ふたつの攻略作戦
ケイシスタル姫がスデスラス王国に入ってから二十日ほど経過した。
解放軍ことケイシスタル姫の軍勢はその間、毎日のように複数の村々を開放している。
それもこれも洞窟衆=冒険者ギルドのお膳立て通りに動いているからだ、と、ケイシスタル姫は思う。
こうした状況に際して、彼らは集団で経験を詰んできたプロなのであり、ともするとそこいらの貴族よりもよほど場馴れしていた。
素人にすぎないケイシスタル姫が下手に判断を下すよりも、そうした経験者の意見を尊重しておいた方が、結果的にはより堅実な成果を生み出せる。
ケイシスタル姫はそのように判断し、これまで余計な手出しをすることはなかった。
そのせいもあってか、解放軍の働きは徐々にこのスデスラス王国の内部でも周知されつつある。
その成り行き自体は実に結構なのだが、問題がまるでないというわけでもなかった。
「偽物が出はじめている、と?」
その報告を聞いたとき、ケイシスタル姫は軽く眉をひそめた。
「偽物といういい方もなんですけど」
スゲヨキは淡々と説明をした。
「解放軍の動きに感化された地元の方が、こちらと連動することなく独自の判断で勝手に侵略してきた軍勢にけんかを売って回っている事例が増えてきています。
おそらくは、もともと血の気が多い方々がこれまで抑圧されていたところに、われわれの動きを知っていてもたっても居られなくなったものなのではないかと」
「それでなにか困ることはあるのか?」
ケイシスタル姫は訊ねた。
「どのみち、いつかは叩かねばならない敵であろうよ。
他にも戦端を開いてくれる者が居るのならば、こちらとしてはむしろ歓迎すべきなのではないか?」
「大まかな傾向でいえばその通りなのですが」
スゲヨキの態度は冷淡なものだった。
「その志はともかく、どうにもやり方が拙い傾向が多く。
十分な準備をしないままに敵軍の駐留軍に突貫して返り討ちに合う。
あるいは、敵味方に無駄な被害を増やした上、増やさなくてもいい遺恨を増やしてしまうなどの首尾に終わることが多いようです」
このまま放置しておくと、占領国側の政策にさえ影響を与えかねません、と、スゲヨキは続けた。
「ふむ」
ケイシスタル姫は考える。
今回、スデスラス王国内に侵攻してきた国々は、基本的に占拠した領土を自国のものにすることを最終目的としている。
そのため、前から居住しているスデスラス王国民に対しても虐待などをすることもなく穏やかに接し、いわゆる宥和政策を基調としていた。
しかし、住民の側が意味もなくこうしたテロ行為を続けるとなると、その方針が改められる可能性がある。
そうなれば、占領した側、された側、どちらにとってもいい結果にはならないだろう。
たとえ軍事的な衝突が回避できないにせよ、最低限のルールを守っていないと、より苛烈な反応を招くだけなのだ。
「それで、対策はあるのか?」
ケイシスタル姫はスゲヨキに訊ねた、
こうした報告があるとき、このスゲヨキは必ず対策案を用意してくるということを、これまでのつき合いでケイシスタル姫は心得るようになっている。
「ふたつほど」
スゲヨキは淀みなく答えた。
「ひとつは、これまでの戦果や動きなどをこまめに広報していくということ。
もうひとつは、冒険者ギルドを経由して解放軍への参加を呼びかけていくことです」
「それは、これまでにもやってきたことではないのか?」
「もっと大々的にやります」
このケイシスタル姫の問いにも、スゲヨキは即答した。
「これまでは洞窟衆支店の黒板におおまかな動きを書いて広報する程度でしたが、これからは新聞を発行します」
洞窟衆の支店は、だいたい解放軍によって安全が確保された場所に開設するパターンが多かった。
そのため、その支店に行かなければ知られないやり方では、解放軍の動きを広く伝える役割は果たせない。
その点、新聞の発行は、情報の伝達に多少の時差は生じるものの、より広範な範囲に解放軍の動きを伝えることが可能になる。
また、冒険者ギルドを経由して大々的に志願者を募っていることが知られるようになれば、個々人で暴発をするパターンは多少、抑制できるだろう。
と、スゲヨキはそんな内容を説明してくれた。
「ただ、今の時点でそうした直接行動に訴える方々というのは、基本的に多血質で物事を深く考える気質ではないからこそ、そうした軽挙ができるわけでして」
スゲヨキは、そうつけ加えることも忘れなかった。
「そういう方々を放置しておいてもいいことはありません。
長い目で見ても短い目で見ても、です。
ですから、もう少し積極的に解放軍に取り込んでいくべきかと思います」
「勧誘でもするのか?」
「それに近いですね。
お金で釣ります」
スゲヨキは平静な声でいった。
「より正確にいうのならば、各地の冒険者ギルド窓口経由で、解放軍への参加を呼びかけます」
「それは今までもやってきたことではないのか?」
ケイシスタル姫は疑問を口にした。
「今までよりも大々的に行ないます」
スゲヨキはいう。
「ある程度、この種の仕事に慣れてきた人も増えてきたので、実働部隊数も飛躍的に増加させるつもりです」
現在の解放軍は王国軍の人員を中核にし、あとはスデスラス王国内から自発的に集まってきた人々によって構成されている。
比率的にはスデスラス王国地元民の数が圧倒的に多かったが、各地で稼働している分隊の指揮権はだいたい王国軍の人間が握っていた。
解放軍に参加するべく集まってきた者の中には国有奴隷出身の者や軍務経験者なども少なくはなかったのだが、そうした者たちも通信を駆使して連携を取り合いながら活動する解放軍のやり口には慣れていなかったし、一時的な措置としてまずは解放軍のやり方に慣れるための期間をあえて設けていた形となっている。
しかし、初期からのメンバーはぼちぼちそうした解放軍のやり方にも慣れはじめているので、そろそろ分隊くらいは預けてもいい時期ではないのか。
スゲヨキがいいたいのは、そうした意味の内容であった。
「部隊長の数が増えるのならば」
ケイシスタル姫は、そうした内容を考えながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「その下で働く者の数も増やさねばならんのう。
こちらの思惑はそれでいいとして、しかし、そううまくいくものか?」
「しかるべき餌を用意します」
スゲヨキは即答をした。
「これまでは敵軍の移動を封じ込めることに専念していましたが、ぼちぼち、大規模な成果をあげてもよろしいのではないかと」
「大規模な攻勢をかけるのか」
ケイシスタル姫はいった。
「人を集める口実としては、順当なものだな」
「人だけではなく、お金も集めたいと思います」
スゲヨキはいった。
「スデスラス王国の独立を願う商人や両替商も、それなりに存在するはずですので。
そうした方面に声をかけてお金を集め、そのすべてを吐き出すつもりで人を募ります」
「その金も、声をかければすぐに集まるものか?」
「ハンガス城市という前例がありますので」
解放軍が真っ先に開放したハンガス城市は、今では解放軍用の物資、物流の重要拠点として、また、連弩の生産拠点としてかなり栄えてしまっていた。
開放されてからまだいくらも経たないというのに、である。
解放軍用の物資も、連弩とそれ専用の矢も、極めて迅速に必要な場所まで届ける必要があり、そのために必要な人手は膨大なものとなるからだった。
そうした需要は、待ってはくれないのである。
その膨大な人手を動かすためには、当然のことながら膨大な人件費が必要となり、これを得るために冒険者ギルドは派手に散財をすることになった。
そうしてばら撒かれた賃金は結果として、周辺地域の経済を大きく潤すこととなる。
解放軍が外敵を排除した勢力圏内で、ハンガス城市は後方支援の要として繁栄している形であった。
ここのところ不景気な話題ばかりが目につくスデスラス王国内にあって、珍しく明るい話題になっている。
まともな嗅覚を持っている商人ならば、先行投資をしてでも同じような境遇を求めるのではないか。
スゲヨキら冒険者ギルド側は、そのように読んでいる。
いわば、解放軍のスポンサーをスデスラス王国内に求める形であった。
「場合によっては、特定の地域を開放するためのクエストをそうした金主の名前を出して発注していただくことも考えております」
スゲヨキはそう続ける。
「いえ、冒険者ギルドのありかたとしては、本来ならばこうした使い方の方が本流なのですが」
「……いくさの場所も、金の力で決めるのか」
ケイシスタル姫は感慨深げな声をあげた。
なんというか、ケイシスタル姫が知っている戦場の在り方とは、随分と異なってしまっている。
「だが、待てよ。
それでは、たとえば敵軍が冒険者ギルドに対して、同じように、自分たちに味方をせよというクエストを発注することもあり得るのではないか?
そうした場合、冒険者ギルドはどうするのか?」
「むろん、受けますよ」
スゲヨキは平然と答えた。
「ギルドとしては、クエストの発注主を選んで仕事を制限することはしたくありませんし。
クエストの発注自体は受けますし、そうしたクエストがあることもしっかり広報をします。
しかし、場所柄から考えて、そうしたクエストに応募をする冒険者はほとんどいないでしょうねえ。
なにしろここは……」
スデスラス王国内、であるから。
考えてみれば、確かにそうだ。
侵略者側からそうしたクエストがあったにせよ、それに応じようとするスデスラス王国の地元民はほとんどいないだろう。
公然とそんなクエストに応じてしまえば周囲の目が厳しくなるだろうし、その後の人生もかなり辛いものになるはずだった。
常識的に考えれば、その後の一生を他国で暮らす覚悟をしているか、それとも元からの流れ者でもないかぎり、他国の軍勢に手を貸すような者はほとんどいないはずであった。
結果として、現在の状況下で冒険者ギルドでの徴用がうまくいくのは、だいたい解放軍だけに限られてしまう。
「むう」
ケイシスタル姫は呻いた。
冒険者ギルドという制度は、よくできているものだなあ、と。
それはそれとして。
「そうして人員を集めることが成功したとして」
ケイシスタル姫は話題を変えた。
「今度はどこを陥落させるつもりか?」
「そろそろ、ムノライ王国侵攻軍の息の根を止めてしまいましょう」
スゲヨキはいった。
「今も寸断され半身不随に近い状態なのですが、ハンガス城市を失ったことが知れ渡るに従って、他の侵攻軍との衝突も増え、被害を増しているようです」
「と、いうと、マノラスか、それともエラドノか」
ケイシスタル姫は周辺の略図を広げてそう呟いた。
マノラスとエラドノ。
どちらも人口十万を越える小都市であり、ムノライ王国軍の将兵が多数駐留していた。
このどちらか、あるいは両方を解放軍の勢力下に取り込んでしまえば、スデスラス王国内のムノライ王国軍は組織的な行動をかなりのところ制限されてしまう。
その、はずであった。
マノラスとエラドノに違いがあるとすれば、前者のマノラスはいくつかの街道が交わる宿場町であるのにたいして、後者のエラドノはハンガスのように堅固な城壁を周囲に張り巡らせた城市であるということだ。
マノラスを選ぶとすれば、このいくさには直接関係のない国外から来た商人も含めた多数の地元民が居る中での市街戦となる公算が高く、エラドノを選べば今度はハンガス城市のときとは比較にならないほどの本格的な城攻めとなる。
どちらを選択するにせよ、現在の解放軍にとっては、楽な仕事にはなりようがない。
「どちらが先でもいいようなもんですが」
スゲヨキはいった。
「マノラスの方を先にしておいた方がいいでしょう。
その方が物流的な意味で楽になりますし、それに、金主を募りやすい。
まずマノラスを落としてから、その直後にエラドノを襲いましょう」
まるで晩の食事のことでも語るような、軽い口調だった。
「時間をおかずにか?」
ケイシスタル姫はいった。
「それでは、兵の疲れが取れないのではないか?」
「どのみち、完全に防備を固めた要塞を攻め落とすのには時間がかかります」
スゲヨキは指摘をした。
「ですから、本格的な交戦をする前に、エラドノ城市の周囲を固めてしまう予定です」
「兵糧攻めも、常道ではあるが」
ケイシスタル姫は軽く顔をしかめた。
「それでは、陥落させるまでに時間がかかるのではないか?」
「最悪の場合、エラドノ城市を長く閉鎖することだけでもよしとしましょう」
スゲヨキはいった。
「むろん、完全に陥落させることができればそれにこしたことはないんですが、エラドノ城市に駐在しているムノライ王国軍を釘づけにし、外に出さないだけでもこちらとしては多大な益となります」
ハンガス城市をすでに失っている以上、ムノライ王国軍ももう二度と気を緩めないはずであった。
魔法効果消去結界なども万全の状態で巡らせるであろうし、従ってハンガス城市のときのように、簡単に城市内に潜入することも許されないはずであった。
だとすれば、解放軍とすれば正攻法の城攻めに頼るしかないわけだが。
「エラドノには、ムノライの兵が五万以上も詰めているといったか」
「詳細な人数は不明ですが、もともと居住していたスデスラスの民を城市の外に出して、完全にあの城市をムノライのものにしているそうです。
場合によっては、十万にも迫る人数があの城市内に居住しているものかと」
それだけの人数が外部との連絡を絶たれ、城市の外に出ることもかなわず、つまりは有効に活用される道を絶たれる。
確かにそれは、ムノライ王国にしてみれば大きな機会損失となり、同時に、解放軍に益すること大であるといえた。
「完全にエラドノ城市を包囲するだけの兵を集めることができるのか?」
「マノラスを落とすことに成功すれば、人もお金も集まるはずです」
ケイシスタル姫の問いかけに、スゲヨキは平然と答えた。
「多少、どちらかが欠けることになったとしても、こちらでどうにかします」
ケイシスタル姫が作戦を許諾したので、宿場町マノラスとエラドノ城市、そのふたつの攻略作戦についての本格的な準備が開始された。
実施時期的にはマノラス攻略が先にはずであるのだが、準備を行う側としてはほぼ同時に開始されることになる。
ハンガス城市攻略以来の大規模な軍事行動ということで、解放軍はその未成熟な組織力を全開にして準備を進めることになった。
現在、これまで開放してきた村々に開かれた洞窟衆の支店並びに冒険者ギルドの窓口は、その中核となる人員は流石にハザマ領から渡ってきた者たちによって占められていたが、それ以外の下働きの者はこのスデスラス王国内で新たに募った人員によって構成されている。
ハザマ領から来た者たちがスデスラスの地元民に対して仕事を教えて、どうにか業務をこなしている状態であった。
幸いなことに、スデスラス王国は歴史が古いといわれるだけあり、民の教養も高かった。
具体的にいうと、山地や王国内よりも識字率が高く、四則演算程度の計算ができる者や帳簿のことが理解できる者も、どこへいってもさほど苦労せずに雇うことができた。
しかし反面、そうした洞窟衆=冒険者ギルドの仕事はなんにせよ量が多い。
扱う荷物の数量が半端ではなく、入ってきた荷物を検品してすぐに余所に流す仕事だけでもかなりの人手が必要となった。
ふたつの大きな攻略作戦が本格的に稼働すると、ただでさえ人手が足りていないのに流れていく物量が増大する。
さらに、冒険者ギルドで行う人員募集の方でも人手が取られるようになる。
そんなわけで、そのふたつの作戦が本格的に始まる前に、洞窟衆の支店ならびに冒険者ギルドの人員増員と機能強化を行う必要に迫られることになった。




