渡川の作戦
昼過ぎに、ハザマはアムラヌニア公に呼び出された。
トエスとハヌンは、新しく来た人々を差配して効率よく働かせるのに忙しかったので、リンザとカレニライナ、クリフだけを伴って、ハザマはアムラヌニア公の陣地に向かう。
「昨日着いたばかりで悪いのだが……」
ハザマが到着すると、アムラヌニア公は待ちかまえていたように用件を切りだしてきた。
「……さっそく、働いて貰おうかと思う。
われらは基本的には後詰めであるのだが、だからといってただ敵がわが軍の防備を突破するまで漫然と待っていただけでは恩賞が取れん。
正直にいってしまうと、普段から多少の戦果もあげておかないと、将兵の志気に関わる。さらに正直にいってしまうと、戦果をあげておかないと、わしの収入にも直接響いてくる」
そういや、この人、八人いる大貴族の中では一番貧しい、とかいっていたよな……と、ハザマは昨日のカレニライナの説明を思い出した。
「でも、最前線の激戦区は、ベレンティア公が采配を振っているんでしょう?」
ハザマは、素朴な疑問を口にした。
「そうそう。
それはまだいいんだよ。あっちは地元だし、負ければそれだけで領地が減る。
それだけ熱心になるのも、無理はない」
アムラヌニア公は、そんなことをいいながら、一人でうんうんと頷いている。
「ただ、こっちはこっちで、自分の取り分くらいは切り取っておかないとな。
来るだけ来て、最後まで突っ立ててもここまでの旅費とかは誰も負担してくれん」
戦場に来ただけで報酬が発生するほど、甘くもないようだった。
ハザマたち洞窟衆の場合は、大貴族から報酬を貰う以前に自前の商売でかなり潤っているのだが、そうではない貴族や傭兵たちは、なんらかの形で戦果をあげない限り赤字になる構造になっているようだった。
……ま、戦争ってのは、どうあがいたって非生産的な活動だしな……と、ハザマは内心で納得をする。
「……それで、今回の作戦は?」
ハザマは、訊ねてみた。
拒否権があるのかどうかはわからないが、あまりにも成功率が低い作戦だったら、なんか適当な理由をつけて参加を見合わせるつもりだった。
「バタス川をな、渡ろうと思う。
詳しい説明は、これよりムヒライヒにさせる」
アムラヌニア公に召集されたのは、ハザマたちだけではなかった。
他の、小領主やそれ以下の下級貴族、傭兵たちなどが集まって、アムラヌニア公の次男であるというムヒライヒの説明を待ち受けている。
「バタス川の対岸には、ボバタタス橋に補給物資を運ぶための山道が走っています」
ムヒライヒは、三十前後の痩せた男だった。
「ボバタタス橋に物資を運ぶ道はこの一つだけではありませんが、この山道を押さえればボバタタス橋戦線への進行路が一つ増え、敵軍に対して大きな威圧となり得ます……」
ムヒライヒの説明を簡略に記せば、以下の通りとなる。
その山道は、バタス川に併走する形となっている。
バタス川は、川幅も極端に広くはなく、さほど深くはない。だが、流れは急であり、歩兵が川を渡る際には、どうしても速度が犠牲になる。
敵軍もそれを前提として迎撃の用意をしている。山道の前に多数の弓兵、投石兵を置き、川を渡ってくる歩兵を狙い撃ちにしようと待ちかまえている。
「……これを突破するために……」
アムラヌニア公の幕僚が考案した作戦は、以下の通りとなる。
最前列に頑丈なタワーシールドを持った兵を、その直後に工兵を配置して、横一列にして川を渡らせる。
川を渡りきるまでは、最前列の兵がタワーシールドで敵の攻撃を受け止め続ける。
無事に川を渡ったら、工兵たちはタワーシールドに隠れて浮き橋設置の作業を開始する。
浮き橋の設置に成功したら、総員で突撃。
……案外シンプルな作戦だな、というのが、ハザマの感想だった。
いや、実際の軍事行動など、これくらい単純な方がうまく行くのかも知れないが。
「工兵とタワーシールドを持つ盾兵は、すでに準備を整え終えています。
ここにお集まりの皆さまにおかれましては、浮き橋設置以後の攻撃に参加していただきたい」
続いてムヒライヒは、
「作戦に参加した際には一人当たりいくら、作戦が成功した際の報酬は……」
うんぬん、とアムラヌニア公側から提供される金子について、具体的な額を述べはじめる。
聴衆である将兵は、その額を聞いても特に騒ぐことはなかった。
幻滅した様子もない代わりに、声をあげて歓迎する風でもない。
つまりは、高すぎず低すぎず、標準的なお手頃価格だったのだろうな、と、ハザマは予想をつける。
「……作戦の概要は、以上の通りになります。
ここまでで、なにか質問は?」
一通りの説明を終えたあと、ムヒライヒはその場にいた将兵に向かってそういった。
「はい」
ハザマが、真っ先に手を挙げる。
「貴様か。
身の程を弁えず、盾兵に志願したとかいうやつは?」
上から見下ろされて、そういわれた。
ハザマに声をかけて来た男だけではなく、その場に集められて来た盾兵全員が、大男ばかりだった。おそらく、体格のよい者ばかりが集められたのだろう。
ハザマの目測によれば、だいたいの者が身長百九十センチを超えている。
「ええ」
ハザマは、その男を見上げて涼しい顔をして答えた。
「どうか一つ、試させてやってください」
「試すのは、いっこうに構わんがな。
だが、無駄骨に終わるぞ。
ほれ、そこのタワーシールドだ」
大男が顎で示した先に、確かに大きなタワーシールドが並んで立てかけてあった。
「普通のやつなら、持ち上げられただけでもたいしたもんだ。
実戦では、こいつを持って川を渡ったりしなけりゃならん」
そのタワーシールドは、高さ約二メートル、幅約一メートル。
堅くて重い木材の枠に、分厚い板金が張ってあった。
なるほど。
これくらい頑丈そうなら、たいていの遠距離攻撃は防ぐことが可能だろう。
ただし、ここまで重くすると扱える者もそれだけ限られてくるわけだが……。
「そんじゃあ、試させて貰っていいっすか?」
返事も聞かず、ハザマはタワーシールドが立てかけてある場所まで軽い足取りで近寄っていく。
そして、タワーシールドの端を掴んでひょいとひっくり返し、把手を持って片手で持ち上げた。
「……重いことは重いけど、取り回せないほどではないなあ……」
百キロもいかないんじゃないか、という感触だった。
「これなら、おれ、両手に一つずつ持っても大丈夫だけど……。
あ。
リンザも、ちょっと持って見ろ」
「別にいいですけど……」
続いて、小娘にしか見えないリンザが気軽にそういって、タワーシールドをひょいと持ち上げた。
「……確かに、持てないほどの重さでもないですね。
片手に一つずつ、というのは流石に無理ですが……」
タワーシールドの把手を両手でしっかり握り、リンザはそう答える。
盾兵たちは、目を見開いて無言のままその様子を見ていた。
リンザの身長は、百六十センチ足らず。
大男揃いの盾兵たちの、せいぜい胸あたりまでしかない小娘が、特製の重たいタワーシールドを苦もなく振り回しているのだ。
「……ということで、タワーシールド五枚分、うちら洞窟衆で担当していいっすか?」
ハザマの言葉に反対できる者は、その場にはいなかった。
「……と、いうことで、要領については前に説明した通りで、特に変更はない感じなんだけど……」
翌日。
ハザマは、集められたリンザ、ハヌン、トエス、それに百匹の犬頭人たちに向かって、そういった。
「……基本的に単純な作戦だし、そんなに難しいことはないと思う」
「質問」
ハヌンが、手を挙げた。
「その……川の深さ、予想以上に深かった場合はどうなるの?」
ハヌンは、同年輩のリンザやトエスと比べても、背が低い。
下手をすると、百五十いかないかも知れない。
「タワーシールドがかなり重いから、溺れるということはないだろう」
ハザマは、静かな口調で説明した。
「どちらかというと、沈む。
だから、息を止めてそのまま前に歩け。
そんで、息が詰まってきたら、真上にぴょんと飛び上がって息をする。
これしかないな」
「……あんたねぇ!」
真顔でそんなことをいいだしたハザマに、ハヌンが切れた。
「……冗談……でも、ないんだが。
まあ、周りに人がいるし、すぐうしろには工兵の皆さんが続いているわけだし、実際にはそんなに心配することはないだろう。
もう少し、周りにいる人たちを信用しろ」
ハザマがそうつけ加えると、その場にいた工兵たちも、「そうだそうだ」とか「なにかあったら絶対にお助けします!」とか、軽い調子でハザマに合わせはじめる。
戦場ではどうしても男女比に偏りが出るため、年端もいかない少女であるリンザたちは人気が高かった。
「……あー、もう!
どさぐさにまぎれて水の中で変なところ触らないでよ!」
ハヌンがそう喚き、そうすることで少しは気が晴れたらしく、そのまま温和しくなった。
なお、カレニライナとクリフのズレベスラ家の姉弟はこの場にはいない。
他のことならともかく、実際の戦場に参加させるには、その二人は幼すぎるとハザマが判断したため、遠ざけられているのだ。
直接戦場に出ずとも、炊事や怪我人の世話など、子どもにもできる仕事はこの地にはいくらでもあった。
「こいつがバタス川か……」
ハザマが、呟く。
タワーシールドを構えて前進をはじめれば、前は見えなくなる。
今のうちに、目の前の光景を頭に焼き付けておくつもりだった。
川幅は、せいぜい五十メートルといったところか。想像していたよりも、ずっと狭い。
ただし、流れは急なようだ。気を抜けば、すぐに足を取られて横転、ないしは流されてしまうだろう。
聞くところによると、ぎりぎり歩いて渡れる深さだというが……それも、実際のところはどうなのか。
上から知らされる情報がどこまで正確なものなのか、ハザマには判断できないのであった。
そもそも、国境になっているような川の深さを、正確に計測する機会など、そんなにあるだろうか?
疑問はあったが……ここは、前もって提示された情報が正しいことを前提として、進むしかない。
上も、みすみす自軍の将兵を減らすようなポカは、そうそうしないだろう。
ともあれ……。
「……盾兵、準備!」
アムラヌニア公の三男だとかいう男が、号令をかける。
以前、ハザマたちを嘲笑しようとして出鼻を挫かれた、選抜盾兵隊の長だった。
次男のムヒライヒにはどこか神経質そうな印象を受けたものだが、この三男は厳つい一方の大男だった。
そのアムラヌニア公の三男、ブシェラムヒの号令に従って、盾兵たちがタワーシールドを構え、横一列に並ぶ。
ハザマ、リンザ、ハヌン、トエスの四人も、その中にいた。
「盾兵、前進!」
ブシェラムヒの声に従って、盾兵たちが一斉に前に進む。
川の中へに入って歩みを緩めず、そのまま前に進み続けた。
そのすぐあとに、工兵たちが続く。
タワーシールドで敵の攻撃をはじける範囲内にいなければ、作戦の意味がないのだ。
進み続けるにつれ、水深は深くなっていった。
膝がかぶる程度だったものが、すぐに腰まで浸かるようになり、川幅の半ばあたりで、いきなり深くなる。
「……ぱぁっ!」
唐突に深くなったので、一番背が低いハヌンは水を飲みそうになった。
「大丈夫か?」
ハザマは、一応声をかけておく。
「問題ない!」
苛立ちを含んだハヌンの声が、すぐに帰ってきた。
「いきなりだったんで、驚いただけ!」
さらに進むと、ハヌンの顔の下半分が、完全に水面の下に隠れるようになった。
ときおり不意に顔を出すのは、川の床を蹴って跳びあがったりしているためか?
リンザやトエスたちも、なんとか顎を水の上に出すため、悪戦苦闘しているようだ。
頭上に大きなタワーシールドを構えながら、だから、見た目よりはみんな苦労をしていそうだな、と、ハザマは思った。
すぐに敵の攻撃が届きだしたので、そんな悠長な思考をする余裕もなくなってくるのだが。
川幅の半ばを過ぎたあたりで、頭上に構えたタワーシールドに、矢や石が当たりはじめる。
矢が当たる感触は軽かったが、石が当たる感触は重い。気を抜いたら、よろめくどころがその場で押し戻される。
矢はともかく、重たい石をよくもこんな遠くまで投げられるものだ、とハザマは感心した。
ハザマは、この時点では、石に縄を繋いで振り回して投げる、という方法を知らなかった。




