洞窟衆側の目算
服を脱いだあと洗い場に案内され、そこでシャワーを浴びて汗と埃を洗い流してから幾つかあるかなり大きな浴槽のうちのひとつに案内をされる。
大きな浴槽にはそれぞれたっぷりとした量の湯が湛えられており、案内の女によると浴槽ごとに微妙に湯の温度が異なるのだという。
「熱い湯に浸かることを好むお客様もいらっしゃいますが、お客様のようにはじめての方の場合はのぼせてしまわれることを防止するため、まずは温めのお湯をご案内することになっております」
とのことだった。
ケイシスタル姫はこれほど大きな浴槽にいくつも湯を満たせることの贅沢さに感心するのを通り越して呆れてしまっていた。
これだけの水を汲むのためには、どれほど奴隷を酷使しなければならないことか。
それに、これだけの量の水をお湯に変えるためにはどれほどの燃料を必要とすることか。
ケイシスタル姫が持つ常識に照らし合わせてみれば、この大浴場とやらは途方も無い贅沢なのだ。
「これだけの施設を維持するためには、かなりの経費が必要となるのではないか?」
ケイシスタル姫は素直に心に浮かんだ疑問を口にしてみる。
「はじめてのお客様はそうおっしゃられることが多いのですが、おそらくはご想像なさってるよりは安価に済んでいると思います」
案内の女は簡単に説明してくれる。
それによると、水を汲みあげる作業は風力を利用した仕掛けによってほぼ賄われており、水をお湯に温めるためのボイラーも廃材や可燃ゴミを利用したり魔法を使用しているという。
そのため、施設の建築費はともかく、維持費の方は事情を知らない外部の者が想像するよりはかなり安いのだと、そう説明をされる。
なぜ風車なんかで水を汲みあげることが可能なのか、ケイシスタル姫の乏しい知識と想像力とではまるで了解できなかったが、そういうものだと当然の顔をして説明されてしまえば引きさがるしかない。
「わしにしてみれば、蛇口を捻るだけで水が出てくる仕掛けだけでもたいがいにおかしいのじゃがな」
ケイシスタル姫はいった。
「あの仕掛けは、この領地の外でも使える代物なのかの?」
「まず最初に風車や配管などの仕組みをしつらえる必要はございますが」
案内の女は説明してくれた。
「その費用を負担できるようでしたら、領地の外でも十分に活用可能でございます。
実際、こうした設備を買い求めて領外にしつらえる方も大勢いらっしゃいますし」
そうしたものも商売にしているわけか、と、ケイシスタル姫ははじめて思い当たった。
どうやら異邦人であるハザマ男爵は、その異邦の知識を十分に活用しているものらしい。
だが、これは。
ケイシスタル姫は思案顔になる。
果たして、いいことばかり、と素直に断言してしまっていいことなのだろうか。
便利になるということは、それだけ人手を必要としなくなるということでもある。
そうなると、それまでその仕事に従事していた者は仕事にあぶれるのではないか。
それに、こうした便利な仕掛けばかりが急激に身の回りに増えてしまったら、これまで当然のものとされていた習慣なども大きく姿を変えてしまうのではないのか。
紙や印刷物、それに通信術式などがハザマ領から伝わってきたことはケイシスタル姫も知っていたが、そのハザマ領の内側にこうして入ってみると、想像以上に領地の外とは違ってしまっている。
まるで、別の国にでも居るような。
と、そこまで考えて、ケイシスタル姫はぎくりとした。
いや、ここは、王国の一部というよりはやはり別種の場所であると考えるべきなのだ。
確かに政治的な区分でいえば、この場所は国王陛下が封じたハザマ男爵に治められている領地になるわけだが、領主であるハザマ男爵もそれに領民たちも、おそらくは自分たちが王国の民であるという意識はほとんど持っていないのではないか。
あのあと、ケイシスタル姫と従者であるポレアは案内係に勧められるままにマッサージなどを堪能し、それから今度は熱めの浴槽に身を沈めてから浴場をあとにする。
ムダ毛の処理なども勧められたのだが、そちらの方は早く帰りたいといって辞退をしておく。
浴場を出るとすでに日は落ちていた。
にも関わらず、街路に出ている者は多い。
人出自体は、昼間とさほど変わらないのではないか。
それもそのはず、ここでは夜であっても煌々と照明魔法による明かりによって照らされ、昼間と同然というまでには行かないものの、かなり細い街路まで満遍なく照らされている。
この異質な都市では、夜の闇まで駆逐されているようであった。
これは、治安などを考えれば確かにそれだけ安全にはなるのだろうが、同時に、ひどく不自然にも思えるな。
と、ケイシスタル姫はその違和感を噛みしめる。
街路をゆく人々は、商人風、人足風の出で立ちをしている者の他に、ケイシスタル姫が身に着けているようなユカタを来たラフな格好をしている者もかなり含まれている。
そうした気安い格好で出歩けるということは、それだけこの街が安全な場所であるということを証明してもいるのだろう。
豊かで平和な光景といえたが、ケイシスタル姫は同時になにか空々しい印象もおぼえてしまう。
かすかな違和感が、どうしても拭えなかった。
宿に帰ると、宿の者から伝言を預かっておりますといって紙片を渡された。
冒険者ギルドのスゲキヨの署名入りで、
「明朝、この宿に訪問をする」
といった内容が簡単にしたためられている。
いろいろと新奇な光景に接した一日であり、この日は妙な気疲れも感じていたのでそのまま早めに就寝することにした。
「では、穀物市場の開設について、王国中央への届け出はわたくしの方から出させていただいてよろしいですね?」
「そうしていただいた方が無難でしょう」
ハザマはニョルトト・マヌダルク姫にいった。
「少なくともうちから申請するよりは、そちらから出していただいた方が反発や抵抗も少なくなるかと思います」
ケイシスタル姫の一件は別にして、ハザマにも他に進めなければならない公務というのは無数にあった。
この日も、出張所の執務室でニョルトト姫と旧ベレンティア公爵領の再開発計画について打ち合わせをしているところであった。
この計画についていえば、おおまかな部分がほぼ固まりつつある。
「この穀物市場は周辺諸国からの要請もあって開設に踏み切るわけですから、たとえ中央といえどもおおっぴらに反対するべき口実がないはずです」
ニョルトト姫はいった。
「国際的な指標となる相場を確定する場所が国内にできれば、王国にとっても都合がいいことも多いですしね」
「だといいんですけどねえ」
ハザマはいった。
「なにしろこっちは、中央の動向については今ひとつ把握しかねていますので」
「あら。
わたくしに、そんな実情を漏らしてしまわれてもよろしいのでしょうか?」
「よろしいもなにも、隠しようがない事実ですから」
ハザマはそういって肩をすくめた。
「王国中央の貴族だの官吏だのが果たしてどういう思惑で動いているのか、理解できるような人材がうちにはほとんどいません。
うちにいる連中は寄せ集めもいいところですからね」
洞窟衆に中央政界とのパイプ役が不在であるというのは、紛れもない事実であった。
もっともハザマ自身も、そのことに関して特に気にしてもいなかったが。
必要な事務手続きは正規の手順を踏んでいれば問題ないと思っていたし、実際、これまでのところはそれで支障なく動けてきている。
ただ、国際的な穀物相場の開設となるとどこからどのような物言いがつくのか予想もつかなかった。
こうした市場が開設してしまえばその影響力は大きいはずであり、王国内部でも様々な思惑で動き出す者がいるはずである。
だから、新興の洞窟衆よりはよほど発言力の大きいニョルトト公爵家の名前で申請を出す方が、遥かに確実なのだ。
「中央から申請を却下された場合には、どうしますか?」
「そのときは、そうですね」
マヌダルク姫は少しだけ考えてから、ハザマの問いに答えた。
「無視して強行してしまいましょう」
「え?」
ハザマは反射的に訊ね返す。
「それで、支障は出ないんでしょうか?」
「根本的なことをいえば、王国法のどこをみても国内で穀物の国際相場を決定する場所を定めてはいけませんと書かれた条文はないわけですから」
ニョルトト姫はいった。
「別に非合法な行為を行っているわけではありませんし。
加えて、今回は王国と同盟関係にある十カ国以上もの国々からの要請に応える形で開設するわけですから、正当な理由無くしてこの開設を妨げるような動きがあったとしたら、そちらの方が国益にとって妨げになります」
つまりは、今回の申請も王国中央へのご機嫌伺いというよりは、一方的な宣言に近い性質のものだという。
「それで、大丈夫なんですか?」
強気なニョルトト姫の様子を目の当たりにして、どちらかというとハザマの方が引き気味になってしまう。
「多少気に食わないことがあったとしても、今の王国にはこちらに過度の干渉を行ってくるほどの力は持ちあわせていません」
ニョルトト姫はいった。
「それどころか、時間が経てば経つほど、ハザマ領と洞窟衆の影響力は増していくことでしょう。
たとえば、ごく最近も、洞窟衆はワデルスラスのご令嬢の後押しをなさっているとか」
「よくご存知で」
「もう周辺でも知らぬ者がないくらいの噂になっておりますよ」
そういってニョルトト姫は軽やかな笑い声を出した。
「すでにスデスラス方面に、陸路と水路でかなりの物資を運びはじめているとか」
「それは、歴とした商行為ですよ」
ハザマはそういって、再度肩をすくめる。
「確かに遠い国ですし、そのおかげでこれまで積極的に販路を伸ばしてきた地域ではありませんでしたが。
どの道、遅いか早いかの違いはあれ、いずれは進出するはずの地域でもあります。
これを機会に商域を拡大してもいいじゃありませんか」
「軍隊が動くよりも先に、物資とそれに通信網を敵地に送り込んで準備を整えておくわけですね」
ニョルトト姫はいった。
「兵站に苦労しないとなれば、兵が消耗する理由も半減します。
これではケイシスタル姫様がどのような将であっても負ける道理がないではありませんか」
「別に甘やかしているわけではなく、ですね」
なぜだか、ハザマは弁解じみた口調になっている。
「そうでもしなければ、うちの取り分がなくなってしまいますからね。
ケイシスタル姫様は勝利を得て、うちは利潤を得る。
おまけにスデスラスの人々はうちから公然と各種の支援を得ることができる。
あそこも随分と戦乱が続いて荒れているということですから、ここいらで復興の手助けをする者が現れてもいい頃でしょう」
「それは、食料や物資、それにお金を持った人たちに逆らえる人は限られていますから」
ニョルトト姫は頷く。
「確かに、この戦いは洞窟衆の方々が本気で乗り出した時点で結果が決まっているようなものです。
しかし、そのあとはどうするのですか?
際限なく戦乱の地を治めていくおつもりなのでしょうか?」
「痛いところを突いて来ますね」
その言葉に、ハザマ苦笑いを浮かべる。
「おっしゃるとおり、どこの誰でも際限なく助けていくというは、現実を見れば土台無理というものでしょう。
だが、今回に限っていえば、スデスラス王国というのはどうやら今の洞窟衆でも助けられる規模の国であるようだし。
そうですね。
それに、うちには……」
困窮している人を見ると救わずにはいられないという、正義の味方のような精神を持ったやつらがいるんですよ。
と、ハザマは続ける。
「たまには、そういうやつらにも活躍の場を与えておかないとね」
それ以外にも、たまには戦場に出してやらないと欲求不満になって暴発しかねない連中も居るのであるが、そのことに関してはこの場ではあえて口にしないことにする。
「さらにいうと」
ハザマはいった。
「今回の件は、発足したばかりの冒険者ギルドの使用例を内外に示すための、格好のテストケースになります。
冒険者ギルドの知名度をあげるという意味でも、いいタイミングで転がり込んで来た依頼でもありますね」
「人助けも無償ではないということですか」
ニョルトト姫はそういって笑みを浮かべる。
「それでこそハザマ様、それでこそ洞窟衆ですわね」
翌朝、冒険者ギルドのスゲキヨはことづけていた通りに、ケイシスタル姫の部屋を訪ねてきた。
「本日、お時間の方は空いていますでしょうか?」
部屋に入ってくるなり、スゲキヨは本題を切り出してくる。
「もしお手すきのようでしたら、王国軍の方かニョルトト公爵家の公館を訪問しておくことをお勧めいたします」
「王国軍の方かニョルトト公爵家の公館、か」
ケイシスタル姫はおうむ返しに呟き、なにごとか考えはじめる。
確かにどちらも、この土地で軍を起こすためには顔を出しておいた方がいい場所ではあるな、と、ケイシスタル姫は得心した。
「まずは、王国軍の方を先にしよう」
ケイシスタル姫は、そおう返答をする。
「今すぐにむかっても大丈夫なのか?」
「支障はないはずですが。
少し、お待ちください」
スゲヨキはそういったあと、数秒間、黙りこんだ。
「王国軍の方はいつでも姫様を歓迎するそうです。
準備を整えたら、すぐに出ましょう」
スゲヨキはどうやら黙っていた数秒間に、通信によって王国軍の都合を確認したものらしかった。
通信という新しい術式がこの土地ではそこまで身近なものになっているということを目の当たりにし、ケイシスタル姫は改めて衝撃を受ける。
「確かに通信用のタグはまだまだ高価で、個人では手が届きませんけどね」
スゲヨキはいった。
「ただ、洞窟衆とか冒険者ギルドとかでは、要職にある者は当然のように支給されています。
だって、これがあるのとないのとでは仕事の効率がまるで違って来ますから」
王国軍まで歩いて移動する最中のやり取りである。
いつの間にか、スゲヨキの言葉遣いは若干砕けたものになっていた。
スゲヨキによると、業務連絡の他に、暇なときは見知らぬ人々と他愛のない会話に興じているのだという。
「顔を合わせたこともない者とか!」
ケイシスタル姫は驚愕した。
「だって、山地とかドン・デラとか、通話相手はあちこちに散らばっていますからね」
スゲヨキはなんでもないことのようにいい放つ。
「それに、顔を合わせたからこそあけすけに話すことができるというのもありますし。
キャリアの相談とか対人関係とか」
そのように説明されたところで、ケイシスタル姫にとっては完全に理解の外にあった。
王国軍が駐留している場所までには、かなり歩くことになった。
スゲヨキは宿を出る前に、
「馬車を用意しますか?」
といってくれたのだが、少しでも軍資金を残しておこうと思ったケイシスタル姫がそれを断ったためだ。
商用地区からいくと、橋を渡って川をこえて、さらにその先をしばらく歩いたところになる。
この橋と大地に国境紛争の当時おびただしい敵味方の将兵の死体が転がっていたということはケイシスタル姫も知識とは知っていた。
今の姿はきちんと整備され、普通に人や馬車が行き交う単なる道であり、その事実に対してもケイシスタル姫は特に感慨を得るところはなかった。
ケイシスタル姫がその場所に到着すると、まちまちの具足をつけたいかつい軍人たちがあっという間に集合して左右に整列し、ケイシスタル姫の行く手に道を作って鞘に収めたままの剣を高く捧げ持った。
きちんとした身なりの者だけでも、百名以上は居るだろうか。
そうした者たちは相応に高い身分であろうから、その一人ひとりに世話をする者が数名ずつついているはずだ。
とか、ケイシスタル姫はそのように考える。
この場に出ている者がついてくるだけでも、数百名分の戦力にはなるわけか、と、脳裏で素早くそんな計算もしてみた。
具足がまちまちなのは、こうした将兵の出身国が見事にバラバラであったためだ。
「ケイシスタル姫殿下。
久方ぶりにお目にかかります」
その一隊のなかから優男風の男が進み出て挨拶をする。
「王国軍一同を代表しまして、姫様を歓迎させていただきます」
アルマヌニア公爵家の次男、ムヒライヒ・アルマヌニアだった。




