併合領地への対応
翌朝、ケイシスタル姫は侍女のポレア、冒険者ギルドのスゲヨキを伴って船便でスデスラス王国へと出発した。
準備は万端整って、というわけにはいかなかったが、あとの手配については船上からでも通信術式経由で指示できるので、これ以上ケイシスタル姫がハザマ領に留まるべき理由がなかったからだ。
移動にかかる時間を考慮すると、少しでも早くスデスラス王国に赴いて現地でなにがしかの工作をはじめる方がよいと判断されたのであった。
ケイシスタル姫が現地に到着する頃には、先発隊によってスデスラス王国内に洞窟衆と冒険者ギルドの支店が開設されていて、ケイシスタル姫の一行を出迎えてくれる予定になっていた。
冒険者ギルドの中にはこの「ケイシスタル姫挙兵」案件専用のスタッフが配置されていて、ケイシスタル姫が出立してからも忙しく各種の手配を行っている。
食料や武器、その他各種の物資の調達と配送の手配など、仕事はかなり多かった。
通信網について説明するのならば、すでに主要な街道や河川沿いに配置されており、そうした交通路に接した場所ならばスデスラス王国にも声を届けることが可能となっている。
しかし、そうした通信網はそれ以外のスデスラス王国内の深い場所にはまでは届いておらず、これについては今後の課題とされている。
また、冒険者ギルドが入っている建物の前に、かなり大きなこの案件についての募金箱が設置されており、常時義援金を募っていた。
一日に一度か二度、ケイシスタル姫と契約している両替商の者がこの募金箱の中身を改めて回収していくのだが、具体的な金額こそ公表していないものの、毎日そこそこの金額が入っているということであった。
この件について、これ以上に具体的な動きが発生するのは、ケイシスタル姫がスデスラス王国の土を踏む数日後になるものと予想された。
ハザマの方はというと、ここ数日は新しくハザマ領の領地に併合されることになった旧ベレンティア公爵領の村々を巡回して今後の統治方針などについて説明会を開いていた。
そうした近隣の村々はだいたいが王国内ではありがちな農耕を主産業とした村々であったわけだが、ハザマ領のやり方はなにからなにまで従来の領主とは違っていたので、相手の不安をほぐすためにもこちらから出向いていって早めに説明しておいた方がいい。
説明をするだけならば別に領主であるハザマ自身が出向く必要もないわけだが、なにしろ最初のことであるし、ハザマ領にとっても貴重な食料生産の現場でもある。
無用な不安を抱かせないことを重視したハザマは、自分の足でそうした村々を巡って村人たちと直接対面しておくことを選択した。
「基本的には、こちらの方々の負担はかなり軽くなると思われます」
ハザマは一通りハザマ領のやり方について説明をしたあと、そんな風に説明した。
「こちらの方々が求めない限り、無駄な徴税をすることはありませんから」
「税がほとんどなくなるというのなら、おれたちとしてはありがたい限りだが」
その村の村長が、不審顔でそう訊ねてくる。
「領主様の方は、それでやっていけるのかい?」
「領地の運営ということならば、特に心配する必要もありません。
儲けならば、他の部門でかなり出していますので」
ハザマはいった。
「それよりも皆さんには、今まで以上に穀物その他の農産物の増産をお願いしたいところですね。
穀物の相場はまだしばらくは高値安定する様子ですし、他の農産物もあればあるだけうちで買い取ります」
こうした村々に対してハザマ領が求めたのは、村ひとつに対して一箇所以上の医療所の開設、その医療所の維持費と、そこで働く人々に支払われる賃金の一部を村で負担して貰うこと、それに、村人すべてに健康保険に加入してもらうことなどであった。
実際にこうした医療所が稼働するようになれば、定期検診や健康相談、衛生指導など細々としたやり取りも発生するはずであったが、そうした事柄については現場の者に任せることにしている。
それ以外に、村の側が求めがあれば講師役を招いて簡単な学問所の開設についても援助を行うとも説明をしている。
この世界では子どもも重要な労働力とみなされることが多かったので、一足飛びに義務教育を普及させるようとするのは反発が大きいだろうという判断であった。
それよりも、村人たちの都合に合わせた時間に初歩的な魔法の知識を含む基礎的な知識を伝授する人材を派遣して、あとは現地の情勢を見ながら教育内容を臨機応変に定めていく方が実際的である、という意見が多かったのだ。
実際にこうした施設が作られれば、最初の利用者は子どもよりもすでに成人した男女の方が多くなるのではないかと予測されてもいる。
こうした学問所の開設は義務でも強制でもなく、あくまでそれぞれの村に選択させるということになっている。
医療所も含めて、人口が限られている村で生産性になんら関与しない人員を養うのは負担が大きいと考えられるからだった。
だが、これまで上納していた税が事実上免除されることと、それに将来的なことも考慮すると、そうした負担をあえて受け入れる選択も十分にあり得る。
洞窟衆側としては、その機会を提示するだけに留めていた。
こうした村々でも、ごく近くに商用地区があり、そこで行われている様々な変化を肌で感じられる距離にあったので、人材の育成や教育の重要さについても相応に重く見られていた。
近隣の村との競争意識もあり、こうして提示するだけでも大半の村が学問所の開設について合意をした。
領主としての行政上の提示は以上であったが、それ以外にハザマは洞窟衆として、それぞれの村に洞窟衆の支店と缶詰の工場を開設することを、これもまた強制ではなくあくまで提案として提示した。
必要な地所については相場の賃貸料を支払うし、その上であくまで公正な立場の取引として求めたのであった。
洞窟衆の支店が開設すれば、各種の雑貨や書籍は常時販売されるし、それ以外に必要なときは通信網を使用することもできた。
また、その場にない商品でも取り寄せることができるようになる。
缶詰工場についていえば、余剰の農産物をその場で加工して売りに出すことが可能になる上、村の中のあぶれた労働力を吸収する場所にもあり得る。
一年を通して平均的に仕事があるわけではないわけだが、それでも手軽に現金収入が望める場所が身近にできることは、村人たちにとってもそれなりに魅力であったようだ。
こうしたハザマの側からの申し出は、予想外に好感触を持って迎えられた。
「輸送力の貧弱さってのが、意外にネックになるんだよなあ」
そうした村々を巡回する途中で、ハザマはぼやいた。
舟や馬車の搭載量というのは以外に小さく、それ以前に移動速度が遅い。
ハザマが元居た世界の基準で考えていると、なにをするにしてもすぐに詰んでしまうのであった。
たとえば缶詰工場ひとつとっても、元の世界の常識であるのならば、広範な範囲から原料を買い集めて大規模な工場で一括して加工する方が効率的なのだが、こちらの世界でそんなことをしようとしても移送途中で大半の農産物が傷んでしまう。
穀物などの日持ちするもの以外は、痛む前に産地近くの場所で消費する、というのがこの世界での基準的なスタイルなのである。
ものによっては塩漬けや酢漬けなどにして長期保存をする場合もあるようだが、そうした保存食の製造もほとんど身内で消費する分だけに限られているようだった。
食料の流通だけではなく、今回のスデスラス王国への物資の輸送についても、馬車の数が揃えられなくて予想外に遅れているということだった。
数が揃えられない、とはいってもすでに数百という単位の馬車が荷を満載してスデスラス王国を目指しているはずであったが、それだけの馬車を動員したところで輸送できる物資は量的に限らており、手配する側は頭を悩ませているということだった。
目下のところは連弩とその矢などの武器を優先的に送り出しているようだったが、スデスラス王国での仕事が長期になればなるほど、ハザマ領から直接的に物資を送ったとしても、そうした援助は滞るものと予想されていた。
馬車にせよ船便にせよ、必要になったからといっていきなり大量に手配をすることはできないのである。
「これでも、空前の量だといわれているんですけどね」
ハザマの言葉を捕らえたリンザが呟く。
「うちのような規模で、なおかつ立ちあげたばかりの領地から行う援助としては」
「これでも全然足りないくらいだろう」
ハザマはいった。
「相手は王国とか公爵家軍だぞ?
遠慮なんかしていたら、即刻潰されて終わりだ」
現代人であるハザマは、戦争とは結局のところ物量戦であるとの意識が強い。
より豊かで余裕がある方が勝つのだ。
そうした観点から見ると、これまでにハザマ領から送り出した物資だけでは安心することなどできやしない、と、ハザマは思っている。
「あとは肝心の主役が現地でどう動くか、ですね」
リンザはいった。
「こう知ってはなんですが、ケイシスタル姫様はあまり世知に長けた方ではないように思えますが」
「世知に長けた人なら、そもそもこんな無謀なことは思いつかないし実行もしないだろうよ」
ハザマはいった。
「膠着した状況を打開するのは、得てしてああいう利害の計算ができない馬鹿なわけだし」
「馬鹿、ですか」
「いい意味でいっているだぞ、おれは」
ハザマはそう続ける。
「ケイシスタル姫様とか、アポリッテア姫様とか。
ああいう普通ではない発想をする人は、たいていはすぐに周囲から白眼視されてあっという間に消えていくもんなんだけどな。
ただ、今回の場合はいろいろな事情もあるし、どう転がっていくのかわからない。
というか、あいつらが今後どう動いてくれるものか、おれにもまるで予想がつかん」
「……確かに、予想がつきませんね」
リンザもそっとため息をついた。
「あの方々の場合は」
「だからせめて、動きやすいような環境くらいは整えてやりたいものだが。
グフナラマス公爵領の動きはどうなっている?」
「相変わらず、動きはないようですね」
ハザマが唐突に話題を変えても、特に動揺することもなくリンザは応じていた。
「スデスラス王国から独立したばかりですし、もう少し動きがあってもよさそうなんですが」
「探らせてはいるんだが、なかなか尻尾を出してくれないなあ、あそこも」
ハザマは軽くため息をついた。
「単純に、まだ独立したばかりでなにかちょっかいをかけるだけの余裕がないだけかも知れないが。
ま、あそこに関してはうちもかなりの出資をしているはずだし、それをだしにして物資の供出をさせておこう。
地理的にスデスラスと隣接しているわけだし、ここに至って日和見なんかさせてやらん」
供出、といっても別にタダで物資を出させるわけではなく、スデスラス王国内に拠点を築いた洞窟衆相手に物資を売ってくれるように働きかけるだけである。
ワデルスラス公爵軍の動きに対して敵対する意思を見せているケイシスタル姫に直接物資を売ることは王国の国策に逆らうものと見なされる可能性があったが、洞窟衆を経由する場合はその責任のかなりの部分を洞窟衆に押しつけることができる。
これまでグフナラマス公爵領が洞窟衆に対して行っている借金を盾にすれば、その程度の猿芝居にはつきあってくれるはずであった。
「うまいことケイシスタル姫が現地で足場を築くことに成功すれば、自然と外の商人たちも勝手に接触してきて売り込みが増えると思うけどな」
ハザマは、そう続ける。
勝ち組にあやかろうとする気質は、どこの商人もかわらないはずであった。
「さて、あのお姫様がどこまでやってくれるものか」
こればかりは、ハザマにとっても蓋を開けてみるまではわからなかった。
ケイシスタル姫がある意味では箱入りで世間知らずであるということはこれまでのやり取りでよく理解していたが、それと軍事的な才能、あるいは周囲の人間を説き伏せる交渉術の評価とは別である。
案外、ああいう怖いものなしの性格の方が、ああいう混乱した場ではうまく作用するのかも知れない。
とも、思う。
「あのお姫様がうまいことできなかった場合には、どうするんですか?」
リンザが訊ねた。
「そのままおとなしく旗印になってもらう」
ハザマは即答する。
「うちの女たちとか王国軍の人たちとかもついているわけだから、役立たずだと判断させれればすぐに誰も相手にしなくなる。
それだけだろうよ」
そうなった場合、ケイシスタル姫は完全にお飾り、ワデルスラス公爵軍以外の勢力がスデスラス王国内に介入するための口実を与えただけの存在と化するわけだった。
すでに多くの物資や人がその事業のために動き出している以上、もはやケイシスタル姫の人となりを理由に振りあげかけた拳を止めることはあり得ない。
簡単に引き返せる地点は、とうに過ぎていた。
「ま、あとは」
と、ハザマは呟く。
「お姫様のお手並みを拝見、ってところだな」
「無理にとはいいませんが、水洗トイレは是非に設置するべきだと思います」
ある村で、ハザマは説明をする。
「衛生的だし、第一、臭くない。
最初に設備投資は必要になりますが、長い目で見ればそれだけの価値はある。
糞尿も、ただ捨てたり埋めたりするだけではなく、数年も発酵させれば肥料になります。
それだけではなく、火薬の原料となる硝石も同時に精製する。
この硝石は、これから先、どこの国でも喉から手が出るほど欲しがる貴重な物資になるものと、そう予想されています。
つまり金になります」
村人たちは利にさとい。
農民だからといっても決して愚鈍ではなかったし、それどころかハザマ領のありようも定期的に人をやって検分していた村がほとんどであった。
わかりやすいメリットを提示してやりさえすれば、こちらから提案することにはだいたい応じてくれた。
「うちから人をやった場合、洞窟衆で世話をして貰えるのかね?」
「領地内の出身だからといって、特別扱いされるということはあり得ません」
ハザマは即答した。
「その者の出自に限らず、実力に応じた職場と待遇を用意するのが洞窟衆のやり方になります。
つまりは、本人次第であり、それ以上の約束は一切できません。
それでもよければ、いつでもいらしてください。
洞窟衆ではたいていの人材は歓迎します」
来る者は拒まないが、だからといって誰もが厚遇されるわけでもないのが洞窟衆という組織である。
出自や出身が多種多様であればこそ、自然と競争原理が強く働く。
組織されてからまだ間もないということと、それに通信による相互監視体制によって人物評価が常になされているため、特定の人物のコネで不相応な地位に就けるというバイアスも、ほぼ無効化されている。
この世界では珍しく、身分制度からかなり自由な、そのかわり過酷な実力主義の組織であるともいえた。
とはいえ、その待遇や労働条件面から見れば、末端や最下層の労働者にとっても居心地がいい場所となっているのだが。
これは洞窟衆の手柄であるというよりも、洞窟衆以外の場所の労働条件が、基本的にまだまだ厳しいことが多いせいである。
そのおかげで、
「ハザマ領に行きさえすれば、あとはなんとかなる」
という風評が、とくに各地の流民たちの間に広まっている面もある。
こうした農村部についても、余剰の労働力の問題はそれなりに深刻な面があり、いざとなれば働きに出ることが可能となる場所が近場にあるだけでも村人たちにとっては安心できるようだった。
将来的なことを考えると、このまま無制限に洞窟衆が労働人口を吸収できるものとも思えず、ハザマとしては頭が痛いところであったが。
それでも完全に労働力が飽和するまでにはまだまだ時間的な猶予があり、この時点ではなんの制限もなく門戸を開くことが可能であった。
ケイシスタル姫やスデスラス王国の動きとは余所に、この頃のハザマはいかにも領主らしい仕事にまっとうに取り組んでいた。




