マノラスの代表者たち
「まずは、スデスラスの主権となり得る政体をつくりあげてくれ」
宿場町マノラスを代表する顔役たちが挨拶に来たとき、ケイシスタル姫はことなげにそういい放った。
「わしらの都合により、現在スデスラスの領土を専有している諸勢力は一掃すべく努めているわけだが。
しかしそのあとどうするのかまでは、わしらには考える余裕も無い」
つまりは、
「自分たちの面倒は自分たちで見てくれ」
ということであった。
そういわれたマノラスの代表者たちは一様に戸惑った表情を浮かべて、お互いに顔を見合わせた。
このいいようは一見して常識的にも見えるのであるが、わざわざ遠い外国まで大軍を率いてきた人物が口にするセリフとしては、ずい分と無欲で、同時に無責任な態度なのではなかろうか?
彼らスデスラスの地元民たちにしてみれば、ケイシスタル姫が率いる解放軍も外からやって来た征服者の一種に過ぎない。
それにしては要求が控えめに過ぎて、
「別に裏があるのではないか?」
と不審に思うほどであった。
これほど大規模な軍事行動を起こすにあたっては、当然のことながら莫大な軍資金が必要となる。
それを負担した上で、見返りを求めないケイシスタル姫の態度は、マノラスの代表者たちにとっては潔癖に過ぎてかえってうす気味が悪く思えた。
とはいえ、実際にはケイシスタル姫がなにも求めなかったわけではない。
洞窟衆並びに冒険者ギルド関係者の交通の自由を保証すること、通信網の構築を認め、場合によっては協力を求めること、それと、これについては事後承諾を求める形となっているが、洞窟衆と冒険者ギルドの窓口の開設。
こうしたいつもの条件に、今回からは、
「国外勢力の排除運動をする際には、なんらかの形で冒険者ギルドに相談をして欲しい」
という項目もつけ加えた。
「注意して貰いたいのは、これは命令ではなく、あくまで要望であるということだ。
解放軍としては、そうした抵抗運動を抑制しようとは思わない。
それどころか、積極的に支援をしていきたいと考えている。
ただ、それぞれが勝手に動き出すと現在スデスラス王国内を占拠している国外勢力をいたずらに刺激することになる。
それ以上に、弱小勢力が個別に動くよりも、各地の運動家が連絡を取り合いながら連動して動く方が効率が良いと考えるものである。
必要となる物資や資金などを支援する以外にも、そうした情報面での支援を解放軍は今後、積極的にしていきたいものと考えている」
ケイシスタル姫は用意していていた草稿の通りの文章を流暢に口にした。
その上で、
「そうした運動を効率的に支援するためにも、スデスラスの人民による統一政体を早急に設立することが急務であると、解放軍は考えている」
と、結ぶ。
「確かに」
このマノラスの代表者として来た者のうちの一人が、ケイシスタル姫の言葉に大きく頷いた。
「前国王が自発的に退位をして以来、このスデスラスの行政府はまともに機能をしていなくなっている。
このままでは、町村レベルの行政ならばまだしも、国家として対外的な交渉を行うことが不可能だ。
たとえ暫定的なものであるにせよ、国内の意思を統一するための機構を立ちあげる必要はあるな」
前国王の退位は唐突であり、結果としてスデスラス王国の行政機構全般に対して深刻な打撃を与えた形になる。
従来のスデスラス王国の政体はその最終責任がすべて国王に集中しており、その国王が突然不在となったことで、行政府としては半身不随も同然の有様になってしまったのだ。
諸外国の侵攻を前にして組織的な抵抗を行えなかったことにも、国家としての意思決定者が不在になってしまったことが大きく影響していた。
制度上、ある程度まとまった数の兵員を動かすためには、国王の意思を確認することになっていたためである。
スデスラス王国の法で定めるところによると、国王の意思によらず大軍を動かすことは、反乱行為に等しいとされていた。
スデスラス王国も当然、相応の軍備が存在したわけだが、侵攻してきた諸外国の軍勢に対してその軍隊で対抗しようとすると、今度は身内から非難をされ、最悪の場合には反乱軍と見なされ討伐対象にされかねない状況であった。
当時のスデスラス王国内の各部隊は、反乱軍とみなされることを覚悟してそうした諸外国軍と争うか、それとも国法を順守し被害が増えていくのを指を咥えて見守るのかを、各部隊の指揮官が選択しなければならない。
このような状況ではせっかくの軍備も有効に活用されるわけもなく、極めて短期間のうちに複数の勢力により分割占拠されてしまうのも当然の帰結といえる。
「貴公は?」
「これは失礼」
発言した男はケイシスタル姫に対して優雅な所作で礼をしたあと、そう続けた。
「わたしの名はロドスト・ハイム。
これまで、前国王からは町長としてこのマノラスの仕切りを任されていた者です。
もっとも、その地位が今の時点でも有効であるのかどうかは、かなり心もとない状況でございますが」
「町長か」
ケイシスタル姫は頷いた。
「スデスラス国内の仕切りに口を出すつもりもないのだが、特別な理由がないのであればそのまま仕事を続けていても問題はないのではないか?
なにしろ、この非常時であるからな」
「これは心強いお言葉を賜りまして」
そういってロドスト町長は皮肉げに口の端を歪めた。
「非才の身なれども、他に本職を代行をできる者もおらず、仕方がなく現職に留まっているような状態であります。
先ほどのはなしぶりですと、解放軍の軍費をこの町で徴用するつもりはないということで間違いはございませんか?」
「その心配は無用である」
ケイシスタル姫は即答をした。
「解放軍はこの町において、あるいはスデスラス王国内のいかなる場所においても、軍費はおろかその他の名目によって金銭を徴発する予定はない。
ただ……」
「ただ?」
「……住民からの要望があるようであれば、できるだけそれには応じようとは思っている。
むろん、実際に実行可能な要望とそうではない要望はあるわけだが。
たとえば、ここから近い場所の某所を早めに開放してくれなどの要望があれば、冒険者ギルドの窓口に相談をして貰いたい。
その時点での状況を鑑みて、できるだけ良心的な見積もりを出した上でクエストの発注を受けつけることだろう」
「……は?」
ロドスト町長の目が点になった。
「それはつまり、今後の解放軍の先行きを、民草に委ねるということでありましょうか?」
戸惑ったような口調で、そう確認してきた。
「解放軍全体の先行きまでは委ねるつもりはないのだがな」
ケイシスタル姫は真面目な表情で頷いた。
「たとえば、現在の解放軍は城塞都市エラドノを攻略すべく準備を整えている最中だ。
それ以外にも、動かせる人数や必要な経費を負担してくれる者などの条件さえ折り合えば、別口でクエストを受けて実行に移すことになっている。
考えても見よ。
このマノラスを開放するため、かなりの人数の冒険者たちを集めてしまった。
こうした冒険者たちに対して次の仕事を用意をしなければ、こうした者たちはすぐに散り散りになってしまう。
この状況下において、これは大きな機会損失であるとは思わないか?」
「いや、それは」
ロドスト町長はそういったきり絶句してしまった。
これまで長年国家奴隷という名の公僕として職務を遂行してきたこの男には、そこまでの重要事項をなんの権限もない一般市民の判断に任せるということ自体がうまく想像が出来ない。
ロドストに限らず多くの国家奴隷たちにとって、行政や軍事に関わる判断は専門的な知識と判断力を持つ者が行うべき事項なのであった。
「それでは、たとえば」
ロドスト町長が戸惑っている間に、他の者が身を乗り出してきた。
「ここからさほど離れていない場所に、アバイムとハンノという土地があります。
アバイムはビゲジア王国の、アバイムはドラジア王国とのそれぞれの占領地との境界に位置し、現在、関税を取るための関所が設けられております。
こうした関所を襲って機能を止めることも可能なのでございましょうか?」
「決して不可能ではないだろうな」
ケイシスタル姫はあっさりと頷く。
「いや、現在の解放軍の戦力を考えれば、十分に可能であると思える。
ただ、そのあとが問題だ。
その関所を襲えば、今度はビゲジアとドラジア両王国の軍隊と本格的に交戦をすることになる。
一度に両軍を相手にすることはこちらの負担が大きくなるだけであろうから、まずは周囲の状況や優先順位を判断した上でどちらか一方から攻略をしていくことになるだろう。
そうしたことなども含めて相談して貰う場合、まずは周辺状況を調査するためのクエストを発注して貰う形になるかと思う。
なんにせよ、本気でそれを望んでいるのであれば、一度冒険者ギルドに立ち寄って相談をしてみることをお勧めする」
「その周辺状況の調査というのを、こちらで行った上で相談に乗っていただくことも可能でございますか?」
その者はさらに食いさがった。
「ああした関税が出来て以来、取るに足らない材料を取り寄せるたびに余計に経費がかかってしまい、わたしどもが扱うどの商品にもその分を上乗せしなければならなくなっております。
そのおかげで、どうにも全般に商品の動きが鈍くなってしまっている」
「それは確かに、商人にとっても職人にとっても死活問題であろうな」
ケイシスタル姫は大きく頷いた。
「いずれにせよ、こちらとしてはできるだけ前向きに検討をした上で回答するだけだ。
その依頼が不可能であるときは、なぜ不可能であるのかその原因も明瞭に説明をすることになっている。
詳しいことはこのわしなどでは判断できぬので、まずは冒険者ギルドの窓口を通して気軽に相談をしてみてくれ」
そうしたやり取りを耳にしながらも、ロドスト町長は目の前の光景が大きく歪んでいくかのような錯覚をおぼえていた。
なんだ、この気安さは。
と、ロドスト町長は思う。
侵略軍の排除を、下水溝の整備を嘆願する場合かなにかと同じような調子で扱ってしまっている。
必要となる労力や費用を計算し、折り合いがつきさえすれば応じる、という態度なのである。
どうやらこの解放軍という連中にとっては、スデスラス王国の一大事もその程度の深刻さでしかないらしかった。
いや。
と、ロドスト町長はあわてて自制をし、考えなおした。
その逆に、これまでロドスト町長をはじめとするスデスラスの国家奴隷たちが、行政や軍事に関わる事項を必要以上に神聖視しすぎていたのではないだろうか。
その証拠に、ロドスト町長以外のマノラスの代表者たちは、ケイシスタル姫の言動に対して戸惑いを見せている様子はない。
彼らは、自分たちの統治者が誰であろうとも、自分たちの権益を侵すことがなければあまり関心はないようであった。
ケイシスタル姫に相談をしようとしていた案件も、自分たちの商売に差し障りがあることが動機となっている。
決して、愛国心などという抽象的な心情から侵略軍の有様に反対しているわけではないのであった。
合理的な態度であり、見方によってはロドスト町長などよりも健全な価値観であると見なすこともできる。
「それで、ロドスト町長」
そちらの話題が一段落したあと、ケイシスタル姫は改めてロドスト町長の方に顔をむけた。
「このスデスラス王国において暫定的な統一政体を形成するという件であるが、できれば手伝って貰いたいと思っているのだが……」
「残念ですが」
特に迷う様子も見せずに、ロドスト町長は首を横に振った。
「小官は現職の仕事を遂行するだけで手一杯であり、そちらの仕事をお手伝いするほどの余裕はありません」
なにしろこの微妙な時期である。
宿場町マノラスの現状を維持しようとするだけであっても、普段の数倍は骨を折る必要があった。
しがない地方行政官に過ぎないロドスト町長にしてみれば、国家の命運を左右するような大きな仕事を扱いきれる自信もない。
「まあ、そう力みすぎるな」
ケイシスタル姫はそういって苦笑いを浮かべた。
「このわしでさえ、ついこの前までは不可能だと思える仕事をなしている。
どんなに過大に思える仕事でも、周囲からの支援がありさえすれば、案外、どうにかなるものだぞ。
しかし、そうなると困ったことになるな。
できれば、相応の地位に居たスデスラス王国官吏の手を早々に借りたいものと、そう思っていたのだが。
まあ、それはそれだ。
そのこととは別に、貴公らには引きあわせておきたい人物がいる」
ケイシスタル姫はそういって傍らに居たスゲヨキに合図をした。
スゲヨキは黙礼をした上で隣室に続く扉をくぐり、そこからある人物を招き入れる。
その人物の姿を見て、ロドスト町長は目を見開いた。
「……アポリッテア王女、様……」
ロドスト町長が思わず漏らした呟きを耳にして、マノラスの代表者たちが衝撃を受けた様子で動作を止める。
「それは誠か?」
誰かが、低い声でロドスト町長に確認をした。
「このようなことで嘘を吐いてなんになる!」
ロドスト町長はいった。
「式典の場で何度か遠目に見かけただけであるが、王族直系の方を見間違えるはずもない!」
「皆様、ごきげんよう」
戸惑う様子の代表者たちとは対照的に、アポリッテア・スデスラス姫の態度は堂々と落ち着いたものだった。
「どうやら自己紹介の必要もないようですが、かつてこの国の王女であったアポリッテア・スデスラスです。
ですが、父である前王があのような所業をなしてしまった以上、また、一度は命惜しさにこのスデスラスの地から離れてしまった以上、このわたくしも王族であると名乗る資格はなくなってしまったと思っています。
わたくしがこのたび、恥を承知でこのスデスラスの地を再び踏んだのは、その資格を持たないわたくしが正しくその王位をこの国の民草に返上するためです。
そしてそのため、わたくしが正しく王位を返上するためには、まずは万民が認めるこの国の政体を形成する必要があります。
今さら皆様を頼ることができる身の上でもありませんが、そのためにいくらかでも助力をしてはくださいませんでしょうか?」
アポリッテア姫によるこの言葉は、ロドスト町長のみならず、その場に居たマノラスの代表者全員に衝撃を与えた。
特にロドスト町長は、しばらくその言葉が意味する内容をうまく理解することができなかった。
より正確にいうのならば、理性ではなく感情面で理解することを拒みたかったのである。
なぜならば、王族であるアポリッテア姫からそのような言葉が出るということは、従来のスデスラス王国の存り様が間違ったものであると断言されたのにも等しいからだ。
だとすれば、国家奴隷としてこれまでそれなりの矜持を持って職務に邁進してきた自分は、どう見ても道化でしかないではないか。
もしもこの場に人目がなかったとしてら、ロドスト町長は頭を抱えてその場で大声を出してのたうち回っていたことだろう。
実際には、その場に棒立ちになったまま、アポリッテア姫の言葉を反芻するだけだった。
どうすればいいのか。
どう考えればいいのか。
どう反応するべきなのか。
これまでに培ってきたロドスト町長の価値観では、到底適切な解答が出せない事態といえた。
なにしろ、これまでの自分の半生が無価値であると断じられたようなものなのだ。
「……なんですか、それは」
しばらくして、ロドスト町長はようやく掠れた声を発した。
いつの間にか、口内がからからに乾いている。
「つまりアポリッテア姫様におかれましては、それまでのスデスラス王国の在り様が間違っていたと、そのようにおっしゃられるのでありますか?」
決して大きな声ではなかったが、そのロドスト町長の声は、その場に居た者全員の胸を打った。
「そうかも知れませんね」
アポリッテア姫は、ロドスト町長の顔を見据えてそう応じる。
「わたくしがいうべき内容でもないのですが、あえていえば。
わたくしの父である前国王と、それにこのわたくし自身が、国政の場で重要な地位を占めるのには不適切な人材であったと、そう思っています。
その結果が、現在の国内の状況を作ったのであると。
少なくとも、前国王が無謀な出兵計画を出したときに、どこかで歯止めをかけるような機構が必要であったと、そう思っています。
ロドスト町長やその他の、王国中で政務に携わっていた官吏に対しては常にその能力を測っていたのに対し、その官吏を束ね、国の方針を定める立場にある王族の器量を制限する法がなかったのも問題であったと思っています。
これは、あなた方実際に政務に携わっていた国家奴隷たちの誤りではなく、あくまで王族個々の資質と、それに王族を絶対不可侵のものであると規定したスデスラス王国の制度が間違っていたのだと、わたくしは思っております。
そして、」
誤りは、正されなくてはなりません。
アポリッテア姫は、静かな口調で続けた。




