連れてくるのはいいんだ。
だけど、こっちじゃ、これから食料が不足するっていうし……」
「小麦の袋だけでも、馬車二十台分を持ってきましたとも。
今、奴隷の人たちに荷卸をさせているところですけど……」
「……ハザマさん!」
そのとき、クリフが、天幕の中に入ってきた。
「ブラズニア家のご令嬢が、面会を求めてやって来たのですが……」
「おお! ブラズニア家の!」
ハザマが応じるよりも早く、タマルが反応する。
「……お前、知ってるの?」
「ご令嬢その人について存じ上げませんが、ブラズニア家はこのいくさで輸送計画全般を取り仕切っています。
そのご令嬢がこの時期にハザマさんに用があるとすれば……」
「……用があるとすれば?」
「十中八九、借金の相談か、食料を融通してくれってはなしでしょう」
タマルは、そういって平手を合わせた。
「この交渉、任せて貰ってもよろしいでしょうか?」
「……おー……」
ハザマに、異論があるわけがなかった。
「任せるわ」
「洞窟衆のハザマ様ですね」
メキャムリム・ブラズニアはそういって嫣然と微笑んだ。
「メキャムリム・ブラズニアと申します。
この度は、折り入ってお願いしたことがあって……」
整った顔立ちにぴんと伸びた背筋、戦場にあってもまるで乱れたところがない典雅な服装。
絵に描いたような、若い貴婦人であった。
「あー。
それなんですけどね……」
ハザマは、自己紹介もそこそこに、傍らにいたタマルを紹介する。
「こちらは、タマル。
洞窟衆の商売関係の責任者です。
その相談というのがその手の交渉事でしたら、こちらのタマルに直接交渉して貰った方が早いかと」
「あら」
メキャムリムは、少し多げさに目を見開いて見せた。
「このような若くて可愛らしい方が。
それは、それは……」
若さということでいうのなら、当のメキャムリムもかなり若い……と、ハザマは思う。
せいぜい、二十前後か。
一軍の輸送計画を大きく左右するような人物には、見えなかった。
「それでは、タマル様。
時間が惜しいのでさっそく……」
「その前に、メキャムリム様」
タマルは、無礼なことに貴族の言葉を平然と途中で遮った。
「失礼ながら、あえてお聞きします。
軍では、いまだに羊皮紙を使っているという噂は、本当なのでございましょうか?」
「え……ええ」
メキャムリムは、タマルの態度に少々面食らっているようだ。
「その、羊皮紙しか、書きつけるものがございませんので……」
「ああ。それは大変なことでございます」
タマルは天井を仰いだ。
「重くて厚くて、従って輸送のさいにも不便で多大な負担をかける、あの時代遅れの代物をまだお使いとは!」
「……え……。
でも、羊皮紙以外のものが……」
「こちらに、エルフ紙がございます。
さあ。実際に手にとってご覧ください。
どうですか? この薄さ。この白さ」
「……え。
なにこれ? 紙? 本当に紙なの?
こんなに薄いのに、むこう側が透けて見えないし……」
「試しになんか書いてみますか?
これ、全然、ペン先がひっかからないんですよ。
よろしければ、こちらのインクとペンをお使いください」
「……本当。
書き味が……」
「滑らかでしょう。
先行販売をしたドン・デラとか辺境の開拓村などでは、おかげさまで大好評をいただいております。
一応、こちらの戦場にもいくらか持ち込んでおりますが……」
「買います!
買う買う!
なにこれ、今、どれくらい持ってきてるの?」
「今、手元にあるのはこの大きさのものが五万枚といったところですね。
戦場には王国各地から兵が集まりますから、そちらの方々に使用していただいた上でこれから販路を拡大しようと……」
「五万枚、全部買います!」
メキャムリムは、身を乗り出した。
「……全部、とおっしゃられましても……。
こちらも商売上の都合というものがございまして……」
「いいから!
さっさとこれの値段をおっしゃいなさい!」
メキャムリムは、今にもタマルの襟元に掴みかからんばかりの勢いだった。
「……お姫ぃ様」
冷静な声が、そんなメキャムリムを制した。
「なんなの? リレイア。
あなた、まさかこの製品の画期的……」
「失礼ながら、お姫ぃ様。
地が、出掛かっております」
メキャムリムにリレイアと呼ばれた侍女は、そう指摘した。
メキャムリムは姿勢をただし、軽く咳払いをする。
「……さあ、タマル様。
商談の続きを致しましょう。
五万枚すべてが駄目なら、何枚なら売れるのか?
値段は、総額でいかほどになるのか?」




